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伯爵令息ティモシー・ロンダと甘く冷たくピリリと辛い紅生姜アイス②

 これまでにも、ロンダの祖父に連れられて転移の魔法で遠方に行ったことはあるのだが、意外にも旧王都に行くのは初めてのことであった。

 何せ、主目的は母の里帰りである。ロンダ家にそこまで関わりはないことだから、わざわざ祖父を煩わせることではないとして自分たちで足を手配していたのだ。


「では、行こうか。ティモシー、手を」


 そう祖父に言われて、そのしわがれた分厚い手を取った次の瞬間には、眼前に広がる光景が全く変わっていた。

 室内ではあるが、ロンダ伯爵家ではない。ベッドや机が置かれた、明らかに誰かのものと思しき私室である。

 壁にかけてある大きな絵画や、額装した上で飾られた勲章の数々。

 王都にあるロンダの祖父の私室に随分と似た雰囲気の部屋だ。ということは、ここは旧王都にあるロンダ侯爵家の邸宅、祖父の私室であろう。


「御爺様、ここは……」


 握っていた手を離し、隣に立つ祖父を見上げると、彼は「うむ」と頷いた。


「アルベイルにある私の部屋だ。ティモシーは、ここに来るのは初めてだったかな?」


「はい」


 ロンダ侯爵家は新興の貴族ではない、古くから王家に仕えている、言わば重臣だ。だから遷都前からアルベイルにも邸宅があったし、祖父などは今の王都の屋敷よりも、むしろこの旧王都の屋敷の方が長く人生の時間を過ごした筈である。となれば当然、こちらの方が王都の邸宅より愛着もあろう。


「王都にある御爺様のお部屋に似ていますね」


 ティモシーが言うと、祖父は「分かるか?」と微笑んだ。


「実はな、王都の屋敷はここに似せて造らせたのだ。生まれ育ったこの屋敷に愛着がある故な」


 そう説明を受けて、ティモシーはなるほど、道理で似ている筈だ、と得心がいった。

 王都が遷都したのは祖父が現役、侯爵家の当主だった時代である。となれば、屋敷をどのように建てるかという差配をしたのも祖父であろう。あくまで屋敷自体は旧王都に残したものの、祖父の気分としては新たな王都に屋敷を移築したようなものではなかろうか。

 そういう祖父の気持ちは、まだ幼いティモシーにも分からないでもない。ティモシーとて、王都の屋敷には愛着がある。あそこが自分の生家であり、故郷である。出来ることなら、そこから遠い場所で家族と離れ離れになって暮らしたいとは思わなかった。


「御爺様ならば、こちらから王都に通っても問題なかったのでは?」


 ティモシーが素朴な疑問を口にすると、祖父が今度は「ふうむ」と唸る。

 祖父はギフトの力によって何処であろうと一瞬で行き来が出来るから、王都と旧王都間の遠距離通勤も可能な筈だ。旧王都に暮らしたままでも問題はなかったであろう。

 だが、祖父は首を横に振って見せた。


「私だけならばよいが、実際はそういうわけにもいかん。ギフトは遺伝するものではないからな、アルベイルに残ったままでは他の家族が難儀する」


 そう、確かに祖父だけならば転移の魔法を使って如何様にもなるが、ロンダ侯爵家の他の家族は転移の魔法など使えないのだ。彼のように彼我の距離を無視して移動することは出来ない。王家の遷都に合わせてロンダ侯爵家も新王都に移っておかねば、現当主の伯父が、祖父以上に多大な苦労をしていたことだろう。


 祖父は言ってから、何故だか唐突に「ふ」と苦笑を浮かべた。


「実はな、週の半分くらいは、こちらに戻って寝ているのだ。王都でもこちらと同じ造りの寝具を使っている筈なのだが、どうにもこれの方が寝付きが良くてな」


 言いながら、自分のベッドをポンポンと叩く祖父。

 見るからに年代物のベッドだ。きっと、若い頃から使い続けているものだろう。

 例え同じ道具でも、使い込んだものは己の身体に馴染むのだ。ティモシーにもそれは分かる。稽古に使う同じ木剣でも、やはり自分が使い込んだものの方が振っていてしっくりくるからだ。


