公爵令息ゴドフリー・ウェダ・ダガッドと天啓の照り焼きチキンそばピザ④
ナダイツジソバという店は、とにかく客を待たせることがない。酒にしろ料理にしろ、ものの数分もあれば手早く調理して持って来てくれる。
が、ゴドフリーが頼んだ照り焼きチキンソバピザは、注文からもう10分も経っているというのに、まだ届いていない。むしろ一緒に頼んだビールの方が先に来てしまったくらいだ。
今現在、ゴドフリーは最初に来たビールを早々に飲み干し、おかわりのビールまで頼んで料理の方を待っている。
1日2皿限定の、まさに幻とも言えるメニュー、照り焼きチキンソバピザ。
それを子供のように今か今かと待ちわびるゴドフリー。正直、今だけは照り焼きチキンソバピザが楽しみ過ぎて本来の目的である自動ドアの観察に身が入らない。
「………………」
手持ち無沙汰で、卓上のコップを手に取りグビリと水を呷る。
冷たい。そして美味い。
だが、美味いは美味いのだが、今日はその水の美味さでさえ上滑りしていくような気がする。ただただ、照り焼きチキンソバピザが待ち遠しいが故に。
水を飲み干し、コップの中に残った氷がカラリと音を立てるのとほぼ同時に、ゴドフリーの頭上から誰かの影が差す。
「お待たせいたしました!」
そう言って現れたのは、銀色に輝く盆に料理の皿とビールを載せた給仕、ルテリアだった。
ようやく来たか、とゴドフリーは心の中でガッツポーズを取る。遂に、待ちに待った例のアレが来たのだ。
「こちら、おかわりのビールと……照り焼きチキンそばピザになります!」
満面に笑みを浮かべながら、ルテリアはグラスに並々注がれたビールと、照り焼きチキンソバピザの皿をゴドフリーの眼前に置いた。
「おう、これが……ッ」
感嘆の声を洩らしながら、思わず眼前の皿を覗き込むゴドフリー。
大きさにして、直径25センチくらいだろうか。綺麗な円形の平焼きパンだ。均等に8分割されている。膨らみ方はそこまででもない。が、耳とでも言おうか、円の端に当たる部分が土手のようにぷっくりと膨らんでいる。恐らくはこの膨らんでいる部分を持って食べろということだろう。
土手の内側はたっぷりの溶けた、そして焦げ目が実に美味そうなチーズで満たされているのだが、随分ととろけるタイプのものを使っているらしい。ドワーフは例外なく酒飲みなので、口にするチーズも、ツマミ用に火を通してもあまりとろけないハードタイプのものを主に食べるので、こういうとろけているチーズは珍しかった。匂いのキツさはないから、恐らくはクセの少ない牛の乳から作られたものだろう。
よく見れば、同じ白だがチーズとは若干色味の違うソースのようなものも確認出来るのだが、これは何だろうか。上のチーズとはまた別種のチーズなのか、それともチーズですらない、ゴドフリーの知らぬ未知の何かか。食べてみるまでは分からない、後のお楽しみといったところか。
チーズの下には、隠し様もない大振りな鶏肉がこれでもかとたっぷり載っている。照りの強い茶色いソースが存分に絡まっている様子だ。恐らくはこれが照り焼きというものなのだろう。ソースは肉だけではなく、パンの生地全体に塗られているようだ。よく見れば、具材にはチキンだけではなく、普段はソバに添えられている薬味、ネギも使われていた。
チーズの上にはたっぷりのノリ、そしてシチミと呼ばれている香辛料が散りばめられている。どちらもネギと同じく、普段はソバに使われている薬味なのだが、こうやって載せられているということは、きっとパンにも合うのだろう。
何とも複雑な、しかして抜群に食欲をそそる香ばしい匂いが、湯気と共に立ち昇っている。
これは、間違いなく美味い。
ゴドフリーはその香気を吸い込むだけで、早くも口内に唾液が湧き出すのを感じていた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
ペコリと頭を下げ、次の接客に向かうルテリア。
ゴドフリーはハッと我に返り顔を上げると、慌てて彼女の背に「あんがとよ!」と声をかける。
「ん!?」
