ヴェンガーロッド特務騎士隊隊員ロラン・マテックとほろ苦いレモンサワー⑨
ハリードがレモンサワーを注文してからものの1分もせず、給仕の女性が盆を手に戻ってきた。盆の上には、何やら金属製のタンブラーらしきものが4つほど載っている。
「お待たせいたしました。こちら、レモンサワーになります」
そう言って、給仕の女性がタンブラーらしきものをロランとハリードの前に2つずつ、計4つ置いた。
一体これは何だと、ロランはまじまじと眼前に置かれたものを観察する。
まずひとつは、とくに変わったところのない金属製タンブラーだ。恐らくは鉄製。ロランはこういうものを使って酒を飲むことはないし、正直所持してもいないのだが、以前、王城で雇われているドワーフの鍛冶師がこのような金属製タンブラーを使ってワインを飲んでいるのを見たことがある。
目の前のタンブラーは、あのドワーフが使っていたものよりも随分と均整が取れているように見えるが、まあ常識の範疇にあるものだという印象だ。
問題は、もうひとつの方である。
もうひとつの方は、よく見てみればタンブラーではなかった。しからば何なのかというと、これが何とも形容し難いものなのだ。
形状は筒。ただし、飲み口として開いているべき上部が蓋で密閉されており、中が全く見えないようになっている。この蓋、どうやらただ単に被せてあるものではなく、筒そのものと一体化しているらしい。そして、蓋の部分には何やらリングのようなものがあり、そのリングの下部には細い溝が円を描くように掘られていた。このリングや溝が何の為のものなのかは全く分からない。
しかもだ、筒の表面には何やら精巧な字や模様が描いてある。輪切りのレモンの模様だ。が、どうもこれらの字や模様、インクや絵具の質感を感じないのだ。そして手描きの質感も感じない。例えるならば、判押しした感じに近いだろうか。
この筒が金属製であることは分かるのだが、鉄でも銅でも鋼でもないように見受けられる。恐らくはミスリル等の魔法金属でもないだろう。察するに、このアーレスには存在しない、地球なる世界にしかない金属なのではなかろうか。
この空洞の見当たらない筒状のもの、これは一体何なのか、その正体とは。
見れば、ハリードも不思議そうに筒状のものを観察していた。
ロランとハリード、二人の様子に苦笑しながら、給仕の女性が説明の為に口を開く。
「こちら、缶入りのお酒となっております」
「缶? この筒みたいなもの、缶というのか?」
ハリードに質問され、給仕の女性はそうだと頷いた。
「この上の部分のリング、これをタブと言うのですが、ちょっと失礼……」
言いながら、ハリードのレモンサワー缶を持つ給仕の女性。
「これを、こう起こして……」
給仕の女性は、今言ったタブなるリングに指をかけると、勢い良くそのタブを起こした。
すると、溝が掘られていた部分が、カシュッ、と、そして同時に、プシュッ、と音を立てて蓋から切り離され、飲み口が開口する。カシュッ、というのが飲み口が開口する音で、プシュッ、というのが空気の音だろう。このレモンサワーなるもの、きっとエールのように気泡を立てる酒なのだ。
「「おお!?」」
この缶なるもの、これは新手の水筒のようなものだろうか、それとも地球なる世界にのみ存在する道具なのか。ともかくロランが、そして恐らくはハリードですら見たことのない代物である。
きっともう彼女にとっては慣れっこなのだろう、同時に驚きの声を発する2人のことは気にも留めず、給仕の女性は起こしたタブに再び指をかけた。
「で、起こしたタブを戻して……と。これで飲み口が開いて中のお酒が出るようになります」
垂直に立っていたタブを押し戻して再び寝かせると、給仕の女性はハリードの前にそっとレモンサワーの缶を戻す。
「何と、これに酒が入っていたのか!」
眼前に置かれたレモンサワーの缶、飲み口から覗く内部を凝視したまま、ハリードがそう声を上げる。
給仕の女性は「ええ」と頷き、微笑を浮かべた。
「缶に直接口を付けてお飲みいただいてもいいですし、こちらのタンブラーに注いでお飲みいただいても構いません」
「ふむ、そうか。いや、どうもありがとう」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
ペコリと頭を下げてから、追加注文を頼もうとしている別のテーブルに行ってしまった給仕の女性。
残されたロランとハリードは、どちらからともなくお互いの顔を見合わせた。
「さて、マテックよ、お前もこの缶というものを開けてみろ」
ハリードの缶は彼女が開けたので、残るはロランの缶だけ。
「は、はい……」
促されるまま、ロランは恐る恐る自分のレモンサワー缶を手に取った。
その瞬間である。
「おッ!」
冷たい。まるで川の水のようだ。
驚きのあまり、思わず声が洩れてしまった。
通常、エールもワインも常温で出されるものだが、今は冬である。きっとこの酒は外に置いて冷やされたものなのだろう。とすると、レモンサワーは冷した方が美味い酒ということなのか。
ともかく、ロランは先ほどの女性と同じように、タブなるリングに指をかけて、多少の抵抗を感じながらそれを起こした。
カシュッ! プシュッ!
