女公爵ヘイディ・ウェダ・ダガッドと最高に美味いビール②
「俺たちドワーフはよう、カテドラル王国にゃでっけぇ恩があるんだ」
ヘイディの父、前ウェダ・ダガッド自治領公爵オズマン・ウェダ・ダガッドは生前、酔う度に決まって同じことをヘイディに話して聞かせた。
「当時は国交もねぇフォーモーリアから追ん出されて流れて来た御先祖様たちを、この国のヒューマンたちは追い出すこともなく住むことを許してくれた。それにちょっかいかけてくることもなく100年も自由にやらせてくれたんだぜ? きっと、御先祖様たちが持ち直すまで待っててくれたんだろうよ。慈悲ぶけぇじゃねぇか、おい」
ヘイディは毎回、
「父ちゃん、その話はこないだも聞いたよ。つまんねぇから別の話しとくれよ」
と返すのだが、父はお決まりのようにその苦情を一笑に伏す。
「んがっはっはっはっは! まあ聞けって! 俺らドワーフが正式にカテドラル王国に編入されることになった時だってよう、税だって常識的なもんだったし自治領扱いにしてくれた。おまけに一族の長には公爵位ときたもんだ!」
「裏になんか政治があったんだろ? あたいらドワーフの腕が欲しいとかじゃねーの?」
「それでもだよ! いや、むしろそんくらいのことにゃあ応えてみせるのがドワーフの心意気ってもんじゃあねーか、おい? でっけぇ恩があるんだ、多少無茶なこと言われたくらいじゃ首を横に振っちゃあいけねえ。でも、でもだぜ、ヘイディ?」
「何だい、父ちゃん?」
「無茶通り越して理不尽なこと言われたら、そんときゃおめぇ、しっかり考えんだぜ? 俺らは確かにカテドラル王国に恩義があるが、別に奴隷じゃあねぇんだ。いざって時はしっかり首を横に振るんだぞ、ヘイディ? 本当の本当に大事なことはよう、最後は自分の魂に従って決めるんだ」
「いざって時っていつだい、父ちゃん?」
「あん? そりゃあれだ、おめぇが公爵を継いだ後からのことだよ。えれぇ立場には常に責任がつきまとうからな」
「あたい公爵なんかやだよ。貴族なんかめんどくせぇ」
「俺の子供はおめぇしかいねぇんだ、おめぇが継ぐしかねーだろ!?」
「い、や、だ! 養子でも取るか、今から母ちゃんとがんばっとくれよ! あたい、弟のこと可愛がるからさ!」
「バーローッ! 何言いやがるんだおめぇは!! あんなクソババァ今さら抱けるか!?」
父がそう叫ぶと、決まって台所から怒り心頭の母が包丁を握ったまま顔を出して睨んでくる。
「誰がクソババァだボケッ! ぶっ殺されたいのかい、クソジジィ!!」
「ひいぃ、母ちゃん!!?」
そうして父が脅えた声を出しながら平身低頭母に謝るのがいつもの流れだった。
くだらないが、実に楽しい家族の団欒だったことをヘイディは鮮明に覚えている。
そんな愛すべき馬鹿野郎の父が流行り病でポックリ亡くなってから30年、ヘイディは不本意ながらも公爵位を継ぎ、彼女なりに一族の長を務めている。
家庭ではとことん馬鹿親父だったが、ウェダ氏族にとっては偉大なる長であった大オズマン。未だ大ならぬヘイディは自身の夫であるポトマックの力を借りてようやく公爵として無難に仕事をこなせるようになった未熟者だ。一族の者たちは長であるヘイディを立ててくれるが、自身はそろそろ引退も視野に入れている。息子は2人いて、ありがたいことにどちらも変に曲がらず立派に育ってくれた。しかも母親である自分よりもずっとしっかりしている。夫であるポトマックの血が濃いのもあるだろうが、きっと父祖と神の加護があったのだろう。親の贔屓目なしに見ても、彼らのどちらが長になろうと一族が揺らぐことはない筈だ。
ヘイディも一応は貴族、しかも公爵だ。公爵の欠かせない務めとして、ウェダ・ダガッド領謹製の武具を半年に一度王家に納品しなければならない。何せ領民が丸ごと職人集団なのだ。カテドラル王国に出回っている武具の半分はウェダ・ダガッド産だと言われているほどである。一度王都に集められたその武具は、その時々の状況によって各地の騎士団や砦に配布されるのだ。
