侯爵令嬢ミラベル・シナティと合わないようで合うカレーパン丼⑤
ミラベルは最初、セントの言葉を聞いた時、彼は不器用な人なのだなと、そう思った。
趣味もなく人付き合いも悪く、日々淡々と仕事をするだけの日々を送っていると言うセント。
彼の実直な仕事ぶりは、実はミラベルも知っている。彼を婚約者に、とミラベルが望んだ直後から、父が密かに自分の人脈を使ってセントのことを調べたのだ。その結果、彼がどういう人間なのかが分かった。日々真摯な態度で仕事に励み、休日も訓練に費やす毎日。遊興には一切手を出さず、女人にも手を出さず。暮らしぶりは質素そのもの。
絵に描いたような真面目な男。しかも清貧を常としている。
これには同じ騎士である父も文句の付けようがなかったらしく、渋い顔で閉口していた。
「確かに文句なく真面目な男だが、お前は本当にこの男でいいのか? 言っては何だが、私には何の面白味も感じられん」
旧王都からの内偵の結果を受けた父は、難しい顔をしながらそのように問うてきたのだが、ミラベルはこれに対して迷いなく頷いて見せる。
「真面目な殿方、良いではありませんか。浮気したり遊びで借金を作るような人でなくて何よりです」
ミラベルは自身の結婚相手に、面白い、ということを求めていない。無論、面白い人間が嫌いな訳ではない。だが、誠実さであったり、強さであったり、そういうことの方が自分の中の優先順位として上だというだけなのだ。
しかし、ミラベルがそう言い切っても、父は渋い顔を崩さなかった。
「だがなあ、騎士爵だぞ? 侯爵家で生まれ育ったお前が、騎士爵家の貧乏暮らしに耐えられるか?」
「最初からお金のことには期待していません。持参金はたっぷり用意しましたし、足りなければ自分で稼ぎます。私もシナティ侯爵家の女。お金の稼ぎ方は重々心得ております」
「私はどうも、お前の結婚生活が無味乾燥なものにならんかと心配でな……」
「心配しすぎですよ、御父様」
「お前とは合わんと思うがなあ……」
父の言うことも分からないではないが、きっと心配しているようなことにはならないだろう。
何せ、かく言う父がセントと同じ類の人物なのだから。
ミラベルの父、ローガンもまた真面目で職務に忠実な人間であり、また、寡黙な人物でもある。あまり無駄口を叩くことはなく、家族の食卓でも話しているのは母や兄たちばかりで、自分は黙々と食べているだけ。だが、だからといって家族仲が冷え切っているなどということはなく、むしろ良好。父はあまり喋らないというだけで母の話をちゃんと聞いているし、母も自分が一方的に話しているだけという状況でも、父がちゃんと相槌など返して話を聞いてくれていることを確認している。
要は意思の疎通がはかれない、つまり心の交流がないことが問題なのであって、お互いに交わす言葉が少なくとも、ちゃんと意思の疎通が取れていればいいのだ。
セント・リーコンという人は実際に対面してみると、案の定口数の少ない、如何にも寡黙な人物だったが、それでもミラベルが落胆するようなことはなかった。
この人の口数が少ないのは、きっと、口下手だからだろう。嫌悪感のようなものは感じないから、ミラベルを嫌っている訳ではないことも分かる。
対するミラベルは、母譲りの喋り好きだ。
勿論、母ほどひっきりなしに喋り続ける訳ではないのだが、それでも普段は沈黙を感じさせないくらいには喋っている自覚がある。
この二人の相性は、はたして良いのか、それとも悪いのか。
父から見れば合わないということなのだろうが、それはまだ分からない。少なくとも、二人でじっくり話してみるまでは。
そしてミラベルには、何故だか根拠のない自信があった。彼とは、セント・リーコンとはきっと合う筈だ、と。
まだ直接的に言葉は交わしていないものの、これから交流を深めていけば、きっと心も通じ合う筈だ。
そんなふうにミラベルが思っていたところ、どういう訳かナダイツジソバなる店で昼食を摂ることになった。
