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外伝 20年後のチャップ⑥後編

 今日の営業もそろそろ終わりかという頃になって現れた剣闘士。

 この人だったか、どうりで気配を感じなかった筈だと、チャップは苦笑しながら男に声を返す。


「おや、いらっしゃい。護衛も付けないで来られたんですか?」


 チャップがそう訊くと、男もまた苦笑しながら返してくる。


「必要あるまい。誰が我を倒せるというのだ?」


「まあ、そりゃあそうでしょうがね。しかし、流石に今回は来ないものだと思ってましたよ?」


「伝説の料理人がしばらくぶりに帝都へと舞い戻り、また、あの絶品極まる塩ヤキソバを振る舞うというのだ、来ぬわけにはゆくまい?」


 言ってから、ふん、と鼻を鳴らす男。


「貴方様なら私を呼び付けることなど造作もないでしょうに」


 そうチャップが言うと、男は唯一露出している口元を『へ』の字に曲げた。


「出来るが、する筈がなかろう? そんなことをして貴様を独占しては、帝都の人々に恨まれてしまうわ」


 その言葉を聞き、思わずチャップの口元に笑みがこぼれる。

 この人は相変わらずだと、そう思ってしまったのだ。


「自分の為に力を振りかざすことはしない。だから皆が貴方様を敬愛するのでしょうね」


 チャップの言葉に、男はもう一度、ふん、と鼻を鳴らす。


「世辞は結構。それより俺にも塩ヤキソバとラガーをくれい」


 別にお世辞でもないのだが、男は賛美の言葉など求めていないらしい。求めているのはチャップの料理と美味い酒。

 あくまでもただ1人の客だというスタンスを崩さないのも、この男の良いところだ。


「もう店じまいしようかと思ってたところなんですがね……」


「そう意地の悪いことを言うでないわ」


 男がそう返すのを聞いてから、チャップは再度苦笑して頷きを返す。


「冗談ですよ。お客様方がはけるのを待っておられたんでしょう?」


 この男がひとたび姿を見せれば、たちまちのうちに大勢の人が集まることだろう。それこそ、チャップの比ではないほどに。この広場どころか、一帯を埋め尽くすほどの人々がこの男見たさに集結するのは想像に難くない。しかし、そうなれば近隣住民にも、純粋に屋台を楽しみにして来たお客様方にも、何よりチャップに迷惑がかかる。だからこそ、この男はお客様方があらかたはけたタイミングで姿を現したのだろう。


「騒がれたらおちおち食事も出来んからな」


 チャップへの気遣いを誤魔化すよう、鼻を鳴らしながらそう言う男。

 何の照れ隠しだと内心で苦笑しながら、チャップは疲労で重たくなった身体に喝を入れて椅子から腰を上げた。


「貴方様は人気者ですからね。グラーニン様と、そうお呼びした方が?」


 男、いや、グラーニンに対して、確認するチャップ。

 そう、この男の名はグラーニン。10年前から無敗を貫く帝国闘技大会のチャンピオンだ。

 まあ、それはこの男が持つ顔の一面にしか過ぎないのだが、チャップも心得たものである、今はあえてそこには言及しない。


「市井故な、今はそうしてくれ」


 頷くグラーニンに対し、チャップは「かしこまりました」と頭を下げる。


「グラーニン様。では、お先にラガーをどうぞ」


 ギフトを発動して、異空間からジョッキを取り出して酒を注いでグラーニンに手渡す。丁度、とでも言うべきか、それともギリギリ、とでも言うべきか、チャップの『アイテムボックス』の中に入っていた最後の未使用ジョッキであった。


