コロッケそばは巡る イシュタカのテオ編④
「折角のツジソバですから、好きなものを頼むといいですよ?」
テッサリアにそう言われてテオもメニューを見てみるのだが、ひとつとして料理の内容が分からなかった。
かろうじて分かるのは麺料理がメインの店だということと、この麺がソバという名前だということ。
しかして灰色がかった麺は小麦のものとも思えず、茶色いスープが野菜のものなのか肉のものなのかも分からず。
麺の上に更に料理が乗っているものも多数あるのだが、それらについても見覚えのないものばかりだ。
カレーライスという料理については全く何の見当もつかない、山のものとも海のものとも分からない未知のものであった。
自分は今、何を頼むべきなのか。味や食感の予想がつかないものを多数の選択肢からひとつだけ選び取るのは難しい。テオはお手上げだと渋面を作って見せる。
「メニューを見ても何が何やら……」
テオがそう弱音を吐くと、この店について一日の長があるテッサリアは「任せなさい!」とばかりに胸を張った。
「じゃあ、ツジソバ通の私が代わりに頼んであげましょう! 最近追加されたオススメがあるんです」
「食えるのなら何でも構わん」
テッサリアの言葉を借りるなら、この店の料理は何でも美味いのだという。ならば何を頼んだとてハズレはあるまい。
テオの返事に頷き、テッサリアは手を上げて給仕の少女を呼んだ。
「すいません、シャオリンちゃん! 注文いいですか?」
「はい。ご注文どうぞ」
駆け寄って来た給仕の少女が、メモとペンを取り出した。
「コロッケソバ、ふたつください」
「かしこまりました。店長、コロッケ2です!」
少女が声を上げると、厨房の方から「あいよ!」と威勢の良い男性の声が返ってくる。どうやら厨房と接客で完全に仕事が別れているようだ。
オーダーが通ったことを確認してから、テオは若干呆れた様子でテッサリアに向き直った。
「何だか知らんが、お前、まだ食うのか?」
コロッケソバが何なのかは分からないが、しかしテッサリアはそれをふたつも注文した。今現在も何か麺を食べている最中だというのに、テオの注文と一緒に自分のおかわりを頼んだということだろう。
テオの何か言いたげな視線を受けても、テッサリアは平然としたまま口を開いた。
「久々の再会を祝して、コロッケソバで乾杯なのですよ。まだお昼なんですから、お酒を飲むわけにもいかないでしょ?」
「なら、水で乾杯すればいいじゃないか」
「ここのお水は確かに美味しいですけど、水杯じゃあちょっと味気ないじゃないですか」
次から次へ言い訳が出て来る、よく回る口である。昔からハキハキとよく喋る少女だったが、これはきっと天性のものなのだろう。
「その細い身体によく入るな? そんなに大食漢だったか?」
苦笑しながらテオが言うと、テッサリアはぶう、と唇を尖らせて抗議した。
「本当に美味しいものはいくらでも食べられるんですよぅ」
心の中で「そんな筈はないだろう」とツッコミながら、テオも言葉を返す。
「お前のギフトは『無限食欲』とかだったか?」
「そんなギフトはありません!」
と、そんなふうに2人でああだ、こうだやっていると、先ほどの給仕の少女が料理の乗った盆を持ってやって来た。
「お待たせしました、こちら、コロッケソバになります。ごゆっくりどうぞ……」
テオとテッサリア、それぞれの眼前にコロッケソバが盛られた器が置かれる。
「ほう、これが……」
器から立ち昇る湯気を顔に受けながら、テオはまじまじとコロッケソバを見下ろした。
茶色なのに底が見えるほど澄んだスープに沈む灰色の麺。そして、その麺の上にデンと大きく陣取る黄金色の丸いもの。
麺がスープの具になっているというのは初めて見たが、不思議と変だという気にはならない。むしろ収まるべきところに収まっているという印象だ。
先ほどから顔に当たる湯気は何とも食欲をそそる香気に満ち、テオの空腹をこれでもかと刺激してくる。麺の匂いはそれほど分からないが、スープは何処か魚っぽいような、それでいて何か植物由来のものも含まれているような不思議な香りだ。これまで嗅いだことのない匂いだが、忌避感はない。むしろ牧歌的ですらあり、心が落ち着くような安心感に満ちている。
