ヴェンガーロッド特務騎士隊隊員ロラン・マテックとほろ苦いレモンサワー②
ロランがヴェンガーロッド特務騎士隊に異動となってから、約半年が過ぎた。
春の終わり頃に叙任され、今はもう初冬。
だが、この半年、ロランは一度も任務には就かず、ずっと訓練漬けの日々を送っていた。
例えばの話、これが王国騎士団から近衛への異動であれば、半年以上も訓練だけの日々を送ることはなかっただろう。もっとはやく任務に就けた筈だ。
が、ヴェンガーロッドの任務は通常の騎士のそれとは大きく異なる。世の中の影に潜み、闇に紛れて悪事を働く者たちを探り出して裁きを与える隠密の仕事。光が当たる存在ではない。
故に、隠密は通常の騎士とは違う技を修める必要がある。捜索、追跡、潜入、偽装、変装、鍵開け、暗殺術と、例を挙げれば枚挙に暇がない。
故に、ロランはこの半年、隠密としての訓練をみっちりと積んでいたのだ。
正直、最初のうちはロランの知る騎士のそれとは全く違う隠密の技の在り方に馴染むのに随分と苦労したのだが、どうも隠密の才能があるというのは本当だったらしく、同期入隊の隊員より3ヶ月も早く訓練を終えることが出来た。ロランたちを担当してくれた指導教官によると、ロランの影の薄さが闇に潜むのには適していたらしい。
影が薄いというのは子供の頃から言われていることだ。実の両親ですらも、お前は兄弟の中でも何だか影が薄いな、と、そう評していたほどである。が、正直、それが誉め言葉となる日が来るなどと、ロランはこれまで思ってもみなかった。世の中自分の評価がどう転ぶか分からないものである。
基礎訓練はどうにか終えたものの、隠密としてはまだまだ半人前。それでも現場には出なければならないのだが、指導教官曰く、残りの半分は実際の任務の中で経験を積むことでしか埋まらないのだという。数多の任務に従事し、成果を上げることでようやく一人前の隠密になるのだと。
今日はロランがヴェンガーロッドに入隊して初の現場任務となる。つまりは隠密としてのデビュー戦だ。が、最初からいきなり大がかりなヤマを踏むことになってしまった。
今回の任務は、カールス・ロッタ男爵の捕縛である。
今年初頭のこと、ヴェンガーロッドは元アードヘット帝国貴族、そして現在は帝国を出奔して王国貴族となっていたトミー・マフデン子爵の内偵をしていた。
このマフデン子爵、帝国で不正を働き、その罪が露見する前に身内の伝手を頼って王国へと逃げて来た男なのだが、彼は王国に居を移した後も懲りずに不正に手を染めていたのだ。具体的には、ウェンハイム皇国に国の情報を売っていた。王国に対する明確な裏切り、売国奴である。過去には同じ咎で公爵家がひとつ潰されたほどの重罪だ。
マフデン子爵は悪党だがマメな人間で、ご丁寧に裏帳簿を残していたのだが、そこに記されていた情報により、マフデン子爵には仲間がいたことが判明した。
それが、他ならぬカールス・ロッタ男爵である。
マフデン子爵のギフト『爆炎魔法』によって帳簿の大半は燃えてしまったのだが、運良く燃え残った部分の情報を解読、そして内偵中に帳簿を記憶した騎士の情報とを照らし合わせた結果、ロッタ男爵は黒と判定された次第。
このロッタ男爵という男、どうもアードヘット帝国時代からマフデン子爵とは繋がりがあり、彼の腰巾着のような存在だったらしい。マフデン子爵の後ろを着いて一緒に甘い汁を啜り、罪がバレそうになると家も家族も捨てて共に帝国を出奔。マフデン子爵の力を借り、子息のいない貴族家に婿入りして男爵になったという経緯だ。
ロッタ男爵の領地はマフデン子爵領よりも更に北、つまりはよりウェンハイム皇国に近い位置にある。マフデン子爵が得た情報は、このロッタ男爵を経由して皇国に流れていたことが裏帳簿から分かったのだ。
念の為、ヴェンガーロッドはロッタ男爵家に密偵を送り込んで内偵をしたのだが、彼はやはり黒。黒も黒、真っ黒だった。情報の流出どころか、人身売買にまで手を染めていたのだ。自領での事業として高利貸しのようなことをしており、金を返せなくなった者を奴隷としてウェンハイム皇国に売り飛ばしていたのである。
