名代辻そば従業員ルテリア・セレノとまかないの和風かつサンド
ルテリアの体感ではあるが、名代辻そばにパン系のメニューが追加されてからというもの、それまでとは違う客層が来店するようになったような気がする。具体的には、女性や子供たちといった客層だ。
今までも名代辻そばの料理は大人気だったが、働き盛りの男性客が多いという店の性質上、女性や子供のお客というのはそこまで多くはなかった。無論ゼロという訳ではなかったのだが、それでも割合的はそう多くなかったというのが実情である。
が、最近はその女性や子供のお客が増えてきて、しかも、彼ら彼女らの多くがパン系のメニューを頼んでいくのだ。
そばという料理はアーレスの人々にとって馴染みのないものだが、しかしパンは全世界にありふれている。そのありふれている筈のパンが特別に上等で美味いという噂を聞き、これまで寄り付くことのなかった新たな客層が訪れるようになったようだ。
加えて、主婦や子供たちの懐にも優しい、お小遣いで十分まかなえる値段というのも彼らにとっては決め手になったらしい。
連日の激務に次ぐ激務。この勢いはしばらく落ち着くことはないだろう。少なくとも、今月いっぱいは。
昼下がり、まだまだ客足が衰えぬ中、アンナと2人でホールの接客に奔走するルテリア。もう1人のホール担当、シャオリンは昼のまかないを摂っている最中だ。
朝にもしっかりまかないは摂ったのだが、腹の虫がしきりに何か食わせろと訴えてくる。
私も早く食べたいな、と思いながら流しに洗いものを運んでいると、文哉から声がかかった。
「ルテリアさん、そろそろシャオリンちゃんが食べ終わるみたいだから、交代していいよ!」
「はい!!」
待ってました、とばかりに頷くルテリア。
シャオリンが「ごちそうさまでした」と席を立ったのを確認してから、自身も彼女と代わるよう、そこへ座る。
すると、間髪入れず、ルテリアの眼前に料理を載せた皿が差し出された。
「はい、昼のまかない。リクエスト通り、和風かつサンド。これで良かったんだよね?」
「はい、ありがとうございます!!」
ルテリアは満面の笑みを浮かべて皿を受け取ると、その上に鎮座する料理をまじまじと見つめる。
かつ丼用のとんかつに和風のソースをたっぷり絡め、それに薬味のねぎをたっぷりまぶしたものをトーストそば用の食パンで挟み込んだ和風かつサンド。
先ほど文哉も言った通り、これはルテリアが彼にリクエストして作ってもらったものだ。
かねてより、具体的にはかつ丼がメニューに加わり、とんかつというものが食べられるようになった頃から、ルテリアは夢想していたのだ、いつかかつサンドを、それも和風に味付けされたものが食べたい、と。
ただのかつサンドではない、和風かつサンド。
この和風かつサンドというものには、ルテリアにとって少しばかり思い入れがあるのだ。
サンドウィッチというものは、地球においては珍しいものではない。パンに具材を挟んだものであれば、それが何であろうとサンドウィッチと呼べるもの、世界中のあらゆる国で食べられている。
ルテリアの故国、フランスにも当然サンドウィッチはあったし、カツレツの原型と言われるコートレットを挟んだ、言わばフランスのかつサンドと呼べるものもあった。
しかしながらコートレットの肉は牛肉、それも仔牛肉だし、パンについてもバゲットやチャバタといった硬いものである。
それに対し、日本のサンドウィッチのかつサンドは豚肉であり、パンは柔らかな食パンを使う。
何と言えばしっくり来るのか、同じサンドウィッチではあるが、流派が違う、といった感じだろうか。
日本へ留学した大学生時代、地元東京の学友たちに連れられ、学食で初めて食べた和風かつサンド。
ルテリアにとっては、これもまた衝撃の出会いだった。
醤油を使った甘めのソースに、酸味の利いたマヨネーズがまた合うのだ。
フランスにはないこの和風の味付けが、ルテリアの舌に直撃し、そのまま鋭く刺さったのである。
以来、学食で食事をする時は必ず和風かつサンドを頼み、外食の場合は名代辻そばへ行く。それがルテリアにとってのルーティーンとなった。
アーレスに転生した当初、ルテリアは冷したぬきそば同様、この和風かつサンドにも恋焦がれたものである。
食文化が地球より大きく遅れたこの世界。パンを食べれば硬くてボソボソ、とんかつどころか揚げものなど王族ですら滅多に食べられず、和風の味付けなどは影も形も存在しないといった惨憺たる有り様。
こんな世界でかつサンドを食べるなど、夢のまた夢。自炊が出来ればまだ希望はあったのだろうが、生憎ルテリアは全く料理が出来ない。親元を離れ、東京に留学していた時ですら、料理については同居していた叔母に任せ切りだった。
アーレスの料理事情を知った当初、地球で料理の作り方を学ばなかったことをこんなに後悔したことはない。技術はなくとも、せめてほんの少しの知識さえあれば、最低限マヨネーズくらいは作れたのだろうに、と。
