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伯爵令息ティモシー・ロンダと甘く冷たくピリリと辛い紅生姜アイス⑥

 本当に、ものの1分もしないうちに、魔族の給仕が盆に何かを載せて戻って来た。


「お待たせいたしました、こちら、ベニショウガアイスになります」


 言いながら、給仕の少女が何か円形のカップらしきものと金属製の小匙をティモシーたちの眼前に置いていく。


「それでは、ごゆっくりどうぞ」


 手早く全員分のカップと匙を置き終わると、給仕の少女はペコリと一礼してから別の席に注文を聞きに行ってしまった。


 眼前に置かれたものを、ティモシーはじっと見つめる。

 小匙については、まあ普通の金属製の小匙だ。貴族が使うような彫刻が施されたものでもない、実用性重視のただの匙。ただ、随分とピカピカしていて、ティモシーの顔がはっきりと映り込んでいるのが、強いて言えば特筆すべき点だろうか。

 それよりもだ。本題は、このカップの方である。

 カップ本体に蓋がしてあるのだが、見たところ、どうも紙で作られたものらしい。

 どういう塗料を使っているのか、蓋の部分が金属を思わせる銀色に縁取りされており、蓋にもカップにもやたら厳つい見た目の男たちが描かれている。実に写実的な姿絵だ。この男たちは一体誰なのだろう。何か、ティモシーの知らない有名な人物や歴史上の偉人とかなのだろうか。彼らが誰にしろ、きっとこの絵は高名な画家が描いたものに違いない。

 紙のカップなど、耐久性はたかが知れている。つまりは使い捨てが前提のものなのだろう。そんな使い捨てのものにこんなに写実的な絵を描かせるなど、何と豪奢なことをするのだろうか。

 この豪奢なカップの中に入ったベニショウガアイスとは、一体どんなものなのだろう。

 ティモシーはそっと、ベニショウガアイスのカップを手に取ってみた。


「冷た……ッ!?」


 が、驚き、反射的に手を放してしまう。

 そう、予想外にとても、まるで雪でも触ったかのように冷たかったのだ。


「あら……?」


「どうした、ティモシー?」


「何かあったか?」


 ティモシーが唐突に大きな声を上げたもので、祖父母たちが不思議そうにティモシーを注視している。


 食卓で、それも外食中に大きな声を上げるなど、貴族としてはあるまじきこと。子供であっても恥ずべきことである。己を律してこその貴族だというのに。

 これを口さがない他の貴族が見れば、ロンダ伯爵家の子息は躾がなっていないと陰口を叩かれることだろう。悪くすると、夜会などで話題になってしまうかもしれない。


 しまった、と内心で悔しがりながら、羞恥で赤面するティモシー。


「その……まさか冷たいものだとは思っていなかったので…………」


 そうティモシーが答えると、祖父母たちは「あはは」と笑い声を立てた。


「何だ、驚いただけか」


 笑いながら、ロンダの祖父がティモシーの頭をガシガシと撫でる。

 皆、微笑ましい、といった表情だ。

 はしたないと怒られなくて良かった、と思う反面、やはりこれは恥ずかしい。ティモシー自身は一丁前の貴族のつもりでも、やはり自分は子供なのだと思い知らされるようで。


 ひとしきり笑ったところで、アダマントの祖父が口を開く。


「そう言えば後の楽しみにと教えていなかったな。ベニショウガアイスとは氷菓なのだよ」


「氷菓、ですか……?」


 困惑も露に、ティモシーはそう呟いた。


 氷菓。つまりは氷菓子である。主には果汁や果実そのものを凍らせたものか、砕いた氷に蜜をかけたもの。

 基本的には冬にしか食べられないもので、それ以外の季節に食べようと思えば、氷の魔法が使える者に頼むか、製氷用の魔導具を使うしかない。だが、魔法使いを雇うにしろ魔導具を使うにしろ、とにかくどちらも高くつく。

 故に、冬以外の季節に氷菓を口に出来る者というのは自ずと限られてくる。王族や上位貴族、平民であれば豪商といったところか。


 今は夏だ。ということは、このベニショウガアイスとやらは金をかけて作られたものということになる。

 水に氷が入っていた時点で製氷用の魔導具があることは分かっていたのだから、メニューに氷菓があっても不思議ではないのだが、料理の美味さに衝撃を受けてしまい、そんなことはすっかりと失念していた。


 ティモシーの呟きに対し、アダマントの祖父は「左様」と頷く。


「これはな、牛の乳を使った氷菓らしいぞ?」


「牛の乳ですか……」


 牛の乳も液体ではあるから、冷せば凍りはするのだろうが、しかし牛の乳で作った氷というのは美味いのだろうか。蜜でもかければ確かに甘いのは甘いだろうが、凍った牛の乳というものを口にしたことがないだけに、どうにも味の想像が付き難い。