その武具の納品は公爵本人が、つまりはヘイディが自分で行う必要があるのだが、次の納品あたりで王に隠居の相談をするのも良いかもしれない。ヘイディもそろそろ60だ、老骨に鞭打つのも限界がある。
本格的に夏が始まる直前、初夏の時期、ヘイディは夫と家臣団と共に武具の納品をしに王都へと向かった。
納品自体は滞りなく済み、後は王に挨拶をして帰るだけとなったのだが、いつもなら簡単な雑談だけで済む話が今回は少し事情が違った。
王城の執務室で向かい合い、茶を飲んでいたヴィクトル王とヘイディ。それぞれ後ろには大臣と夫が控えている。
「ところでウェダ・ダガッド公爵、ものは相談なのだがな」
軽い雑談が終わり、後は形式的な挨拶をして帰るだけとなった時、王はふと、こんなふうに話を切り出してきた。
「ん? 改まって何だい、王様?」
と、まるで友人に接するように気安い言葉を返すヘイディ。ドワーフという種族は誰に対しても畏まることなくこのように接するので、王や大臣がそれを咎めることもない。それに咎められたところで改めるつもりもない。きっとどのドワーフに訊いたところで同じ答えが返ってくるだろう。何せドワーフは剛毅の種族。その程度で変わるのなら苦労はない。
「次の納品なのだが、2割ほど増産してもらうわけにはいかんだろうか?」
そう言いながら、納品項目が記された目録のようなものをヘイディに手渡してくる王。
いつもの納品に加え、石弓や大弓、矢の大幅な増産、大盾と設置型の盾、長槍、ストレンジャーにより伝来した『魔導式てつはう』の追加、ミスリルバリスタの設置。他にも色々と追加されているが、確かにいつもの仕事量の2割増しといったところか。
目録に目を通したヘイディは眉間にしわを寄せた。
「…………2年、いや、せめて1年前に言ってくれたんならどうにか用意出来ないこともなかったんだけどねえ」
目録を見て分かったが、これは何処かの砦に対する軍備の増強だ。それも戦に備えたものだろう。今のところ何処かの国と険悪な雰囲気にはなっていない筈だが、これはどういうことなのだろうか。
ヘイディがちらりと王を見ると、彼は難しそうな顔をしていた。
「やはり厳しいか?」
「こっちにも計画ってもんがあるさね。そりゃうちの職人どもは仕事が増えたって喜ぶと思うよ? あいつらは熱い鉄打つのが大好きなんだから。でも、鉄でもミスリルでも考えなしに吐き出しちゃあ、うちの領が干上がっちまう。近頃は採掘量も減ってんだ、そこにいきなり増産ったってねえ。それにこれ、どういうことなんだい? これじゃまるで、戦に備えてるみたいじゃないか……」
カテドラル王国は侵略国家ではない。まさかこちらから何処かに攻め込む為の準備とは思わないが、それでも理のない戦争をしようとしているのなら首を縦に振る訳にはいかない。ヘイディ個人だけではなく、ドワーフは理もなく血を流すことを許す種族ではない。それで王の不興を買おうと断じて否だ。父が生前、繰り返し言っていた『いざって時は首を横に振る』時には、ヘイディも一族の長としてそうしなければならない。
ヘイディの言葉から感じるものがあったのだろう、王は説明するように事情を語り始めた。
「影から情報が入っていてな、どうにも皇国がまたキナ臭い動きを見せているらしい。杞憂で終わればそれに越したことはないが、万が一ということもある。ウォーラン砦の軍備を増強しておきたいのだ」
カテドラル王国にとってのかつての怨敵、ウェンハイム皇国。自分たちこそがかつて大陸を制覇した覇王ウェンハイムの正当なる後継者だと臆面もなく語るけしからん国。休戦協定が結ばれてからは表立って争うことはなかったが、それでも水面下で牽制しあって45年。その危うい均衡が遂に破られるというのか。いや、今はその瀬戸際なのだろう。