蛇の道は蛇。今の今までその罪が露見しなかったのは、アードヘット帝国で歩んだ悪の道、その豊富な経験の成せることだろう。貴族として見るべきところは少ないが、悪人としてこの男はそれなりに有能だったのだ。
マフデン子爵と同じで、この男も恐らくは逃げ足が速い。身の危険を察知すればすぐさま国外へ逃げ出そうとするだろう。というか、マフデン子爵が捕縛された直後から、ロッタ男爵は密かに国外逃亡の準備を始めていたようだ。彼もマフデン子爵とは帝国時代からの付き合いである、きっと、マフデン子爵の性格からして裏帳簿を残しており、そこから自分との関係が露見するかもしれないと考えていたのだろう。
今回、ヴェンガーロッド特務騎士隊に与えられた任務は、ロッタ男爵の捕縛ないしは抹殺である。生け捕りがベストではあるものの、逃げられるくらいなら殺害もやむなし、ということだ。まあ、捕縛されたところで末路は間違いなく死罪、彼にとっては死期が少し早まるくらいなので、現場で抹殺することになっても遠慮はいらない。
ロッタ男爵領に領都と呼べるほどの街はない。精々が町規模。その1番大きな町に屋敷を構えているのだが、マフデン子爵が捕まった報が出た直後からロッタ男爵は露骨に自宅の警備を強化し始めた。騎士とまでは呼べぬものの、ある程度は訓練を積ませた武装私兵を増やし、夜だけでなく昼でも屋敷の周りを警戒。そして屋敷の中までも巡回させ、自室の前には門番よろしく重装兵を2人も配置している念の入れ様だ。
今日は宵闇に紛れ、10人のヴェンガーロッド隊員、そして50人からなる王国兵の一団が動員され、ロッタ男爵邸を包囲している。
この一団の陣頭指揮を執るのは、ヴェンガーロッド特務騎士隊の上級騎士ハリード・ウィロー。ヴェンガーロッドの隊員としてはベテランの騎士であり、ロランの指導教官でもあった男だ。
今回の任務、ロランがハリードの指揮下に入るのは偶然ではない。丁度ハリードが指揮を執る大きな任務があるということで、つい先日まで師弟の関係だったのだから連携も取り易かろうと、上がそう取り計らってロランを配置したのである。要は初任務のロランに気を回してくれたのだ。
ハリードの指導は決して易しくない、むしろ至極厳しかったものの、王国騎士団の意地が悪い上官のような理不尽なものではなく、あくまで理論に基づいたものであった。与えられた試練を乗り越えれば、そこに確かな成長がある。そういったものだ。無論、訓練中は厳しいしごきに愚痴のひとつも出たものだが、あれも今となってはしっかりとロランの身になっている。
今現在、まだ作戦は開始されていない。待機状態だ。
今回の指揮官であるハリードを囲む9人のヴェンガーロッド隊員と、兵士の代表3名。
「作戦の確認をするぞ。今回の捕縛対象はカールス・ロッタ男爵、及びその妻シドニー・ロッタ夫人、長男ロールス・ロッタ、次男モールス・ロッタの4名。ただ、最優先する対象はカールス・ロッタ男爵だ。他は二の次でいい」
言いながら、ハリードは皆に見えるよう、手に持っていた紙を広げる。今回のターゲット、ロッタ男爵一家の人相書きだ。
ガリガリにこけた頬に、頭頂部のみ毛がなくなった禿頭が特徴的なカールス・ロッタ男爵。夫人も夫人で目がつり上がった如何にもキツそうな顔立ちで、息子たちは父親に似ず、でっぷりと肥えている。
一体、どういう一家なのか、本当に家族で同じものを食って生活しているのだろうか、とロランは内心で訝しむ。ロランの実家、マテック家はかなり貧乏だったので食卓も貴族と思えぬほど貧しく、家族皆、基本的には無駄な肉を蓄えるような余裕もなく痩せていたので、ロッタ男爵一家のちぐはぐな体型が不可思議に見えるのだ。
眉間にしわを寄せて人相書きを睨むロランを他所に、ハリードは言葉を続ける。
「基本的には4人とも生け捕りが望ましい。情報を吐かせたいからな。だが、生け捕りに拘るあまり逃走を許すくらいなら最悪は殺害もやむを得ん」
言ってから、ハリードは「まあ、欲を言えば怪我をさせるくらいに留めてほしいものだがな」と付け加えた。
ここで、遠慮がちに兵士のひとりが手を挙げて口を開く。
「それは男爵以外の対象もですか? 例えば、子供たちも……」
と、質問の途中で言葉尻を濁す兵士。
