女公爵ヘイディ・ウェダ・ダガッドと最高に美味いビール④
ストレンジャーがギフトによって現出させたという異世界の食堂ナダイツジソバ。それがどの程度のものなのか見極めてやろう、などと思っていたヘイディだったが、いざ店を前にすると、それが思い上がりであることを理解した。いや、理解させられたとでも言うべきだろうか。
「こいつぁ、また……」
その先を言えず、言葉を失うヘイディ。
眼前に聳えるナダイツジソバ。ドワーフという職人集団の長であるヘイディをして、その店舗の異様さに圧倒されてしまった。
前面の壁一面を板ガラスにするという豪奢な作り。使われているガラスは歪みも濁りもなく、気泡のひとつさえ入っていない。仮にウェダ・ダガッド領のガラス職人が同じものを作ろうとしても、ここまでの精度で作ることは出来ないだろう。およそ人の手で成せる技だとは思えなかった。
それに、店の前に置かれているガラスケース。その中に置かれた料理の蝋細工も実に見事。鮮やかな色に精緻な造形。しかも表面に削った跡が一切見えない。普通は型を使えばバリが出るから削らなければならない。ということは、型すら使わずこれを作ったということなのだろう。店で出す料理の見本として表に出しているのだろうが、これは貴族が蒐集していてもおかしくない、美術品のような出来だ。
ガラス越しに店内の様子が見えるのだが、壁も床も木材とも石材とも思えぬほどピカピカで、テーブルも椅子も型押ししたかのように寸分違わず同じ形だ。僅かな狂いさえ見当たらない。
これは何だ。本当にただの食堂なのか。異世界ではたかが食堂でさえもここまで豪奢に、そして緻密に造るというのか。
ヘイディ同様、帯同していた護衛のドワーフたちも言葉を失っていた。
この店の異質さは職人でない者にも分かる。だが、職人の種族であるドワーフにはもっと深く分かってしまう。この店に秘められた技術がアーレスのそれを軽く凌駕していると。
食堂ですらこれなら、異世界の城などはどうなっているのだろうか。何か禁忌に触れるような気がして、考えるだけで怖気がする。
「……気になるか、ウェダ・ダガッド公爵?」
ハイゼンにそう声をかけられたところで、ヘイディたちはようやくハッと我に返った。
「あ、ああ……」
「店主のナツカワ殿曰く、異世界の街ではこのような建物は珍しくないらしいぞ? この店はむしろ控え目な造りだそうで、行くところへ行けば全面がガラス張りになっている、天空に届かんばかりの塔などもあるそうだ。しかもその塔がダンジョンや神殿でもなく、人が暮す為の集合住宅になっておるそうだ。場所にもよるが、豊かな地域だとその巨塔が林立しているらしくてな。地球という異世界、まこと凄まじきものよ」
その言葉を聞いて、ヘイディは我が耳を疑った。
全面がガラス張りになっている巨塔の家。そんなものはドワーフの英傑や天才たちが技術の粋を駆使しても造れやしない。仮に資金と建材と時間が無限にあっても無理だ。必ず途中でガラスが割れ床が崩れ柱が砕け、結果的に全てが崩れ落ちてしまうだろう。天までとはいかずとも、城より高くて巨大な建物を造ることは難しい。見せかけだけはそれっぽく造れるかもしれないが、大きな地震でもくれば一発で倒壊することは想像に難くない。
地球という異世界、技術面では確実にアーレスより先を進んでいる。何十年どころではない、下手をすれば何百年、何千年先を行っているかもしれない。ハイゼンの言う通りだ。凄まじいの一言に尽きる。
再び唖然として固まってしまったヘイディたちを見て、ハイゼンが苦笑していた。
「そこでゆっくりしているのはあまり勧めんぞ、ウェダ・ダガッド公爵? 今回は急遽のこと故、1時間しか店を貸し切っておらん。それも無理を言って時間をいただいたのだ。流石にそれ以上は市民たちから恨まれる」
危うく忘れるところだったが、今日は異世界の酒を飲みに来たのだ。異世界の建物には確かに興味はあるが、そのことはまた後でじっくり考えればいい。
「方々、行くぞ」
そう言って歩き出すハイゼンの背に続くヘイディたち。すると、誰も手を触れていないのにいきなり店のガラス戸が開いた。
「うお……ッ」
ヘイディは我慢したが、護衛の若いドワーフが思わず声を上げていた。
まさか戸を開くその為だけに魔導具を設置しているとは。しかも戸を開け閉めするものと人が来たことを感知するものの2種類も使っている。
