コロッケそばは巡る チャック編(チャップ視点)
その日も、チャップが勤めるナダイツジソバの昼営業は忙しかった。
今、最も旧王都で勢いがあるとされる食堂、ナダイツジソバ。いつの時間も客が途切れることはないのだが、1日のうちで一番忙しいのは間違いなく昼の営業だ。
昼になると、ナダイツジソバには一般市民の他に旧王城で働く兵士や騎士たちが詰めかける。日頃から肉体を酷使している働き盛りの男たちが空きっ腹を抱えたまま大挙して押し寄せて来るのだから、その胃袋を満たす方は大変だ。
席は常に埋まったままで、外には入店を待つ人の列まで出来る始末。厨房もホールもひっきりなしに動き続け、1つ席が空く度に外で待つ客を呼び込まねばならないほどだ。
近頃のチャップは作業に慣れてきたこともあり、ホールよりも厨房の仕事をこなす時間の方が多い。だが、まだまだホールの仕事もこなさねばならず、チャップは配膳で忙しいルテリアとシャオリンに代わって外で待つ客の呼び込みに出た。
「お待たせしました! お席空きましたので次のおきゃ……え…………?」
と、チャップは呼び込もうとしていた最前列の客の顔を見た途端、唖然として目を見開いた。
「兄ちゃん……」
そう言って静かに口を開く、自分によく似た青年。歳の頃は18歳くらいだろうか。
「あ……え……え?」
仕事の最中だというのに、チャップはその仕事のことを忘れてわなわなと小刻みに震え始めた。
何故、彼がここにいるのか。チャップが家を出てから約6年。家の為、弟の為と書き置き1枚だけを残して故郷を去り、居場所を知られてはならないと手紙を出すことすらも我慢して、自分の将来の為と働き続けてきた。
そう、チャップは家族の誰にも今の自分の居場所を知らせていないのだ。それなのに、何故。
「俺だ、兄ちゃん。チャックだ」
チャップによく似た青年、記憶が確かなら、もう18歳になった弟のチャックが、どういう訳かそこに立っていた。故郷ノルビムで実家の厨房に立っている筈のチャックが。6年前、12歳で別れた頃の少年の日の面影を残したまま、しかし今や立派な青年に成長した弟が。
「ち……チャック、お前、なんで…………ッ!?」
どうやって自分の居場所を見つけたというのか。どうして故郷を出てここまで来たのか。一体、どんな理由で自分に会いに来たのか。
そういう気持ちを上手く言葉にすることが出来ずにいるチャップに対して、チャックは半ば怒鳴るようにして言葉をぶつけてきた。
「俺は兄ちゃんのこと追い出してまで料理長になりたかったわけじゃねえよ!」
目に涙を溜め、感情的な声でそう叫ぶチャック。周りに人の目があることも構わず、彼はそのまま言葉を続けた。
「父さんだって母さんだって爺ちゃんだって婆ちゃんだって、料理のギフトがないからって兄ちゃんのこと俺に劣るなんてふうに見ちゃいねえよ!」
それは言われずともチャップも分かっている。家族は皆、優しい。兄弟のどちらが優れていてどちらが劣っている、などという言葉は言われた本人が傷付くので決して口にしなかったし、料理のギフトを持たないチャップを追い出す素振りも全くなかった。
だが、料理のギフトを授かった弟を差し置いて自分が料理長を継ぐようなことがあってはならない。そんなことになれば大樹亭の伝統が途絶えると、そう思えてならなかった。それに何より、誰に言われずともチャップ自身が家族の優しさに甘え、そこにつけ込むようなことが許せなかった。それに弟の将来を邪魔するような存在にはなりたくなかった。
だからこそ未練を断ち切り家を出たのだ。
だが、それはチャップの気持ちであって、チャックの気持ちはまた別なのかもしれない。そして、今、チャックがチャップにぶつけている言葉は、その気持ちの現れなのだろう。でなければ、こんなに必死の形相をする筈がない。
「兄ちゃんが出て行って、みんな泣いたんだぞ! すげえ悲しかったんだ! すげえ悔しかったんだ! すげえ怒ったんだ! 俺だって泣いた! 父さんが泣くところなんか初めて見た! 母さんなんてショックで何日も起きられなかったんだ! 自分たちが知らずに兄ちゃんのこと追い詰めたって、そう言ってたんだ!!」
その言葉に、チャップは少なからず衝撃を受けた。
自分が出て行けば、大樹亭は安泰だと思っていたのだ。自分にはない料理のギフトを持ち、自分より才能もある弟が跡を継ぐことで磐石の体制が維持されるものだと。弟のことを、大樹亭の未来のことを考えれば自分の選択は正しかったのだと、ずっとそう思いながら今日この時まで生きてきた。
だが、チャックが口にする言葉はチャップのそんな想いとは相反するものだった。
