外伝 20年後のチャップ⑥前編
珍しく年末年始をカテドラル王国で過ごしたチャップは、1月も半ばになると、隣国、アードヘット帝国へと旅立った。
カテドラル王国の中にも、まだ行ったことのない場所はある。隅々まで踏破した訳ではない。だが、このままではあまりにも里心がつき過ぎる。何より実家や旧王都が近いというのがいけない。ついついと長居していると、居心地が良過ぎて旅立つ気持ちになれなくなってしまう。
チャップは放浪料理人。旅をしてこそなんぼの人間なのだ。ここで腰を落ち着ける訳にはいかない。世の中には、チャップの料理を口にしていない人たちがまだまだいるのだから。
大切な人たちにしばしの別れを告げ、アードヘット帝国へと向かったチャップ。道中の村や町で屋台を引きながらゆっくりと歩を進め、目的地であった帝都オルタンシアに到着したのは、冬の気配も和らいできた3月の初旬であった。
アードヘット帝国は大陸最大の国家であり、その帝都ともなれば、ただの都市とも思えぬほどに荘厳なものである。
風格を感じると言おうか、歴史の残り香が色濃く漂っているとでも言うべきか、まるで街自体がひとつの巨大な遺跡のようにさえ感じられるほど荘厳なのだ。
城や大きな屋敷は勿論のこと、商家や民家に至るまで、全ての建物が石造りで統一されている徹底ぶりである。名代辻そばにおけるかつての同僚、アードヘット帝国出身のアレクサンドルによると、帝都では建築に関して景観を優先する条例があるそうだ。
また、都市そのものの造りについても、カテドラル王国とは違うところが見受けられる。
カテドラル王国の王都や旧王都は、都市の中心に国王ないしは領主の城を置き、そこから放射状に街を広げているのだが、アードヘット帝国の場合は都市の形は真四角、碁盤の目に区画を区切っているのだ。
整然とした都市の在り様は、まるでこの街を作り上げた初代皇帝の几帳面さを表しているかのようである。
チャップは入市門で入市税を払い、帝都オルタンシアに入ると、まずは宿を取って寝床を確保した。何故だかは分からないが、今日は前回来た時よりも街の中に人が多いような気がする。恐らくは地元の人間ではなく、旅人や観光客だろう。もしかすると、近く帝都で何か祭りでもあるのかもしれない。だから、宿が埋まってしまう前に部屋の確保に動いたのだ。
今回取ったのは、前回の時も利用した平民向けの一般的な宿で、比較的良心的な価格のところ。宿の主人や従業員たちも人当たり良く、出される食事もそれなりに美味い良宿だ。帝都に滞在する間はこの宿を拠点とする。
屋台は明日から広げることとして、今日はまず、帝都の商業ギルドに屋台営業の許可申請をしなければならない。こういうルールは街ごと、その土地の領主たちの取り決めによって違うのだが、帝都の場合はきっちりと申請が必要なのだ。申請を怠って無許可営業をすると罰金を取られてしまうので注意が必要である。ちなみにチャップは、初めて帝都で屋台を出した時にそのルールを知らず手痛い勉強代を支払った苦い経験があった。同じ轍は二度とは踏むまい。
帝都はカテドラル王国の王都よりも広大だが、チャップの宿から商業ギルドまでは歩いて1時間程度。往復2時間ならば、日が暮れるギリギリくらいには宿に帰って来られるだろう。
懐かしき帝都を歩いて1時間弱、チャップは、まるで巨大な倉庫のような風情の商業ギルドに辿り着いた。
大きな扉を開くと、人でごった返すギルドの中が目に入る。どうやら、チャップのように屋台や出店の申請に多くの人が訪れているようだ。
「こりゃあ、やっぱり祭でもあるんだろうな……」
申請用の受付に並びながら、誰にともなく呟くチャップ。
帝都は人の出入りが激しいから前回もある程度は申請の列が出来ていたが、今回はその何倍も人が並んでいる。
すぐ帰れると思っていた当初の目論見は外れ、1時間近くも待って順番が回って来ると、チャップは若干辟易した表情を浮かべながら、同じく辟易したような表情を浮かべる受付嬢と向き合った。
「屋台の営業許可をいただきたいのですが……」
「飲食ですか?」
「はい、麺料理の屋台です。酒も出します。明日から10日間ほどでお願いします。夜間だけで結構です」
「場所はどうされます?」
「前回はベドジェワ広場だったから……今回も同じ場所でお願いします」
ベドジェワ広場とは、平民が多く住む区画にある、比較的閑静な場所である。昼間は子供たちが集まって遊ぶようなところだが、夜に集まるのは、仕事が終わって屋台で軽く1杯引っかけようという大人たちだ。
「ベドジェワ広場ですね……」
復唱しながら、何やら手元の書類を確認し始める受付嬢。きっと、場所がまだ空いているか調べているのだろう。
彼女はしばらく書類とにらめっこしてから顔を上げた。
「大丈夫です。明日から10日間、夕方6時から朝6時までの12時間のご利用となります。場所代1日5000コルで……10日間ですと5万コルになりますね」
「はい。ではこれで……」
と、チャップは『アイテムボックス』のギフトを発動して、亜空間に手を突っ込むと、金が詰まった袋を取り出し、そこから5万コル丁度取って受付嬢に手渡す。
受付嬢は少し驚いた様子でその金を受け取った。
「あ……『アイテムボックス』のギフトですか。荷運びの方以外では初めて見ました…………」