悪党の息子とはいえ、子供も害するのは気が咎める、ということだろう。まあ、そう思うのも分からなくはないが、ヴェンガーロッドの隊員はそういう情を排するのが鉄則。当然、必要とあらば子供にも遠慮はしない。
兵士に対し、ハリードは「勿論だ」と頷く。
「夫人も男爵の手伝いをしていたようだから、こちらも取り逃がしてはならん。子供たちについては、どちらも典型的なボンクラだからあまり重要とは言えんが、それでも少しくらいは情報を持っているかもしれない。妙な同情で逃がしていい存在ではない。殺したくないなら必ず捕らえろ」
ハリードの言葉に、兵士は緊張した面持ちで「分かりました……!」と返事をする。
もう一度頷いてから、ハリードは新たな紙を懐から出した。潜入任務に従事していた隊員が入手した、ロッタ男爵邸の見取り図だ。
「次は予想される逃走経路の確認だ。1階の出入口はふたつ。ひとつは屋敷正面の玄関。もうひとつは厨房にある裏口。しかしながらどちらも逃走経路として使われる可能性は低い。どうも秘密の地下通路があるようでな、そちらについてはいくつかあたりをつけて兵士たちを配置しているのだが……」
その後も作戦の確認が続く。
そして、あらかた確認が終わると、ハリードはこの場に集まった面々の顔を一瞥してから、よし、と頷いて口を開いた。
「では作戦開始だ。各々、頼んだぞ」
その掛け声で、皆が作戦行動の為に持ち場へ向かう。
が、ロランは何故か、その場に立ち尽くしていた。
遂に、ヴェンガーロッドの騎士となったロランの初仕事が始まる。
そう思うと、途端に肺に溜まる空気に質量が生じ、心臓が激しく鼓動し始めた。掌にはじっとりと汗をかき、瞬きの回数が多くなり、呼吸の間隔が短くなっている。
「………………」
緊張だ。それも、良くない方の緊張。
プレッシャーに弱い、厳しい訓練の中にあって、ロランが最後まで克服出来なかった己の弱点。このプレッシャーの弱さは克服するものではなく、上手く付き合っていかねばならぬのだと、そう気持ちを切り替えざるを得なかった。
適度に緊張するのは悪いことではない。
己を律しろ。
ロランは心の中で自分に言い聞かせる。
「マテック」
と、その場で微動だにしないロランを不審に思ったものか、ハリードがそう声をかけてきた。
が、己の心と向き合っているロランは、その声にも気付かない。
「おい、マテック」
言いながらハリードがロランの肩に手を置いたところで、ようやく気付いた。
「あ! ひ、ひゃひ……ッ!?」
ロランがびっくりして肩を竦ませると、ハリードは露骨に渋面する。
「全くお前は、相変わらずの緊張しいだな。適度に緊張する分には構わんが、あまり固くなり過ぎるな。動きに影響が出る」
そう言って呆れ半分に苦笑するハリード。
思えば、訓練期間中もロランが緊張のあまり下手を打つと、彼はいつもこの顔をしていた。
だが、流石に本番でまで失敗する訳にはいかない。もしそんな下手を打てば、ロランはハリードを含めた上から失望されるだろうし、ヴェンガーロッドから除名される可能性すらある。
「は……はい!」
緊張に負けている場合ではない。
ロランは背筋を伸ばし、まるで新米兵士だった頃のようにビシリと敬礼を返す。
隠密作戦なのに、場にそぐわぬ大きな返事をするロラン。
そんなロランの姿に再度苦笑し、ハリードは「よろしい」と頷いて見せた。
「では、持ち場へ向かえ。頼りにしているからな」
「はい!!」
力強く返事をし、彼に背を向けて自分の持ち場へ駆けていく。
「………………あのあがり症さえなければ優秀なんだがな、あいつは」
まるで新兵のような駆け足で去っていくロランの背に、ハリードは呟くようにそう声をかけた。
本日10月19日はコミカライズ版名代辻そば異世界店の更新日となっております。
今回はチャック編の続きとなっております。
チャックの家が営む食堂、大樹亭を訪れた旧王都のダンジョン探索者ギルド職員たちにより、衝撃の事実を知らされるチャック一家。何と、チャップはつい先日まで彼らの仲間として働いていたのだが、大怪我を負って引退、今は旧王都の名代辻そばという食堂で働いているのだという。
居ても立ってもいられなくなったチャックは、一人、兄に会う為、旧王都へ向かうことに……。
読者の皆様におかれましては、今回も是非ともお楽しみください。




