ヴェンガーロッド特務騎士隊隊員ロラン・マテックとほろ苦いレモンサワー➉
震えを抑えるよう、両手でタンブラーを握り締めるロラン。いつまでも戸惑っていてはハリードの顔を潰してしまう。
意を決して、ロランはそろそろと少量のレモンサワーを口の中に流し込んだ。
その瞬間である。
「………………ッ!」
刺激。舌を刺すような強烈で、しかしながら爽快な炭酸の刺激だ。そして炭酸の泡が弾ける度に、甘やかで爽やかなレモンの香りと強い酸味が口内に溢れ出す。
パチパチと軽やかに弾けながら舌の上を滑るレモンサワーが、その刺激を損なわぬまま嚥下され、胃の腑の中へと落ちてゆく。
そうして後に残るのは熱き酒精と、その酒精ともまた違う独特な苦みであった。決して嫌な苦みではない。むしろ酒の後味を引き締める、キレのある苦みだ。
この苦み、その正体は。
「…………レモンの……皮、なのか?」
タンブラーの中で波打つレモンサワーを見つめながら、ロランは茫然と呟いていた。
この苦みの正体は、恐らくはレモンの皮である。別に皮そのものが入っている訳ではないのだが、多分レモンの皮を絞った汁を入れているのだろう。柑橘というものは果肉がジューシーなのは勿論だが、その皮にも汁気を含んでいる。そして、その汁気は皮を潰すことで外に溢れ出す。ただ、皮の汁気は果肉と違って美味いものでもない、むしろ苦いので、普通であれば食用に使われることはない。
が、このレモンサワーという酒は、あえてその苦みで後味をキリリと引き締めているのだ。
美味い。
世間に出回っているエールが粗製乱造されたものかと思えるほどに美味い。
果実酒といえば葡萄から造るワインと相場が決まっているが、まさか柑橘、それもレモンから造る酒がこんなにも美味いとは思わなかった。
地球なる世界の酒、何とレベルが高いのだろうか。きっと、レモンサワー以外の酒も抜群に美味いのだろう。酒造、それ自体がこのアーレスよりも格段に進んでいるに違いない。
「美味いだろう?」
先にレモンサワーを飲んでいたハリードが、ロランがひと口目を飲み干したタイミングでそう声をかけてきた。
「はい……」
「そして苦かっただろう?」
「は、はい……」
「その苦味はな、人生の苦味だ」
そう言われて、しかしロランはその言葉の意味するところが分からず、思わず首を傾げてしまう。
「人生の苦味、ですか……?」
困惑するロランに対し、ハリードは「そうだ」と頷いて見せる。
「酸いも甘いもあるのが人生だが、それだけじゃない。人生には苦い経験も付きものだ」
「………………」
思わず言葉を失ってしまうロラン。
苦い経験というのなら、今のロランほどそれを痛感している者もいなかろう。隠密として初めての任務で大失態を犯し、大恩ある上司の命を危険に晒してしまった上、最悪の形で対象に逃げられるところだったのだ。
そんな事態を自分が招いてしまった。しかも尻を拭いてくれたのは他の仲間。
自分はここまで駄目な奴だったのかと、気持ちが地の底に沈むほど落ち込んでしまった。正直、消えてなくなってしまいたいほどに。
まだまだ新鮮で、いくらでも反芻出来る苦い経験。それが今、ロランを苦しめているのだ。
「人生の味というのは、酒と同じだと俺は思っている。酸いも甘いもあるものだが、そこには必ず苦味がある。思わず顔をしかめたくなるような苦味が」
言ってから、ハリードは喉を湿らせるようレモンサワーをぐい、と呷り「それが美味い場合も不味い場合もあるけどな」と付け加えた。
「ロラン・マテック。今日は苦味を噛み締めろ。それは人生の苦味だ。成長の為に必要なものだ。飲み込み難いものだろうが、そこは美味い酒で流し込め」
