外伝 20年後のチャップ⑥中編
その日の昼間に行われた帝国闘技大会は、大盛況のうちに終わったそうだ。
官、民を問わず、国中から集まった腕に覚えのある猛者たちが円形闘技場で競い合うこの大会。
参加しているのは強制的に集められた者たちではなく、希望者のみの参加。
北の隣国に当たるウェンハイム共和国にも、皇国時代には闘技場があったらしいのだが、そちらでは奴隷剣闘士たちが望まず殺し合いをさせられていたそうだ。
無論、アードヘット帝国の大会には奴隷など参加していない。というか、帝国は法律で奴隷を禁止しているので、そもそも奴隷などという存在は居もしないのだが。
この大会は2日に亘って行われるのだが、初日は希望者全員参加、しかも全員が敵同士で最後の1人になるまで戦うサバイバル形式。2日目は1対1の形式で行われる勝ち残りトーナメントとなっている。
年に1度しか開催されないこの大会だが、やはり常連選手というものはいるもので、その中でも際立った戦績を修めた者は観衆の人気を集め、名物選手となっていた。
剛斧のドラグノフ、鋭槍のステパノビッチ、疾風のザンギエフ、破弓のブーニン。
二つ名で呼ばれるほどの人気選手は何人もいるが、やはり彼の存在を抜きに闘技大会のことを語れはしないだろう。
10年連続優勝のサバイバル王者、口元以外は全て隠れたフルフェイスの兜で正体を秘密にする謎の男、グラーニン。
10年前、突如として現れたこの男は、圧倒的な強さで並み居る強敵たちを蹴散らし、1度も苦戦することなくサバイバルを制して闘技大会の王者となった。
そして何故か参加するのは初日のサバイバルのみで2日目のトーナメントは出ない。
それを10年無敗で続けている。
騎士や兵士でもなければ、ダンジョン探索者でもない。
貴族なのか平民なのかすら分からない。
家族や友人、知人だという者すら確認できない。
ただ、圧倒的に強いということ以外、何も分からない、謎に包まれた帝国闘技大会チャンピオン。
それがグラーニンである。
ちなみに今日のサバイバルもやはりグラーニンが勝ち残ったそうだ。
大会の熱狂冷めやらぬその日の夜、帝都の下町にある、とある広場で屋台を開いたチャップ。
驚くべきことに、営業を始める前からチャップ待ちの列が出来、広場は人でごった返していた。
どうも、前日の商業ギルドでの一件が人伝てに広まっていたようで、前回の営業でチャップが出す料理のファンになってくれた人たちが噂を聞きつけ、リピーターとして来てくれたのだという。
また、前回はチャップの屋台を訪れなかったものの、伝説の放浪料理人の高名は知っていたので、興味を持って来てくれた人たちもいるようだ。
別にさして心配はしていなかったのだが、こうしてお客様方が集まってくれるのは嬉しいことである。この人たちはチャップの料理が食べたくて、こうして集まってくれたのだから、料理人冥利に尽きるというもの。腕の振るい甲斐がある。
本日出す料理は、塩ヤキソバ。
エビ、クラム、キャベツを具に、少し辛味を利かせた特製の塩ダレで味付けした一品だ。
カテドラル王国の王都や旧王都同様、アードヘット帝国の帝都もまた内陸部に位置する都市。人々は滅多に口に入ることのない海鮮に飢えており、前回の営業でも塩ヤキソバがダントツで人気であった。
帝都と言えば塩ヤキソバ。ここでの営業は10日間やるつもりだが、やはり帝都営業の幕開けとして、塩ヤキソバほど相応しい料理もないだろう。
「今日お出しさせていただく料理は塩ヤキソバになります! お酒の方はウェンハイム共和国のラガーを出させていただきます!」
塩ヤキソバに加えて、ウェンハイム共和国のラガー。
皇国時代のウェンハイムが職人を根こそぎ囲い込んで製法を秘匿、ほとんど国外に放出することのなかったラガーではあるが、先の戦争で皇国が滅び、共和国として新生したことでラガーが広く売りに出されるようになった。何年か前、ウェンハイム共和国へ営業に行ったおり、ラガーを大量に安く仕入れることが出来たのだ。仕入れたラガーは無論『アイテムボックス』の中で保管していたので品質が劣化しているようなことはない。しかも売ってくれた酒蔵の主が『氷魔法』のギフトの使い手で、ラガーの樽をキンキンに冷してくれたおまけ付きだ。