やはり先ほどと同じ音がして、缶の飲み口が開口する。
中は暗くてよく分からないが、少し白濁しているだろうか。
「折角だ、タンブラーに注いでみろ。俺もそうする」
「はい……」
言われて、2人は同時にレモンサワーの缶を手に取る。
「おお、冷たいな、これ……」
思わずといった感じでそう呟くハリード。店内の暖かさも相まって、缶の冷たさがより際立つのだろう。
ロランはゆっくりと缶を傾け、タンブラーにレモンサワーを注ぐ。
白濁というよりはレモンの果肉の色とでもいうべきか、少し黄色く色付いた液体が、果実特有の甘やかな香りを漂わせ、シュワシュワと音を立てながらタンブラーに溜まっていく。
エールほどではないが、軽く泡が上部に形成され、ほどなくして消える。やはり発泡する酒だ。まさか本当にエール以外にも気泡を立てる酒が存在するとは。
驚きつつも、ロランは並々と酒が注がれたタンブラーを手に取る。
見れば、ハリードも酒を注ぎ終わったらしく、自分のタンブラーを手にしていた。
「乾杯だ」
「か、乾杯……」
ハリードに促され、ロランは自分のタンブラーの縁を彼のタンブラーの縁にコツンとぶつけて乾杯する。
が、ロランはすぐにタンブラーに口を付けるようなことはしなかった。いや、出来なかった。
やはり、昼間からの酒というのは罪悪感が勝る。まだ、みんな働いている時間帯なのに、悠長に酒など飲んでいていいのか、それも仕事で大失敗をやらかしたかばりの自分のような者が。そんな気持ちが胸の中心でグルグルと渦巻き、酒を遠ざける。
「………………」
タンブラーをテーブル上に戻し、縋るように横にいるハリードに目を向けるロラン。
すると、ハリードはロランなど気に留める様子もなく、ゴクゴクと喉を鳴らしながら豪快に、そしてとても美味そうにレモンサワーを飲んでいた。
最初のひと口目から唇をタンブラーから放さず、ハリードが最後までレモンサワーを飲み干す。本当にものの数秒のこと、これ以上ない惚れ惚れするほどの男らしい一気だ。
「ぷはぁッ! これは美味い!!」
空になったタンブラーをカツン、とテーブルに置き、ハリードはこれは堪らんとばかりに声を上げた。
あの厳しい教官として恐れていたハリードが、まさか酒1杯でこんな笑顔を見せるとは。
思わずゴクリと息を呑むロラン。気持ちは酒を遠ざけるのだが、本能が酒を求めているようなチグハグな感じである。まあ、隣であんなに美味そうに酒を飲まれてはそうなるのも仕方のないことだ。
酒を飲むべきではないと心では思うのだが、身体は酒を求めている。
隣で葛藤しているロランに気付いたハリードが、不思議そうにこちらのことを覗き込んできた。
「どうした? お前も飲め。せっかくの冷たい酒だ、温くなってしまう前にグイッといけ、グイッと! こんなに美味い酒は他にないぞ!!」
「は、はい……」
気持ちとしては、とても飲み難い。大きな失敗をして死ぬほど落ち込み、反省の最中にある自分。そんな男が昼の日中に堂々と酒を飲むなどどうかしている。
だが、気持ちとは裏腹に、ロランの口内には涎が湧いていた。そう、この美味そうな異世界の酒を、レモンサワーを身体が求めているのだ。
またもハリードに促されて、再びタンブラーを持つロラン。その手が震えているのは、はたして緊張からか、それとも歓喜からなのか。自分でもよく分からない。
だが、ここまで来て飲まないということもあり得ないだろう。それではハリードの顔を潰してしまう。
罪悪感が半端ない。だが、それでも、ロランはプルプルと手を震わせたまま、タンブラーを口元に近付ける。そのタンブラーの中の酒が激しく波打っている様が、ロランの心境を表しているようであった。
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