シャオリンの挑戦 チャーシューエッグ編
それまで換気扇が回る音しかしていなかった台所に、
じゅうううぅ~、
という、何とも食欲に訴えかけてくる蠱惑的な音が響き始めた。
ガスコンロの前で、真剣な顔をしながら火にかけたフライパンと向き合っているシャオリン。
そのシャオリンの姿を、少し離れた居間でそっと見守っているのは店長とルテリアだ。
基礎的な調理を覚えたいからと、シャオリンが店長の晩酌用おつまみを作る為、台所に立つようになってからそろそろ1ヶ月。
近頃は包丁で食材を切ることに加えて、火を使った簡単な調理にもチャレンジするようになっていた。
最初はただ単にウインナーを炒めただけのものから始まり、炒り卵、目玉焼きときて、今は初の複合的な料理、チャーシューエッグに挑戦中だ。
チャーシューエッグとは、簡潔に言うとハムエッグのハムをチャーシューに置き換えたものである。何枚かのチャーシューをフライパンで焼きながら、その上に黄身が割れないように卵を落とし、火を通す。
言ってしまえばそれだけのものなのだが、初心者にとってはこれがなかなか難しい。焼き加減を気にしないと下のチャーシューばかりが焦げてしまうし、火加減を調節しないと上の卵になかなか火が通らず、結果やっぱりチャーシューが焦げる。蓋を使えば卵にも火が通りやすくなるが、中が見えなくなるので半熟を狙った黄身が完熟になってしまったり、逆に完熟を狙ったものが半熟になってしまったりと調節が難しい。
丁度よい火加減と、丁度よい焼き加減。チャーシューエッグという料理は、これを学ぶ為には実に良い教材なのだ。
ちなみに、ハムエッグでも同じようなことは学べるのだが、店長の部屋の冷蔵庫にハムがなかった為、下の厨房からラーメン用のチャーシューを持ってきた次第。
じゅうじゅうと焼ける音を聞きながら、フライパンの蓋を外して焼き加減を確認するシャオリン。
卵の黄身の部分、上部にも薄っすらと火が通り、全体的に白くなっているが、中は半熟なのが見て取れる。丁度良い焼き加減だ。これ以上焼くと完熟になってしまう。まあ、完熟でも美味いのは美味いのだが、チャーシューエッグはトロリとした半熟の黄身をチャーシューに絡めて食べるのがオツなのだ。
昨日もチャーシューエッグを作ったのだが、焼き加減を失敗して卵が完熟になってしまった。だが、店長が見本として作ってくれたチャーシューエッグは、黄身がトロリと半熟で絶品だった。シャオリンが目指すべきは、その半熟のチャーシューエッグである。
昨日と同じ轍は踏むまい。
今回使ったチャーシューは6枚。卵は3個。シャオリンは慌ててコンロの火を消すと、火が通ったことで繋がった白身をフライ返しで3等分に切り、先に用意しておいた皿3枚にそれぞれ店長用、ルテリア用、そして味見の為に自分用のチャーシューエッグを盛り付ける。
皿の中央には勿論チャーシューエッグ。その隣にキャベツの千切りをこんもりと盛り付け、皿の端にマヨネーズを絞り、シチミトウガラシをいくらか振る。
「お待たせしました。チャーシューエッグです」
「おお、ありがとう。今回は上手に出来たみたいだね」
「もうさっきから美味しそうな匂いがして、ちゃんとまかない食べた筈なのにお腹が鳴って鳴って……」
店長とルテリアが待つ居間のちゃぶ台に行き、2人の前に皿を置いていく。そして自分の分の皿も置くと、シャオリンもちゃぶ台の前に座った。
「それじゃ、いただきまーす」
「「いただきます!!」」
店長の音頭に合わせて、シャオリンとルテリアもいただきます、と手を合わせ、賑やかな晩酌が始まる。
2人はすでにビールを飲みながらつまみが出来上がるのを待っていたが、シャオリンは酒を飲まないのですぐさまチャーシューエッグに取りかかった。
まずは黄身にハシを入れて潰し、白身がたっぷりと付いたチャーシューを1枚掴み、そこに存分に黄身を絡めてから口に運ぶ。
トロリと濃厚な卵の黄身の味がまず口内に広がり、その中から柔らかくジューシーなチャーシューの味が顔を出す。白身のプリプリとした食感も良い。淡泊な味わいではあるが、チャーシューと黄身の味を調和させることに一役買っている。
「美味しい……」
