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大剣豪『修羅』のデューク・ササキと基本のもりそば④

「お待たせいたしました、こちらもりそばになります」


 給仕の若い女性が、そう言ってデュークの前にコトリと音を立ててモリソバ一式を置いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 言ってから、女性は他の客の注文を聞きに行ってしまった。


 デュークは眼前のモリソバをまじまじと見てみる。

 シンプルにソバの麺だけが盛られた、内側が朱塗りになった器。そして黒々としたスープが7分目程度に入った小さな碗。何かの野菜を輪切りにしたものと緑色のペーストが添えられた小皿。

 薄紫の麺はツヤツヤと輝き、スープは具も入っていないのに黒々としている。輪切りの野菜と謎のペーストは恐らく薬味だろう。


「ふむ……」


 麺とスープが別になっている。これはどういうふうに食べるものなのだろうか。麺にスープをかけるのだろうか。いや、であるならば最初からかけて出すだろう。これはどう食べるのが正解なのか。

 デュークが難しい顔で思案していると、隣に座っていたエルフの女性がそれに気付いた様子で、ずい、と顔を寄せてきた。


「モリソバはですねえ、まず一口分くらい麺を取ってから、それをスープの方に漬して食べるんですよ」


 聞いて、デュークは「ほう」と唸った。

 どうやら彼女は親切にもデュークにモリソバの食べ方を教授してくれるらしい。さしずめツジソバの師といったところだろうか。


「そうなのか」


「ですです。その輪切り野菜はナガネギと言ってペコロスの親戚みたいなものです。味に変化が欲しい時に入れるといいですよ」


「そうか、ならば辛味があるのだろうな」


 ペコロスを生で食べたことはないが、あれは生だろうが火を通そうが辛いと聞く。それに似た味わいだというのなら、確かに薬味としてはうってつけだと言えよう。


「ですね。あー、あと、その緑色のペーストなんですけど……」


 言いながら、彼女は小皿に盛られた、今もって正体の分からぬ謎のペーストを指差した。


「これがどうした?」


「それ、ワサビと言うんですけど、鼻にツーンと来て大人でも涙が出るほど辛いんです。ペコロスや香辛料とはまた違う方向性の辛さです。だから様子を見て少しずつ入れた方がいいですよ?」


 それを聞いて、デュークはまたも「ほう」と唸った。

 大人でも涙が出るとは、随分な脅し文句である。デュークも子供の頃は辛いばかりのペコロスが嫌いだったが、しかし泣いたということは一度もない。大人になった今はむしろその辛さが好もしいくらいだ。このワサビとやら、大人でも思わず涙を流すほどの刺激とはどれほどのものなのだろうか。これは逆に興味が湧く。彼女の言うように、少しずつでも試してみたい。


「なるほど、大体は分かった。わざわざ親切にかたじけない」


 デュークが礼を言うと、エルフの女性は微笑を浮かべながら頷いて見せた。


「いえいえ。剣士さんにもツジソバを楽しんでほしいですから」


 言ってから、彼女はジーッとデュークのモリソバを見つめた後、決心したような様子で顔を上げた。


「あー、何だか私もモリソバ食べたくなってきた! すみません! 追加でトクモリソバください!!」


 まだソバを食べている最中だというのに、最早おかわりを頼むエルフの女性。そんな彼女に苦笑しながら、給仕の女性も厨房の方に向き直る。


「はーい! 店長、特もり1です!」


「あいよ!」


「よっし、オーダー通った! トクモリソバが来る前にこれを片付けないと……」


 満足そうに頷いてから、彼女は再び食いかけだったソバに向き直った。

 その様子に苦笑しつつ、デュークも眼前のソバと向かい合う。


 未知の料理、モリソバ。まずは薬味は使わず麺とスープだけで食べてみるべきだろう。ソバの器の横にフォークも置いてあるが、しかしこれは使わない。先ほどエルフの女性と話している最中にそれとなく周囲を窺ってみたのだが、フォークを使っている客はほとんどおらず、皆、細長い木の棒を2本使って器用にソバを食べていた。きっと、フォークは木の棒に不慣れな客の為に出しているものなのだろう。

 このフォークは店側の親切なのだろうが、木の棒で食べるのがこの店本来の流儀であるならばそれに従いたい。剣にしろ食事にしろ、流儀は大事にして然るべきものだ。


 卓上の筒からギッチリ詰まった木の棒を1本取り出し、それをスリットに沿ってパキリと縦半分に割る。

 そして少々心許ない手付きながらもどうにかソバを一掴みほど掬い取り、それをスープの碗に沈める。これで麺にスープが絡んだだろう。再び麺を持ち上げ、それを一気に啜り上げる。


 ずぞぞ!