塩ヤキソバに、キンキンに冷えたラガー。想像するだけで悪魔的な組み合わせである。
「塩ヤキソバ! 塩ヤキソバ頼む!!」
「俺も塩ヤキソバ! 2皿分払うから、大盛りでくれ!!」
「こっちは塩ヤキソバとラガーお願い!」
「ラガー4杯頼む! 塩ヤキソバは2皿でいいよ!!」
営業を開始するなり、飛ぶように注文が入ってきた。
通常であれば、屋台の営業というのは徐々に忙しくなってくるものなのだが、今日は最初からピーク級の忙しさで、文字通り車輪の如く働き始めるチャップ。
ただひたすらにヤキソバを焼き、酒を注ぐ。食器など洗う暇もなく、使用済みの皿とジョッキが山のように積み重なってゆく。営業が終わった後、これを洗うのに何時間もかかることを考えると気が滅入るが、今は怒涛のような忙しさに全てが押し流されてしまう。
「かぁー、やっぱりうめぇ! 塩ヤキソバおかわり頼まあ!!」
「ちきしょう、流石にうめぇなあ、おい、ウェンハイムのラガーはよ! こっちはラガー3杯おかわり!!」
「美味かったよ、ごっそうさん! おあいそ頼むわ!」
「私たちもお勘定お願い!」
料理を作り、酒を注ぎ、お勘定までしなければならない。これら全部1人でやらねばならないのが屋台の辛いところだが、この苦労もまた屋台の醍醐味。決して文句は言うまい。
この忙しさの荒波をどうにか泳ぎ切り、客足が途絶える頃には、すでに日付が変わっていた。
「いやあ、美味しかったよ、ありがとう。大将、しばらくは帝都で営業するんだろ? また来るよ」
そう言って、最後のお客が帰ったのが、体感的に大体午前2時くらいだろうか。こんなに長いこと営業を続けて、こんなに忙しい時間が続いたのも久々である。それこそ、前回の帝都営業以来ではなかろうか。
「ありがとうございましたー。あと9日間は営業するんで、またどうぞー」
と、頭を下げてそのお客を見送ってから、チャップは空いた椅子にどっかりと腰を落とした。
「ふいいいぃ……どうにか捌けたか。しっかし、凄かったな」
実際にはそんなことはないのだが、まるで帝都の住人全員に料理を振る舞ったかのような錯覚に陥るほど忙しかった今日の営業。
ひと休みするどころか、息つく暇すらもなく、ただ歯車のようにしゃかりきに働くこの感覚は、何処かナダイツジソバでの修業時代を思い出す。キツくはあるが、充足感もあるこの心地良い疲労。
実際はこれから山と溜まった洗いものを片付けなければならないので、もうひと踏ん張りしなければならないのだが、せめてひと息つくまではそのことには触れるまい。
本当ならチャップもエールでも飲んでこの疲れを溶かしてしまいたいところだが、まだ洗いものが残っている。少々残念ではあるが、ここはリンゴでも齧って我慢するかと思ったところで、不意に背後から声がかかった。
「おお、よかったよかった。まだおったな」
「え?」
思わず呆けた声が洩れる。
かつては命の危険と隣り合わせのダンジョンに潜っていたチャップをして、全く気配を感じなかった。
チャップが驚いて振り返ると、はたして、そこには立派な鉄の兜で顔を隠した、見るからに剣闘士然とした恰好の、巨躯の男が立っていた。
本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日となっております。
今回のエピソードはチャップ加入回の後編。
辻そばで実際にそばを食べ衝撃を受けるチャップにご注目ください。
カドコミ様にて掲載されておりますので、皆様、是非ともご一読をお願い申し上げます。
そして、名代辻そば異世界店、コミックス2巻の発売日が11月1日に決まりました!!
今巻も林ふみの先生珠玉の1冊となっております!!
騎士セントのエピソードから本日更新されたチャップのエピソードも含め盛り沢山の内容となっておりますので、皆様、是非ともお手に取ってお読みくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます!!




