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ダンジョン探索者キキと懐かしき香り、煮干しラーメン③

 ビーストという人種は、往々にして鼻が利く。

 動物の研究をしている学者によると、自然の中に生きる動物というのは人間よりも遥かに匂いを嗅ぎ分ける能力が優れているらしく、遠くの匂いを嗅ぎ取ったり、複数の匂いを同時に嗅いで正確に判別出来るのだという。

 流石に本物の野生動物には劣るものの、獣の特性をその身に宿すビーストもまた、他の人種よりも嗅覚が優れている。恐らくは数十倍から優れている筈だ。


 そんなビーストからすると、人が集まる場所というのは沢山の匂いに溢れている。そして、人の数が多ければ多いほど、そこに漂う匂いもまた種類を増していく。都会などは、匂いの坩堝と言ってもいいだろう。

 人そのものが発する匂い、土地土地の植生ごとの草木の匂い、土の匂い、まあ悪臭もあるが、そんな中でも特に強く感じるのは食べもの、それも料理の匂いだ。

 食材そのものの匂いというのは確かにあるが、これを加熱して調理すると、匂いというのは途端に強さを増し、大気の中に濃厚に溶け込むようになる。

 面白いのが、同じ料理を作っていても、店ごと、そして各家庭ごとに微妙に匂いが違ったりすることだ。食材も調理工程もほぼ同じ筈なのに、明確に違う。それが食材の量の差なのか、それとも調理手順の差なのか、はたまた調理時間の差なのか。それはキキには分からないことだが、考えてみれば面白い違いである。

 プロの料理人などは、もしかするとそういうことも研究しているのかもしれない。


 アルベイルの大通りを歩きつつ、敏感に匂いを感じ取るキキ。

 大都会だけあって、途方もない数の匂いが混じり合っている。良い匂いも悪臭も、また土地に根差した独特な匂いも全てがいちどきに押し寄せてくるので、長時間ここにいると鼻が麻痺してしまいそうだ。

 キキは王都にも行ったことがあるのだが、正直、匂いという観点から言うと、この街は王都よりも混沌としている。特に料理の匂いが四方八方から漂ってくるような感じがするのだ。

 恐らくは、それだけ食堂やレストランが多いということだろう。まあ、ここはかつての王都、それだけ人も集まるし、その集まった人たちの胃袋を満たす為、料理屋も数が必要なのだ。

 王都の匂いがこの街ほど混沌としていないのは、まだ新しい都市だからであり、細分化が進んでいないからだろう。


 アルベイルに漂う匂いの中から、キキは良い匂いを嗅ぎ分ける。


「あそこ……」


 料理屋っぽい匂いの中でも、特に良い匂いのする場所を発見したキキ。

 結構繁盛している様子の、看板横に大きな盾を飾り付けた食堂だ。


「大盾亭……っていうんだ。美味しそうだけど、お肉とか香草の匂いばっかり…………」


 肉は嫌いではないが、香草はちょっと苦手である。特に匂いの強い香草というのは、食べるとどうにも嗅覚が痺れるような感覚になり、1日ずっとその匂いに悩まされることになるのだ。好きな匂いならまだいいのだが、苦手な匂いが長時間続くのは辛いものがある。

 以前、美味いからとディクソンに無理矢理香草を擦り込んだ干し肉を食わされ、ダンジョン内にもかかわらずしばらく気分が悪くなってパフォーマンスが落ちたことは記憶に新しい。


 香草を使わない料理もあるのだろうが、残念ながらあの店はパスだ。香草の匂いに包まれながら食事をしても、匂いが気になって味を楽しめないだろう。

 さりとて、であるならばどの店に行けばいいのか。初めて来た街なので、どうにも当てがない。

 やはり、地元の人に訊くべきか。


 キキが歩きながらああでもない、こうでもないと考えていると、ふと、こんな立ち話が耳に入ってきた。


「お前あれ食べた? ナダイツジソバの新しいメニュー」


「ああ、あれな、煮干しラーメンてやつ」


 聞いた瞬間、キキは心の中で「煮干し!?」と叫んだ。

 こんな内陸の街で、まさか煮干しの名を聞こうとは。

 まさか、この街にも煮干しがあるというのか。キキの愛する故郷の味、煮干しが。

 煮干しは海の魚、イワシを加工したものではあるが、乾物である。キキはてっきり、煮干しなど海辺の住人たちの保存食でしかないと思っていたのだが、もしかすると、何処かの漁師町では商人と取引をしているのかもしれない。


 しかしながら、キキはここで首を横に振る。

 まだ喜ぶのは早い。聞き間違いという可能性もある。ぬか喜びなど御免だ。

 キキは立ち止まると、そっと街路樹の影に隠れ、話をしている青年たちの会話に聞き耳を立てた。恐らくは地元の若者であろう。見たところ、仕事の合間にちょっと休憩して立ち話をしているようだ。


