名代辻そば異世界店従業員ルテリア・セレノとまかないのかき揚げ丼
昼下がり。ランチ時間帯のピークが過ぎ、客足が落ち着いてくると、辻そばでは遅めの昼食として文哉手製のまかないが出る。いつもは辻そばのメニューから出してくれるのだが、たまに文哉が少し手を加えて、店のメニューにないオリジナルのまかないを出してくれることがある。かけそばのスープにカレーライスのルーを溶いた簡易のカレー南蛮や、本来トッピングである筈のわかめやねぎを大量に使った海草サラダ、ごはんにそば用の出汁をかけていただく出汁茶漬けなどがそうなのだが、今回はまた別の、初出しのオリジナルまかないを作ってくれた。かき揚げ丼だ。
ルテリアも文哉も、まかないをいただく時は客の目に触れぬよう、厨房の奥で食べることにしている。仮に堂々と人目につくところで食べれば、すぐさま俺にも食わせろと皆が騒ぎ出すことだろう。
現在、厨房にいるのはルテリア1人。客足が少ない時間帯ではあるが、それでも来客はあるので今は文哉がホールに出ている。ルテリアがまかないを食べ終えれば、次は交代で文哉が厨房に戻り、ルテリアがホールに出る。慌しいとは思うが、従業員はルテリアと文哉の2人だけなのだから仕方がない。従業員がもう1人いれば随分と楽になるだろうとは思うのだが、それは今言ったところで詮無いことだ。
それよりも今はこの、目の前のかき揚げ丼だ。
「わあ、美味しそう……」
漆黒のどんぶりを覗き込み、ルテリアは誰にともなく呟いた。
真っ白なごはんの上に鎮座する黄金色のかき揚げ。これは天ぷらそば用のかき揚げを流用したものだ。そのかき揚げに、ほんの少しだけ出汁で薄めた、そばつゆ用のかえしをタレとしてかけている。
さっき揚げたばかりのかき揚げは、タレがかかってジュワジュワと音を立てている。湯気と共に立ち昇る匂いが何とも香ばしくて食欲が湧いてくる。この異世界アーレスで唯一ここにしかない、ルテリアの為だけに作られたかき揚げ丼。日本でも、ましてや地球でもない場所でこんなものを独り占め出来るなど、何と贅沢なことなのだろうか。
口の中に唾液が分泌され、思わず唇の端が吊り上がってしまう。
「いただきます……!」
日本流の食前の言葉。セレノ家は代々クリスチャンだが、日本食を食べる時は必ず日本流の言葉を使う。これはルテリアの密かなこだわりだ。
割り箸をパキリと割ってから、まずはかき揚げを持ち上げる。箸の先にかかる確かな重さが、このかき揚げの食べ応えを物語ってくれているようだ。
はしたないという自覚はあるが思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまう。
そして、やはりはしたなく大きな口を開け、ガブリと豪快に齧り付く。
ザクリッ!
まずは噛み応えのある確かな揚げ物の食感。次に感じるのはジュワリとした油とたまねぎの甘み、遅れてエビのプリプリとした弾力とタレの芳醇な風味。
このたった一口に含まれる要素の何と多彩で豪華なことだろうか。まさにオーケストラ。複雑ではあるのだが、しかし決して難解ではない。全てが美味という終着点へ帰結している。
贅沢だ。かき揚げは贅沢な料理だ。その贅沢をこの世で唯1人、ルテリアだけが謳歌している。
だが、贅沢はまだまだ終わらない。ここですかさずごはんだ。
まだ口の中にかき揚げが残っている状態でごはんを掻き込む。ごはんの粒だった食感とほのかな甘さがかき揚げと調和し、その美味さが更にギアを上げた。
かき揚げ、ごはん、かき揚げ、ごはん。
箸が止まらず、咀嚼する口が止まらず、次から次へ。美味の大行進だ。一口ひとくち、全部が美味い。
勢いのままかき揚げ丼を半分ほど平らげたところで、ルテリアはどんぶりを持ったままおもむろに立ち上がった。そしてクツクツと静かに音を立てる鍋の前で立ち止まり、おたまを手にとってそば用の出汁を残ったかき揚げ丼に注いだ。かき揚げ入りの出汁茶漬けだ。こうしたら美味いよと、文哉が事前に教えてくれたのだ。
また席に戻り、早速アツアツの出汁茶漬けを一口。
「んん~、最高……ッ!」
その美味さに、ルテリアは身をよじらせた。
かき揚げの旨味を濃厚に含んだ油が溶け出した出汁がダイレクトに舌の上を通り、熱を伴って喉の奥まで嚥下される。その瞬間、喉から鼻に香気が通り抜けてゆくのだが、それが何ともまた良い。出汁が加わったことで上品になっている。