 ティモシーの疑念を読み取ったものか、アダマントの祖父は苦笑しながらこう言った。


「百聞は一見に如かず、だ。まずは食べてみるといい。心配せずとも絶対に美味い」


「はい……」


 そう言われてしまえば、ティモシーとしてはその言葉に従うしかない。

 まあ、この店が出すものが不味いということはないだろう。祖父の言うように、余計な心配などせず、安心して食べるべきだ。


 ティモシーは再びベニショウガアイスのカップに向き直ると、雪のように冷たいそれを手に取り、パカリと蓋を外した。


「おお……」


 思わず声が洩れてしまう。これがベニショウガアイスというものか、と。

 ただの氷とは思えない、何処か柔らかさを感じさせる乳白色の固体と、その乳白色の中に散らばる真っ赤な粒。よくよく見てみれば、真っ赤な粒の色が溶け出たものか、乳白色の部分がほんのりと桃色に色付いている。

 ティモシーが知らぬというだけで、牛の乳というのは、凍らせるとこのような状態になるのだろうか。

 乳白色の固体が牛の乳だとすれば、この真っ赤な粒はショウガということになるが、しかし何故真っ赤なのだろう。ティモシーの知るショウガはもっと白いものだし、土の中で寝かせたショウガが黄色くなるということも知っている。ティモシーが知らぬ、珍しい品種のショウガなのだろうか。


 どちらにしろ、祖父が言うように百聞は一見に如かず、だ。食べれば謎も見えてくる筈。

 ティモシーは小匙を手に取ると、それをベニショウガアイスに突っ込んだ。


「……ッ!」


 と、予想外の感触が小匙を通じて手に伝わってくる。

 氷のようにカチカチとした、或いは砕かれた氷のようなジャリジャリとした固さではない。どちらかというと、粘性の高い滑らかな粘土に匙を突っ込んだような感触だ。

 牛の乳とは、凍らせるとこのようになるのか。

 感嘆と共に、ひと口分のベニショウガアイスを掬い取り、それを口に運ぶ。


「…………ん!」


 冷たく、甘い。トロリと滑らかでもある。

 単純な砂糖のみの甘さではない、牛の乳の確かなミルキーさを感じる芳醇な甘さだ。

 歯もいらぬと思われるほど滑らかではあるが、あえて噛み締めてみると、ジャリ、とショウガの確かな食感が歯に伝わる。

 そしてショウガを噛み潰すと、ほのかな辛さと同時に、爽やかな酸味と香りが鼻に抜けた。この酸味は、ショウガが本来持つものではない。恐らくはショウガを何かに漬け込んだことで加味されたものだろう。プラムを塩漬けにすることで出る酢に風味が似ているような気がするのだが、どうなのだろうか。


 何ともウットリとしてしまうような、それこそ甘美な甘さ。そんな甘さの中にあって、ショウガが実に良いアクセントになっている。このショウガによって単調さがなくなり、複雑な美味さを生み出しているのだ。


 口の中に入れているだけで儚く溶けていき、スッと喉の奥へと落ちてゆくベニショウガアイス。

 そして後に残るのは、甘やかな乳の香りと、辛く酸っぱいショウガのみ。

 そのショウガも残らず噛んで飲み込むと、また次のひと口が食べたくなる。


 これがベニショウガアイス。

 祖父たちが絶賛するのも頷ける美味さだ。

 何より、この味は実にティモシーの舌に馴染む。

 砂糖の甘さに溶け込む、ショウガの鮮烈な辛さ。ティモシーにとってのロンダ侯爵家の味であり、王都の味。それと共通するところが多い。

 それが何だか嬉しくて、思わず笑みが浮かんでしまう。

 この場所にも、旧王都にも好きになれるもの、楽しみがあるのだ、と。


「ふふふ、どうやら気に入ったようだな?」


 ロンダの祖父にそう訊かれ、ティモシーは元気良く「はい!」と頷き、そのままベニショウガアイスをがっつく。


「お前がショウガの飴を好んでいるとロンダ閣下から聞いた時から、そのベニショウガアイスをお前に食べさせてやりたいと、そう思っていた。気に入ってくれたのなら私も嬉しい」


 微笑を浮かべながら、アダマントの祖父もそう言う。

 その言葉に同意するよう、祖母も嬉しそうな笑顔で頷く。

 このベニショウガアイスには、そういう祖父母の優しい気持ちが詰まっている。

 それがティモシーにとっても嬉しい。口に運ぶアイスは冷たくとも、心が温かくなるようだ。


「美味しい……」


 美味い。何と甘美なのか。

 確かに甘いは甘いのだが、その甘さがくどくない。上品な甘さだ。そしてショウガの辛味、酸味によって口の中が甘ったるくなくさっぱりとし、いつまでも飽きを来させず鮮烈にこのベニショウガアイスを味わえる。

