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名代辻そば従業員チャップとまかないのわかめそば

 チャップがナダイツジソバで働くようになり5日が経った。

 働いてみて分かったことだが、この店はとにかく忙しい。何しろ朝に開店したら夜の閉店時間になるまでずっと店を開けており、客足が途切れることがない。他の飲食店のように明確な昼休憩や仕込みで一時的に店を閉じる時間がないのだ。

 ここまで人気の店は旧王都広しと言えどもそうそうないだろう。対抗馬がいるとすれば、貴族街で一番人気のレストラン『ラ・ルグレイユ』か、大通りの老舗『大盾亭』くらいだろうか。だが、ラ・ルグレイユは予約制なのでツジソバほど店内が混み合う訳ではないし、大盾亭は店舗が広く従業員も多いので店自体は比較的スムーズに回っている。忙しさとしてはやはりツジソバに軍配が上がるのではないだろうか。


 同じ大衆食堂でも、地元の人たちを相手にのんびりのどかにやっていたチャップの実家とは全然違う。都会の店が全てこうだとは思わないが、やはり人気店は違うものだ。望みだった飲食店でこうやってあくせく働いていると、俺は今、生きているんだぞという実感が湧いてくる。ダンジョン探索者ギルドに勤めていた頃はその逆で、ダンジョン調査が終わった時はいつも、今日もどうにか死なずに済んだ、と安堵していたものだ。同じチャップの人生で同じ生の実感の筈なのに、そのベクトルは全く違うように思えるから不思議だ。これが人生の妙味というやつだろうか。


 ともかく、仕事は忙しい。忙しいのだが、しかしそんな中でもフミヤとルテリアは合間合間に、決して手を抜くことなく仕事を教えてくれるし、理不尽に怒られるようなこともない。

 多くの料理人は弟子に技術を伝授する際、技は見て盗めと言うものだが、フミヤの場合はちゃんと口頭での説明を交えながら実演して見せてくれるのでチャップとしては助かっている。チャップも気になったことはあれやこれやと質問するのだが、その質問を無視することなくちゃんと答えてくれるのもありがたい。


 昼下がりの客足が落ち着いた時間帯が過ぎ、今は陽が傾いてきた夕刻。あと30分もしないうちに今度は夜のお客が訪れ、店がまた混み始める。


 辻そばでは3食まかないが出るのだが、3人揃って食べるのは開店前の朝の時間帯だけで、ホールに従業員がいない状態を避ける為、昼と夜はそれぞれ空き時間をずらしてバラバラに食べている。今は店主のフミヤが夜の分の仕込みをし、ルテリアがテーブルの拭き掃除などをしているので、チャップが1人でまかないを食べる時間だ。


 今日のまかないはツジソバレギュラーメニューのワカメソバ。これはチャップがフミヤにリクエストして作ってもらったものだ。

 まかないという形でツジソバのメニューを食べ、研究する。チャップにとってのまかないとは、ただ単に腹を満たす為だけのものではなく、味覚を磨く修行をも兼ねているのだ。


 厨房の奥、従業員がいつもまかないを食べる時に使う場所までどんぶりを運び、1人でワカメソバと向かい合う。実に静謐な時間だ。

 ツジソバの基本とも言えるカケソバには、トッピングとしてひと摘みのネギとワカメが乗っている。ワカメソバはそのカケソバのワカメを大盛りにしたものだ。

 ツジソバで働くようになってから初めて食べた海草、ワカメ。フミヤの話によると、国によっては雑草扱いされて食材だと認識すらされていないのだという。

 そんなワカメをハシで掴み、口に運ぶ。クニクニコリコリとした不思議な食感で、ソバツユの風味と相まって口の中を磯の香りで満たしてくれる。調和しているのだ。それもその筈、ソバツユのダシにはワカメと同じコンブという海草が使われている。更に言えば同じダシに使われているカツオブシも海の魚だ、親和性は当然抜群である。


「んん、美味い……」


 チャップは思わず唸る。

 これまでの人生では食べてこなかった海産物。それがこれほど美味いというのは衝撃であり、発見であり、幸運な出会いでもある。内陸部の町で生まれ育ち、成人して出て来た場所も内陸部の旧王都。チャップはこれまで海と縁遠い人生を歩んできたが、その海には地上と同じだけ、いや、もしかすると地上以上に美味なるものが数多く存在するのかもしれない。海は味覚の宝庫。これを修行中に知れたということはとても大きい。料理人としての財産だ。


 次はワカメと一緒にソバも啜る。


 ずる、ずるるる……。


 フォークに巻き付けて食べるパスタとは違い、口で勢い良く啜り込むソバ。心なしか、こうやって食べた方がより風味が口の中に広がる気がする。

 ワカメのコリコリとした弾力と、ソバの心地良い歯応え。これもやはり調和している。咀嚼しているとソバの独特で牧歌的な香りが鼻に昇ってくるのも実に良い。仮にパスタの麺をソバツユに沈めたとしても、ここまでの調和を見せることはないだろう。このソバだからこそソバツユと合うのだ。この組み合わせだからこそ足し算ではなく掛け算の美味が生まれるのだ。