それに加えて、この黄金色の丸いものから漂う植物油の香ばしい匂いだ。良質な油から漂う香気が鼻から吸い込まれると身震いがする。それほど美味そうなのだ。
テオがコロッケソバの香りに恍惚としていると、テッサリアがニコニコと笑みを浮かべながら黄金色の丸いものを指差した。
「その、真ん中に乗ってる丸い揚げものがコロッケなんですよ」
「アゲモノ?」
「大量の植物油で泳がせるように火を通す贅沢な調理法で作られた料理です。そんな贅沢な料理が1杯500コルにも満たないんだから凄いですよねえ」
「ふうむ……」
資源に乏しいイシュタカ山脈では、植物油を口にすることは滅多にない。御山の暮らしで口に入るのはほとんどが魔物由来の獣脂であり、貴重な植物油は何年かに1回の祭りでごく少量が料理に使われるのみだ。
貴族ですらも日常的に使うのは難しいと言われる植物油を大量に使った料理とは、何とも豪奢なことである。
この1杯に凝縮された贅沢は、残らず味わい尽くさねばなるまい。
見れば、テッサリアはすでに最初に頼んだ方のソバを平らげ、おかわりとして頼んだコロッケソバに取りかかっているところだった。どうやら彼女は大食いに加えて早食いでもあったらしい。
そんな彼女に苦笑しつつ、テオも早速コロッケソバに取りかかった。
まずは器ごと両手で持ち上げ、先ほどからしきりに美味そうな匂いを打ち上げ続けているスープを啜る。
ずず、ずずずず……。
「んん……ッ!」
温かなスープがそろそろと口の中に入ってきた瞬間、テオは思わず唸り声を上げていた。
美味い。それも半端な美味さではない。極上だ。
濃厚に香る主張の強い魚の風味と調和する、恐らくは植物由来らしき何かの丸くて角のない柔らかな風味。しかしてそれは野菜のものとも思えず、かといって肉だとは到底思えず。テオでは判別のつかない何とも不思議な味だが、しかし美味い。スープ自体が澄んでいるから素材の旨味のみを閉じ込めているのだろう。
一体、どのような調理法を用いればこのようなスープが作れるのか。
「こいつは美味い……ッ」
決して華美ではない、むしろ庶民派とも思えるような、何処か安堵感を覚えるような味。この素晴らしいスープに対して、麺の方はどうか。
テッサリアを含め、周りの客たちは2本の木の棒を使って器用に麺を掴んで食べている。都会ではこのような不思議なカトラリーを使っているのだろうか。
テオは上手く木の棒を使えるとは思えないので、横に添えられたフォークを使うことにした。
フォークの櫛の部分でスープの中の麺を絡め取り、口に運ぶ。
ずる、ずるずる、ずるるるる……。
何とも滑らかな麺がスープを纏って口内に入ってくる。
そして、その滑らかな麺を噛み締めると、シコシコとした心地良い弾力と共に何とも独特で牧歌的な香気が鼻に昇ってきた。これがソバというものの香りなのか。明らかに小麦とは風味が違う。
「うむ。美味い……」
もう一度スープを啜り、咀嚼していた麺を喉の奥に流し込むと、テオは感嘆にも似た心持ちでそう呟いた。
麺とスープ。シンプルなこの組み合わせ、恐らくはこの店の料理の基本であろうものがしっかりと美味い。そこにトッピングも合わせた更なる組み合わせがあるというのだから、これは確かにテッサリアが夢中になる訳だ。
もし、仮にこの店がイシュタカ山脈にあったとしたら、テオも間違いなく通い詰めることだろう。
この店の料理の基本、土台の部分がしっかりしていることは十二分に分かった。ならば次はいよいよコロッケだ。
テッサリア曰く、大量の油で揚げたというこの料理。本来であれば王宮のような場所でしか食べられない贅沢なものなのだろうが、この店では500コルもせずに食べられるらしい。
恐らくはこれまでのテオの生涯において最も贅沢な料理。
若干の緊張を含みながら、テオはコロッケにフォークを突き刺し、持ち上げた。
ホコホコと湯気を立て、芳しい香りが絶え間なく鼻孔を刺激する。そんな黄金色の円盤、コロッケを口に運び、ガブリと齧りつく。
瞬間、
ザクッ!
