ダンジョン探索者キキと懐かしき香り、煮干しラーメン①
ビーストという人種は主に大陸の南側、デンガード連合に居住しているものなのだが、中にはデンガード連合以外、大陸の北側に居ついた者たちもいる。
アードヘット帝国には狼や犬のビーストが多く居住しているし、カテドラル王国の西の端には、海生生物のビーストたちが小さな集落を作っているとも聞く。
かくいうキキも大陸の最北、ユクト公国という小さな国出身のビーストなのだが、今現在、このユクト公国という国は存在しない。ウェンハイム皇国に侵略されてしまい、彼の国の属領となってしまったのだ。
キキは猫のビーストで、ユクト公国の最北、海に面した漁師町には、猫ビーストの一族が暮らしていた。
猫のビーストというのはとかく魚を好む。これは大陸の北側だろうが南側だろうが、猫のビーストであれば変わらない、生物としての本能的なものだ。
だから猫のビーストは、いつでも新鮮な魚が食べられるよう、海や川、湖といった魚が生息する水辺に好んで暮している。
別に肉や野菜、穀物だけでも生きているのだが、長く魚が食べられないと禁断症状のように魚を求めてしまうのだ。人によってはイライラしたり、他人に対して攻撃性が増したり、人当たりが冷たくなってしまうような者もいるらしい。
ちなみにキキの場合は年甲斐もなく、子供のようにワガママになり、魚が食べたいと喚くようになる。
ユクト公国の小さな漁師町で、漁師の子として生まれたキキ。上には1歳違いで双子の兄たちがおり、家族5人、毎日漁をして魚を食べながら暮らしていた。
魚なら何でも大好きだったが、キキが特に愛したのは、イワシと呼ばれる小さな魚だ。
黒々とうねるような大きい群れを作って泳ぎ回るイワシを網で捕らえ、浜で煮つけにして喰らう。焼いても美味いし、保存用に煮干しにしたものを少し炙って食べると、また香りが立って滋味が際立つのだ。
特に煮干しは、湯で戻すと極上のスープを吐き出してくれる。これに塩と海藻を少々入れて煮込むと、何とも美味なる浜鍋が出来上がる。
やることに代わり映えはないが、毎日魚が食べられる、そして家族で過ごせる充実した日々。
しかしながら、そんな幸せが日々が長く続くことはなかった。理由は先にも述べた通り、ウェンハイム皇国による侵攻だ。
キキが暮らしていたユクト公国というのは、元々サーシェス王国という小国のいち領土でしかなかったのだが、ある時、王弟が降臣して公爵となり、やがて公爵領を公国として、あくまで属国ではあるが独立させることを許された、という経緯がある。言わば親と子の関係だ。
そして、その親、サーシェス王国が侵略国家であるウェンハイム皇国の毒牙にかかり陥落。しかしながらそれでウェンハイム皇国の勢いが止まる訳もなく、ユクト公国にもその魔手は伸びた。
キキたち家族が戦火に焼かれながらもどうにか国を脱出出来たのは、不幸中の幸いとしか言い様がない。同じ漁師町に暮らしていた他の人たちは、殺された者もいれば捕まった者もいるのだから。特に捕まってしまった者は、まず間違いなく奴隷にされてしまう筈。その生活はもしかすると、死よりも辛いものかもしれない。
キキたちの家族はウェンハイム皇国とその属国を避けるよう、西側に大きく迂回して避難し、約2年の旅の果て、最終的にカテドラル王国の最西端、とある漁師町に辿り着いた。所謂、亡命だ。
カテドラル王国は大陸の北側でも数少ない、独力でウェンハイム皇国に対抗出来得る国である。実際にこれまでにもウェンハイムの魔手を退けた実績があり、再び衝突したとしてもそう簡単に陥落することはないだろう。
命からがらカテドラル王国に辿り着いたキキたち一家だが、先行きは決して明るいものではなかった。
ほぼ着の身着のまま、持ち出せた数少ない家財道具も逃走資金の為に全て道中で売ってしまったし、そうして得た金も残り僅か。これではパンのひとつも買えやしない。
早急に働いて金を稼がねば、せっかく亡命したというのに行く当てもなく家族揃って路上で飢え死にすることになってしまう。
だが、いざ働こうにも、他所から来たばかりの新参者が働ける場所というのは限られていた。
父と兄たちは漁師だったということをアピールしたのだが、結束固い地元漁師たちに受け入れて貰えず、倉庫で荷運びの仕事を。
母は網を編むなど手先が器用なことをアピールしたのだが、やはり受け入れてもらえず、食堂で皿洗いの仕事を。
そしてキキは、老若男女誰しもに門戸が開かれた数少ない仕事、ダンジョン探索者となった。
キキのギフトは『追尾』というもので、これは石や銛など、自らの手で放ったものがターゲットを追尾するというもので、かなり戦闘向きの能力だ。
父の仕事を手伝っていた頃は、ギフトを駆使して大きな魚を銛で仕留めていたものだが、これで弓など使わせれば百発百中、即戦力になると判断され、採用された次第。