ロランに手本を示すように、ハリードはタンブラーに残ったレモンサワーを勢い良く呷り、飲み干して見せる。まるで酒を飲み始めの若者のような一気だ。そうして彼は、人目も憚らず、大きな音で、ぐえぇ、と汚いゲップをした。
普段の、己を律して毅然としているハリードとはかけ離れた姿に唖然とするロラン。
だが、彼の姿を見ると、同時にこうも思うのだ、きっとハリードにも苦い経験や記憶があり、日々積み重なるそれを己の中に流し込んで明日の糧とする為に酒を飲んでいるのだろう、と。
「苦い記憶はお前の中に残り続けるだろうが、苦い気持ちは酒を飲んで忘れちまえ。酒で嫌なことを忘れるのは罪じゃない。それもまた生きるのに必要なことなんだ。今日は好きなだけ飲むといい。安心しろ、酔っぱらっても俺が連れて帰ってやる」
ニヒルな笑みを浮かべながら頼もしいことを言うハリード。
ただ、一気に酒を呷ったせいか、それとも元来酒はそこまで強くないのか、結構顔が赤くなっているのでいまいち恰好がついていないのだが、そこはまあご愛敬だ。
「すまない、レモンサワーおかわり頼む!」
赤ら顔で干したタンブラーを掲げ、ハリードが酒のおかわりを頼む。
「はい、只今!」
と、女性の給仕が返事をし、すぐにおかわりが来る。まるで最初からおかわりを頼むことを分かっていたかのようだ。
これはもしかすると、逆に酩酊したハリードを自分が連れ帰ることになるかもしれないな、と、ロランは思わず苦笑してしまった。ロラン本人は気付いていないのだが、苦笑とはいえ久方ぶりの笑みである。それこそ、あの夜以来の。
ただ、普段は厳しいハリードがここまでしてくれたのだ、ロランの中で酒を遠慮する気持ちはすっかりと消えていた。
「よし……!」
と意気込み、ロランは改めてレモンサワーに向き直る。
少々白濁した、甘く酸っぱく苦い酒。人生の妙味を詰め込んだようなその酒を、ロランは喉を鳴らしながら勢い良くグイグイと呷った。
「ぶはぁッ!」
飲み終わるや、酒精を含んだ熱い吐息が漏れる。美味い、しかし最後は苦い。単調ではない複雑な味である。大人の、人生の苦味を感じる酒だ。
「すいません! こっちもおかわり!」
タンブラーを干し、ロランもおかわりをする。
「お、いいぞ。火が入ってきたな、マテック」
おかわりのレモンサワーを飲み、残しておいたコロッケを突きながら、ハリードが微笑を浮かべながらそう言った。何処となく嬉しそうに感じるのは、ロランの気のせいではない筈だ。きっと、元気付ける為に連れて来た後輩がようやくその気になったのが嬉しかったのだろう。
ハリードを見習う、という訳でもないのだが、ロランも次の酒を飲む前にコロッケを突いてみる。
フォークで割っただけで伝わる、サックリとした感覚。
ひと口分に切り分けたそれを口に運ぶと、やはりサクサクとした食感が伝わってくる。だが、このコロッケなるもの、その美味さは食感だけで語られるものではない。サクサクの内側に隠れていた、ホコホコネットリとしたジャガイモの甘さ。
そこにすかさずレモンサワーをひと口。
美味い。
口の中の油っぽさがサラリと流され、後味の苦味が口内をリフレッシュさせてくれる。
これをもう2往復。
やはり美味い。そして苦い。飲めば飲むほど酔いが回る。顔が熱くなってくる。
ロランは元来酒に強い方ではないのだが、2杯目のレモンサワーを干す頃にはすっかりと顔が赤くなり、まるで頭頂部から湯気でも出ているのではないかというほど体温が上がっていた。
そして何故か、顔だけでなく目頭にも熱いものが込み上げてくる。
「………………俺はね」
おかわりし、3杯目のレモンサワーに口を付けながら、ロランがぼそりと呟いた。
「うん? どうした?」
「俺はね、本当はね、本当は格好良く任務を遂行したかったんですよ!」
茹でダコが如く赤くなった頬に涙を流し、興奮したように唾を飛ばしながらそう訴えるロラン。
