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名代辻そば従業員ルテリア・セレノとまかないのクールッシュ冷やしたぬきそば

 名代辻そばにおいて、昼のまかないというのは調理を担当する店長が決めるものなのだが、その店長にも妙案が思いつかないという時がある。そういう時には従業員の誰かにリクエストを求められるのだが、今日はたまたまそういう日で、そしてたまたまその時そばにいたのがルテリアだった。

 昼のまかないのリクエストを求められたルテリアは、迷うことなくこう答えた、


「冷やしたぬきで!」


 と。


 冷やしたぬきそば。この名代辻そばにおいて、ルテリアが最も好きなメニューである。

 まだ地球で生きていた頃の大学生時代、ルテリアが名代辻そばにおいて好んで食べていたメニュー、冷やしたぬきそば。

 無論、温かいそばも好きなのだが、冷水でキュッと締まったそばの歯応え、それに揚げ玉のサクサクとした食感が大好きで、酷暑厳しい真夏にエアコンの効いた店内で冷たい冷やしたぬきそばを手繰るのが最高なのだ。

 当時はまだ未成年だったから我慢していたが、これにキンキンに冷えたビールなど合わせればもっと最高の幸せを味わえたことだろう。叔父や叔母が美味しそうにビールを飲む姿を見て、随分と羨ましく思ったものである。

 今はもう成人したからビールも飲めるのだが、流石に仕事中に酒を飲むつもりはない。


 まあ、そういう訳で、毎日暑い真夏の時期である今、何が食べたいかと訊かれれば、ルテリアとしては当然、冷やしたぬきそば一択となる。


 午前11時から午後2時くらいまで、名代辻そばは混雑のピークを迎える。比喩表現ではなく、本当に目が回るような忙しさだ。戦場で例えるのなら、まさに最前線。休む暇などなく全戦力投入、従業員たちがフル稼働して店を回す。

 故に、正午の時間丁度に昼のまかないにありつけるなどということはなく、自然、ピーク時間帯を抜けた昼下がりからが従業員たちの食事時間になるという訳だ。


 今日、ルテリアが昼のまかないにありつけたのは午後3時過ぎ。シャオリン、アレクサンドル、アンナときて、ようやくルテリアの番が回ってきたのだ。

 もう、この頃になると精も根も尽きる寸前でクタクタ、お腹もペコペコで、仕事をしつつも思考の半分くらいはまかないに向けられている。ともかく一刻も早くご飯が食べたいのだ、と。

 ルテリアでさえそんな状態なのだから、更に順番が遅いチャップや店長などは歯を食いしばって空腹に耐えていることだろう。


「ルテリアさん、次、まかない入って!」


 ピーク時間帯の名残とでも言おうか、流しに山の如く積み上がった食器を黙々と洗いながらまかないのことを考えていたルテリアの耳に、店長からの吉報が届く。


「はい!!」


 ルテリアは急いで手の泡を流すと、まかないを食べ終えたばかりのアンナと入れ替わる形で厨房奥の席に着いた。


「アンナさん、洗いものの続きお願い! 半分くらいはやっつけといたから」


「あいよ、任せて!」


 すれ違いざま、そう声をかけ合う2人。ここらへんは従業員同士助け合いである。


 事前に準備してくれていたのだろう、席に着くなり、すぐさま店長がルテリアの眼前に冷やしたぬきそばを置いた。


「はい、どうぞ! 冷やしたぬき」


「ありがとうございます! いただきます!!」


 笑顔で礼を言い、早速割り箸を手に取ってパキリと割る。

 箸で軽く全体を混ぜてから、まずは麺をひと口。

 ずぞぞ、と勢いよく啜り込んだ麺を咀嚼すると、プリプリとした小気味良い麺の歯応えとサクサクとした揚げ玉の食感が口内で弾けた。

 相変わらず美味い。

 そして何度食べてもやはり美味い。

 そばの甘味と風味、そしてそばつゆの塩味と風味が調和し、そこに食感が加わり極上の美味となる。

 これだ、これこそが冷やしたぬきそばの醍醐味。

 日本にいる頃、興味が湧いて他の立ち食いそば屋にも足を運び、同じように冷やしたぬきそばを食べたことが何度かあるのだが、ルテリアにとっては、名代辻そばの冷やしたぬきそばが一番だった。無論、他のそば屋が不味かったという訳ではないのだが、やはり始まりである名代辻そばを超えることはなかった、ということである。

