ダンジョン探索者キキと懐かしき香り、煮干しラーメン⑤
何と濃厚な魚の匂いなのだろうか。それもキキが大好きな海の魚の匂い。魚の匂い自体はイワシの煮干しと、それ以外、キキの知らぬ魚の匂いの2種しかないのだが、どちらも至極良い匂いだ。
魚の匂いだけではなく、海辺ではよく嗅いだ海藻の匂いもあるし、複数の香辛料が複雑に混ざり合った匂いもする。ビーストは元来大陸南部の住人であり、香辛料が大好きだとされているが、北部で生まれ育ったキキにとっては馴染みのない匂いだ。が、無論、その匂いが嫌いだという訳ではない。むしろ好みの匂いだ。実に食欲を掻き立ててくれる。
あまりにも良い匂いが漂い続けるもので、思わず恍惚となるキキ。
席に座ったまま、料理を頼むでもなくニヘラ、ニヘラとしているキキの前に、突然、すっと水の入ったコップが差し出された。
「えッ?」
驚いて顔を上げると、先ほどの給仕がコップを置き、説明するように口を開く。
「こちら、サービスのお水でございます。おかわりの際は遠慮なくお申し付けください」
突如として、信じられぬことを口にする給仕。
眼前のコップに並々と注がれているのは、明らかに丁寧に濾過された水だ。川や井戸から汲んで煮沸しただけの水にありがちな嫌な臭いが一切しない。しかもどうやって調達したのか氷まで浮いている。
こんな一流レストランが有料で提供しているような水が、まさかサービスで出されるとは。
「これ、サービスなの!?」
キキが確認すると、給仕の男性はこともなげに「ええ」と頷く。
「左様でございます」
「おかわりもタダなの!?」
「勿論です。お好きなだけお飲みください」
「……ッ」
思わず言葉を失うキキ。
やはり、タダなのだ。こんなに贅沢な水がタダ。俄かには信じられぬことである。
これまで、ダンジョン探索者としてカテドラル王国の各地を旅してきたキキであるが、どんな店であろうと水を無料で提供しているところはなかった。安い食堂でも、高級なレストランでもだ。王都にすらもなかった。
この信じられないサービスは、旧王都では当たり前なのだろうか。それとも、この店のみが特殊なのか。
「それでは、ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
唖然としているキキにも慇懃に頭を下げ、厨房の方へ行こうとする給仕の男性。
しかしながらキキは、慌てて彼を呼び止めた。
「あッ! す、すいません!!」
「どうされました、お客様?」
ピタリと足を止め、給仕の男性が不思議そうな顔をして振り返る。
「注文、もう決まってます!」
色々と気になる店ではあるが、今日だけは最初から頼むものが決まっているのだ。今さらメニューを見て迷うことはない。
給仕の男性はほんの一瞬「おや?」という顔をしたが、すぐさま笑顔で頷き、前掛けのポケットからメモとペンを取り出した。
「左様でございますか。では、ご注文をうかがいます」
「煮干し……」
「え?」
「煮干しラーメン! あるんですよね!?」
そう、煮干しラーメン。何よりも求める故郷の味、もう戻れぬだろう遠き海の味である。カテドラル王国でもイワシが取れる漁場はあるらしいが、しかしキキの知る限り煮干しが一切作られていなかったのだ。
煮干しの味を求めて泣き喚いた夜が何度あったことか。もう煮干しが食べられない絶望に何度心折れそうになったことか。
だが、それも今日限りだ。
ここでなら、この店でなら、不可能だと思っていた煮干しの味を味わえるのだから。
キキの魂の叫びにも等しい質問に対し、給仕の男性はニッコリと笑って頷いて見せた。
「ええ、ございます。当店自慢の新メニューです」
確定だ。この笑顔の何と眩しいことだろうか。白い歯が輝いて見える。いっそ神々しいくらいだ。
「煮干しラーメンください!!」
そんな神々しい給仕の男性にそう告げると、彼は再び頷き、メモに何やら書き込んでから厨房の方に顔を向けた。
「かしこまりました。店長、ご注文いただきました! ニボ1です!!」
よく通る大きな声が店内を貫き、厨房にまで届く。
すると、
「あいよ!!」
と、打てば響くといった具合に、厨房からも別の男性の声が返って来た。
キキの注文が通ったのだ。念願の、煮干しを使った料理が。
思わず笑顔が浮かんでしまう。苦節2年。ようやく、ようやく煮干しが味わえるのだ。
「ではお客様、お料理が出来上がるまでもう少々お待ちください」
そう言って厨房に戻る給仕の男性の背を見つめたまま、キキはまだ見ぬ煮干しラーメンに心躍らせながら水を飲んだ。
「美味しい!」
キキがそう声を上げると、心なしか、給仕の男性がクスリと小さく笑ったような気がした。
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本来であれば本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日なのですが、今回も更新はお休みです。
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