正直、折角また海辺の町に来たというのに、漁師でも何でもない仕事をしなければならないというのには複雑な感情を抱かないでもないのだが、背に腹は代えられない。
慣れない仕事に四苦八苦しながらも、しかしダンジョン探索者としての才能を開花させ、カテドラル王国各地のダンジョンを渡り歩くようになったキキ。
ダンジョン探索者になって早や2年。キキが所属するパーティーは幾度も困難な探索を成功させ、出世に継ぐ出世を繰り返し、今や上級探索者パーティー、この上は最上級しかないというところまで上り詰めた。
出世に伴い、収入も激増、家族に十分な仕送りをしたところでまだまだ懐には余裕がある。まさに典型的な成功者だ。
が、それにも関わらず、キキは毎日死んだ目をして日々を過ごしていた。
理由は、食糧事情だ。
先にも触れたが、今のキキは経済的には困窮していない。むしろ貯蓄に回せるほど収入がある。決して食えない、というのではないのだ。
しかしながら、ダンジョン探索者はその仕事の性質上、何日もダンジョン内に潜りっぱなしで、食事といえば干し肉だの硬パンだのの保存食ばかり。この保存食ばかりの食生活がまた精神を削るのだ。こんなに稼いでいるにも関わらず、美味いものも食えず苦行じみたことばかりしているのは何故なのだろう、と。
キキは猫のビーストだ。本能として、どうしても魚が食いたくなる。まさかダンジョンの中で新鮮な魚を食わせろなどと贅沢は言わない、せめてイワシの煮干しを食わせてほしい。
だが、カテドラル王国に出回っているのは、食い慣れていない、極度にしょっぱくて硬いばかりの川魚の干したものばかり。これがまた美味くないのだ。そのまま食っても塩辛くて喉が焼けるし、鍋に入れて煮出しても生臭さが際立つ。火で炙れば多少はマシだが、本当に多少でしかない。
また、各地のダンジョンを転々とする為、そもそも魚が手に入らない場所も多かった。
新鮮な肉も野菜も、美味いことは美味いのだが、それでは満たされない、猫のビーストとしての本能がある。
もう、ダンジョン探索者など辞めて家族の元に帰りたい。故郷でこそないが、潮風香る海辺のあの町へ。
キキの仕送りによって、家族は生活を立て直した。父は自らの漁船を買い、漁師に戻ることが出来た。兄たちもそうだ。母も父のサポートに尽力出来るようになった。
キキにも少なくない蓄えがある。帰ったとしても家族に迷惑をかけることはない。
が、しかし、そう簡単には帰れない事情がある。
それは仲間たちの存在だ。同じパーティーの仲間たち。
この2年、苦楽を共にしてきたパーティーの仲間たちは、キキにとって、最早赤の他人ではない。家族も同然の存在だ。仲間たちもまた、キキのことを信頼してくれている。
そして2年前、パーティーを組む時に皆で誓い合ったのだ、このメンバーで最上級探索者にまで上ってみせよう、と。
最上級まであと少し、もう一歩なのだ。こんなところで仲間たちを裏切り、自分だけが逃げ出すことなど出来ない。それも、魚が食いたい、などという理由で。
パーティーのメンバーで、ビーストなのはキキだけだ。後はヒューマンが2人に、ドワーフが1人。誰もキキの苦悩は分からないだろう。
「美味しいお魚食べたい。せめて煮干し……」
他には誰もいない宿屋の個室、浮かない顔でそう呟くキキ。
最後に美味しい魚を口にしたのは何時だっただろうか。
そんなことばかり考えて、眠れぬ夜が永遠のように続く。
だが、そろそろ本当に眠らねば明日に響く。明日も朝が早いのだ。
明日からは移動で、次の拠点に行かねばならない。
次の拠点は旧王都アルベイル。キキは初めて行く街である。
アルベイルは内陸の街だから、ここでも新鮮な魚を食べることは出来ないだろう。せめてもうちょっとマシな干し魚くらいはあればいいのだが。
埒もなくそんなことを考えながら、目を閉じて強引に眠ろうとするキキ。
だが、この時のキキは知らなかった。
今、アルベイルでは国で一番美味い、煮干しを使った料理を出す店があることを。
その名も名代辻そば。
キキの乾いた心を潤すことになる、旧王都で一番の食堂である。
本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。
今話は新加入したチャップがまかないに舌鼓を打つエピソードの後編と、新キャラクター、書籍版オリジナルキャラクターの幼子マルスが初登場する回となっております。
そして来月、11月1日は『名代辻そば異世界店』コミックス2巻が発売となります!!
騎士セント編から今回のエピソードまでが収録となりますので、読者の皆様におかれましては、是非ともお手に取ってお読みくだされば幸いです。
名代辻そば異世界店コミックス2巻、何卒よろしくお願い致します!!!