 そのまま勢いに任せて食べ進めるルテリア。

 暑い夏に冷たいそば。最高の組み合わせだ。寒い冬に食べる温かいそばも好きだが、やはりルテリアの中では夏に冷たいそばの組み合わせに軍配が上がる。

 暑さの中で冷たいもの。

 と、そんなことを考えながら半分ほど冷やしたぬきそばを食べ進めたところで、ルテリアはふと、あることに思い当たった。


「あ、そういえばクールッシュ、あるんだったっけ……」


 クールッシュとは、日本で発売されていたとてもメジャーな、それこそ全国のスーパー、コンビニで買えたバニラアイスのことである。スクリューキャップで閉じられたパックのアイスクリーム。先日、店長のギフトがレベルアップしたことで厨房の冷凍庫に追加されたものだ。ちなみに、名代辻そばにあるものは従来のサイズのものではなく、その半分くらいの大きさの小さなパックとなっている。

 来日して初めて食べたこのアイス、実はルテリアの大好物なのだ。

 居候していた叔母夫婦の家の冷凍庫にあったものが目に留まり、何気なくそれをもらって口にしてみたところ、これが滅法美味くて見事にハマッてしまった。甘くて滑らかでクリーミーで、バニラの香りもしっかりと感じられる。スプーンがいらず、飲み口から直接食べられる気軽さも良かった。

 名代辻そばで冷やしたぬきそばを食べてからコンビニに寄り、デザート代わりにクールッシュを啜りながら家路につく。あれは今思い返しても最高に贅沢な時間だった。

 そんな思い出のクールッシュが、もう二度と食べられないと思っていた魅惑のアイスが、今は自由に食べられる。店長のギフト『名代辻そば異世界店』に新たなメニュー、クールッシュ冷やしたぬきそばが追加されたことによって。


 まだ食事の途中だが、ルテリアはすっくと席を立つと、厨房内を移動して冷凍庫を開けた。

 庫内のキンキンに冷えた冬のような空気が火照った頬を撫で、冷気を伴いながら内部が露になる。


「あった……」


 冷凍庫内に山積みになったクールッシュ。従業員は食べ放題なのが実にありがたい。

 庫内のクールッシュをひとつ手に取り、また席に戻る。


 アイスを柔らかくする為、まずはパックをモミモミするルテリア。このクールッシュ、ある程度揉んで手の熱で溶かし柔らかくしてやらないとパック内のアイスが固いままなので、飲み口からなかなか出て来ないのだ。

 30秒ほどだろうか、もうそろそろアイスが柔らかくなったかな、というところで、飲み口からチュッとアイスを啜る。

 チュルリと口内に流れ込むバニラアイス。

 冷たくて、甘くて、美味しい。アイスの味が口内に染み渡る。なんと蠱惑的なのだろう。


「あぁ~、美味しい……!」


 思わず口元に笑みが浮いてしまう。

 クールッシュが追加されてからというもの、ルテリアはほぼ毎日これを、主に風呂上りに口にしているのだが、しかし何度食べても飽きがこない。過剰に甘ったるかったり、香料がキツ過ぎたりするとすぐに飽きてしまうのだが、日本のアイスは基本的に高い次元で味のバランスが取れているので、そこらへんは流石だと言えよう。企業努力の賜物である。