それで気付いたのだが、隣の席の客を筆頭に、店内にいたかなり多くの客がゴドフリーのテーブルを、正確にはその上にある照り焼きチキンソバピザに注目していた。
1日に2皿しか出ない、しかも今日から始まったばかりの限定メニューである。常連たちが注目するのも分からないではないが、しかし何という熱視線だろうか。
ゴドフリーの隣の席には、仮面舞踏会に着けていくようなマスカレイドマスクで顔を隠した風変りな青年が座っているのだが、その青年がゴドフリーの顔も見ず、照り焼きチキンソバピザの皿を注視したまま口を開いた。
「お、美味しそうですね……」
言いながら、辛抱堪らんといった感じでゴクリと喉を鳴らす青年。彼はゴドフリーよりもいくらか後に入店してきたので、順番的にこの照り焼きチキンソバピザを頼むことが出来なかったのだ。
「お、おう、そうだな……」
心底物欲しそうに照り焼きチキンソバピザを凝視する彼には申し訳ないのだが、ゴドフリーとしてはそう頷いてやることしか出来ない。何せ、家族でもない者にこれを分けてやれるほどゴドフリーは器の大きな人間ではないのだから。
心の中で「わりいな」と謝りつつも、ゴドフリーはソバピザのひと切れを手に取った。
すると、その瞬間である。
とろとろに溶けた熱いチーズが、幾重にも糸を引いてミョーンと伸びたのだ。
「おお……ッ!?」
思わず驚きの声を洩らすゴドフリー。
何とよく伸びるチーズだろうか。とろけるタイプのチーズも食べたことはあるが、ここまで伸びるものは珍しい。
ゴドフリーは伸びたチーズの糸を指で切ると、今にもたっぷりのチーズと具がこぼれ落ちてしまいそうなソバピザの先端に齧り付いた。
そして、パリッとした生地を噛み切り、そのまま咀嚼する。
「うんんんむッ!!」
美味い。何と美味いのか。あまりにも美味くて唸り声が洩れてしまう。
外側はパリッとした生地だが、中身は何とももちもちとしている噛み応え。上質な小麦の甘さ、香ばしさの中にふわりと香るのはソバ特有の優しい風味である。
照り焼きチキンなる肉、これは鶏肉だ。それも家畜としての鶏肉ではなく、多くの者が食べ慣れた魔物肉、まず間違いなく分裂鳥だ。この確かな滋味を間違える筈がない。ソバのスープに酷似した濃厚な甘辛ソースがよく絡んだ鶏肉の噛み応えはしっかりとしており、噛み締める度にじゅわりと肉汁を吐き出してくれる。
チーズの臭味は全くない。むしろ乳酪独特のミルキーで濃厚な味が、肉同様噛み締める度に溢れ出る。しかも、焦げの部分が何とも香ばしくて、とても良いアクセントになっているのだ。
しかもだ、チーズに紛れる形で、別の白いソースもその存在を主張している。こっくりとコク深く、それでいて味わいも深い、酸味のあるソースだ。これがまた照り焼きの茶色いソースと抜群の調和を見せてくれる。このふたつが口内で混ざり合うと、塩味、酸味、コク、香ばしさ、それらが一体となり、得も言われぬ美味さへと昇華されるのだ。
また、ネギのシャキシャキとした食感と辛味もいいし、たっぷり散らされたノリの風味もいい。シチミのピリッとした辛さが妙に白いソースと調和しているところもいい。
何とも複雑玄妙、幾重にも味が折り重なった、怒涛の勢いで美味さが押し寄せてくる、格闘家が放つ連撃のような料理だ。
ただ、平焼きパンに具とソースを載せただけではない。こんなに様々な味が調和した料理は生まれて初めて食べた。
「うめえ!!」
感動の声を上げながら、照り焼きチキンソバピザの感動が薄れぬうちに、すかさずビールを流し込む。
口内に色濃く残るソバピザの余韻、そして濃厚な油を綺麗さっぱり洗い流しながら、苦く爽やかなビールが喉の奥へと落ちてゆく。
「くあぁ~~~~~ッ、堪んねえ!!」
盛大に炭酸ゲップを吐きながら、空になったジョッキをゴン、と勢い良くテーブルに置き、そう唸るゴドフリー。
食いっぷり、飲みっぷり。いずれも豪快。これぞドワーフという様を地で行くゴドフリーのその姿。
ゴドフリーが最後に「ぐえっぷ!!」とトドメのゲップを吐いたところで、店内のいたるところから、
「「「「「おおおおぉ~ッ」」」」」
という、それまでゴドフリーを、いやさ照り焼きチキンソバピザに注目していた他の客たちから感嘆の声が上がった。