まあ、彼女がそう言うのも無理はない。普通『アイテムボックス』のように有用なギフトを持っているのなら、持って生まれた才能を活かして多くの荷を運ぶような仕事をする。チャップのように屋台の収納に使っている者は珍しかろう。
「ええ。これのおかげで身軽に旅をさせてもらっています」
「そ、そうですか……」
商家にでも雇われた方が稼げるのに、とでも言いたそうな顔をしながら、チャップから受け取った金を数える受付嬢。実際にそう言わないのは、彼女なりの気遣いだろう。遠慮のない人間だと、こういう場合にずけずけと言ってくることもあるのだ。というか、他の街では実際に言われたこともある。それも、何回も。
まあ、それを「余計なお世話だ!」などと怒って返さず、笑って流すのはチャップの気遣いでもある。
受付嬢は金を数え終わると、無記名の許可証を取り出してペンを手に取った。
「5万コル、確かに。では、許可証を発行いたしますので、お名前をお伺いします」
「はい。チャップと言います。平民なので家名はありません」
「チャップ様ですね……」
そう言って、しかし彼女は何かに気付いたかのように、ハッとして顔を上げる。
「……え!? 麺料理の屋台で……チャップ!? 貴方もしや、伝説の放浪料理人、チャップ様ですか!?」
受付嬢がチャップの名を大声で口走った瞬間、その声が聞こえていたのだろう、周りにいた人たちがギョッとした様子でチャップに顔を向けた。
そして人々が口々に、
「あれが伝説の……」とか、
「マジかよ、本物か!?」とか、
「よっしゃ、久々にあの塩ヤキソバが食べられるぞ!」
などとざわめき始める。
チャップの高名は、どうやら帝都の商人たちにまで浸透していたらしい。
思いがけず注目を集めることになったチャップは、後頭部をポリポリと掻き、苦笑しながら頷いて見せた。
「あ、あ~、その……そんなふうに呼ばれることもありますかね…………」
間違っても自分が伝説の料理人だ、などと驕ったことは思わないが、しかし放浪料理人と呼ばれることは多々ある。伝説云々は抜きにして、チャップも自身が放浪の料理人だという自覚があった。
「でも、あんまり大きな声で言わないでいただけると……」
と、チャップが最後まで言い切るまでもなく、受付嬢は自身の失態に気付いて、慌てて頭を下げる。
「も、申しわけありません! 失礼しました!!」
「うん……まあ、次からは気を付けていただければ…………」
料理で注目を集める時は別にいいのだが、それ以外の場面で人の注目を集めるのはどうにも気恥ずかしい。
しかしながら、彼女も悪気があった訳ではないだろうから、殊更に責め立てるというのもまた違うし、チャップ自身怒ってもいなかったので、やんわりとそう嗜めるだけだった。
「すみませんでした……」
人々のざわめき冷めやらぬ中、もう一度頭を下げる受付嬢。
彼女は顔を上げると、早くチャップを解放する為だろう、すらすらと許可証に必要事項を書き込み、最後に帝都商業ギルドの判を押してそれをチャップに手渡した。
「お待たせいたしました。こちら、営業許可証になります」
「どうもありがとうございます」
チャップは許可証を受け取ると、早々にギルドから出て行こうとしたのだが、ふと、あることを思い出して受付嬢に向き直る。
「あの……つかぬことを伺いますが」
そうチャップが問いかけると、質問などされると思っていなかったのだろう、彼女は目をパチクリさせながら顔を上げた。
「あ、はい、何でしょうか?」
「近く、何か帝都でお祭りでもあるんですか?」
街中にしろ、ギルドにしろ、この混み様である。帝都で何かの催しがあるだろうことは想像に難くないが、帝国民ではないチャップではその詳細が分からなかった。
別に誰に訊いてもいい質問だったが、たまたま今、思い出したので、この受付嬢に訊いたまでなのだ。
彼女もチャップが帝国民ではないことは承知しているから「ああ」と頷き、こう答えた。
「明日は帝国闘技大会があるんですよ」
「闘技大会! ああ、あれですか!!」
その言葉で一気に思い出したチャップ。
帝都には巨大な円形闘技場、コロッセオがあるのだが、年に一度だけそのコロッセオが一般市民にも開放され、国中から集まった腕自慢の剣闘士たちが手に汗握る戦いを披露するのだ。
あくまでも殺し合いではなく、実戦形式で互いの技を競うようなものなのだが、これがまた白熱する。
国の運営ではあるが、この日ばかりは賭博も解禁され、人々は戦いに賭けにと熱狂の1日を楽しむ。
言わば、年に一度だけのどデカいお祭りだ。
まだ冬の気配が色濃く残る3月だというのに、人々の熱気で残雪も全て溶けようというもの。
長い冬がようやく明け、春を呼び込む催しが起源になっているのだと、チャップはそう記憶している。
確か前回帝都を訪れた時も、この帝国闘技大会の時期だった筈。
今の今まですっかりと失念していたのだが、どうやらチャップはいい時期に帝都へ来たらしい。
これはきっと、とんでもない数の集客を見込めることだろう。
いつもより遥かに忙しくなるだろうが、ここは腕の見せどころだなと、チャップは内心でニヤリと笑っていた。
本日はコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の更新日であります。
そして奇しくもチャップがフィーチャーされるエピソードでもあります。
カドコミ様で公開されておりますので、読者の皆様におかれましては、何卒ご一読をお願い申し上げます。