自治領とは言え、ウェダ・ダガッド領も王国の一員。ならば国を護るのに否やはない。だが、それにしてもだ。
「つったってねえ……」
先にも言及したが、増産するにしても計画というものが必要になる。まともな準備期間もなくいきなり資源を吐き出せ、仕事量を増やせと言われても困る。王も王で困っているのだろうが、それはお互い様だ。
「素材が足りぬのなら王家が蓄えている分を出してもいい。頼めぬか?」
「そっちの職人衆でどうにかなんないのかい?」
王都には国中から人が集まる。在野の職人もいれば王家が抱える国選の職人たちもいる。ドワーフほどではないにしろ彼らの腕も捨てたものではない筈だ。
だが、ヘイディがそう切り出しても王は難しい顔をするばかりだ。
「無理をさせれば鉄の加工はどうにかなるだろう。だが、ミスリルの加工は無理だ。王都の職人衆でやるのなら丸2年はかかる。こればかりはドワーフに頼むしかない」
そう、ミスリルの加工がネックなのだ。エルフが好むような魔素溜まりにしか発生しない魔法銀ミスリル。鉄より頑丈で魔力を蓄える性質があり、武具に精製すれば強力な反面、加工がとても難しい繊細な金属だ。ミスリルの加工は常に魔力を注ぎながら行わなければならないので難易度が高く、ヒューマンでは1日に1時間も作業が続かないとされている。確かに職人系ギフトの持ち主が多いドワーフならば、少なくとも彼らの倍は仕事が出来よう。
「なら、鉄だの鋼だのはそっちでやっとくれ。ミスリルだけに集中していいなら半年でもどうにかなるかもしれないさね」
それでも普段は一般向けの仕事をしている職人などもそちらに回して、工房の稼動時間も増やして寝る時間も削ってようやくどうにかなる仕事だ。端的に言えば、職人たちに無茶を要求しなければならない。
職人たちだけと言わず、ウェダ氏族のドワーフは皆、気のいいやつらばかりだ。ヘイディが頼めば嫌な顔ひとつせず協力してくれるだろう。
それに何より、亡き父の言葉がある。多少無茶を言われたくらいじゃ首を横に振ってはいけないという、あの言葉が。
重々しく、しかしヘイディが確かに頷いたのを見て、ヴィクトル王も俯けていた顔を上げた。
「おお、まことか?」
「いいよ、やったるさ。前の戦争の時の忙しさに比べればどうってことない筈さね」
子供の頃のおぼろげな記憶だが、生前の父はウェンハイム皇国との戦争時代、長だというのに寝る間も惜しんで槌を振って鉄を叩き続けていた。あの時はウェダ・ダガッド領全体がそんな感じだった。その時のことを考えれば2割の増産などまだましである。一族の力を結集すれば昼も夜も寝る時間すらもなく働くような事態にはならない筈だ。
ヘイディの色よい返事に、それまで険しかった王の顔も心なしか綻んでいるように見える。
「有り難い。この礼は何が良い?」
「勿論、金は上乗せしてもらうよ? 頑張ってくれる職人どもに給金弾んでやんなきゃいけないからね」
実際に働いてくれるのは領地の職人たちなのだから、まずは彼らの働きに報いてやらなければならない。それは長としての義務だ。
王もそれは心得ているらしく、すぐさま頷いて見せる。
「無論だとも。その上で更に礼をしようぞ。何か望みはないか? 余で叶えられることなら何でも良いぞ?」
「そんな安請け合いしていいのかい? あたい、とんでもねぇこと言うかもしれないよ?」
「構わんさ。こちらも無理を言っている。ならばそちらも多少の無理は言う権利がある」
「言ったね?」
「おうとも」
「なら、美味い酒、飲ませてくんな」
ヘイディ自身はさして金に執着はない。溢れるほど金を持っていたとしてもあの世まで金を持って行ける訳でもなし、息子たちも自立して稼いでいるのだから大金を残してやる必要もない。仮に夫を残して自分の方が先に亡くなったとしても、彼の面倒は息子たちのどちらかが見てくれるだろう。自分と夫の葬式代だけ残しておけば、それ以上の抱えきれないような金は必要ない。
