大剣豪『修羅』のデューク・ササキと基本のもりそば③
デュークは今晩の宿を求めて旧王都の大路をとぼとぼと歩いていた。
求める強者はここにはいない。ここにいなければ何処にいるのか。もう何処にもいない。ならば何の為に剣を振るのか。何をどうすれば天下無双と言えるのか。自分以上に強い者がいないというのであれば、自分こそが天下無双なのか。この程度で、まだまだ上があると思っているこの現状が天下無双だなどと、何の冗談だろうか。
ネガティブな思考が頭の中をグルグルと回り続ける。そんな状態だからか、目に入る旧王都の風光明媚な街並みも随分と空々しいものに映ってしまう。
「………………」
ふと気が付くと、眼前に巨大な旧王城が佇んでいた。考えごとをしながら歩いているうちに、どうやらここまで来てしまったらしい。
昔、アルベイルに来た時は、旧王城はまだボロボロだった。だが、デュークがアルベイルを訪れぬ間に修復されたらしく、そこには綻びのない立派な旧王城があった。
「こんなところまで来てしまったか……」
修復された旧王城は確かに立派なものだが、今のデュークの心に響くものはない。
確か、20年前にアルベイルに来た時もこの城を見上げた筈だが、その時は素直に「凄いな……」と感心したものだ。
あの時よりも立派になった旧王城を見ても何も感じないのは、己の心が磨耗しているからなのではなかろうかと、デュークはふと、そう思った。ただただ、剣にのみ己の全てを捧げてきた人生。ひたすらに技を磨いできたつもりで、その実、磨いでいたのは己の心だったのではなかろうか。デュークがこれまで歩んできた道は切った張ったが当たり前の修羅の巷。人らしい穏やかな心など保っていては到底歩めぬ血に濡れた道。そんな道を歩き続ければ人間性が希薄になることなど明白だ。
「ふ……っ」
思わず自嘲の笑みが洩れる。デュークが歩むは修羅の道だが、それは自分の意思で歩き始めた道。そこに想いを馳せるのは今更だ。
ついつい余計なことを考えてしまった。
だが、考えついでに思い出したこともある。この旧王城を囲む城壁に沿って進めば、確か20年前にも泊まった宿があった筈だ。値段の割に良い部屋で、供される食事もそこそこ美味い宿だった。今も変わらずその宿がその場所にあるかは分からないが、時を経てまたそこに泊まるも一興。デュークは20年前の記憶を頼りに歩き始めた。
そして歩き始めてから10分もしないうちに、デュークは、はたと足を止めた。
「これは…………」
それを目の前にして、デュークは絶句していた。
店、恐らく食堂だ。一軒の食堂が何故か、分厚い城壁を貫通するようにしてそこに建っている。
前面がガラス張りになった異様な外観に、人で溢れ活気ある店内、店の前に置いてあるガラスケースには料理を模した精巧な蝋細工が飾られている。
だが、何よりデュークの目を惹き付けたのは、その店に掲げられている大きな看板だ。
デュークでは読めない文字で書かれた看板。恐らくは店名が書かれているのだろう。
「………………似ている」
読めない文字ではあるが、しかしどうにも似ているように見えてならない。
デュークの生家はササキ家の傍流だが、しかし先祖に関するとある家宝をひとつだけ所有している。それはコジロー・ササキがヒノモトの文字で書いた書物だ。異世界の文字なので勿論読めないが、少年だったデュークは密かに父の部屋に忍び込んで、その書物を見たことがある。そこに剣の奥義が書いてあると思ったからだ。案の定書物は読めず、部屋に忍び込んだこともばれて父にはこっぴどく叱られたが、そのことは今でも鮮明に覚えている。
その鮮明な記憶にあるヒノモトの文字が、あの看板の文字とどうにも似ているようにデュークの目には映った。
あの看板、まさかコジロー・ササキと同じヒノモトから来たストレンジャーが書いたものなのではなかろうか。
とすれば、この店はヒノモトと何らかの縁があるということ。剣と直接の関係があるとは思えないが、それでも俄然興味が湧いてきた。
時刻は昼下がりで昼食を摂った人たちがそろそろ職場に戻る頃だが、この店はまだ客で賑わっている。だが、1組の客が丁度会計を終えて出て来たところで、運良く席に空きが出来たのが見えた。
「入ってみるか」