「うむ。まずは一献」


 ジョッキを受け取るや、一度も止まることなくグビグビと喉を鳴らしてビールを流し込み、そのまま全て飲み干してしまったグラーニン。

 何という豪快な飲みっぷりだろうか。これではまるで山賊の親分である。


 グラーニンは「ぐええぇっぷ!!」と、下品極まる大きなゲップを吐き、空になったジョッキをずい、とチャップに差し出した。


「美味い! おかわりだ!」


「かしこまりました」


 苦笑しながら2杯目の酒を注ぎ、調理に入る。流石に2杯目まで一気に呷ることはあるまい。

 グラーニンが2杯目のラガーを楽しんでいる間に、さっと塩ヤキソバを調理し、チャップは彼に差し出した。


「お待たせしました。塩ヤキソバです」


 塩ヤキソバの皿を受け取るや、グラーニンは途端に破顔する。


「おお、これよ、これ! 貴様が帝都を去ってより、この絶品極まる塩ヤキソバを何度夢見たことか!!」


 口元に笑みを浮かべ、万事心得たとばかりに卓上の筒からワリバシを取るグラーニン。

 彼はパキリとワリバシを割ると、一心不乱に塩ヤキソバをがっつき始めた。


「ううむ、美味い! 美味いぞ!! このエビの弾けるような噛み応え! 噛み締めるほどに溢れ出るクラムの滋味! コシのある麺に小麦とキャベツの甘さ! 玄妙複雑な香気溢れるこの塩ダレ! これは堪らん!!」


 塩ヤキソバを啜り、ラガーで流し込み、また塩ヤキソバを啜る美味のループ。この肌寒い3月の夜中、熱々の麺とキンキンに冷えた酒を交互に口へ運ぶのは、彼の言うように堪らない美味の悦楽だろう。


 グラーニンは1度も勢い衰えることなく、5杯のラガーと3皿の塩ヤキソバを平らげた。

 塩ヤキソバ最後のひと口を、これまた最後のラガーで流し込み、満足そうに特大のゲップを吐いてから、グラーニンは懐から数枚の金貨を取り出し、テーブルの上に叩き付ける。


「馳走になった! 大満足だ!!」


 豪快に笑いながら立ち上がり、そのまま帰ろうとするグラーニン。

 だが、このまま彼を帰らせる訳にはいかない。


「待ってください! こんなにはもらえませんよ。ヤキソバ1皿750コル、ラガー1杯450コルなんですから」


 そう言ってテーブル上の金貨を掻き集めて返そうとするチャップ。

 金貨1枚だけでもおつりが出るのに、こんなに何枚も金貨をもらう訳にはいかない。これではもらい過ぎだし、ボッてるみたいで何だかバツが悪いのだ。チップと考えてもこれは明らかに多過ぎる。

 しかもだ、この男、実は前回の時もこうして飲み食いした以上の金を置いて行った前科があるのだ。

 前回も同じようにもらい過ぎだ、返すと訴えたのだが、やはり断られてしまったことは今でも忘れない。


「男が1度出したものを引っ込められるか! 受け取っておけ。貴様の腕に対する正当な評価だ」


 前回と寸分違わず同じ文句で首を横に振るグラーニン。

 料理人としての腕を評価してもらえるのは嬉しいが、自身が設定した正当な対価以上に金をもらうのは良くない。チャップは金だけの為に料理人をやっているのではない、賞賛はお客様の「美味しい!」という言葉だけで十分なのだから。