突如豹変したロランに、周囲の客はおろか従業員たちでさえ何事かと目を向けているのだが、当の本人はそれを意にも介さず声を上げる。
まあ、視線が集まるのもほんの数秒のことで、客も従業員たちもまた各々のことに戻った。ここは食堂ではあるが、酒も出す店なのだ、酔客がくだを巻くことも珍しくはない。きっと、客にしろ従業員にしろ慣れっこになっているのだろう。
「スマートに任務をこなして、出来るやつだって思われたかったんです! 有望な新人だって思われたかったんです! 俺自身、そう思いたかったんです!!」
涙を流しながらも、ロランはグイグイと酒を呷る。
ロラン本人に自覚はないのだが、所謂泣き上戸、というやつだ。ある一定以上アルコールが入ると感情が高ぶり泣いてしまう。ただ、相当酔いが回らないとこうならないので、酒が抜けた後、本人に記憶が残らないので気が付かないのだ。
「ま、まあ分かるが……」
まさか泣き上戸だったとは、と言わんばかりに顔を引きつらせるハリード。これは酒など飲ませるべきではなかったかな、と後悔しているのかもしれないが、こうなってはもう後の祭りだ。
しかしながら、ロランは引いているハリードの様子など気にすることもなく激しく声を飛ばす。
「なのに! なのにあんな! あんな無様な………………チクショウッ!!」
ロランは左手でギュッと拳を握って悔しがりながら、右手に持ったタンブラーで酒を呷り、ゴクゴクと喉を鳴らしながらレモンサワーを流し込む。
「かぁーッ、美味い! 教官の言う通りだ。飲まなきゃやってらんねーっすよ!!」
一気にレモンサワーを飲んでしまったロランは、更にレモンサワーをおかわりする。
これでもう4杯目になるか、5杯目になるか。もうよく覚えてもいないのだが、これだけ美味い酒なのだ、いくらでも入っていく。だが、何故だか飲めば飲むほど後味が苦くなっていくのだ。
ハリードは、人生の味は酒と同じだと言っていた。飲めば飲むほど苦味を感じるこの酒が人生と同じだというのなら、長く生きれば生きるほど人生の苦味も増していくということか。人の人生は山あり谷あり、楽にはいかぬということだろう。
「お、おい、飛ばし過ぎじゃないか、お前……?」
自分も酒を飲んでいることなどすっかりと忘れ、酔いなど醒めたという顔で唖然としているハリード。
だが、1度酔いが回ったロランはこんなものでは止まらない。
「何言ってんすか! 教官が言ったんじゃないですか、今日はとことん飲むって!!」
「いや、酒を飲むとは言ったかもしれんが…………」
まさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。実力はあるもののあがり症でまだまだ半人前、尻を叩いてようやく覚悟が決まるという有様のロランが、まさかここまで酒で豹変するとは。さしものハリードでも読めなかったものと見える。酒とは恐ろしいものだ。
「教官、杯が空になってますよ!? ダメじゃないすか! お姉さん、この人におかわりおねがいします! あ、それと俺の分も!!」
目ざとくハリードのタンブラーが空になっているのを見つけ、勝手におかわりを頼むロラン。正直、ハリードはまだ飲むのか、という目で見ているのだが、酔いが回っているロランはそんなもの気にもならない。というか、そんな視線に気づいてもいない。
「はい、只今!!」
給仕の女性が額に汗しながらせわしなく動き回り、ロランたちに新しい酒を運んで来る。
ロランは唖然としたままのハリードが持つ空のタンブラーに酒を注ぎ、自身のタンブラーにもレモンサワーを注ぐ。そして、自身のタンブラーをハリードのタンブラーに軽くぶつけて乾杯した。
ゴクゴクと喉を鳴らし、タンブラーの半分ほどを勢いのまま胃の腑へと流し込む。爽快だ。甘く、酸っぱく、爽やかで最後にはしっかり苦い。