「大怪我したんなら連絡ぐらいしろよ! どうして手紙のひとつも寄越さねえんだよ! 生きてるんなら、元気でいるならそれくらい知らせてくれてもいいじゃないか! こっちは兄ちゃんが生きてるか死んでるかも分からなかったんだ!!」
「チャック…………」
「家族の誰も、兄ちゃんに出て行ってほしいなんて思ってねえよ! 兄ちゃんが出て行ったからって店が良くなるわけねえだろ! 戻って来いよ、兄ちゃん! 頼むから戻って来てくれよ!!」
一息にそう言い終わるや、チャックは大粒の涙を零しながら、感極まった様子で人目も憚らずわんわんと泣き始めた。きっと、この6年間で鬱積したものをようやく吐き出せたのだろう。
まさか自分が良かれと思ってやったことが、この6年間が故郷に残してきた家族にとって心のわだかまりになっているとは想像だにしていなかった。最初のうちは多少は淋しがるだろうが、そこまで悲しむとは思っていなかったのだ。そして何より、邪魔者である自分の帰郷を望んでくれているなどとは想像すらもしていなかった。
いつの間にか、チャップの目にも涙が滲んでいた。家族は自分のことを邪魔者だとは思っていなかった、それどころか自分が姿を消したことに悲しみ、未だに自分の帰郷を願ってくれているのだと、自分のことを想ってくれているのだと初めて知った。大樹亭を継いだ後のことを将来の夢として語った弟までが。
家族の想いに初めて触れた気がして、家族の優しさを、その温かさを再認識出来た気がしてチャップは嬉しかった。そして同時に、自分の決断が結果的に家族を悲しませたことが申し訳なかった。
自分の脳裏に家族の顔が浮かぶ。在りし日の思い出が、皆で笑いあったあの時が思い浮かぶ。強烈な望郷の念に駆られてしまう。
恐らく、これが両足を失った直後のことであったなら、或いはダンジョン探索者ギルドに勤めている最中のことであったのなら、チャップは1も2もなく弟の言葉に頷いて故郷ノルビムに帰ったことだろう。そこに迷いなどなかった筈だ。
だが、今のチャップはその時とは違う。両足を失ってから時間が経った今は。人生の転機とも言える衝撃の出会いがあり、短くとも濃密な時間を過ごした今は。
残念ではあるが、今のチャップはチャックの言葉に頷く訳にはいかなかった。
「チャック、ちょっと来い」
チャックが自分に想いを伝えたように、今度はチャップが彼に伝えなければならないことがある。
チャップはチャックの手を取り、彼を半ば強引に店内まで引き込んだ。
「ちょッ! 兄ちゃん!?」
いきなり何をするのか、とでも言うように驚くチャック。チャップはそんなことお構いなしにズンズンと店の中を行き、そのまま厨房に入った。
客も店員も、誰もが唖然としているのだが、チャップはそれでも止まらない。
店長と同僚たちにはしばしの時間、迷惑をかけることになるが、それでも今、どうしてもやらなければならないことがあるのだ。
「店長すいません! 急ですけど俺、ちょっと休憩いただきます! バックルーム使わせてもらいますね!!」
店のバックルームには従業員用のロッカーが置かれているのだが、パイプ製の簡素な椅子と机も置かれており、一応は食事することも可能となっている。
「え!? あ、ああ……。ん? え?」
店長であるフミヤは突然のことに目を白黒させて唖然とした様子だが、とりあえずは頷いてくれた。
「それと大至急コロッケソバひとつお願いします! 代金は俺の給料から引いといてください!」
何も説明していないので事態は理解出来ないだろうが、チャップはそうフミヤに頼む。
チャップが今、何を考え、どういう意思を持っているかということを弟に理解してもらうのに、コロッケソバは欠かせない。それもチャップが作った半端なものではなく、フミヤが作った完璧なものでなければならない。
バックルームに入るなり、チャップはチャックを強引に椅子に座らせ、彼の前にテーブルを持って来る。
訳が分からないという感じで目を白黒させているチャックに対し、チャップは静かに口を開いた。
「……俺が働かせてもらっているこのナダイツジソバはな、名前の通りソバって料理を出す店だ。これからお前に、ナダイツジソバの新メニュー、コロッケソバを食わせてやる」
「コロッケソバ……?」
眼前に立つチャップのことを見上げながら、チャックが呆然とそう呟く。
そんなチャックに対し、チャップはそうだと頷いた。
※西村西からのお願い※
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