「高級レストランじゃないんですから……」


 チャップが若干呆れ気味にぼやくと、グラーニンはまた、ふん、と鼻を鳴らした。


「高級レストランでも、ここまでの料理はそうそう出せぬわ。そんなものを屋台の親父が出すのだからな。レストランの料理人たちも立つ瀬があるまいて」


「別にレストランの面子潰しに来たんじゃないんですよ……」


 そう返し、更に言葉を重ねようとしたチャップを、しかしグラーニンは「ウダウダ言うな!」と一喝して黙らせる。


「もらい過ぎだと思うなら、その分帝都の民に貴様の料理で還元してやれ。それで我は満足だ」


 本当に、そのまんま前回と同じことを言って最後まで返金を断るグラーニン。

 薄々こうなるだろうなとは思っていたが、そのように言われてしまえばチャップも断るに断り辛い。


「……じゃあ、明日の料理はちょっとだけ安くお出ししますかね」


 少し釈然としないものを感じながらも、料金箱に金貨を入れるチャップ。

 だが、言いながら呟いたことが気になったのだろう、グラーニンは「ほう?」と唸り、口を開いた。


「ちなみに明日は何を出すのだ?」


「カレーウドンを予定しています」


 師であるフミヤ・ナツカワの蔵書で覚えたレシピ、カレーウドン。デンガード連合で大量の香辛料を仕入れたことにより、最近になって再現に成功した料理である。

 ちなみに、屋台で出すのはこれが初めてのことだ。


「カレーウドン!? 何だ、それは!?」


 興味が引かれたとでも言うように、グラーニンがカレーウドンに食いついてきた。

 まあ、明らかにアードヘット帝国の料理ではないので、彼が知らぬのも無理はあるまい。


「カレー味のウドンですけど……」


 どう言えばいいものか、チャップが答えに窮してそう言うと、グラーニンは突如として「はははッ!」と笑い声を上げた。


「カレーもウドンもさっぱり分からん! この我をして未知なる料理か! 楽しみだ!! 明日、また来るぞ!!」


 自分の知らない料理を食べられることが余ほど嬉しいのだろう、大口を開き、白い歯を見せて笑うグラーニン。

 だが、対照的にチャップは浮かない顔だ。彼の立場でほいほいと外出を繰り返すことが、良いこととは思えないのだ。


「そんなに頻繁に抜け出して大丈夫なんですか?」


「昼間は根を詰めて仕事をしているのだ、夜中くらいは自分の好きにして何が悪い?」


「皆さん、苦労されているのでしょうね……」


 もしかすると、今この瞬間も、彼のことを探して誰かが動いているのかもしれない。というか、実際に動いている者たちはいるだろう。

 彼らの苦労を慮り、渋面するチャップに対し、グラーニンは


「知らん知らん! では、また明日にな!!」


 と言って、そのまま颯爽と立ち去ってしまった。

 何ともまあ、自由気ままな男である。


「ええ、気を付けてお帰りください、皇帝陛下……」


 去り行く彼の背に、しかし彼には聞こえぬように、小声で言って頭を下げるチャップ。


 今代皇帝、ミハイロ・ヤルスク・アードヘット三世。

 ウェンハイム皇国殲滅戦争において皇太子でありながら最前線に立ち、数々の武功を挙げ、自らの剣によって帝位を継いだ剛毅の男。

 しかしながら窮屈な政務に日々ストレスを溜め、そのストレスを発散する為、年に一度だけ顔を隠し名を偽り、闘技場で大暴れする生粋の剣士。

 見る者が見れば、彼の正体などバレバレなのだが、それを指摘するような無粋な者は帝都にはいない。

 帝国人ではないチャップもまた、そんな無粋な真似はしない。まあ、彼はチャップが正体に気付いている、ということは分かっているだろうが。

 彼の護衛を務める者たちは、警護を撒き、毒見もせず食べ物を口にする奔放な行動に手を焼いているのだろうが、まあ、ああいう人だ。家臣たちが制御など出来よう筈もない。家臣どころか家族ですら彼を制御することなど無理だろう。

 賢帝と呼ばれた彼の父、先代皇帝とは真逆の気質である。が、それ故に親しみやすいと国民からの人気も高く、家臣からの人望も厚い。所謂、人たらしというやつだろう。

 多少強引なところが目立つものの、チャップもあの皇帝のことは嫌いではない、むしろ好もしいとすら思っている。


 帝都の人たち、そして皇帝陛下をがっかりさせないよう、次の営業もがんばらねば。

 そう気合を入れて、チャップは空になった食器を回収して洗いものを始めた。


本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。

前回のエピソードで名代辻そば入りが決まったチャップ。

新体制となった名代辻そば、そして奮闘する若者の姿にご注目ください。

上記エピソードはカドコミ様にて掲載されておりますので、皆様、是非ともご一読をお願い致します。

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