と、まるで焼き立てのパンに歯を立てた時のような音と感触が口の中を満たした。
何だ、この食感は。
更に噛み締める。
ザク、ザク、ザク、ザク……。
香ばしい外側のザクザクとした食感に加え、中からネットリとした甘いものが顔を出す。この味、この食感には馴染みがある。ジャガイモだ。イシュタカ山脈では何処の集落でも栽培されている、テオの家でも作っているジャガイモで間違いない。
「あふッ!」
コロッケの熱さに思わず息を吐きながら、テオは驚愕していた。まさか、世間一般にありふれたジャガイモにこんな食べ方があったのか、と。
イシュタカ山脈に限らず、ジャガイモの食べ方といえば、基本は茹でてから塩をかけて食べるか、茹でたものを潰して、やはり塩をかけるだけ。それ以外だとスープの具として煮込むか、炒めものにしてしまうくらいか。いずれも常識の範囲内のことだ。
だが、このコロッケはどうだろうか。外側にザクザクカリカリとした皮を纏わせ、中のジャガイモは潰すだけでなく、他にも何か混ぜて下味を付けている。混ぜられているのは恐らく細かく挽いた肉とペコロスのみじん切りを炒めたもの。
腹を満たす為のものとしては優秀だが、さして味気も色気もないジャガイモ。そんなジャガイモが見事な御馳走に仕上がっている。
「美味い! これは本当にジャガイモなのか!?」
周りに他の客がいることも忘れて、テオは思わず声を上げていた。
目の前に突きつけられた事実に対して理解が追い付かない。あのジャガイモが驚くほど美味いという、その事実に。
テオが目を白黒させていると、隣のテッサリアが「むふふ」と何とも意味深な笑みを浮かべていた。
「驚いたでしょ? でも、間違いなくジャガイモですよ。テオたちが作ってるイシュタカ山脈のとは品種が違うかもしれませんけどね」
なるほど、違う品種。
イシュタカ山脈で原種が発見され、瞬く間に全世界に広まったジャガイモは、その伝播の過程で複数の品種に分かれている。より平地に適したもの、より湿地に適したもの、より寒冷地に適したもの。甘くなったものもあれば、味に変化はなく大きくなったものもあるし、火を通すと身が崩れやすくなったようなものもある。
このコロッケに使われているジャガイモは通常のものよりもネットリホコホコしていて確かな甘さを感じる。テッサリアが言うように、身が固いイシュタカ山脈のものとは別物だろう。
「ジャガイモなど今まで数多食ってきたが、これほど美味い食い方があるとは思わなかったな……」
テオはジャガイモ農家とダンジョン探索を半々でやっているような身の上だが、これまでジャガイモを工夫して美味しく食べようとは思ってこなかった。ジャガイモは腹を膨らませる為に味などさして気にせず食うのが当たり前で、それ以外の可能性があるなどとはそもそも考えることすらなかったのだ。
だが、この店のジャガイモはどうか。巷にありふれたジャガイモを素材にして、極上の逸品を作り上げることに成功している。
コロッケに圧倒されたテオの様子を見て、別に彼女が作った訳でもないのに、テッサリアは何故か誇らしげに胸を張った。
「凄いでしょ? 皆が別に美味しくも不味くもないものとして認識しているジャガイモも、このツジソバにかかれば御馳走に早変わりです。苦くて子供に嫌われているサヴォイも、ほとんどの漁師町で雑草だと思われている海草も、ここでは美味しい料理に変身して出て来るんです。テオも興味深いと思いませんか?」
巷にありふれたもの、あまり好かれていないもの、無価値だと思われているもの。そういうものを極上の料理に変えるこの店の料理人の腕には確かに興味を引かれる。調理場は料理人の聖域なので、ただの客がそんなことは出来ないが、可能ならば調理の様子を間近で見学させてもらいたいくらいだ。