「王都のベッドも別に悪くはないのだがな、やはり慣れ親しんだものというのは良い。ティモシーよ、願わくばお前にもこのアルベイルを愛し、馴染んでほしいものだ」


 そう祖父に言われて、若干表情を曇らせながら頷くティモシー。


「はい……」


 祖父に言われた手前頷くしかないのだが、しかしティモシーの心中はそれとは反していた。

 少しでもこの旧王都やアダマント伯爵家を愛しているのであれば、今は馴染みなくともいずれは愛着も湧いてくることだろう。ここが第二の故郷なのだとそう思える筈だ。生まれ故郷や家族を想う悲しみも時間が癒してくれるのではなかろうか。

 だが、残念ながらティモシーはこのアルベイルという街にそこまで愛着を持っていない。また、アダマントの祖父母にしても2度、3度くらいしか会った記憶がなく、時間を使ってとっくりと会話したこともないのだ。ティモシーは祖父母が具体的にどういう人間なのかということすら知らないのである。これで愛着を持てという方が無理だろう。


 15になれば王都を出てアダマント伯爵家の養子となり、この旧王都アルベイルで暮らす。その運命は受け入れたが、しかし決して喜んで受け入れた訳ではなく、むしろ不安の方が遥かに大きい。意識して別のことを考えていないと、すぐさま心中に暗雲が立ち込め、暗く曇ってしまうのだ。

 貴族とはいえ、ティモシーはまだ10歳にも満たない子供である。成熟した大人の貴族のようになど振る舞える筈もなく、隠しようもなく感情が顔に出てしまう。


 不安そうに表情を曇らせるティモシーの頭を撫でながら、祖父は「ははは……」と笑い声を立てた。


「まあ、すぐにそうなれとは言わんし、無理にとも言わん。徐々にでいい」


「は、はい……」


「私は陛下の臣として王都を愛しているが、それ以上に生まれ故郷であるこのアルベイルを愛している。ティモシーよ、お前もいつかこのアルベイルを第二の故郷として愛してくれると、私としては嬉しいのだがな」


 言ってから、祖父は「少し話し過ぎたな」と苦笑して、ドアノブに手をかけて扉を開く。


「お前がアルベイルに愛着を持ってくれるようになれば、私だけではなく、アダマント殿も嬉しかろうな」


「……」


 そう言われても、アダマントの祖父についてはよく分からないので、どう答えればいいかも分からない。それに、この悲しみや空虚な気持ちを抱えたまま、はたして、アルベイルという街を愛することなど出来るのだろうか。

 何となく分かることは、胸の真ん中にぽっかりと穴が空いたようなこの気持ちが癒えぬ限りは、他の何かを愛する心の余裕など出て来ないだろうということである。


「さて、ではそろそろ行こうか、ティモシーや」


 ゆっくりとした足取りで、部屋から廊下に出る祖父。


 自分にもいつか、このよく知らぬ街を愛する時が来るのだろうか。

 それ自体はティモシーにも分からないが、祖父がそれだけ愛する街ならば悪い場所ではない筈、少なくとも愛する為の努力をする価値はある場所なのだろう。

 その為にはまず、この街と、そしてアダマントの祖父母を知るところから始めるべきだ。


 嘆いてばかりでは何も事態は好転しない。

 前に進み出す小さな決意を胸に秘めながら、ティモシーは大きな祖父の背に続いて歩き出した。


本日(2月4日)はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。

今回のエピソードはドワーフの女公爵ヘイディ・ウェダ・ダガッド編の続きです。

彼女が如何にして公爵位を継ぎ、そしてその矜持を受け継いだか?

今回はそのあたりが語られます。

読者の皆様におかれましては、何卒お読みくだされば幸いです。


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