出汁のおかげでどんぶり内の全ての要素が同時に口の中に入る。これは先ほどを超える調和、いや、融合と言っても過言ではない。三位一体、かき揚げ、ごはん、出汁の融合だ。ひとつの形として極まっている。
そのまま、ずぞぞ、と茶漬けを掻き込み、米粒ひとつ残さず綺麗にかき揚げ丼を平らげるルテリア。口の中が火傷しそうなほど熱いが気にも留めず、勢いのまま、食欲に任せるがまま食べてしまった。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
ゴトリ、とどんぶりを置き、熱い息を吐く。気付けば額にじっとりと汗をかいていたのだが、それもまた心地良い。
今回もまた美味なるものを食べられた。
文哉に出会うまで、ルテリアはずっとこの異世界の粗食に耐えてきた。カチカチ干し肉、カチカチパン、薄いスープにグデグデのパスタ。ダンジョン内で不味い保存食を食べるのはまだ我慢出来たが、街の食事まで不味いのは耐え難かった。異世界における一般向けの食堂は総じてレベルが低く、地球のように手の込んだ美味しい料理が存在していないのだ。過去、貴族の依頼を受け、その貴族が連れていた厨司長の料理を食べたこともあるが、正直そこまで美味いものではなかった。街の大衆食堂よりかは幾分マシ、くらいのものだった。誰にも愚痴を洩らしたことはないが、これから一生こんな食事をするのかと内心うんざりしていたのだ。
以前の食生活を考えれば、今は大変に恵まれている。恐らくはこの異世界で最も美味い料理を毎日食べている。それを提供してくれる文哉には感謝しかない。恩人だ。
そんな恩人の文哉から、ルテリアは今朝、開店前にあることを相談されていた。新しい従業員のことだ。
カレーライスがメニューに追加されてからというもの、店の客足は目に見えて増えてきた。今はまだギリギリ2人で店を回しているものの、このままだとどちらかが、下手をすれば2人とも過労で倒れてしまう。それに加え、文哉は次にギフトがレベルアップするとメニューにビールが追加されるのだと、そう言っていた。ビールが追加されれば、客足は爆発的に増えるだろうと。
そうなった時、従業員2人では店は回らなくなるだろう。だから新たな従業員を雇いたい、出来れば厨房もホールも出来る人物が良いのだが心当たりはないかと、文哉にそう訊かれていたのだ。
「私の知り合いで、料理が出来る人かぁ……」
流しでどんぶりを洗いながら、ルテリアは呟いた。
ルテリアの知り合いと言えばダンジョン探索者ばかりだ。それ以外の人間関係はあまり築いてこなかった。今になってそれがどうにも悔やまれるのだが、それは言っても詮ないこと。
確かにダンジョン探索者もダンジョン内で何日も過ごすという性質上、簡単な調理をすることはある。だが、それは火魔法で干し肉や干し魚を炙ったり、湯だけ沸かしてカチカチのパンを戻して食べるくらいのもの。とても本職の料理人がやっているような本格的なものではない。ダンジョン内の食事は不味いのが当たり前で、調理の腕を問われることはない。
料理上手なダンジョン探索者、料理上手なダンジョン探索者。
心の中で念仏のように呟いていると、ルテリアは、はたと気付いた。
「…………そうだ。別にダンジョン探索者じゃなくてもいいじゃない」
ルテリアの知り合いは確かにダンジョン探索者ばかりだが、それが全てではない。ダンジョン探索者ギルドの職員もまた、ルテリアとは面識がある。
「そういえばあの人、確か料理上手だったっけ………………」
ルテリアの記憶が確かならば、ギルドの職員の中で1人、まともな料理が出来る者がいた筈だ。彼はとある事故がきっかけでつい先日ギルドを退職したと聞いている。
そこまで親しくもないが、彼ならば知らぬ仲ではない。文哉の求める条件とも一致する。
今日あたり、店が終わったら早速訊ねてみようと、ルテリアはそう決めた。
「んふふ……」
我ながら妙案を思い付いたものだと、ルテリアは内心で自画自賛しながらどんぶりを洗った。
心なしか、どんぶりはいつもより割り増しでピカピカと輝いているように見えた。
※西村西からのお願い※
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