 粗野ではあるが、しかし小気味良い音を立ててソバを啜るデューク。


「むう……!」


 啜り上げたソバが全て口の中に収まった瞬間、デュークは唸った。

 この口中に広がる香りの何と芳醇なことか。ただしょっぱいのではない、海産物の香をふんだんに含んだこの風味。これは恐らく海草と、何か海の魚の乾物を使っているのだろう。デュークの故郷は海に面したフラム公国。しかも生家の領地は漁師町だ。食べるのは珍しいと言われていた海草も食べる地域だった。だからこのスープに含まれる海草の丸く優しい旨味も分かる。そして海の魚が持つ主張の強さも。このスープはその双方の良いところが見事に調和している。

 そのまま麺を咀嚼すると、ほのかな甘みと独特な香りが鼻に抜ける。麺のコシも抜群に良く、噛む度に心地良い弾力が感じられる。


「…………美味い」


 麺を飲み込んだデュークは、思わず呟いていた。

 デュークにとっては慣れ親しんだ海産物を使い、しかしこれまで味わったこともないような、この店独特の美味に仕上がっているスープ。そして馴染みのない筈のソバの麺がここまで違和感なく食べられる。これは紛れもなく料理人の腕だ。


 もう一度麺を掴み上げ、それをまじまじと見てみる。

 均一な幅の細切り麺。まるで測ったかのように正確に切られたそれが生み出す歯応えと喉越し。この均一な幅を保ちながら切るのは、これもやはり料理人の腕。奇を衒うことなく基本に忠実に、ぶれずに揺るがずに、日々淡々と、しかし一切手は抜かずに繰り返す作業。基本的には麺とスープだけというシンプルなこの料理に秘められた、練り上げられた職人の技。

 料理人と剣士、生業は全く違うが同じ刃物を握る者として感嘆に、そして尊敬に値する。


 少し背筋を伸ばして厨房の方を覗いてみる。

 厨房で作業をしているのは黒髪の珍しい容姿をした青年と、それを手伝う茶髪の青年。この見事なモリソバを作っているのは、きっと黒髪の青年の方だろう。あの若さで老練ささえ感じさせる見事な腕。剣士とは違い、料理人に敵はいない。きっと日々己の理想に負けぬよう、情熱を持って腕を磨いているのだろう。


 この見事なモリソバ、デュークも礼をもって残らず食さねば無礼にあたる。

 次はスープにナガネギを入れて食べてみる。小皿のナガネギを全てスープの碗に落とし、また麺を沈めて一気にずるずると啜り込む。そして咀嚼してゆくと、麺の弾力と同時にシャキシャキとしたナガネギの歯応えとピリリとした程好い辛味が舌を刺激した。確かにこれは一味違う。モリソバはコッテリとした料理ではないので一人前で飽きるということはないが、しかしこの薬味は良い。モリソバに対するちょっとしたアクセントになる。


「さて……」


 次はいよいよあの緑色のペースト、ワサビだ。隣席で大盛りのモリソバを凄まじい勢いで啜り込んでいるエルフ曰く、このワサビは大人でも泣くほど辛いものらしい。デュークは剣で斬られても泣いたことはないし痛みにも強い自信があるが、はたしてこのワサビの実力たるや如何に。


 ワサビを木の棒でこそぎ取り、それを碗のスープに落として溶かす。すると、それまでは黒々としつつも澄んでいたスープが一気に濁り始めた。この濁りの全てがワサビの辛味ということなのだろう。エルフは様子を見ながら少しずつワサビを入れろと言っていたが、その助言を無視する形になってしまったことが今更悔やまれる。


 だが、男は度胸。どんな強敵にも挑んでみるのがデュークの生き様だ。

 覚悟を決めて麺を取り、濁ったスープに沈め、それを啜り上げた。その瞬間である。


「………………ッ!!!!!?」


 まるで鼻孔の奥を刺すような鋭い刺激がデュークを襲った。

 決して不快な風味ではないが、しかしあまりにも刺激が強過ぎる。何だこれは。ペコロスや香辛料の刺激とは根本から異なる辛さだ。

 理解不能な辛さに思わず「ブフッ!」と口の中のものを噴き出してしまいそうになりながらも、意思の力でどうにか我慢する。

 ともすれば混乱に陥りそうな心を落ち着け、どうにか頭の冷静な部分を働かせて水で口の中のものを飲み込む。


「…………ッはあ! はあ、はあ」


 思わず肩で息をするデューク。

 驚いた。完璧に油断していた。ワサビ、こいつはとんでもない曲者だ。なるほど、エルフが言っていたことは嘘でも大袈裟でもなかった。確かに大人でも涙を流すほど辛い。今、鏡を見れば、そこには目を真っ赤にして涙を溜めたデュークの顔が映っていることだろう。いい歳をして何たる無様か。見事、してやられてしまった。