だから何か追加報酬が貰えるのだとすれば、それは金より美味い酒がいい。ドワーフは種族の特性として浴びるほど酒を飲む酒豪の人種。酒こそが命の水なのだ。美味い酒を飲めば活力も湧くし仕事に力も入る。
「酒……」
ヘイディの望みが意外だったのだろう、王は途端に考え込むような様子を見せた。
「あたいらドワーフが造る酒よりうめぇ酒が飲みたい。あんたのコレクションの中にならあるんじゃないかい、そんな酒が?」
ドワーフはワインもエールも造るし、それらを加工して火酒も造る。自画自賛ではないが、それらの酒はヒューマンが造るものよりも美味いという自信がある。もしかすると王家の酒蔵には何百年も眠って熟成を重ねたワインがあるかもしれないが、そういう酒は下手をすれば普通に金を払うより高くつく。はたしてそのような貴重な酒を王が独断で出してくれるかどうか。
「ふうむ、美味い酒か…………」
困り果てた様子で頭を抱える王。その様子がどうにも気の毒に見えて、ヘイディは苦笑しながら王に助け舟を出した。
「まあ、ないだろうね、そんな酒。ドワーフのエールより美味い酒なんてないさね。冗談だよ、冗談。忘れて……」
と、ヘイディの言葉の途中で、それを遮るように王が顔を上げて口を開いた。
「いや、ある」
「あ?」
「余の蒐集品の中にはない。だが、心当たりはある」
「まっさかあ」
ドワーフが大恩あるストレンジャーより製法を授かったエールより美味い酒などない筈だ。ウェンハイム皇国で造られているというラガーは巷に溢れるエールより数段美味いそうだが、それでもドワーフ謹製のエールに敵うものではないだろう。ヘイディもそれだけ自分たちの造るエールに自信を持っている。先に述べた長期熟成ワインとて自分たちのエールには敵わないと思っているくらいなのだ。
しかし、王は否定することもなく唐突にヘイディに訊いてきた。
「貴公は王都の第3研究所を知っているか?」
「あれだろ、確かギフトの研究してるとかいう……」
王都の研究所に興味はないが、ヘイディも一応公爵としてそれくらいのことは知っている。
知ってはいるが、しかしそれが何だというのか。今は関係ない話題のように思える。
不思議そうな顔をしているヘイディを他所に、王はそのまま言葉を続けた。
「そう、それだ。今、その第3研究所から室長が1人、アルベイルに出向している。その者はエルフの女性でな、つい先日、実に面白い報告書を送ってきよった」
「ふうん。で、それが何なのさね?」
「それにはこう書いてあったのだ。ナダイツジソバの新たなメニュー、ビール。これは天上の雫とも呼べる至高の酒だと。これを飲んだが最後、巷に溢れるエールが馬の小便としか思えなくなるそうだ」
「は? え? 何て? ナダツジ?」
いっぺんに言われて、ヘイディは王の言葉がよく理解出来なかった。ナダだかツジだかのビールが天上の雫で巷のエールが馬の小便。王は一体何を言っているのだろうか。
混乱するヘイディに王は苦笑しながら言葉を返す。
「ナダイツジソバだ、ウェダ・ダガッド公爵。ナダイツジソバ」
「ナダイツジソバ? 何だい、そりゃあ?」
ナダイツジソバ。まるで聞いたこともない言葉だ。外国語か何かだろうか。
「余は報告書で読んだだけで行ったことはないのだがな、どうもこのカテドラル王国で最も美味い料理と酒を出す店らしいぞ」
王があまりにも自信あり気にそう言うので、今度はヘイディが苦笑してしまった。
「王様、んなわけないだろう? 料理は知らねぇけど、あたいらドワーフのエールより美味い酒ってのはちょっと話を盛りすぎだよ」
だが、ヘイディがそう訴えても、王はその自信を微塵も崩すことなく微笑を浮かべている。
ナダイツジソバ。そんな聞いたこともない店に一体何があるというのだろうか。
ヘイディは俄かにその店に興味が湧いてきた。
※西村西からのお願い※
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