ヴェンガーロッド特務騎士隊隊員ロラン・マテックとほろ苦いレモンサワー③
今回の任務は隠密作戦。ロッタ男爵邸に踏み込むのはヴェンガーロッドの隊員のみ。50人の兵士たちは万が一の事態に備えて、予想される逃走ルートをマークする役割だ。
ヴェンガーロッドの隊員たちは、各自警備兵を無力化し、ロッタ男爵邸に潜入、ロッタ一家を捕縛ないしは抹殺する役割。それに加えてロランには『音魔法』のギフトによって男爵邸内部を探る役割もある。音波の反響を利用して、隠し通路などがないか探るのだ。
「………………コオオオオオォ」
腹式呼吸を意識して息を吐き、吐き切ると同時に腹筋を使って腹を締める。乱れた呼吸を整える、イブキ、という呼吸法だ。その昔、武術家のストレンジャーがこの世界に伝えた呼吸法らしい。
緊張で息が乱れた時、ロランはいつもこれをやる。所謂、ルーティーンというやつだ。これをやると同時に、自分は隠密なのだと自分に言い聞かせ、スイッチを切り替える。
まずは己の得物を検めるロラン。
投げナイフに、コンパウンドボウというヴェンガーロッド隊員のみに配備される小型弓。このコンパウンドボウというのは、滑車を組み込んで矢の威力を向上させたもので、発案者はあの闇の男なのだという。あとは短剣と吹き矢。いずれの武器にも周到に即効性の毒が塗られている。
無論、塗られているのは対象の命を奪うタイプの毒ではない。これは痺れ蜘蛛という洞窟型のダンジョンに生息する魔物、その毒腺から抽出したもので、相手の身体を一時的に麻痺させて行動不能にするものだ。
「……よし」
得物に抜かりはない。
次は現状の確認。
訓練によって夜目は抜群に利くようになったものの、過信はしない。
「音魔法、ドルフィンエコー」
瞬間、常人には聞き取れない高音域の音波が空間全体に広がり、それが障害物にぶつかり反響、屋敷周辺の警備状況が明るみになる。
外にいる警備兵の人数は10人。いずれも金属製の鎧で武装し、片手にはカンテラを持って巡回しているようだ。
『前情報通り、外の警備兵の人数はきっちり10人です。自分が右側の門番をやります。自分の声が途絶えたら3、2、1でタイミング合わせお願いします』
音魔法で他のヴェンガーロッド隊員にそう伝える。
そしてコンパウンドボウを構えて矢を番え、門番の腕、鎧の装甲に護られていない関節の部分に狙いを定め、心の中で3、2、1とカウント、手を放して矢を放つ。
ロランが放った矢は見事対象の腕を貫通、相手は「ぐッ!?」と短く呻いた後、毒が回ってすぐさまその場に倒れ込んだ。
そして、ロランが相手を倒したのとほぼ同じタイミングで、他の警備兵たちも一斉に倒れた。仲間たちが各々きっちり仕事をこなしたのである。
どうにか上手くいった。
任務中なので努めて行動にも表情にも出さず、しかしロランは心の中でほっ、と安堵の息を吐く。初任務なのだ、いくら隠密と言えど、これくらいは許してほしい。
誰かが屋敷の中から外の様子を見ていたのだろう、
「ひいいいぃッ!?」
という甲高い女性の悲鳴が響いた後、いきなり複数の人間がドタバタと動き回るような音が、音魔法の収音によってロランの耳に届く。
『感づかれたようです!』
ロランがそう各員に伝えると、闇の中に潜んでいたハリードが姿を現し、
「突入!」
と各員に合図を下した。
事前の取り決めにより、外の警備を無力化した後、屋敷の内部に気付かれていなければ潜入、気付かれれば各員場所を決めて突入することになっている。
ロランの担当は1階西側、2番目の窓だ。
ハリードの合図を皮切りに、ロランを含め、それまで闇の中に潜んでいたヴェンガーロッドの隊員たちが豹を思わせる俊足で屋敷の方に駆けて行く。
ロランは眼前で両腕を交差させ、バギリと窓を突き破ってロッタ男爵邸内に突入した。
床で受け身を取り、素早く立ち上がる。
が、持ち前の運の悪さが発揮されたものか、ロランの眼前には、カンテラを手に驚愕の表情を浮かべる警備兵の姿があった。
「て……敵襲ぅーッ! 敵だぁーッ! 侵入者だぁーッ!!」
「ちッ……!」
叫びながらこちらにカンテラを投げ付けてきた警備兵に舌打ちをしながら、ロランはそのカンテラを左腕で軽々弾き、同時に右手で吹き矢の筒を取り出す。そして警備兵が腰の剣を抜くよりも速く吹き矢を発射し、その毒矢が鎧の隙間、首筋に命中。相手はすぐさまその場で昏倒した。