 隣のエルフを見れば、ワサビなど意に介する様子もなく美味そうにソバを啜っている。もしかすると、慣れれば平気なものなのだろうか。

 どうにか乱れた息が整ってきたところで、恐る恐るもう一口分のソバを取り、少しだけスープにつけて食べてみる。麺に絡むスープの量が少ないからだろうか、今度はあんなふうに咽せることなく普通に食べられた。

 スープの量が少なくなったことによって際立つソバの風味に、ほんのりとしたワサビの辛味、そして鼻に抜ける爽やかな香気。塩味は少なくなったが大丈夫だ、ちゃんと美味い。

 何と言えばいいのだろう、これこそがワサビ入りのソバを美味く食べる方法というか、正しい距離感というような気がする。


 ワサビとの正しい付き合い方が分かればこっちのものだ。

 先ほどと同じように、持ち上げた麺の下部を少しだけスープにつけて食べる。これを繰り返す。


 ずるるるる。


 美味い。


 ずるるるるるるる。


 美味い。


 次から次へ食べ進め、あっという間に全ての麺を平らげる。本当ならばスープまで飲み干したいところだが、今回はいささかワサビを入れ過ぎたのでそれは断念する。


「ふうぅ……」


 熱いものを食べた訳でもないのに、熱い吐息が洩れる。美味かった。実に美味かった。

 モリソバを食べ終わったデュークは、何故だか肩の力が抜けたような気がして、思わず「ほっ……」と息を吐く。本当に美味いもので腹を満たしたからだろうか、この店に入るまでの何かに突き動かされるような焦燥感が霧散し、何だか憑き物が落ちたようだ。


「………………」


 空になった器を見つめたまま、改めてモリソバというものについて考えてみる。

 この店の基本の味だというモリソバ。麺とスープだけというシンプルなものを何処までも丁寧な仕事で極上の美味に仕上げた1品。確かにワサビという曲者はいるが、これは食べる客の側で調整すればいい。 

 思えばこんな美味いものを食べたのは随分と久しぶりだ。

 もう何年もずっと、食事に気を使う生活など送っていなかった。空腹を満たせれば何でもいい。剣以外のことを考えるのは邪魔にしかならない。そんなふうにしか考えられなかった自分が空虚に思えた。

 ただただ、強くなることを求めて、強い相手を求めて歩んだ30余年の修羅の道。

 だが、己の基本に立ち返れば、それは何のことはない、ただ剣が好きだという、それだけの気持ちなのだ。剣を振るのが楽しくて、ただそれだけで剣を振っていた。自分が誰より強くて誰より弱いか、そんなことは考えてすらいなかった。剣を始めた幼少の頃はそうだった。シンプルに己にのみ向き合い、ひたむきに剣を振るう日々。今と同じ剣の道ではあるが、あの頃の方がずっと楽しかった。

 剣が好き。ただそれを振ることが面白くて、楽しかった。それが、それこそがシンプルなデュークの基本なのだ。

 今はそこから随分と外れた道を歩いているが、ここで今一度本道に帰るのも良いかもしれない。


「何処かで道場でも開くか……」


 敵を斬るばかりが剣ではない。己を写し、それを鍛え上げるのもまた剣。敵を求めず、己に向き合う静謐な時間。デュークはもう50を過ぎている。人生の折り返し地点はとうに過ぎた。剣を置くことは生涯ないが、ただシンプルに剣を振り、未来ある若者にこの技を教えながら静かに暮すような余生も悪くはない。


 そういえばもう、故郷には何年帰っていないだろう。綺麗な海の見えるあの小さな町。デュークの基本、ルーツとも言える場所。もう家族は自分のことなど覚えていないだろうが、あの町で残りの余生を送るのもいい。


 当初は看板の文字がヒノモトの文字に似ていて気になったから店に入ったデュークだったが、今はもう、そんなことをすっかりと失念していた。

 思いがけず出会ってしまったモリソバという美味によって己の基本に立ち返ったデューク。

 このまま修羅の道を歩み続ければ待っていたのは悲惨な最期だったのだが、それは神のみぞ知ることである。


※西村西からのお願い※


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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