次はビールか。すげぇことになりそうだな
そばの美味さが異世界にも徐々に浸透してきたと見えて、ここ最近は辻そばも随分と来客が多くて忙しい。基本的には朝の開店から夜の閉店まで客足が途切れることがなく、文哉とルテリア、2人してのんびりとまかないを食うような時間もないほどだ。
忙しいのは嬉しい悲鳴だが、正直、人手が足りない。ここいらでそろそろ新たな従業員を雇いたいところなのだが、ルテリアのように万事心得ている者はそういない。何せ彼女は同じ地球から来たストレンジャー。しかも日本に留学していた経験があり、大の辻そば好きという逸材だ。雇うにあたって過剰な説明が必要ないというのが実にありがたい。こちらの事情を知らない現地採用の人間ではこうはいかないだろう。そこの課題をどうするべきか。これは先延ばしにすればするだけ文哉たちが辛くなる問題なので、早急にどうにかして答えを出さなければならないだろう。
文哉が焦るのには理由がある。それはつい先日ギフトのレベルが上がってメニューに冷しきつねそばが増え、次のレベルアップで追加される新メニューが判明したからだ。
新たなステータスは以下の通り。
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ギフト:名代辻そば異世界店レベル6の詳細
名代辻そばの店舗を召喚するギフト。店舗の造形は夏川文哉が勤めていた店舗に準拠する。
店内は聖域化され、夏川文哉に対し敵意や悪意を抱く者は入ることが出来ない。
食材や備品は店内に常に補充され、尽きることはない。
最初は基本メニューであるかけそばともりそばの食材しかない。
来客が増えるごとにギフトのレベルが上がり、提供可能なメニューが増えていく。
神の厚意によって2階が追加されており、居住スペースとなっている。
心の中でギフト名を唱えることで店舗が召喚される。
召喚した店舗を撤去する場合もギフト名を唱える。
次のレベルアップ:来客2500人(現在来客811人達成)
次のレベルアップで追加されるメニュー:ビール
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次のレベルアップで追加される新たなメニュー。それはそばでもご飯ものでもなく、ビールであった。
日本人なら、いや、地球人なら誰しもが知っている、そして大人ならば誰しもが一度は飲んだことがある酒、ビール。
名代辻そばを展開するタイダングループでは、辻そばの他に辻酒場という居酒屋を運営していた。その影響から、辻そばの一部店舗でも酒類を提供していたのだが、この名代辻そば異世界店の元になった水道橋店は前述の一部店舗に該当する。だから料理ではなくアルコールのカテゴリーからビールが追加されたのだろう。
レベルアップしたギフトのステータスを目にしてすぐ、文哉は予知めいたある予感を抱いた。辻そばのメニューにビールが追加されれば、来客数は爆発的に増加する筈だ、と。
以前、文哉はふと酒が飲みたくなって、閉店後、ルテリアに頼んで旧王都の酒場に連れて行ってもらったことがあるのだが、そこで飲んだエールビールは想像を絶するような不味さだった。一切冷されることなく温く、妙に酸っぱく雑味も多く、色も濁っていてジョッキの底に粒が沈んでいた。
ルテリア曰く、異世界の酒は基本的には何処の国でもこんなもので、貴族をはじめとした上流階級の人間が辛うじてエールよりは少しマシ程度のワインを口にしているのだという。しかしながら、そのマシなワインというのも地球のコンビニで手軽に買えるワインよりも数段落ちるものらしい。
一応、ラガービールはカテドラル王国ではない外国に存在しているらしいのだが、その国の貴族たちが独占して外にはほぼ出回らないとのこと。
そして更に驚くことに、ウイスキーのような蒸留酒は存在すらしていないのだという。
この話をルテリアから聞かされた時、過去のストレンジャーたちはどうして蒸留酒の造り方を異世界に伝えていないんだ、と憤ったものだが、そう言う文哉自身も蒸留酒の具体的な製造方法など知らない。酒を沸騰させて蒸発させて酒精を強める、くらいの漠然としたしょぼい知識しかないのだ。偶然なのか、それともあの神の意思によるものなのか、これまでずっと酒造の知識のない者ばかりがストレンジャーとしてこの世界に転生してきたということなのだろう。
ルテリアによればドワーフという人種が火酒というアルコールのキツい酒を独自に作っているらしい。文哉は当初、その火酒が地球で言うところのテキーラやスピリタスのようなものなのではないかと思ったのだが、実際は蒸留酒ではなく既存のエールに製薬のギフトで作り出した薬品を混ぜることで酒精を強めているのだという。しかも酒精が強いばかりで味は悪いままだそうだ。
端的に言えば、異世界の酒造は地球に比べて進歩していない。遅れている。
ここに地球の、しかも日本の一流企業が製造した美味いビールが登場したらどうなるものか。間違いなく酒好きたちで店がごった返すことになる。そしてビールを手に入れたい商人たちも仕入先を教えろ、製造方法を教えろと突撃してくることだろう。
ハイゼン大公との取り決めで、文哉がストレンジャーであることや、店や料理をギフトで出していることは秘密となっている。この情報を洩らすことは文哉の身の安全に係わるからだ。
敵意や悪意を持った者はギフトの力で弾かれるからまだいいが、単純に商機を狙った者たちまで弾くのは難しい。こういう連中を捌く為にも、やはり新しい従業員を確保するのは急務だと言えよう。これは喫緊の課題である。
「どうすっかなあ……」
閉店後、2階の自室でゴロンと横になりながら、文哉はボソリと呟いた。
ルテリアのような人物がもう1人現れて店を手伝ってくれれば助かるのだが、流石にそこまで都合の良いことは起こらないだろう。やはり現地人を採用するしかない。
「にしたって、誰を雇えばいいんだ?」
文哉にそんなアテはないし、こんなことでハイゼン大公を頼るのも違う気がする。頼るとすれば、やはり文哉より幅広い人脈を持っているだろうルテリアしかいない。
「明日、訊いてみるか……」
言いながら、文哉は万年床の上で大きなあくびをした。
文哉以外誰もいない室内に、あくびの音が空虚に響いた。
※西村西からのお願い※
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