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ダンジョン探索者キキと懐かしき香り、煮干しラーメン⑥

11月23日に新たにレビューを1件いただきました。ありがとうございます。

 何とも美味い、その色合い同様に透き通った味の水を半分ほど飲んだところで、盆を持った給仕の男性がキキのところまで来て眼前にゴト、と、重量を感じさせる音を立てながら茶色い器を置いた。


「お待たせいたしました。こちら、煮干しラーメンでございます。では、ごゆっくりどうぞ」


 慇懃に礼をしてから、別の席に注文を聞きに行く給仕の男性。

 彼の背に「ありがとう」と小さくお礼を言ってから、キキは眼前で湯気を上げる煮干しラーメンと向かい合った。


「わあ……ッ!」


 思わず感嘆の声が洩れてしまう。

 全く透明度のない、まるでポタージュスープのような濃厚さをうかがわせる茶色いスープに沈む、細切りの黄色い麺。恐らくは小麦粉の麺なのだろうが、手で念入りに揉み込んだかのように縮れている。

 聞いていた通り、本当にスープの具として麺が使われているようだ。

 また具は麺だけではない。

 恐らくは長時間煮込まれたものだろう、厚切りの一枚肉に、深い緑色を湛えた海藻。漁師町で生まれ育ったキキには分かる、これはワカメに火を通したものだ。多くの漁師町で捨てられているワカメに、まさかここで出会えるとは嬉しい誤算である。

 それに卵だ。さして臭みも感じられぬ、ごく良質なゆで卵を半分に切ったもの。黄身の色が何とも鮮やかで、この茶色いスープに対し良い彩になっている。

 ペコロスに似た、少し刺激的な匂いを放つ輪切り野菜は薬味だろうか。

 謎なのは、真っ白なギザギザにピンクの『の』という謎の模様が書かれたもの。見た目には全く正体不明なのに、何故かこれからも魚の身の匂いがする。何とも面妖なことだ。食べれば正体が分かるだろうか。

 後は、薄茶色の、何かの植物の茎をクッタリするまで煮て、柵のような形状に切ったもの。これも野菜の一種ではあるのだろうが、少なくともキキが食べたことのないものである。王都の料理店ですらも見たことがない。きっと、カテドラル王国内でもここら辺でしか出回っていないものなのだろう。


 見た目は何とも不思議な料理。

 しかしながら、そこから立ち昇る湯気は濃厚に煮干しの風味を含み「自分は美味いのだぞ」と、キキの嗅覚に猛然とアピールしてくる。


 これがナダイツジソバの煮干しラーメン。


 キキの口内に滂沱のような唾液が溢れ、思わずゴクリとそれを飲み込む。

 故郷がウェンハイム皇国に占領されてより、ずっと味わいたいと願っていた煮干しの料理が目の前にある。


 震える両手でキキはそっと器を持ち上げると、それを口元に運び、ずず、と音を立てながらひと口、スープを飲み込んだ。


「ッ!!」


 美味しい。あまりに美味しくて言葉にならない。

 まるで魚群を思い起こさせるような濃厚な煮干しの旨味が口内を満たし、その強烈な香りが鼻に抜けてゆく。

 煮干しの旨味だけではない、発酵調味料の旨味、塩味、香り、そういった複数の要素が複雑に絡み合い、それらがひとつの美味となって調和している。


「ああ……」


 自然と口元に笑みが浮かび、感嘆の声と共に熱い吐息が洩れてしまう。

 これだ。これをこそ、味わい深い煮干しの滋味をこそ求めていたのだ。この、今はもう失われてしまった故郷の味を。


 堪らずにもうひと口スープを飲む。

 やはり美味い。様々な美味が混ざり合っているのに、その真ん中に1本、煮干しという確かな筋が通っている。


 器をテーブル上に戻し、次は麺を。

 周りにいる他の客たちは、これまで見たこともない木の棒みたいなカトラリーを使っているが、キキは横に沿えられたフォークを使って麺を掬う。

 少々品がないのだが、ずぞぞ、と音を立てて麺を啜るキキ。これでカミラでも同席していれば「下品よ?」と嗜められるところなのだろうが、今は1人だし、何よりキキは上品さなどとは無縁な平民の生まれだ。今だけは誰憚ることもなく下品を貫く。


「うん!」


 この煮干しラーメンなる料理、スープだけではない。麺もしっかりと美味だ。

 コシの強い縮れた麺にスープがしっかりと絡み、噛めば歯応えが実にプリプリとしている。

 そして噛み締めるほどに小麦の甘やかな香りが口内から鼻腔にかけて広がっていき、喉越しに実に爽快。何の引っかかりもなくツルリと胃の腑に落ちていく。

 麺に絡み付いた輪切り野菜がシャキシャキとして辛味があるのもアクセントになっていて良い。


 次は馴染みのワカメをひと掬い。

 濃厚な磯の香に、クニクニコリコリとした独特の歯応え。


 その次は謎だった茎のような野菜を食べてみる。


「ッ!?」


 食べてみて驚いた。何とコリコリしているのか。これはワカメ以上の強い食感だ。香りが何とも独特である。これを何と言い表せばいいのかキキには分からないが、嫌いではない。むしろ好きだ。これもまた美味い。