突入した時点で遅かれ早かれこうなることは分かっていたが、まさかこんなにもすぐ、しかも初任務のロランにお鉢が回ってくるとは。何とも運が悪い。どうにか対処は出来たものの、これで相手が手練れだったらどうなっていたことか。そう考えるだけで緊張が込み上げ、心臓がドクドクと激しい脈を打つ。
屋敷が炎上せぬよう、割れたカンテラの油で燃える床の火を踏み消してから、ロランは再び『音魔法』の反響を使い、屋敷内部の状態を確認する。
「!?」
するとどうしたことか、ロッタ男爵一家の部屋がある筈の2階に彼らがいないようなのだ。
かといって、1階にもロッタ男爵一家はいない様子。
音の反響による人体の形状、その個人差はロランにしか分からないことだが、確実に2階にはいない。いるのは突入したヴェンガーロッドの隊員たちと、床に倒れた者たちのみ。それは恐らく警備兵だろう。
何故、倒れているのが警備兵のみで、ロッタ男爵一家がいないと分かるのか。それは、2階に子供がいないから。そう、ロッタ男爵の息子たちだ。逃げるにしろ捕えるにしろ、ロッタ男爵一家は一緒にいる筈。しかし、2階から返ってきた反響には、子供のそれが感じられなかった。
「ロッタ男爵一家が誰もいないぞ!?」
2階から、焦りを含んだ仲間の声が響く。
「こっちもだ! 警備兵しかいない!!」
今度はロランがいる1階からも、別の仲間が。
おかしい。なにか見落としがある。
ロランは再度『音魔法』の反響を使い、屋敷の中をくまなく探った。
「………………」
返ってきた反響に全神経を集中するロラン。
すると、1階の床、その複数箇所におかしな部分があることに気付いた。
「…………地下室か?」
反響は返ってくるのだが、まだ下にも若干の音が抜けて行くような奇妙な感覚。そして何故だか、地下から僅かに振動を感じるのだ。これは一体何だろうか。
と、そこまで考えてロランは思い出す。確か、潜入していた仲間が突き止められなかった逃走用の地下道があった筈だ、と。
『地下道です! それらしいのが3箇所! 厨房、食堂、家来用寝室!』
複数の逃走経路を用意するとは流石の逃げ上手だが、恐らくはこの3つの内の2つは、万が一の時、追手を欺く為の擬装用のものだろう。逃走経路が多ければ多いほど追手は分散され、逃走の確率が上がる。しかもだ、ロッタ男爵は恐らくは外にも屋敷には繋がらない、追手を分散させる為のダミーの地下道を掘っていると思われた。もしかすると、ロランの『音魔法』でさえも把握出来ない、隠された他の地下道もあるのかもしれない。
潜入していたヴェンガーロッドの騎士に悟られることなく、一体どうやって地下道など掘ったというのか。
どちらにしろ全ての可能性を潰していかなければならないのだが、どうにも悪い予感がする。
『俺は寝室の方に向かいます!』
厨房と食堂には仲間たちが向かうだろう。
ロランは廊下を曲がり、家来用に用意された寝室前まで来ると、そのドアを躊躇なく蹴破った。
本日11月4日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。
まだチャック編の途中ではございますが、今回は特別編、20年後のチャップ編となります。
本編より20年後、名代辻そばから独立し、世界各地で屋台を引きながら麺料理を振る舞う放浪の料理人となったチャップ。
それまでの政権が打倒され、開かれた国となったウェンハイムを訪れたチャップは、まだ戦争の爪痕が色濃く残る首都で屋台を開くことに。暗く俯く人々の明るく笑う顔が見たくて、チャップが振る舞った料理とは…?
今回も林ふみの先生熱筆の一話となっております。読者の皆様におかれましては、是非ともお読みくださいますよう、何卒よろしくお願い致します。
それと、コミカライズの次回更新は諸事情ございまして、しばらく時間を置いて年明け1月4日となります。
長らくお待たせすることになってしまい、大変申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い致します。




