コロッケそばは巡る イシュタカのテオ編①
カテドラル王国の北西には、雄大なイシュタカ山脈が広がっている。
このイシュタカ山脈は教会の敬虔な信徒から霊峰と崇められており、国境を隣するウェンハイム皇国などは国民がみだりに立ち入ることを制限する聖地と定めているのだが、しかし、そういう土地にも土着の民というのは存在している。エルフだ。
霊峰と言われるだけあって、イシュタカ山脈には魔素溜まりが点在しており、その魔素溜まりにエルフたちが小規模な集落を築いて住み着いているのだ。
イシュタカ山脈は険しい山々が連なる厳しい土地で、一部が禿山になっている。木々が少なく、そこで狩れる野生動物もやはり限られており、イシュタカ山脈のエルフたちが動物の肉を口にする機会はそう多くない。
だが、それでもそこで生きていけるのには理由がある。まず、第一にイシュタカ山脈には魔素溜まりと同じようにダンジョンが点在しており、そこで食肉に適した魔物を狩ることが出来るのだ。
また、肉だけでなく野菜や魚が獲れるダンジョン、清浄な水が汲めるダンジョンなどもあり、魔物と戦ってダンジョンを攻略する実力さえあれば必要最低限の食生活は送れるようになっている。
そしてもうひとつ大きな理由がある。この地で大量に栽培されているジャガイモだ。このイシュタカ山脈はアーレスで広く食されているジャガイモの原種が発見された地であり、古くからエルフたちが栽培に力を入れている。エルフが栽培したイシュタカ山脈のジャガイモといえば今日においてこの地の名産品と言われるほどだ。
かつては救荒植物とまで言われたジャガイモは、イシュタカ山脈のような痩せた土地でもよく育つ。連作障害を起こすので同じ場所で立て続けに作ることは出来ないが、それでも畑を移しながら栽培すれば1年でかなりの量を収穫出来る。
ダンジョンからの恵みと、虎の子のジャガイモ。この2本柱によってイシュタカ山脈に住むエルフたちの生活は支えられている。
テオもイシュタカの地に住むエルフとして畑を耕し、ダンジョンに潜る生活を送っている。
変化の少ない、悪い言い方をすれば変わり映えのしない日々だが、しかし厳しい土地で堅実に生きるテオ。名声や栄達からは遠い暮しだが、しかしこの生活にも誇りはある。霊峰イシュタカを護っているという誇りが。
下界では、イシュタカ山脈のエルフたちは霊峰の護り人だと言われており、教会の信徒たちからは神聖視されている。
あの横暴なウェンハイム皇国ですらも手出しを躊躇すると言えば、どれだけ特別視されているかが伝わるだろう。
いつも変わらぬ、楽ではない日々。だが、このような日々の中にも、たまには変化が訪れるものである。
その日、テオが野良仕事を終えて集落に帰ると、唐突に1羽のハヤブサがテオの家を訪れた。
たっぷりと時間をかけ、集落の上空をグルグルと旋回しながら降下するハヤブサ。換気の為に開けてある炊事場の窓のヘリに降り立つと、ハヤブサはその鋭い瞳でテオを睨みながら、小さな声で「クエェ……」と鳴いた。
「ん……?」
テオが顔を向けると、ハヤブサはもう一度「クエェ……」と鳴く。その嘴に何らかの刻印が刻まれていることから、このハヤブサがギフト『テイム』で誰かに使役されたものだということが分かる。それによく見れば足首に何か筒のようなものが括り付けられている。これは恐らく誰かからの文だろう。
「伝書鳥か……」
テオは筒から手紙を抜き取ると、ハヤブサを家に入れて保存してあった干し肉を与えてやる。そしてハヤブサが干し肉を突いている間に、手紙に目を通した。
手紙は、茨森に暮す叔母からのものだった。
そして肝心の内容だが、それはテオの従姉妹、テッサリアに関するものだった。
茨森のテッサリア。テオの従姉妹にして婚約者だ。最後に会ったのはもう30年も前のことだが、活力に溢れているというか、随分と溌剌とした少女だったことを覚えている。
叔母からの手紙によると、テッサリアは里を出て王都に行ってしまったのだが、どうにも帰って来る気配がないのだという。里を出た最初の2、3年くらいは手紙も頻繁に来ていたし、一度は里帰りもしてくれたのに、この10年くらいは手紙の1通すらもなく、こちらが手紙を送ってもさっぱりだと。
他にもテッサリアの現状など色々書いてあったが、叔母は、心配だから一度テオに彼女の様子を見て来てほしいと、そう文章を締めていた。
「ふうむ……」
読み終えた手紙を握り締め、テオは思案していた。
テッサリアに会うにしても泊りがけの仕事になるだろう。ジャガイモ畑の方がそろそろ秋の作付け時期に入るので、出来れば今の時期は集落を離れたくない。
しかし滅多にない叔母からの頼みであり、相手は自分の婚約者でもあるテッサリアだ。何より叔母はテオのことを見込んで頼ってくれたのだ、無下に断る訳にもいかない。
叔母がテオのことを見込んだのは、確かに娘の婚約者だということもあるだろうが、それよりテオのギフトを考えてのことだろう。
テオのギフトはエルフの御多分に洩れず魔法のそれだが、とても珍しい『飛行魔法』というものだ。これはその名の通り自由に空を飛ぶ魔法が使えるというもので、イシュタカ山脈ではテオしか使い手がいない、所謂レアギフトというやつである。