この和風かつサンドを見ていると、あの時の後悔や、ダンジョン探索者時代の艱難辛苦がありありと脳裏に蘇る。
そして改めて思うのだ。今のこの状態がどれだけ幸せなのか、と。
アーレス側から見て異世界からの転生者、ストレンジャー。どの時代にも必ず世界の何処かにストレンジャーはいるものだし、地球からのストレンジャーも何人か確認されている。しかしながら同じ国、同じ場所に地球出身のストレンジャーが揃うことがどれほど奇跡的なことなのか。更に、そのストレンジャーが戦いや醜い欲望を叶えるのでもなく、まさかチェーンの飲食店を召喚するギフトを望むとなると、その確率は天文学的なものとなるだろう。
今の幸せは当たり前のものではない。
このかつサンドひとつにしても、ルテリアの眼前にあるのは奇跡の上に成り立ってのことなのだ。
「……いただきます!」
これを作ってくれた文哉や、自らの糧となる食材へ、そして文哉を遣わしてくれた神様に感謝しながら、和風かつサンドを手に取って、ガブリと齧り付く。
ルテリアの歯が甘く柔らかなパンを突き破り、揚げ立てサクサクの衣に到達、そこからジューシーな肉に到達する。
そして、それら全てを咀嚼すると、たったひと口で驚くほど多彩な味が舌の上に広がった。
パンの甘さ、衣の香ばしさ、みりんが強く利いた和風だれの甘さ、マヨネーズのまろやかな酸味、ねぎの鮮烈な辛味、たれに微量だけ加えられた隠し味、レモン果汁の爽やかさ。
「うぅ~ん……ッ」
思わず唸り声が洩れるほど美味い。
作り手が違うので寸分違わず、という訳にはいかないが、しかしこれは紛れもなく和風かつサンドだ。
いつまでも口の中でこの美味を楽しんでいたいが、そんなことをしていては食事が終わらない。
ルテリアはコップを掴むと、その中身をぐっと呷る。普通の水ではない、今回は特別に用意してもらったレモン水だ。
レモンの酸味が利いた水が、口内のものを爽快に胃の腑へと流していく。何とさっぱりとするのだろう。
だが、口の中がさっぱりすると、すぐさま濃厚な和風かつサンドの味が恋しくなる。
そして渇望のまま和風かつサンドにかぶり付く。
ループだ。重たく濃い味の和風かつサンドと、爽やかなレモン水。これは無限に食べ続けられる美味のループだ。
食パン2枚にとんかつ1枚を使った豪快なかつサンドが、あっという間になくなってしまう。
ルテリアは最後に、皿にほんの少しこぼれてしまったマヨネーズを指に取り、それをペロッと舐めてから席を立つ。
「ごちそうさまでした! 次、アンナさんと代わります!!」
ルテリアがそう言うと、文哉は顔だけ向けて、分かったと頷いた。
「作ったことなかったから結構アドリブで作ったんだけど、美味しかった、和風かつサンド?」
訊かれて、ルテリアは勿論だと頷く。
「はい、とっても! 何だか大学生だった頃のこと思い出しちゃいました」
料理の味、特に美味しいものを食べたというその経験は、思い出に直結するもの。ルテリアにとっては、和風かつサンドの味は楽しかった大学生活の思い出と直結している。
自覚はないが、自分から和風かつサンドをリクエストしたということは、今日のルテリアは無意識に過去を懐かしみ、ほんのひと時その思い出に触れることを欲していたのだろう。
毎日忙しくて、常に慌ただしく『今』と向き合わねばならぬ生活ではあるが、こうしてたまさか、美味を通じて『昔』と触れ合うのも良いものである。過去の楽しかった記憶が色褪せることなく蘇り、そこから先へ進む為の活力がもらえるような気がするのだ。
それもこれも、名代辻そばという店がなければ、そして何より文哉がいなければ成り立たないものなのだが。
「和風かつサンド、ありがとうございました! おかげさまで元気が出ました!!」
文哉に礼を言うと、ルテリアは流しに食器を突っ込み、洗いものを始める。
今日は思いがけず過去の思い出から元気をもらえた。
過去ばかりを懐かしみ、悲嘆に暮れることがないのは、現在が幸せだからである。ダンジョン探索者時代のルテリアだったら、きっと悲しみの涙を流していたことだろう。
衣、食、住、そして素晴らしい仲間たち。
天涯孤独だと思っていたこの世界で、ルテリアは得難いものを得たのだと改めて思う。本当に感謝だ。
そんなことを思いながら、手早く洗いものを終えると、ルテリアはアンナとシャオリンが悪戦苦闘しているホールへと戻る。
「アンナさん、交代! 今日のまかないは和風かつサンドよ!!」
「はいよ! ……って、ん? ワフウって何?」
そう言って不思議そうな表情を浮かべるアンナに、ルテリアは思わず苦笑してしまった。
本日は本来であればコミカライズ版名代辻そば異世界店の更新日なのですが、作画担当の林ふみの先生の体調不良により今回は休載となります。
次回更新は8月4日となりますので、読者の皆様におかれましては、いましばらくお待ちいただければと存じます。