「店長のやつはほんと美味いんだよなあ……」


 しみじみと呟くチャップ。フミヤが作ってくれたソバはやはり美味い。至高だ。


 チャップも練習で幾度かソバを作らせてもらったのだが、当然の如くフミヤのように上手くはいかない。茹で過ぎてソバのコシが死んでしまったり、逆に茹で時間が足りなくて麺の中が生だったりするのだ。ソバツユにしてもカエシとダシの配合が難しく、これを正確にやらないと妙にしょっぱかったり薄かったりするソバツユが出来上がる。それらの作業をフミヤは流れるような手付きで滞ることなく完璧にこなしてゆくのだが、チャップの場合はどうしても時間がかかってしまう。しかも時間をかけたのに全然上手くいかない。フミヤは、これは馴れだから焦っちゃだめだよ、練習を繰り返して身体で覚えるんだよと、そう言ってくれるのだが、チャップとしては己の不甲斐なさが浮き彫りになるようで歯がゆい想いをしている。

 

 いずれは自分もこんな完璧なそばを作ってみたい。その為にはへこたれている暇などない。日々是修行だ。まかないすらも己の糧だ。

 そんなふうに気持ちを強く持ちながらソバを啜る。ワカメは半分だけ残して、ソバは一旦全部食べてしまう。


 そうして残ったワカメ半分とソバツユ。チャップは麺のなくなったソバツユに3振りほどシチミトウガラシを振りかけると、カレーライス用の皿を持って炊飯器へ向かった。


「美味そうだなあ、ツヤツヤだ」


 ホカホカと湯気を立てるコメを見ながら、チャップはゴクリと生唾を飲み込んだ。

 ソバ同様、このナダイツジソバでしか見たことがない謎の穀物、コメ。フミヤやルテリアはゴハンとも呼んでいるが、これがまた滅法美味いのだ。コメ自体は主張の強いものではなく、粒立っていて噛み締めればモチモチとしてほのかな甘みが感じられる程度。しかしながらスープやおかずと合わせると万能の親和性を発揮するのだ。特にしょっぱいものとの組み合わせが優れていると、チャップは個人的にそう思っている。

 そんなコメを皿に盛ってゆく。ここにカレーはかけない。今回はコメのみで食する。


 再び席に着き、まずは一口コメを頬張る。幾度か咀嚼してコメの風味を楽しんでから、そこへすかさずソバツユを流し込む。シチミトウガラシによってピリ辛に変貌したソバツユがコメと絡み合い、そのまま喉の奥へと流れてゆく。


「ふいぃー……」


 思わず熱い吐息が口から洩れる。

 コメとソバツユ。シンプルながらも味わい深い組み合わせだ。カレーライスは確かに美味いが、この食べ方はコメのポテンシャルを感じるので好きだ。教えてくれたのはルテリアだが、彼女には感謝する他ない。ツジソバの食材を使ってこんな食べ方が出来るのは従業員だけの特権なのだから。


 そのまま若い勢いに任せてコメとソバツユを喰らうチャップ。

 最後は口いっぱいにコメを頬張ると、それを一気にソバツユで流し込んだ。粘着力の強いコメがソバツユの水分でサラサラと解け、その粒立ちを際立たせながら胃の中に落ちてゆく。

 ソバツユの最後の一滴まで飲み干し、空になったどんぶりをゴトリと置く。


「あー、美味かったぁ……」


 そう言うチャップの顔には、隠し様もない満足そうな笑みが浮いている。

 思えばギルド職員だった時代はロクなものを食べていなかった。ダンジョンに潜っている間は味など度外視した保存食のみで、良くても気休め程度に火で干し肉を炙ったりするだけ。街に帰れば将来の為に倹約し、安いが味の悪い食堂や保存食と大差ないようなものばかり食べていた。今にして思うと、それでは料理人にとって重要な舌が育つ筈がない。こうして日々美味いものを食べていると、そのことを強く実感する。


 感慨に耽りながらチャップが空になったどんぶりを見つめていると、不意に、横から声がかかった。


「チャップさん、食べ終わった? 次、私が休憩入るからチャップさんは接客頼める?」


 そう言って現れたのは、疲労した様子で少しだけ息を弾ませたルテリアだった。

 チャップが食事をしていたのは15分くらいだったが、それでも1人でホールの仕事をするのはしんどかったのだろう。彼女ばかりを働かせる訳にはいかない。


「分かりました。交代します」


 チャップは水を飲んで息を整えると、立ち上がってホールへ向かおうとした。が、その背にルテリアがまた声をかけてきた。


「あ、そうだ、チャップさん」


「はい?」


「今日のまかない何だった?」


 問われて、彼女も大概食いしん坊だなと苦笑しながらチャップは答えた。


「ワカメソバですよ」


 背後から聞こえる「やったあ!」というルテリアの声に再度苦笑しつつも、チャップは気持ちを引き締めてホールへ向かった。


※西村西からのお願い※


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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