このギフトがあれば道なき道でも行くことが出来るし、遠く離れた王都であっても5日もあれば往復可能だ。
「今すぐ出れば作付けに間に合うか……?」
テオがどうするか悩んでいると、それまで口を挟むことなく黙っていた父が声をかけてきた。
「テオよ、行ってやれ。我が妹たっての頼みだ。聞いてやってもバチは当たらん。畑の方は私が見ておく」
そうは言うものの、父は腰を痛めて先月から寝込んでいる。長年の畑仕事とダンジョン探索で腰を酷使し蓄積されたものなので、回復魔法も効かない腰の痛み。
申し出自体は嬉しいのだが、今も寝床から起きられない父に畑仕事などさせる訳にはいかない。
他に家族がいればまだ良かったのだが、生憎この家はテオと父の2人暮し。母は20年前の大雨で土砂崩れに巻き込まれ帰らぬ人となり、姉は10年前に集落を出て他所の里に嫁いだ。やはり他に畑を任せられるような者はいない。
「いや、父上……」
断ろうとするテオの様子を察したのだろう、父は先んじて首を横に振った。
「案ずるな、テオ。こんなこともあろうかとな……」
腰を擦って「いたたたた……」と顔を苦痛に歪めながら上半身を起こす父。
「父上!」
その痛そうな顔を見ていられないとテオが駆け寄ろうとするのだが、父はそれも右掌を出して制する。
父はそのまま寝床の横にあった文机をずらした。すると、机をずらした場所が一段へこんで溝になっており、その溝に何か小さな瓶が入っているのが見えた。
「こいつを取っておいたのよ」
言いながら、父は瓶を手に取りテオに見せる。厳重に蓋をされた透明な瓶で、内部は薄緑色の液体で満たされている。
「父上、これは……?」
ただの水ということはあるまい。恐らくは薬剤師か錬金術師あたりが作った飲み薬、所謂ポーションの類だろう。
ポーションは怪我や傷には効くが、こういう長年の蓄積で患った腰痛などには効くのだろうか。その表情を見るに、父は何やら自信あり気だが、息子のテオとしては不安がある。
だが、父はそんなテオの顔を見てニッと笑って見せた。
「これはな、昔、私の父、つまり亡くなったお前の爺様がまだ若い頃にダンジョンで発見したパナケイアだ」
聞いた途端、テオは目を見開いて驚いた。
「パナケイア!? あの万病に効くと名高い霊薬か!!」
ギフトで作成することは不可能とされ、ダンジョンの宝箱からしか見つからないと言われている最上級の回復系ポーション、パナケイア。
一説によれば欠損した肉体の部位や、回復魔法では治療不可能な病気ですらも治すと言われている貴重品だ。王都のような大都市でこれを売れば数百万コルは固いだろう。
テオも確かにイシュタカ山脈のダンジョンからパナケイアが発見されたという噂は聞いたことがあるが、その話は半ば伝説と化しており、最後に発見されたのも数百年前、テオが誕生するずっと前だと聞いている。
その数百年前に発見されたというパナケイアが、今、父が手にしているものなのだろう。あの噂は嘘ではなかったのだ。
瞬きすることも忘れて唖然としているテオに、父は苦笑して見せた。
「いつまでも塩漬けにしておくのも勿体ない。エイマの時は使う暇すらなかったからな。使い時があるなら、それは今この時だろうよ」
エイマとは、亡くなったテオの母のことだ。テオの母エイマは土砂崩れに巻き込まれたのだが、その土砂から助け出した時にはすでに事切れていた。どんな怪我でも病気でも癒すパナケイアでも、流石に死者を蘇生する力はない。
「これを使って腰を治せば、まだまだ働くことが出来る。もうお前に気を使わせることもない」
「父上……」
イシュタカ山脈での生活はあまり金銭を必要とするものでもないが、それでも数百万コルもあれば現状はかなり楽になる。古くなって隙間風が吹く家の修繕も出来るし、もっと柔らかい寝具も揃えられる。もっと良い弓や剣も揃えられるだろうし、滋養のある美味いものをたらふく食うことも出来るだろう。
だが、父は目先の欲に囚われず、テオの代わりに働く為にパナケイアを使ってくれるのだという。
近頃はこうやって寝込むことも多くなった父だが、いざという時にはやはりその広い背中と度量を見せてくれる。遠く離れて暮していても、家族の為ならば父は金など惜しくもないのだろう。
やはり父は偉大だ。若輩のテオではこの背中にはまだまだ追いつけそうもない。
「行ってやれ、テオ。決めたのは私とお前の叔母だが、それでもテッサリアはお前の婚約者なのだ。その婚約者の安否を確認しに行くのだ、確かにパナケイアは貴重ではあるがそこまで惜しいものでもない」
言いながら、父は瓶の蓋を開けると、何の躊躇もなくパナケイアを飲み始めた。
「不味い!」
と文句を言いながらグビグビとパナケイアを飲む父の姿に苦笑しながら、テオは叔母への返事の手紙を書くべく棚から紙とペンを取り出した。
干し肉を食い終わって腹が膨れたので眠たくなったのだろう、ハヤブサは猛禽とも思えないような間延びした声で「クエエェ……」と鳴いた。
※西村西からのお願い※
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
よろしければブックマークと評価【☆☆☆☆☆】の方、何卒宜しくお願いします。モチベーションに繋がります。