隣に座っていた仮面の青年などは、驚きつつも小さく拍手までしていたほどだ。それだけ、ゴドフリーの食いっぷり、飲みっぷりが見事だったのだろう。
そんな客たちの喧噪など気にもせず、ゴドフリーは店内に響き渡るような大声を張り上げた。
「わりぃが酒のおかわりくんな! ハイボールで頼まぁ!! 濃い目でな!!」
「はい、少々お待ちを! 店長、ハイボール1です!!」
ルテリアは接客の最中だったので、配膳の最中だった別の給仕、シャオリンなる魔族の少女がそう返す。
「あいよ!!」
厨房から店主、フミヤ・ナツカワというストレンジャーの声が返ってきた。ゴドフリーの注文が通ったのだ。
それを確認すると、ゴドフリーはすぐさま、また照り焼きチキンソバピザに向き直る。
この料理は、間違いなく熱々のうちに食ってしまった方が美味い。冷めればチーズも固まってしまうし、この立ち昇るような香気も失せてしまうだろう。この照り焼きチキンソバピザというものは、熱によってチーズが伸びているうちが華なのだ。
まだ食べている途中のソバピザに視線を移し、ゴドフリーは一心不乱にそれを貪る。
やはり美味い。ソースもチーズすらもかかっていない端の部分までもが美味い。というか、端の部分がバリッとモチモチの食感が特に強く、これがまたチーズや具で満たされた部分とは違う、シンプルな美味さが秘められているのだ。
まさか、こんな持ち手とばかりに用意された端の部分にまでも工夫があり美味いとは。
地球なる異世界の料理とは、何と考えられたものなのだろう。母は魔導と酒について深く感銘を受け、地球に追っ付け追い越せとばかりに気を吐いているのだが、ゴドフリーとしては料理についても地球の技術を取り入れるべきであろうと、そう思うのだ。
食もまた文化である。進歩、進化の余地があるのなら、貪欲に取り入れるべきだ。
「しかし、こいつは美味い」
2切れ目のソバピザを食べながら、ゴドフリーはしみじみ呟いた。
この照り焼きチキンソバピザ、恐らく土台の部分、パンについてはソバの麺と同じものであろう。どちらも小麦粉とソバの粉を混ぜ合わせたもの。配合の比率については大いに違うだろうが、使っている食材自体は全く同じ。同じ食材を使いこれだけ違う料理を作れるのだから、地球の料理人は凄いものだ。一体、そこにどれだけの研鑽が秘められているのだろうか。
「同じ小麦粉とソバの粉でも、工夫次第でこんだけ違うものを造れる。こいつぁアレだな、職人で言うところの枯れた技術の水平思考ってなもん……」
と、言葉の途中で、ゴドフリーはハッとして言葉を飲み込んだ。
枯れた技術の水平思考。
これは、約30年前に隣国、アードヘット帝国に現れた伝説のストレンジャーの言葉だ。
当時、まだまだ未成熟だった魔導具開発の分野に大きく貢献したそのストレンジャーは、元の世界でテレビゲームなるものを創ることを生業としていたのだという。そして彼は、ものづくりについて、この世界の人間では持ち得ぬ独特の哲学を持っていた。それこそが枯れた技術の水平思考。
枯れた技術とは、すでに広く知られた、長所も短所も明らかになっている技術のこと。
それに対する水平思考とは、既成概念に固執せず新たな角度から物事を見ること。
つまり、枯れた技術の水平思考とは、既存技術を既存の道具とは異なる使い方をして、全く新しい道具を生み出そう、という意味の言葉なのだ。
本来であればソバの生地として使うものを、粉の配合を変えるだけのことでパンに変えてしまう。それはつまり、料理の分野における枯れた技術の水平思考ではなかろうか。
そしてこの枯れた技術の水平思考という考え方は、他でもない、魔導具開発の分野でこそ活きるものではなかろうか。
ゴドフリーはずっと、自動ドア開発にあたり、最新技術を投入し、最先端を往くものにしなければならないと、そう考えていた。アーレスよりも遥か先を行く地球の技術を追うものなのだから、こちらも最新最先端であらねばならぬ、と。要は、視野狭窄に陥っていたのだ。