 蠱惑的な甘味にうっとりしながらクールッシュを啜るルテリア。

 本当はこのまま全部食べてしまいたいところだが、半分程度で止めておく。

 そして残ったもう半分のクールッシュを手で絞り出すと、ルテリアはあろうことかそれを冷やしたぬきそばにぶっかけた。


「……出来た! ハーフクールッシュ冷やしたぬきそば」


 真っ白なクールッシュの載った冷やしたぬきそばを見て満足そうに頷きながら、ルテリアはそう呟く。

 別にルテリアは乱心してクールッシュをぶっかけたのではない。冷やしたぬきそばの上にクールッシュが載っている。この状態こそが先日追加されたばかりの新メニュー、クールッシュ冷やしたぬきそばなのだ。

 本当であれば食べる前の冷やしたぬきそばに、これまた食べる前のクールッシュを載せ、それを混ぜ合わせることで完成する料理なのだが、今回はそれぞれ半分ずつ別個に味わってから合わせる形にしたのである。


 まるで小学生が食べ物でイタズラをしたかのようなこの見た目。決してビジュアルの良いものではない、というかむしろ悪い。食欲をそそるものではないだろう。だが、しかして味の方は確かに美味なのだ。これもまた企業が研究して商品化されたもの。思い付きのみで突っ走ったものではない。


 まずはそばにたっぷりとクールッシュを絡めてひと口。

 ビジュアルに反して、ちゃんと美味い。そばつゆの風味とアイスの風味が混ざり合い、ちょっとしたバニラ風みたらしのような、甘辛い新たな調和が誕生している。

 また、揚げ玉のサクサクとした食感も、アイスと一緒に食べると、まるでビスケットのようだ。アイスを載せたビスケット。不味い訳がない。


「うん、美味しい」


 チャップやアンナ、アレクサンドルらは気味悪がってこのクールッシュと冷やしたぬきそばを合わせた食べ方をしないのだが、ちゃんと美味しいのだから食わず嫌いせず食べてみればいいのに、とルテリアなどは思うのだ。 

 奇妙な見た目に反して、ちゃんと美味しい。それこそが珍そばの醍醐味なのだから。

 ちなみにだが、このクールッシュ冷やしたぬきそばについてはお客の間でも意見が分かれているそうで、全肯定しているのはテッサリアくらいのものだ。


「うげッ!? 今日のまかない、クールッシュ冷やしタヌキなんすか!?」


 背後から突然そう声をかけられ、振り返る。

 何かの作業でたまたま後ろを通りかかったのだろうチャップが、ルテリアの椀を覗き込んで青い顔をしていた。


「ううん、普通の冷やしたぬきそば。クールッシュは自分でね」


 ルテリアが苦笑しながらそう言うと、怖気を震ったというように顔をブルブルさせるチャップ。


「うへぇ、勇気ありますね、ルテリアさん。俺には無理だ……」


 そう言い残し、チャップはまた調理に戻って行った。


「これはこれで美味しいのに……」


 不服そうに唇を尖らせながら、それでもクールッシュ冷やしたぬきそばを啜るルテリア。

 理解者は少ない。だが、これもまた名代辻そばの一面なのだ。従業員ならば丸ごと愛してこそである。

 ズルズルと残りのそばを啜りながら、ルテリアは密かにクールッシュ冷やしたぬきそばの布教を誓うのだった。


本日5月4日はコミカライズ版名代辻そば異世界店の更新日となっております。

今回は特別編、10年後のチャップを描く物語となっております。

名代辻そばで10年の修業を終えたチャップ。独立する決意をしたチャップは、店長に修業の集大成として、とある麺料理を振る舞い……?

今回も林ふみの先生珠玉の1話となっておりますので、皆様、何卒ご期待ください。


それと合わせてご報告なのですが、次回、5月19日のコミカライズ版名代辻そば異世界店の更新はお休みとなっております。次回のコミカライズ版更新は6月4日となっておりますので、読者の皆様におかれましては、その点、何卒ご注意ください。


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