「ああ、お前も食べたんだ、煮干しラーメン? あれ、美味いよなあ。何か、ソバとも違ってさあ」


「何つーか、麺が違うんだよな。どっちかってーとソバよりもパスタの麺に似てる気がするけど、でも、やっぱりパスタでもないんだよな、あの麺」


「小麦粉ではあるんだけどな。でも違う」


「何か縮れてるし、風味も噛み応えもパスタと違うよな」


「違うっつったら、スープも違わねえか? 同じ魚のスープでもさ」


「あれなあ、使ってる魚の種類が違うらしいぞ? 俺も気になって、給仕のルテリアさんに訊いてみたんだけどさ、ソバのスープにはカツオブシってもんが使われてて、煮干しラーメンにはイワシって別の魚のスープが使われてるんだとよ」


 キキは心の中で「イワシ!!」と叫ぶ。やはり聞き間違いではない。確定である。

 誰にも悟られぬよう、キキは小さくガッツポーズを決めた。

 どうやら煮干しそのものではなく、煮干しを煮てスープにしているようだが、ともかくこの街では煮干しの料理が食べられるのだ。


「へえ、イワシ? 知らねえなあ」


「何か小っさこい海の魚なんだとよ。それの乾物が煮干しらしいぜ?」


「ふーん、そうなんだ。でも、市場じゃ見たことねえなあ」


「あの店が特別に仕入れてるんじゃないか? 大公様とかのルートで」


「あり得るな。だってナダイツジソバだし」


「な? きっと、貴族街のラ・ルグレイユとかでも仕入れてないような珍しいもん使ってるんだろうさ」


「今日、朝飯はナダイツジソバだったけど、何かまた食べたくなってきたな」


「そりゃこんだけ話してたらな。俺だって晩飯は……」


 と、青年たちの話の途中ではあるが、キキは辛抱堪らずここで木陰から飛び出した。


「あ、あの!」


「「え?」」


 いきなりのことに、声を揃えてギョッとする青年たち。

 彼らが驚くのも無理からぬこと。一体何処から現れたのか、物陰から唐突に見知らぬビーストの娘が飛び出して来て、自分たちに声をかけてきたのだ。しかも騎士や兵士でもないのに武装した者が。これはむしろ驚くのが当たり前であろう。


 若干、どころかかなり引き気味の青年たちには構わず、キキはグイ、と身を乗り出した。


「私、今日、この街に来たばかりで、何も知らなくて……」


「「は、はあ……」」


 唖然とした様子で、またも声を揃えてそう言う青年たち。

 この街では他所から来る者など珍しくもないが、しかしビーストというのは珍しい。大陸北部の人間にとって、ビーストというのは大陸南部、デンガード連合の住人というのが一般的な認識。つまるところ、見慣れていないのだ。

 そんな見慣れていない異人種がいきなり迫って来るのだから、彼らの心中は穏やかではなかろう。


 おっかなびっくり、という感じで応じる青年たちではあるが、対するキキもまたおっかなびっくりした様子であった。

 何せ、知り合いでも何でもない、同じダンジョン探索者ですらない人たちにいきなり話しかけたのだ。キキはそこまで社交的な方でもないから、こういうことには普段よりも勇気がいる。それこそ、下手をしたらダンジョン探索よりも。

 だが、勇気を振り絞るだけの価値はある。何故ならば、この見知らぬ街で、長らく口にしていない煮干しの料理にありつけるのかもしれないのだから。


「その……ナダイツジソバ、っていうお店のこと、教えてもらえませんか!?」


 キキが思い切って訊くと、青年2人は不思議そうにお互い顔を見合わせ、こちらに向き直った。


「え? な……ナダイツジソバのことかい?」


 青年の1人がそう返してきたので、キキはそうだと力強く頷く。


「煮干し! どうしても食べたいんです!!」


 そう訴えるキキの眼差しは真剣そのもの。

 青年たちからすると、食堂の料理に対して何故そこまで切羽詰まったような様子なのか分からないが、それでも彼女の本気だけは伝わってくる。


「「お、おお……」」


 正直、困惑しきりの2人ではあるが、別に秘匿するような情報でもない。


「ナダイツジソバってのは、この街にある食堂のことで……」


 説明を始めた青年の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、キキはずずい、と耳を近付けた。


コミカライズ版『名代辻そば異世界店』2巻発売記念として、2日連続更新させていただきました。

皆様、上記コミックスはもうお手に取ってお読みくださいましたでしょうか?

お読みくださった方々、まことにありがとうございます!

まだだよ、という方々、どうかお手に取ってお読みくだされば幸いでございます!!

どアップで天ぷらそばをがっつくテッサリアが目印のコミックス2巻、皆様どうぞよろしくお願い致します!!!


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