だが、良い道具は必ずしも高価な最新技術から生まれるものではない。あえて使い古された既存技術を別分野から転用し、コストを抑えつつ新たな道具を作り出す道もある。開発後の販売、普及のことを考えれば、むしろそちらの方がいい、ということまであるだろう。
既存技術の転用、応用で求める結果を達成する。その視線こそが、ゴドフリーに足りなかったものではなかろうか。
既存技術。そう考えると、思い当たるものがいくつかある。ダガッド山の坑道で使われているトロッコ、線路、磁力魔法、重力魔法、コウモリが発する音波、病人の熱を測る器具等々。
これまでは自動ドア作成に関係ないと思い込んでいたものも、応用、転用という視点で考えれば使えるような気がしてくるから不思議だ。どうして今の今までこれに気が付かなかったのだろうか。
いや、そうではない、気付かせてくれたのだ。他ならぬ、この照り焼きチキンソバピザが。枯れた技術の水平思考という考え方を自らが体現し、ゴドフリーに天啓を与えてくれたのだ。
母の言った通りであった。やはり伝聞だけではなく、実際に現場に来て実物を見てみるものだ。そのおかげで、こんな重大なヒントに気付くことが出来たのだから。
その後、ゴドフリーは残っていた照り焼きチキンソバピザをもの凄い勢いで食べ尽くすと、最後にハイボールを一気に呷ってすぐさまナダイツジソバを出た。そして、その日のうちに宿も引き払うと、馬車などまどろっこしいとばかりに馬に乗り、ウェダ・ダガッド領へと帰ってしまった。
工房に戻ったゴドフリーは、すぐさま試作品の準備にかかる。そして3ヶ月後、ゴドフリーたちアーガス魔導具工房の面々は遂にヘイディも認める自動ドアの試作品1号を完成させたのだ。
ドアそのものの素材は木材だが透過の魔導具によってガラスのような透明度を実現、トロッコにも用いられる線路を応用してレールによる引き戸を実現、磁力魔法によってS極N極を適宜入れ替えて自動の開閉を実現、人間の感知については音波、つまり生物の反響定位を参考に実現した。装置については大きさを小さくすることなく、地面に埋めることで空間の確保に対応した。
これら全て既存技術の応用、転用である。
坑道、ダンジョン、国の研究施設、騎士団など、およそ魔導具開発とは関係ないところで使われていた技術が惜しみなく注ぎ込まれ、実現に至った。
つまりは、枯れた技術の水平思考、である。
ゴドフリーが開発した自動ドアは国内貴族を中心に広がりを見せ、20年後には都市部において当たり前のものとなり、更にその10年後には平民が営む商店などにおいても珍しいものではなくなった。
そして、その間にも自動ドアの改良は続き、最終的には地球のものとほぼ同等のものが製造出来るようになるまでに至ったのである。
彼は晩年、斬新な発明の数々は一体何処から着想を得ているのかと、若い弟子にそう尋ねられ、このように語っている。
「職人なら誰もが知っている。枯れた技術の水平思考ってやつだ。新しいもんを作るヒントってのは、案外関係なさそうなところにこそ転がってるもんさ。試作に行き詰まったらよう、試しに外へ出てよ、美味いメシでも食いに行ってみればいいんじゃねえか? 例えば……旧王都のナダイツジソバとかよ? 意外な天啓が得られるかもしれねえぜ?」
と。
かつて、とあるストレンジャーが技術者界隈にもたらしたこの哲学は、ゴドフリー・ウェダ・ダガッドという偉大なドワーフの職人により再度発掘され、以降埋もれることなく世に定着していった。
没後、彼は枯れた技術の水平思考、その哲学の中興の祖、アーレスにおける自動ドアの父と呼ばれることになるのだが、それはまだまだ先の話である。
本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。
今回はシャオリン加入編の後編です。
店長の提案により、名代辻そばで働けることになったシャオリン。
不慣れな作業に四苦八苦する中、まかないとして振る舞われたのは、シャオリンの大好きなおにぎり、しかもいつもとは少し違う変わり種で……。
読者の皆様におかれましては、是非ともお読みくださいますよう、何卒よろしくお願い致します。