今日はもう、宿を取ったら飯を食ってそのまま寝ようと思っていたところだ。この謎の店で食事を摂るのもまた一興。運が良ければ看板の文字のことも聞けるかもしれない。
デュークが前に立つと、店のガラス戸が自動で開いた。客が出て来る時にも見た光景だが、まさか戸を開くだけのことに魔導具を設置するとは豪奢なことだ。表のガラス張りも随分と華美だった。店構えだけを見れば金持ち向けの店とも思えるが、しかし店内の客層は明らかに一般市民。中には貴族らしき者も混じってはいるが、周りに一般市民がいても気に留めている様子はない。一般市民たちもまた、特段貴族に気を使っている様子もない。不思議なことだ。
そんな不思議な店に入ると、給仕の若い女性がすぐに接客に来た。
「いらっしゃいませ!」
「うむ」
「ただ今店内混み合っておりまして、空いているお席は……と、あそこにお座りください」
言いながら、女性は先ほど空いたばかりの席を指した。一番端の席だ。その隣はもの凄い勢いで料理をがっついている若いエルフの女性である。何か研究者が被る学帽のようなものを被っているので、見たとおり研究者か学者なのだろう。
「うむ」
デュークは案内された席に座り、まずはメニューを手に取った。
看板の文字が気になって思わず入ってしまったが、しかしこの食堂が何を出す店なのかいまいち理解せぬまま席に着いてしまった。
紙ではない、妙に硬さと弾力のあるメニューに目を通してみるのだが、デュークは困惑してしまった。
「…………何だ、これは」
温かいソバに冷たいソバ、ゴハンモノに酒。酒はビールという名だが、メニューの絵を見るにこれはエールだろう。だが、それ以外は本当に何も分からない。そもそもソバというものも分からないし、ゴハンというものも分からない。メニューの絵から察するにソバとはこの薄く紫がかった灰色の麺のことなのだろうが、これは恐らく小麦ではない。しからば何かと問われれば、それはソバとしか答えられないが、ともかく小麦の麺、つまりパスタではない。ゴハンというのは、このカレーライスという謎の料理に盛られた白い粒のことなのだろうが、これもまた小麦ではないだろう。麦にしては白過ぎる。
困った。ここまで何も分からないと、何を頼めばいいのかが分からない。唯一何かが分かっているのは酒だけだが、生憎デュークは一滴も酒を飲まない。飲んで飲めないことはないのだが、それで無様に正体をなくすのが嫌なのだ。それに昼間から酒など飲んでは人間が駄目になってしまう。己を律してこその武人である。だから酒は飲まない。
メニューとにらめっこしながらデュークがああでもない、こうでもないと考え込んでいると、ふと、頭上から声がかかった。
「どうぞ、お水です」
先ほどの給仕の女性だ。彼女が、ガラスのコップに並々注がれた氷の浮いた水をデュークの眼前に置いたのだ。
「いや、頼んでいな……」
と、デュークが言い切る前に、それを制するように給仕の女性が被せ気味に口を開いた。
「お水はサービスです。おかわりが必要な場合は遠慮なくお申し付けください」
「う、うむ……」
「では、ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
そう言って頭を下げてから、女性は他の客の注文を取りに行ってしまった。
まるでデュークが言うことが分かっていたかのような感じだったが、きっと水がサービスだというやり取りはここで何度も行われており、彼女もそれに慣れてしまったのだろう。何だか有無を言わせぬ迫力があった。
とりあえず、出された水を手に取ってみる。氷が浮いているだけあってかなり冷たい。氷の形が箱状に整っているから氷魔法ではなく、恐らくは魔導具で大量に作られたものだ。無料で提供するものにここまで力を入れるとは、随分と変わった店である。
一口飲んでみると、その冷たくて透き通った味がすぅっと喉の奥へと消えていった。美味い。山国で飲む春先の雪解け水のようだ。
ソバもゴハンも何だか分からないが、これは料理の方も期待してもよいのではないだろうか。
そんなことを思いながら、改めてメニューに目を向ける。今は夏だから、温かいソバよりは冷たいソバの方がいいだろう。店内には耳に心地良い謎の歌と涼し気な風が流れているが、これに冷たいソバも合わされば良い暑気払いになるのではないだろうか。