 ここでまたスープをひと口挟んでから、今度は卵を齧る。

 プリンとした卵は黄身が何ともまったり濃厚、白身にも臭みはなく美味い。

 キキは以前、高級食材だという宝石鳥の卵を食べたことがあるのだが、それに勝るとも劣らない、ごく上質な卵だ。


 最後は肉である。

 恐らくは豚肉、それも肩付近、ロースなどと呼ばれる部位の肉であろう。所々脂の入った、しっかりとした肉を噛めば、肉汁と共に濃厚な煮汁がジュワリと溢れ出て、力強い肉の旨味を訴えてくる。

 パサついたところなど一切ない、しっとり柔らかでこれまた上質な肉。たったひと切れしかないことが実に惜しい。叶うのならステーキのような大きさで食べたいところだ。


「お、美味しい……。全部美味しい…………」


 そう呟くキキの声が、感動のあまり震えていた。

 ダンジョン探索者という仕事の性質上、キキは各地を放浪する。そして各地の食材、料理を口にする。美味いものもあれば不味いものもある、高級なものもあれば本当に食べられるのか疑うようなものもあるが、どれも概ね「こんなものか」という感想に落ち着く。故郷で食べていた魚のような、感動するような美味しさが感じられないのである。

 新鮮な魚を食べた時のあの感動。趣向を凝らした魚料理のあの感動。素朴ではあるが魚介の滋味が詰まったあの感動。それらに勝るものが何処にもないのだ。


 だが、この煮干しラーメンはどうか。

 あの素朴な煮干しの滋味を、ここまで上等な美味に昇華している。ただ単に煮干しを湯で煮て味を移しただけで、こんなに美味しいものが出来るだろうか。少なくとも、キキにはそんなこと不可能だ。料理上手な母とて再現は難しいだろう。


 感動冷めやらぬまま、煮干しラーメンをがっつくキキ。

 麺を啜り、スープを飲み、他の具も食らい、時折冷たい水を飲んで熱くなった口内を冷ます。

 美味しい。どれだけ食べても飽きがこない。どれだけ食べても感動が薄れない。

 煮干しというのは確かに美味しいものだが、キキはあくまで保存食としか思っていなかった。海に出て漁をするのが厳しくなり、畑も雪で覆われ野菜も取れなくなる冬に食べるものだと。食事として、そして冬場に余れば子供のおやつになるものだと、そう認識していた。

 だが、それだけではなかったのだ。煮干しとは、調理次第でここまで美味なる料理へと変貌するものなのだ。


 勢い衰えることなく最後まで食べ切ったキキの頬に、一筋の涙が流れ落ちる。

 人が感動で泣くことくらいはキキも知っていたが、まさか自分が食べ物の美味しさに感動して涙を流すことになるとは思ってもみなかった。

 このナダイツジソバという食堂が見せてくれた、煮干しの更なる可能性。感動で涙が流れるほどの美味。これをどうにか、遠く離れた家族にも伝えられないものだろうか。キキ同様、煮干しが大好きな彼らにも。父に、母に、2人の兄たちにも、この煮干しラーメンを食べさせてやりたい。


 もう久しく手紙など書いていないのだが、今日は宿に行ったらこの店のことを、そして煮干しラーメンのことをしたためて家族に送ろう。

 彼らはきっと、遠く離れたキキが彼らの知らぬ美食を口にしていることを羨ましがるだろうが、それでもカテドラル王国でも煮干しを食べる地域があることを知って喜ぶ筈だ。特に兄たちなどは食い意地が張っているから、両親よりもいっそう悔しがるのではなかろうか。


「きししッ」


 兄たちの悔しがる顔を想像すると、思わず笑みが零れる。


 今日は思いがけず懐かしいものに出会ってしまったが、きっとキキは明日もまた、この店に来ることだろう。今度は仲間たちも誘って。

 この店で注目すべき料理は、煮干しラーメンだけではない。他にも別種の魚の香りがするから、その料理も食べてみたいのだ

 叶うならば、しばらくはこの街に滞在して、この店の美味しい料理を心ゆくまで堪能したい。

 仲間たちも最初はあまり良い顔をしないだろうが、この店の料理を食べさせれば、きっとキキの提案も飲んでくれる筈だ。それだけの力が、ここの料理にはある。


 カテドラル王国の料理にはどうにも馴染めなかったキキではあるが、こんなに美味しい煮干しの料理を出す店があるのなら、この国も案外悪くはないと、初めてそう思えた。


 キキの考えていた通り、仲間たちもこのナダイツジソバの料理にハマり、ダンジョン探索者パーティー『爪牙』は1年ばかり旧王都に腰を据えて活動することになる。

 そして、キキたちの滞在中に手紙を読んだ兄たちが居ても立ってもいられず旧王都に出て来て、ナダイツジソバの味に惚れ込んで働き出すようになるのだが、それはもうちょっとだけ先の話である。


本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。

今回からは書籍版オリジナルキャラ、ハイゼン大公の養子マルスのエピソードが始まります。

心に傷を負った幼子が癒されてゆく姿を御覧ください。


そしてありがたくもノミネートしていただいた『次にくるライトノベル大賞2024』の投票締切がいよいよ明日までとなりました。

下記URLにて投票出来ますので、読者の皆様におかれましては、拙作『名代辻そば異世界店』へのご投票の方、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます。



https://static.kadokawa.co.jp/promo/tsugirano/

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