意識した訳ではないが、口の端に自然と笑みが浮かび、思わず声が洩れてしまう。
手前味噌ではあるのだが、確かに美味い。これまで作ったものの中で1番の出来ではなかろうか。
「おっ、美味い。特にマヨ七味を付けると絶品だね」
「お酒のアテって感じのジャンクな味わいですよね。私も好きです、これ。大学の食堂にあったら頼んでただろうなあ」
見れば、店長もルテリアも、笑顔で美味そうにシャオリンの作ったチャーシューエッグを食べている。
そして、チャーシューエッグの美味さを表すかのように、酒も進んでいるようだ。
じっと見つめるシャオリンの視線に気付いた店長が口を開いた。
「今日のは上手く出来たね。バッチリ半熟。チャーシューエッグはこれで合格。美味しいよ」
言いながら、左拳の親指を立てて、ニッ、と笑って見せる店長。
自分では上手くいったと思っていたが、料理のプロである店長から見るとどうなのか。内心ではちょっと不安だったのだが、どうやら今回は稀に見る上出来だったようだ。
店長のお墨付きをもらえたことで、ホッと胸を撫で下ろすシャオリン。
店長に続き、ルテリアも笑顔のまま口を開いた。
「シャオリンちゃん、良ければ明日の朝にも作ってくれない、これ? 朝のまかないに、お米と一緒に食べたらきっと最高だと思うのよね」
ルテリアの言葉を聞くや、店長もすぐさま「おっ、いいね」と同調して頷く。
「ハムエッグが朝食の定番なんだから、チャーシューエッグもいけるか」
「そうですよ。それにチャップさん、アンナさん、アレクサンドルさんたちにもシャオリンちゃんのチャーシューエッグ食べてもらいたいし」
「はっはっは、それじゃあ、明日の朝は、シャオリンちゃん大忙しだな。どう、やってみる、シャオリンちゃん?」
まさかの大絶賛、それにまさかの提案である。
「………………」
だが、シャオリンはその提案に即答出来なかった。
将来の為にひっそりと始めたまかない作り。練習で作ったような、決して達者ではない素人料理でも、食べた人が褒めてくれるのは素直に嬉しい。店長とルテリア、その2人が美味しいと、そう言ってくれるだけでも十分だったのだ。それがまさか、他の皆にも食べてもらおうなどと、そこまで言ってもらえると、シャオリンは夢にも思っていなかった。
店長とルテリアは美味しいと言ってくれたが、はたして、チャップたちにまでこの素人料理を食べさせてもよいものなのだろうか。
店長とルテリアは優しいので厳しいことなど言わないが、チャップたち3人はプロの料理人の修行としてナダイツジソバで働いている。そんな彼らに素人料理など出しては、怒られてしまうのではないかと、シャオリンにはそういう不安があった。
が、その不安を払拭するように、ルテリアがシャオリンの背中を叩く。
「心配いらないわよ。このチャーシューエッグ、とっても美味しいもの」
ルテリアの言葉に、店長も「うん」と頷いた。
「チャーシューエッグって、正直そこまで手間のかかる料理じゃないけど、でも、手のかかる料理ばっかりが美味いってわけでもない。こういう、手軽に作れる家庭料理だってちゃんと美味いんだ。チャーシューエッグについては自信持っていいよ、シャオリンちゃん」
そう言ってくれる店長の後押しが何とも心強い。不安を完璧に払拭出来る訳ではないが、挑戦してみようという気にさせてくれる。
「……やってみます!」
ふんす、と鼻から太い息を吐きながら、シャオリンは気合漲る様子で頷いて見せた。
ちなみにではあるが、翌日の朝のまかない、シャオリンが出したチャーシューエッグはチャップたちからも絶賛され、彼らは将来、独立後に各々でチャーシューエッグを出すことになるのだが、それはまだまだずっと先の話である。
新年あけましておめでとうございます。
読者の皆様におかれましては、本年も拙作、名代辻そば異世界店を何卒よろしくお願い申し上げます。
それと、本日1月4日はコミカライズ版名代辻そば異世界店の更新日でもあります。
今回から女公爵ヘイディ・ウェダ・ダガッド編が始まります。
ヒューマンの国にドワーフが如何にして定着するにようになったか、今回は遠い過去の話が語られます。
読者の皆様におかれましては、何卒ご一読をよろしくお願いいたします。