戸や扉が自動で開く魔導具はドワーフでも造れるだろう。だが、それを実現するのにはもっと大きな、それこそ人の背丈ほどもある装置が必要になるだろう。見たところ、このガラス戸に使われているのはごく小型の装置。一体、何をどうすれば2種類もの機能をこんなに小さく収めることが出来るのだろうか。ヘイディの頭では想像もつかなかった。
ずっと驚かされてばかりだが、ハイゼンの言う通り時間は限られている。ここで立ち止まっている暇はない。
ハイゼンに続いてヘイディが店内に入り、それに続いてお互いの護衛が3名ずつ入店する。そして外に残ったハイゼンの護衛たちが、門番よろしく表に立って店を護る。ここはハイゼンのお膝元とはいえ、訪れているのは国内でもトップの貴族だ。万が一のことを考えれば警備を敷かない訳にはいかないのだ。
一行がぞろぞろと連れ立って入店すると、金髪の若い女性と茶髪の青年、2人の給仕が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ! 名代辻そばにようこそお越しくださいました!」
「い……いらっしゃいませ!」
女性の方は自然な様子で朗らかに笑みを浮かべているが、青年の方は若干緊張している様子だ。きっと、貴賓が訪れると聞いてずっと緊張していたのだろう。生粋の王侯貴族である王弟のハイゼンはともかく、ヘイディなどは公爵と言っても自身のことを貴族だとも思っていない。まあ自分の方が貴族としては異端だという自覚はあるが、それでも、もっと近所のおばちゃんに接するような態度でも構わないのに、とすら思っている。
王やハイゼンから伝え聞いたフミヤ・ナツカワの特徴は黒髪黒目のヒューマンの男性。だが、この2人は黒髪でもなければ黒目でもない。片方などはそもそも男性ですらない。だとするのなら、件のナツカワ某は何処に行ってしまったのだろうか。
と、ヘイディが疑問に思っていると、ハイゼンが女性の方に声をかけていた。
「突然このようなことを頼んですまぬな。ところで、ナツカワ殿はどうされたのかな?」
「店長なら厨房におられます。今日は団体さんがお越しということで、完全に調理に回るそうです。今はまだ大丈夫でしょうから、お呼びいたしますか?」
そう訊かれて、首を横に振るハイゼン。
「いや、結構。無理を言うて押しかけたのはこちらだからな。仕事の邪魔をするつもりはない。ナツカワ殿にはそなたから後でよろしく伝えておいてくれ」
「かしこまりました。さ、皆様お席へどうぞ」
そう促され、一行は店の中央に置かれたU字のテーブルに8人並んで座る。ヘイディはハイゼンの隣の席だ。
テーブルも椅子も簡素な作りだが、随分と機能的に作られているのが分かる。特に椅子などは背もたれのない丸椅子で、わざわざ座面にクッションが使われている。尻が痛くならないよう工夫されているのだ。ガラス張りの塔は無理でも、こういう工夫ならば取り入れられる。ヘイディは早速、頭の中のメモ帳にこの椅子のことを書き記すことにした。
ハイゼンは座るや、すぐさま注文を始めた。
「すまんが、まずはビールを4人分頼む。ビールはドワーフたちに、私たちは水で結構だ」
「かしこまりました。店長、注文入りました! ビール4です!」
「あいよ!」
厨房の奥から威勢の良い男性の声が返ってくる。これがナツカワ某の声なのだろう。ドワーフは背が低いので厨房を覗き込むのは難しいが、中で誰か人影が動いているのが見える。
給仕の女性はハイゼンに頭を下げると、そのまま厨房に向かう。
ヘイディはハイゼンに向き直ると、彼の小脇を肘で突いた。
「何だいハイゼン、あんたせっかく来たのに飲まないのかい?」
小さな声で「やめんか」と抗議しながらハイゼンも渋面で言葉を返す。
「まだ昼間だぞ? それに公務も残っているのだ、飲むわけがなかろう」
実に真面目なことである。ハイゼンらしいと言えばらしいが、ヘイディにしてみるとキッチリし過ぎていて面白味がない。
「ヒューマンてのはそんなもんなのかねえ。あたいらなんぞは、酒飲んだ方が逆に調子いいくらいなんだけどねえ……」
「それは貴公らドワーフだけだ。他の人種は酒を飲めば正体をなくす。仕事にならん」
「難儀なもんさね」
「それが普通なのだ」
憮然とした様子でそう言うハイゼンに、ヘイディはもう一度「難儀さね」と返した。
※西村西からのお願い※
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