 時間の経過で徐々に溶けていくからだろう、最初のひと口よりもふた口目、三口目と食べ進めるごとにベニショウガアイスに匙が入りやすくなっていく。

 この溶けてトロリとした部分も悪くない。

 美味い。美味い。

 と、ティモシーが調子に乗ってベニショウガアイスと、不意に頭、眉間の上くらいの部分が急に酷く痛み始めた。


「うう、頭が……」


 思わず匙を止めて、左手で頭を押さえるティモシー。

 刺すような鋭い痛みではない。ズン、と、頭が重くなるような痛み方だ。

 一体これは何なのか。尋常ではない痛み方である。まさかティモシー本人も知らぬ間に、この身が病魔に侵されていたとでもいうのか。


 だが、そんなふうに苦しむティモシーの様子を見ても、祖父母たちは全く心配することもなく「はははは」と笑い声を立てていた。


 全く訳が分からない。何故、彼らは笑っていられるのか。普通、家族が苦しんでいれば心配するものだろう。祖父母は何の情もない冷たい人間ではないし、人の不幸を笑うような人でもない筈なのに。


 ティモシーが頭痛に呻く中、その疑問を解消するように、アダマントの祖父が口を開いた。


「ティモシーよ、頭が痛むのだろう?」


「は、はい……」


 頭痛をおしてティモシーが頷くと、アダマントの祖父は「そうだろう、そうだろう」とこちらも頷く。


「この間、ナダイツジソバの店主殿から聞いたのだが、それは冷たいものを勢いに任せてバクバク食べていると起こる頭痛でな、アイスクリーム頭痛というものらしい」


「あ、アイスクリーム頭痛?」


 人間の身体の反応にそんなものがあったのか、という驚きはあるが、今はともかく頭痛が勝るので反応はいまいちである。


「しばらくすればじき治るでな、もう少し我慢していなさい。ゆっくり食べれば頭痛も起こらん」


「うぅ……分かりました…………」


 そういうことは最初に言ってほしかった。

 が、それを今言っても詮無いこと。この失敗を糧に、次へ活かすしかない。


「まあ、かく言う私も最初は同じ苦しみを味わったのだがな」


「右に同じ」


 祖父たちは楽しそうに「「ははは」」と声を合わせて笑う。まるで長年の付き合いがある友人同士のようだ。というか、実際に友人なのだろう。

 ティモシーが尊敬するロンダの祖父と、まだその人となりをよくは知らないアダマントの祖父が仲良くしている様子を見るのは、何だかティモシーも嬉しかった。ティモシー自身、この心の内を名状することは出来ないのだが、決して嫌な気分ではない。

 そして同時にこうも思うのだ、自分が大好きなロンダの祖父と友人同士なのだから、きっとティモシーもアダマントの祖父のことが好きになれる筈だ、と。


 将来、両親や兄、王都の親戚たちとの別離は確かに悲しいことだが、しかし、だからといってこの旧王都に来ることは、必ずしも不幸ではないのかもしれない。ティモシーはアダマント伯爵家の為の犠牲になるのではなく、困っているアダマントの祖父母を助ける為にこの街に来るのだ。それは誇るべきことであり、悲しむようなことではない。それに、ティモシーが旧王都に来たからと、王都の家族とは今生の別れになる訳でもなし、お互いに生きてさえいればたまには会う機会もあろう。

 何より、旧王都に来たとて、ティモシーは孤立無援になる訳ではない。この街にも、ティモシーの助けになってくれる人たちがいる。優しい祖母と、偉大な祖父。まだよく知らぬ家人たちとて力になってくれよう。

 ティモシーの未来は、決して暗いものではない。

 苦手だと思っていた、何を考えているのか分からなかったアダマントの祖父の心の内、その優しさを知ったことで、ティモシーの中に立ち込めていた暗雲が晴れるようだった。


 大丈夫だ、自分はきっと、ここでもどうにかやっていける。このアルベイルでも。

 ティモシーには、アダマントの祖父母がついているのだから。

 それにこの街の味、甘く冷たくピリリと辛いベニショウガアイスもあるのだから。


 この日を境に、ティモシーは己を憐れむことを止め、将来に向けて前を向こうと決心を固めた。

 旧王都での楽しく美味しい思い出を胸に王都へと帰ったティモシーは、一層の熱を込めて学問を、そして剣を学んでいく。王都で学園を卒業する頃には、同年代で負けなし、天才と呼ばれるほどの剣士となるのだ。

 そして将来はアダマント伯爵家を継ぎ、若くしてアルベイル騎士団の団長となり、次期アルベイル公爵家と、ハイゼン大公から役目を継いだ若きアルベイル公爵を支えて行くことになるのだが、それはまだまだ先の話である。


本日4月19日はコミカライズ版名代辻そば異世界店の更新日となっております。

今回は大剣豪デューク編の後編です。

名代辻そばの基本の味、もりそばを味わったことで思うところのあったデューク。

はたして、もりそばは彼にどのような心境の変化をもたらしたのか……?

読者の皆様におかれましては是非ともお読みくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。


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