コロッケそばは巡る イシュタカのテオ編③
風光明媚な古都、旧王都アルベイルにあって明らかに異質な食堂、ツジソバ。
その威容にただただ圧倒されていたテオであったが、透明なガラス越しに見えた店内に、ふと、目を引く者の姿があった。
こちらに背を向けているので顔の判別は出来ないが、細くしなやかな後姿、輝くような長い金髪に、横に突き出したこれまた長い耳。間違いなくエルフ、それも若い女性だ。
U字テーブルの端の方の席で、どうやら一心不乱に何かを食べているようだ。
テオにこの店のことを教えてくれた男性が言っていた女エルフというのは、彼女のことで間違いない。
店内は随分と混み合っている様子だが、彼女の隣の席で食べていた男性が丁度立ち上がり、会計に向かうところだった。
「よし……」
気後れしている場合ではない。イシュタカの暮しは現金を必要とするものではないが、それでも食堂で食事をするくらいの持ち合わせはある。
テオは決意を込めるように頷くと、ツジソバのガラス戸に手をかけようとした。すると、まだ手も触れていないうちに自動的に戸が開いた。
「うおッ!」
まるで弾かれたように出していた手を引っ込め、思わず驚きの声を上げるテオ。冷静に考えてみれば魔導具だということは分かるのだが、まさか戸を開くだけの目的で魔導具を設置しているとは思っておらず、情けない声を出してしまった。
テオが少々赤面しながら店に足を踏み入れると、カテドラル王国で見るのは珍しい魔族らしき給仕の少女がこちらに駆け寄って来た。
「いらっしゃいませ、お客様」
そう言ってから、少女は小さな声で「よかった、ちゃんと言えた……」と呟きを洩らす。
恐らくは新人なのだろう、何だか動きがぎこちないが、思わず頬が緩むような、これからの成長が楽しみというような微笑ましい感じがする。
「只今お席の方が混み合っておりまして……と、あそこ空いてた。あちらのお席へどうぞ」
そう言って給仕の少女が差したのは、先ほど空いたばかりの、あの女エルフの隣の席だった。意図して狙っていた訳ではないが、実に都合が良い。
「ああ、ありがとう」
給仕の少女に礼を言ってから、テオは席に向かった。
歩きながら、何か麺を啜る女エルフの横顔を見る。最後に会った時よりも随分と顔付きが大人になったようだが、それでも夢中でものを食べる姿は随分と子供らしく見える。間違いない、彼女だ。
「隣、いいか?」
給仕の少女に案内された席まで行き、その隣で随分と勢い良く麺を啜る女エルフに声をかけるテオ。
すると女エルフはもぐもぐと麺を咀嚼しながら顔を上げた。
「はい、どうぞ……って、ええぇ!!?」
テオの顔を見た途端、女エルフは、いや、テオの婚約者である茨森のテッサリアは目を剥いて驚きの声を上げた。
この大食漢然とした食欲は予想外だが、しかし感情豊かな性格は相変わらずのようだ。
これだけ食欲があるのならば身体の方は壮健なのだろう。テオは苦笑しつつも安堵して彼女の横の席に座った。
「久しいな、テッサリア。元気なようで何よりだ」
「テ、テ、テ、テオ!? え? な、何で……」
何せ30年ぶりの再会、しかもテッサリアにしてみれば不意打ちのようなものだ。
突然のことに驚き冷めやらぬといった感じで唖然としているテッサリアに、テオは懐から取り出した手紙を見せた。
「お前の母上……叔母上から文が届いてな」
「え? 母さんからですか?」
「お前が何年も帰らず文も絶え、叔母上は大層お前のことを心配している様子だったぞ?」
読んでみろとばかりにテオが手紙を手渡すと、テッサリアはそれを受け取ってまじまじと読み始めた。
手紙すら寄越さなくなった娘の不精さに呆れつつも、王都では上手くやれているのか、身体は大丈夫なのかと心配する親心。その文面からひしひしと母の愛を感じ取った様子で、テッサリアは決まりの悪い顔をして低く呻いた。
「うぅ……」
