公爵令息ゴドフリー・ウェダ・ダガッドと天啓の照り焼きチキンそばピザ②
旧王都アルベイルのナダイツジソバへ視察に行く、という名目で思いがけぬ長期休暇をもらったゴドフリー。
まあ、実際にはもらったというよりは、有無を言わせず強引に休まされたようなものだが。
ゴドフリーとしては、別に休んだり旅行に行こうという気はなかったのだが、領主でありウェダ・ダガッド公爵家の当主でもある母の決定には逆らえない。それに、母に意見したところで意に沿わぬ場合は絶対に聞き入れてもらえないこともゴドフリーは分かっている。何せ彼女の息子なのだから。
ともかく、ゴドフリーは唯々諾々と母の言に従い、残していく職人たち、そして自分の妻子に平身低頭謝罪してからダガッド山を発ち、旧王都へと向かった。
旧王都へ到着するのには10日ほどかかっただろうか。
供も連れず、たった1人で馬を駆り。
急げば1週間くらいでも行けたのだろうが、近道をしようと街道を外れたりすると、途端に危険度が増すのだ。狼や熊のような人を襲う野生動物、それに盗賊のような輩に出くわす確率が格段に上昇してしまうのである。それでも護衛がいれば強行軍も可能なのだろうが、生憎、ゴドフリーは1人だ。妻や工房の職人たちは護衛を付けろと言っていたのだが、公務でもない半ば旅行のようなものの為に騎士たちの手を煩わせる訳にはいかないからと、ゴドフリー自ら固辞した次第。
ちゃんと騎士たちによって巡回がされている街道を通り、野宿を避けてちゃんと宿を取ると、どれだけ急いでも10日かかってしまったということだ。
生まれて初めて訪れる旧王都アルベイル。
分厚い市壁を抜けた先に広がる街は、圧巻の一言であった。
街並みは確かに古いが、決してボロい訳ではない。古式ゆかしい、とでも言おうか、そこらへんの民家であっても歴史の深さを感じさせる。まさしく古都の風情だ。
風化に抗うようしっかりと修繕、整備され、活気溢れる街。
大通りを抜けた先にある旧王城などは、歴史の深さに加え、厚み、重みさえ感じる立派なものだった。地元にいる建築関係の職人たちがこれを見れば、声を上げて喜んだことだろう。
しかしながら、最も驚いたのは、やはりナダイツジソバである。
まず、その外観からして、この街に馴染まぬ異様なもの。城壁をくり抜き、そこにすっぽりと収まるように建てられているのも異様だし、通りに面した壁が一面ガラス張りになっているのも異様。そのガラスが歪みも気泡も濁りもない巨大な板ガラスを贅沢に使っているのも異様。恐らくはあのガラス1枚で大粒のダイヤモンドと同じだけの価値があるだろう。地元で最も腕っこきのガラス職人とて、あのようなものは造れまい。まさしく神の精度だ。
そんな板ガラスを、あろうことか店の出入口、戸にまで使っている。大陸北部では、少なくともカテドラル王国では滅多に見ることのない引き戸だ。種類としては片引き戸というやつであろう。一般に普及しているドア、開き戸ではない。
ガラスの引き戸が、前に人が来るとどういう仕掛けかそれを検知して自動で開閉している。
これを見た時、ゴドフリーは思わず心の中でぼやいたものだ。
こりゃあまりにも技術の差があり過ぎる、と。
木製でも金属製でもない、ドアノブすらもないガラスの戸。
ガラスというのは脆いものである。面にかかる圧に対してはある程度の強度を示すが、点にかかる力に対してあまりにも脆弱であり、すぐにひびが入ったり砕けてしまう。
普通、そんなものを日に何度も開閉する戸に使えば、半日と持たず砕け散ってしまう筈なのだ。
が、あのナダイツジソバの戸はどうか。どれだけ開閉を繰り返そうと、砕けるどころかひびが入る様子すらない。一体どうやってガラスにあんな強度を持たせているのか。不思議で仕方がない。
しかもだ、あのガラス戸を開閉させている装置らしきものが見当たらないのだ。
ゴドフリーたちが必死に知恵を絞り工夫して技術を注ぎ込み、それでも自分たちの背丈ほどもある装置にしかならなかったというのに、あれはどういう仕掛けで開閉しているというのか。縄や鎖で引っ張っているのでもなければ、風の力で動かしているのでもない。恐らくは重力系の魔法でもないだろう。
ガラス戸をはめ込んでいる枠の上部から何かの動作音が聞こえるのだが、あの中にどんな装置が詰め込まれているというのか。というか、あんな極狭の場所にどうやって装置を詰め込むというのか。全くの謎である。
それに、人を感知する装置も謎だ。
ガラス戸を開閉させているのだろう装置が詰まった枠の上部に設けられた、さして大きくもない箱。ゴドフリーが普段使っている弁当箱よりも小さい。手帳くらいの大きさだろう。これもやはり、何かの装置を詰め込めるものとは思えない。
なのに、人が来れば過たず感知するのだ。それが証拠に、前に人が来ると装置からほんの一瞬だけ赤い光が放たれる。長時間の照射ではない、点滅だ。別に強い光ではないが、恐らくはそれが人を感知したという合図なのだろう。
光を放ち、それに人が触れると枠の中の装置に連動して戸が開くということだろうか。