冷たいソバのカテゴリーにはモリソバ、トクモリソバ、ヒヤシタヌキソバ、ヒヤシキツネソバの4つがある。
今回はこの4つから選ぶ訳だが、一体どれを選ぶのが正解なのだろう。モリソバは麺のみ、トクモリソバはモリソバの大盛りだろう、ヒヤシタヌキソバは何か粒のようなものが麺の上に無数に盛られており、ヒヤシキツネソバは謎の大きな茶色い三角形が麺の上に2枚盛られている。
迷う。大いに迷う。たかだか食事ではあるが、されど食事。食事とはつまり生きる為の糧。これをおろそかに適当にするということは、つまり自らの生き方もおろそかに適当にするということ。料理を適当に選ぶのは己の生き方に反する。
しかし、それにしても迷う。デュークは自分にこれほど優柔不断な面があったことを今日初めて自覚した。
「ううむ…………」
デュークがメニューと睨めっこをしながら唸っていると、ふと、横の席から声がかかった。あの、凄い勢いで料理をがっついていたエルフの女性だ。
「お悩みのご様子ですね?」
「……む?」
デュークが顔を上げると、何故だかエルフの女性が眼鏡の位置をクイ、と指で直しながらこちらを見つめていた。
「剣士さん、もしかしてナダイツジソバに来られたのは初めてですか?」
「ナダイツジソバ……?」
聞き覚えのない言葉だ。デュークがいぶかしんでいると、女性は苦笑しながら答える。
「嫌ですよ、このお店のことじゃないですか」
言われて初めて気付いた。この店はそういう名前だったのか、と。
ナダイツジソバ。耳馴染みのない言葉である。異国の言葉だろうか、それともストレンジャーの言葉なのだろうか。
「む、そうだったのか……。如何にも。この店に来るのはこれが初めてだ」
言いながらデュークが頷くと、女性もそうだろうというふうに頷いた。
「やっぱり。何を頼むべきか、迷っていたんでしょう?」
「まあな」
「分かります、分かります。ツジソバはメニューも豊富で迷っちゃいますよね。でも、初めてならやっぱり選ぶべきはカケソバかモリソバですよ」
「ふむ? それは、何故?」
デュークがそう訊くと、女性は待ってましたとばかりに右の人差し指をピンと上に向け、答えた。
「カケソバとモリソバはこのナダイツジソバの基本料理ですからね。まずは基本の味を知ってからテンプラソバやヒヤシキツネソバのような応用に手を出すべきなのですよ」
言い終わるや、満足そうに「むふ」と笑う女性。
彼女が何故満足そうなのかは分からないが、ともかくデュークは重要な情報を得た。カケソバとモリソバはこの店の料理の基本。剣にしろ料理にしろ、基本というものは何より重要なものだ。基本とは全てを支える土台のようなもの。これを疎かにすれば、その上に積み上げたものが容易にぐらつき、ぶれてしまう。だから、いつでも基本は大事にしなければならないし、いつでも忘れてはならない。
「なるほど、基本か。確かに基本は大事だな」
「はいです、はいです。その通り!」
これもやはり何故かは分からないが、女性は嬉しそうにうんうんと頷いている。
ともかく、女性からの有り難い助言もあり、デュークがこの店で頼むべき料理が決まった。
勢い良く手を挙げ、デュークは給仕の女性を呼んだ。
「決めた。すまぬ、注文を頼む!」
「はい、只今!」
そう言いながら、女性がすぐさまデュークのもとまで駆けつける。
「お待たせいたしました! ご注文は?」
「モリソバを頼む」
デュークが頼んだのはモリソバ。カケソバとの二択だったが、これはさして悩むこともなかった。今は暑い夏だ。だから冷たいモリソバにしたのだ。
給仕の女性はデュークの注文をメモに取ると、厨房の方に向き直り、店内の喧騒に負けぬよう大きな声を張り上げた。
「かしこまりました。店長、もり1です!」
「あいよ!」
厨房からも威勢の良い男性の声が返ってくる。
デュークの注文が通った。
未知の料理、モリソバ。一体どんなものなのだろうか。
まるで初めて名を聞く不世出の剣豪を見つけた時のように、デュークの胸は期待で満ちていた。
※西村西からのお願い※
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