恐らくは仕事にかまけて手紙すら出さなくなった自分の不義理を悔いているのだろう。ひとつのことに集中すると周りが見えなく性格は相変わらずだ。
「そこにも書いてあるが、お前の様子を見てきてくれと叔母上に頼まれてな」
「それでわざわざイシュタカの御山から来たんですか?」
テオは「まあな」と頷いてから言葉を続けた。
「叔母上たっての頼みというのもあるが、何より自分の婚約者のことなのだからな。動かんわけにもいくまいて」
「相変わらず律儀なんですねえ、テオ……」
そう言うテッサリアに、テオは「変わらんのはお前もだ」と苦笑を返す。
テオもテッサリアもお互いに長寿のエルフだ。たかだか30年かそこらで人間が変わるものでもない。
「王都でギフトの研究にのめり込んでいるのかと思えば、まさか旧王都でブラブラしているとはな。別の意味で驚いたぞ」
テッサリアの性格を鑑みれば寝食を忘れて仕事に入れ込んでいそうなものだが、実際は食い道楽の生活と来たものだ。古くから彼女を知る者ならば誰でも驚くことだろう。
だが、テッサリアは抗議するように「失礼な!」と声を上げた。
「ブラブラなんかしていませんよぅ……。これも立派な研究なのです!」
テオが「何が研究なものか」と内心でツッコミを入れていると、先ほど対応してくれた給仕の少女がコップ1杯の水を持って現れた。
「お水をどうぞ。こちらのお水はサービスです。おかわりもご遠慮なくどうぞ。えーと……ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
言いながらテオの前に水を置き、ペコリと頭を下げて次の接客に向かう少女。
「あ、ああ、ありがとう……」
彼女の背中に声をかけてから、テオは眼前に置かれた水に向き直る。
イシュタカ山脈の暮しではまず見ることもないような透明のガラスコップに注がれた1杯の水。一切濁りのないその水には氷まで浮いている。そこいらの井戸水や川の水ではない、明らかに上等な水だ。
テオは街の食堂で食事をするのはこれが初めての経験だが、普通はこの水にも金を払わなければならないということは分かる。これがサービスとは、都会というのは凄いものだなと、テオは漠然とそのようなことを思っていた。
「せっかくのお水です。飲んでみたらいいんじゃないですか?」
無言で水を見つめるテオを見かねたのだろう、テッサリアが横から声をかけてくる。
彼女の言う通り、これは飲む為に出された水なのだ。ならば飲まずして何とするのか。
「ああ……」
いささか緊張した面持ちでコップを手に取るテオ。ひんやりとした氷水の感触がガラスを通じて掌に伝わってくる。そのまま、意を決してグビリと水を飲み込む。
瞬間、テオの目がカッと見開かれた。
「おお……ッ、冷たくて美味いな!」
春先の時期に飲む、清い湧き水のような透き通った美味さを湛えた水である。そういう水は山暮しのテオでも滅多に飲めるものではない。まさかこんな都会でこのようなものが飲めるとは思ってもみなかった。
テオが水の美味さに驚いていると、テッサリアは何故だか嬉しそうに、そして誇らしげにその薄い胸を張っていた。
「でしょ? このお店はお水だけじゃなくてお料理も全部美味しいんです。不味いものはひとつたりともありません」
「どうしてお前が自慢気なんだ?」
テオが問うと、しかしテッサリアはそれには答えず、ずい、とこちらの耳元に顔を寄せてきた。
普通ならば妙齢の女性が顔を寄せてくれば赤面するところなのだろうが、彼女から香るのは美味そうな料理の匂いだけなので、テオは苦笑しながら自身も耳を寄せる。
「これ、内緒にしてほしいんですけどね?」
「うん?」
「このお水もお料理も、全部店主さんのギフトで提供しているものなんです」
「それはまた……」
聞いた瞬間、テオは驚いてテッサリアの顔を見た。
世の中にギフトは人の数と同じだけあれど、飲食物を創造するギフトなど聞いたこともない。伝説に残るストレンジャーの特殊なギフトですらも該当するものはないだろう。