これについてはもう、まるっきり再現の見当がつかない。
もう、店に入る前からゴドフリーは喰らってしまった。
この自動で開くガラス戸は、言ってしまえば遥か未来の技術の塊だ。母は、こんな凄まじいものをゴドフリーに再現しろと言っているのか。
現状存在する技術や装置でこれを完璧に再現することは無理だろう。恐らく、などとは言わない。断言出来る。不可能だ。
それが分かっているが故に、母はアイデアを出せ、とんちでどうにかしろと言っているのだろう。
確かに、装置をこれだけ小型化させたのなら、市井に普及させることも無理ではないかもしれないが、これをどうやって再現すればいいというのか。ゴドフリーたちがこさえた、鎖で引っ張ったりバネで押し戻す装置とは根本的に違う。違い過ぎる。地球とやらいう異世界の技術、その根幹どころか基礎部分すらもさっぱり分からない。
本物の自動ドアを目にしたゴドフリーは、あまりの凄さに気が遠くなるような思いがした。はたして、これを本当に自分の代で再現し実用化出来るのか、と。
しかもだ、凄かったのは入り口、自動ドアだけではなかった。
店内には夜だろうと途切れることなく煌々と魔導具による明かりが灯り、何をどうやっているのか楽隊も歌手もいないのに音楽に合わせて歌が流れている。水洗で汚物を流し噴射する水で尻を清める便器に、炭もなければ種火もなしに火が灯る調理台。取っ手を捻るだけで水が出る流し台。外の気温を加味して室温を保つ空調。
目を凝らして観察すればするだけ新たな発見がある。
そしてその隔絶した技術の差に、ゴドフリーは暗澹たる気分に陥ってしまうのだ。こんなもの、再現出来る訳ねーだろ、と。
だが、それでも観察し、考察せずにはいられないのはドワーフとしての、いや、職人としての性であろう。このとんでもない技術の10分の1、いやさ100分の1でもいいから己の身にして持ち帰らねば、という。
地球の技術に衝撃を受けたゴドフリーは、その直後、更なる衝撃を受けることになる。他ならぬ、ナダイツジソバの料理と酒だ。
本当は魔導具を観察する為に来店したゴドフリーだが、食堂にきて食事をしない訳にもいかない。
だから母が絶賛していたビールなる酒と、カレーライスセットというものを注文してみたのだが、これが目の玉が飛び出るほど美味かった。スープに麺が沈んだ珍妙な料理に、真っ白な粒々に見目よろしくない茶色いドロッとしたソースをかけた奇妙な料理。そんなものがこれまで食べたこともないほど美味いのだから、驚く他はない。
それに何より、酒だ。ビールという酒も、後から頼んだハイボールという酒も、ゴドフリーの生涯において最も美味いと、そう断言出来るほど隔絶した逸品であった。
どれもこれも美味過ぎる。何ひとつ欠点がない。
仮にも公爵の息子たる自分が食べたことも飲んだこともない美酒美食。
ゴドフリーは己の生涯において最も美味いものを口にしたというのに、気が遠くなる思いであった。まさか料理や酒にまでもここまで開きがあるとは。単純な技術ではない、それよりもっと根っこの方、文化のレベルがそもそも違うのだと。地球とは、とてつもなく未来に存在する世界なのだと。
そしてこのナダイツジソバという食堂には、地球という未来の一端が詰まっているのだと。
それは母が夢中になる訳だ。こんなものを見せられて、それに魅せられない職人はいない。
この日から、ゴドフリーは毎日朝一でナダイツジソバを訪れ、閉店まで店におり、美酒、美食を口にしながらひたすらに自動ドアを観察する日々を過ごすことになった。
少しでも、欠片だけでもいいから、この技術を持ち帰る。本当に、断片的な技術だけでも再現出来れば、このアーレスにおいて魔導具開発の分野は一気に何年分も進歩することだろう。
もう、母にやらされている、などとゴドフリーは思わない。
これは自分に与えられた使命なのだ。進んだ地球の文明を取り込み、アーレスの文明レベルを底上げするのだと、そのように考えを改めていた。
本日7月4日、遂にコミックス『名代辻そば異世界店』3巻、発売となりました!
今巻は小公子マルス編から大剣豪デューク編、そして特別編として10年後のチャップのエピソードも収録と、ボリューム満点盛り沢山の内容となっております!
表紙からおまけまで全ページ林ふみの先生熱筆!!
今巻も素晴らしい1冊となっておりますので、読者の皆様におかれましては、是非とも3巻をお手に取ってくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます!!!
そして本日は、コミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日でもあります。
今回からは魔族の王女シャオリン加入編となります。
美味なるおにぎりと店長たちの優しさに触れたシャオリン。しかし、彼女の今後はまだ決まっておらず。
そこで店長が出したとっておきの提案とは……?
今回もお楽しみください。
コミックス3巻発売記念として、明日も小説の方、更新させていただきたいと思います。