背筋を伸ばして厨房の方に目をやると、黒髪黒目の青年が麺を茹でている様子が見えた。きっと、彼がこの店の料理長なのだろう。
テオは別に料理人ではないが、それでも彼の創意工夫には学ぶところがあるように思える。
「まあ、お前が夢中になる理由は理解したよ」
幼い頃からギフトという人に備わる不思議な力に興味を持ち、夢中になっていたテッサリア。ギフトの関連はあれど、そんなテッサリアが再び夢中になっているのがこの店、ツジソバだ。
ただ単に美味しい料理が出て来るだけではない、そこには常識を覆す創意工夫が隠されている。
テッサリアは興味を持ったものごとを探求するのが好きで、それを自らの生き方としている。今はこの店に関することを何でも調べ、知ることに熱中し、探求しているのだろう。
それが証拠に、彼女は前回会った時よりもずっと活き活きとしている。まるで水を得た魚だ。
彼女自身は30年でイシュタカ山脈に来ると言っているが、この様子では40年でも50年でもここにいるのではないだろうか。今の彼女はそれだけこの店に魅せられている。
そういうテオの心の内を知ってか知らずか、テッサリアもコロッケを齧りながら笑顔を見せた。
「う~ん、カリッカリで美味しい! こんなに美味しいものを毎日食べてるんですから、元気じゃないわけがありません。母さんにはそう伝えておいてください」
言われて、テオは呆れながら口を開いた。
「たまにはお前が手紙を出して伝えればいいだろ? そこにわざわざ俺を挟む必要があるか?」
テオがそう言うと、テッサリアは盲点だとばかりに驚いて見せる。
「あッ! それもそうですね」
「というかたまには里帰りしてやれよ。親孝行は出来るうちにしろ」
あえて説教臭くそう言うテオに、テッサリアはまたぶう、と唇を尖らせた。
「うちの母さんみたいなこと言いますね、テオ」
「甥っ子だからな」
「それもそうか」
「むしろ実の娘のお前が叔母上に似ずズボラなのが不思議だよ」
テオが真顔でそう言うと、テッサリアは露骨に眉間にしわを寄せた。
「むぅー、嫁いびり!」
「まだ結婚しとらん」
「それもそうか」
そんな他愛もないやり取りをしながら笑い合う2人。そこにこれまで会っていなかった30年の隔たりはなく、仲睦まじい婚約者同士の姿があるだけだった。
2人してひとしきり笑うと、やがて、テッサリアが表情を正してテオに向き直った。
「テオ……」
「ん?」
「あと30年だけ待っていてくださいね。30年経ったら必ずイシュタカの御山まで嫁ぎに行きますから」
「ああ。期待しないで待っているよ」
今はこの店、ツジソバにゾッコンのテッサリアである。そんなテッサリアが夢中になっているものを無理に取り上げるような真似はしたくない。
イシュタカ山脈の暮しは変化に乏しい、言わばルーティーンとも言えるようなものだ。テッサリアの性格を考えれば、それは少々窮屈なものだろう。だから、今はこの生活を存分に楽しんでもらいたい。
彼女はきっちり30年と言うものの、あと10年か20年くらいは猶予があってもいいだろう。
そういう意味を込めて言った言葉だったのだが、テッサリアは心外だとでも言うように反論した。
「そこは期待しといてくださいよ!」
そして、またも笑い合う2人。
いつも賑やかな店内に、2人の笑い声もその一部として溶けていった。
※西村西からのお願い※
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
よろしければブックマークと評価【☆☆☆☆☆】の方、何卒宜しくお願いします。モチベーションに繋がります。