驚きに満ちたテオの表情を見て、テッサリアはイタズラが成功した子供のような満足そうな笑みを浮かべていた。
「凄いでしょう? しかも、ギフトが成長するとメニューが増えていくんです」
「ふむ、使い込むことで成長するギフトか。しかしながらこれは……」
この様子だと店主とやらのギフトは余人には伏せられているのだろう。それはそうだ、畑も耕さず狩りもせずに食料を調達するようなギフトなど異端も異端。悪意を持つ者がこれを知れば間違いなく甘い汁を吸おうと店主に接触してくることだろう。
店を出している場所から考えても、恐らくはアルベイル大公の庇護を受けて影ながら護られているに違いない。もしかすると、店内には客に扮した護衛などもいるのではないだろうか。
とんでもないことを聞かせてくれたな、という目をテオが向けると、テッサリアは苦笑してから「んふ」口を開いた。
「とーっても特殊なギフトです。きっと、こんなギフトを持っているのはアーレス中でも店主さんだけです」
「その特殊なギフトの研究が、今のお前がのめり込んでいることなのか?」
叔母の手紙や王都で知己を得たカンタス侯爵によると、テッサリアはギフトの研究を専門にしているのだという。特にカンタス侯爵は旧王都に出向したテッサリアが料理のレポートばかり送ってくると不満を洩らしていたのだが、テッサリア本人の話を聞く限りどうやらそれもギフト研究の一環のようだ。
察するに、テッサリアは王都の方からも、お前は本当にギフトの研究をしているのか、研究対象の生み出す美味なる料理に現を抜かしているのではないかと突かれているのだろう。
彼女はまるで不満を溜め込んでいるように頬を膨らませて頷いていた。
「ですです。だから、毎日このお店に通って、このお店のお料理を食べているのです。お料理を出すギフトなのですから、出されたお料理を食べなければ何も分からないのです。それなのに所長ときたら……」
「一応の理屈は通っているようには思えるが……」
職権乱用とでも言おうか、それとも公私混同とでも言おうか、ともかくこの店に対するテッサリアの姿勢には仕事以上の熱を感じる。
半ば呆れているテオに対して、テッサリアは心外だとでも言いたげに言葉を返してきた。
「一応も何も、ちゃんとした理由です!」
「まあ、息災ならそれでいいさ」
本日何度目かの苦笑をしながら、テオは頷いた。
テオが今日ここに来た本来の目的は、テッサリアが元気でやっているかどうかということの確認だ。勤務内容や態度については彼女の上司が気にすべきことであり、テオが関知するところではない。それに説教臭いことを言うつもりもない。
これだけバクバクと美味そうに料理を食べるのだから、テッサリアは至って健康そのもの、叔母の心配も必要ないくらいに壮健だ。ヒューマンの社会で爪弾きにされている様子もない。テオとしてもひと安心である。
叔母からの依頼はこれで達したと言えるだろう。後は叔母に報告の手紙を送るだけだ。
これで肩の荷が下りたとばかりに、落ち着いた様子で水を飲むテオ。
そんなテオを何か言いたげにじっと見つめたまま、テッサリアがそろそろと口を開いた。
「………………本当は、私のことを連れ帰りに来たんじゃないんですか?」
脅えるように肩を縮こまらせ、窺うように下からこちらを見上げるテッサリア。
どうやら彼女は、婚約したというのにいつまでも嫁に来る様子がないのでテオが自分をイシュタカ山脈に連れて帰るつもりなのではないかと、そういうことを心配していたようだ。
テオはそこまで強引な男ではないし、口煩い訳でもない。それに基本的には相手のことを尊重する。故にテッサリアが望まないのに連れ帰ることなどする筈がない。
「いらん心配をするな。無理やり連れ帰ったりはしない。どうしてそんなことを訊く?」
テオが苦笑しながらそう訊くと、テッサリアはバツが悪そうに唇を尖らせた。