人生の苦味が溶け込んだ酒、レモンサワー。この苦味、そして確かに喉を焼く酒精が、ロランの意識をふわふわと酩酊させ、今の辛さをほんの一時忘れさせてくれる。
そう、ただ一時しか忘れられない。だが、その短い短い一時でも辛いことを忘れられるから、また明日を頑張れるのだ。
「飲んで忘れる! 忘れられないからこそ、今だけは飲んで忘れる!! それが酒なんですよ! そうですよね、教官!?」
きっと、ハリードはそう伝えたかったのだろうと、ロランはそう考える。だからこそ、有無を言わせず飲みに誘ったのだろうと。
だが、ハリードは頷くでも否定するでもなく、何故だか嫌そうに半眼でロランのことを睨んでいた。
「………………もうお前は飲みに誘わない」
「何言ってんすか!? また飲みに行きましょうよ!」
「断る!!」
そんなやり取りを重ねながら、ロランとハリードは杯を重ねてゆく。
時間にして3時間以上、2人で20杯以上ものレモンサワーを飲み干し、店を出る頃にはロランもハリードもぐでんぐでんに出来上がっていた。
その日は店を出て以降の記憶がなく、翌日は気が付けば自分の寝床におり、ひどい二日酔いで満足に動くことも出来なかったのだが、同じだけ飲んだハリードは翌日もケロッとしていたらしい。流石の酒豪である。
頭が割れるかと思うほどの頭痛に見舞われ、1日中ゲーゲーと吐き続けた翌日、ロランは何故だかすっきりとした気持ちになっていた。まるで、ゲロと一緒に溜まり溜まった負の感情までもが体外に吐き出されたかのようだ。
無論、気分が晴れたとて、苦い記憶までが失われた訳ではない。酒の力を借り、ただ一時、憂さを晴らしただけ。だが、気分的には随分と楽になったのもまた事実。考えてみればこれまでの人生、酒を飲む理由は酔いが回ったふわふわした良い気分を味わいたいというもので、浮世の憂さを晴らしたい、ということではなかったように思う。
だが、今回のことで、死ぬほど落ち込んだ暗い気分を酒の力で忘れられることも分かったのは大きい。無論、酒の力ばかりアテにしてアルコール中毒のような状態になるのは論外だが、そこはロランの意思力の強さ、自制心次第であろう。
二日酔いの気分は最悪だが、こうして嫌な気持ちを忘れて明日への活力に繋げられるのなら、たまには酒に溺れてみるのも悪くない。
これを教えてくれたハリードにもきっと、人生の中で嫌なことや落ち込むこと、死にたくなるような気持ちになることがあった筈なのだが、彼もこうして、時に酒の力を借りることで乗り切ってきたのだろう。それをロランにも教えてくれたことには感謝しかない。まあ、最初は随分と強引だな、と少し不満に思ったものだが、それを言うのは無粋である。
この後、ロランは時に小さな失敗をし、また時には大きな失敗もしつつ、隠密として大成していき、ヴェンガーロッド特務騎士隊を背負って立つ騎士、次代の隊長に成長していくのだが、それはまだまだ先の話である。
皆様、今月5日に発売されましたコミックス『名代辻そば異世界店』4巻、もうお読みいただけましたでしょうか?
お読みいただいた方々、まことにありがとうございます。
また、まだお読みいただけていない方々、ご一読くだされば幸いです。
さて、本日1月19日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日であります。
今回はチャップの弟チャック編の続きになります。
遂に兄チャップとの再会を果たしたチャック。
6年間、会えなかった分の思いのたけをチャップにぶつけるも、彼がその答えとしてチャックに差し出したのは、言葉ではなく何と奇妙な料理で……?
生き別れになった兄弟の6年ぶりの再会、是非ともお楽しみください。