「だって……私はテオの婚約者なのに、テオに断りもなく里を出て王都で研究者になりました。そのことで怒ってるんじゃないかと……」
一応自覚はあるのだな、と心の中でもう一度苦笑するテオ。
テオが首を横に振って怒ってはいないことを示すと、彼女は安堵したように胸を撫で下ろした。
「あー、よかったです……」
「研究者の仕事は死ぬまでやるつもりなのか?」
テオも大概気の長い方だし、テッサリアのやりたいことをやらせてやりたいという気持ちもある。しかしながらそれが一生のこととなれば、これは少しばかり困ってしまう。
テオはイシュタカ山脈を捨てて街で暮すつもりはないし、婚約したのに何百年経っても彼女が嫁いでこないのも困る。結婚してもイシュタカ山脈と王都で離れ離れに暮すというのも難がある。
だから、そのあたりのことを確認する為にもこういう質問をしたのだが、それに対する彼女の答えは意外なものであった。
「いいえ、あと30年もしたら退職しますよ」
念願のギフト研究の仕事に就けたというのに、どうしてたった30年ばかりで退職するなどと言うのか。これはいささかテッサリアらしくない答えのように思える。
「ほう。それはまた、何故?」
そう真意を問うテオに、今度はテッサリアが苦笑しながら返した。
「カテドラル王国はあくまでヒューマンの国ですからね。私のような長寿の人種がひとつところに居座れば、上が詰まって組織の風通しが悪くなってしまいます。だから、ヒューマン1人が研究者として職に就いてから退職するまでの大体の期間と同じだけ勤めてから、私も退職するつもりなんです。あ、勿論、退職したら私もイシュタカの御山に行きますから、そこは心配しないでも大丈夫ですよ?」
新陳代謝。これが滞ると濁りが溜まってやがては腐る。それは自然に流れる川だろうと、人が集まる組織だろうと変わらない。
つまり、彼女は組織の新陳代謝を考えて、あえて残り30年という期限を設けて後進に道を譲るつもりということだ。
昔のテッサリアであれば、そんなことは考えもしなかったことだろう。きっと、死ぬまで研究者をやっていくと言っていた筈だ。どうやら彼女も見ない間に随分と大人になったようだ。
「ふむ。お前にしてはしっかりと考えているんだな」
感心したというようにテオが言うと、しかしテッサリアは抗議するような声を上げた。
「失敬な! 私はいつだってしっかり考えてますよう」
「どうだかな? 珍しい虫を見つけて木に登ったはいいものの、そのまま降りられなくなってビービー泣いていたのは何処のどいつだったかな?」
ちなみにそのビービー泣いていた子を助けたのはテオである。得意の『飛行魔法』のギフトを使い、抱えて木から降ろしてやったのだ。もう100年近く前の、微笑ましい思い出だ。
だが、当の本人であるテッサリアにとっては恥ずべき思い出のようで、彼女は顔を真っ赤にしてかぶりを振った。
「もう、そんな昔のこと! 子供の頃のことを引き合いに出さないでください!」
「はっはっは」
「笑ってないで! ここは食堂なんだから料理でも頼んでくださいよ!」
「それもそうだな。俺も何か食べるか」
言いながら、テオは卓上のメニューに手を伸ばした。
店に入ってからずっと店内に漂う美味そうな匂いが気になっていたのだ。山暮しのテオには馴染みの薄い、魚のような不思議な匂い。だが、決して嫌いな匂いではない、初めて嗅いだというのに妙にしっくりくるというか、気持ちを落ち着かせるような、例えるのなら実家で料理をした時のような、安心感のある匂いだ。
集落以外で料理を食べるなど初めてのことだが、これは期待してもいいのではなかろうか。
初めて訪れた旧王都なのだから、俺もテッサリアに倣って美味いものを食おうと、テオはそういう気持ちになっていた。
※西村西からのお願い※
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