このナダイツジソバという店の名前は、ミラベルも聞いたことがある。ここ1年ばかりの間に、よく名を聞くようになった。巷の情報や流行に疎いようでは、商売人とは言えない。タンタラス商会は食材の卸もやっているので、料理店の情報も頻繁に入ってくるのだ。
何でも、噂に曰く、ナダイツジソバはソバなる美味な麺料理を出す店なのだと。しかも、セントが日頃通い詰めているのだという。ハイゼン大公の話によると、彼もまた、時間を見つけてはそのナダイツジソバに通っているらしい。
だが、そんな話を聞いても、ミラベルにはいまいちしっくりとこなかった。何故なら、そのナダイツジソバなる店はレストランではなく、平民が使う食堂だからだ。
王都育ちのミラベルの常識として、主な客層が平民の食堂を使う貴族はあまりいないし、その傾向は爵位が上に行くほど顕著になる。別に平民を蔑んだり下に見ている訳ではないが、ミラベルも食堂に行ったことはない。たとえ護衛がいようと貴族の令嬢が警備も何もないような場所に寄ったりするなと常日頃から父に言い含められているし、レストランや屋敷の料理人たちが作るものより美味しいとは思えないからだ。
普段のミラベルであれば、誰かに誘われても食堂に行こうとは思わないだろう。が、今回は行かない訳にもいかない。何故なら、これを言い出したのが自分より上位、国内貴族の最高位に位置するハイゼン大公なのだから。
それにミラベルの想い人、セントもその食堂を贔屓にしているというのだから、彼のことをもっとよく理解する為にも、行ってみる価値はあるだろう。少なくともセントの食の好みを知る一助にはなる。ハイゼン大公も通っているというのなら、少なくとも我慢して食べなければいけないほど不味いものを出されることはない筈だ。
そんなことを考えながら、ごく少数の護衛のみを連れて城を出たミラベルたち。てっきり馬車で行くものと思っていたのだが、ごく近いところだからと徒歩で行くことになった。
城を出て、城壁に沿って東側に歩いて行く一行。
ミラベルは何度もこのアルベイルには来ているのだが、城の東側に行ったことはない。シナティ侯爵家の屋敷があるのは貴族街、城の西側だからだ。アルベイルの入市門は正門の他に西門と東門が設けられており、ミラベルはいつも貴族街に近い西側の入市門を利用している。故に、東側を訪れたことがなかったのだ。
そう言えばこのあたりには来たことがなかったな、などと思いながらミラベルが歩いていると、不意に、道の先に人々が列を成している光景が目に入った。
「あれは……」
一体何だろうと、不思議に思い、少しだけ首を傾げるミラベル。見れば、父もまた不思議そうに眉間にシワを寄せていた。
4、50人は並んでいるのではなかろうか。何もない筈の城壁にそれだけの人々が列を作っているのだから、不思議に思わない訳がない。
だというのに、ミラベルと父、それに侯爵家から連れて来た護衛たち以外は一切驚いている様子も不思議そうにしている様子もない。
あの人たちは一体何をしているのだろうと、ミラベルは奇妙なものを見るような目を行列に向けていたのだが、だんだん距離が縮まるにつれ、その詳細が明らかになってきた。
彼らは何もない城壁に並んでいたのではない、まるで城壁をくり抜いてそこにすっぽりと嵌め込んだように佇む一軒の建物に並んでいたのだ。
「な、何だ、あれは……? 閣下、まさかあれがそうなのですか?」
滅多なことでは驚くことのない父が、困惑した様子でハイゼンにそう訊く。
その言葉を聞いて、よくぞ訊いてくれたと、ミラベルは思った。ハイゼンが圧倒的上位者であるが故に黙っていたが、ミラベルとて疑問に思っていたのだ。
父の質問に対し、ハイゼンが何故だか不敵な笑みを浮かべてそうだと頷いた。
「うむ、あれこそがナダイツジソバ。この町で一番とも言われる食堂だ」
そう言われて、ミラベルも父も、途方もないものを見るような目を行列の先にやる。
ナダイツジソバ。
この店は、もしかするとミラベルが考えているような、普通の食堂よりも少しだけ珍しい料理を出すような、ただそれだけの食堂ではなく、普通とはかけ離れたものなのかもしれないと、漠然とそんなことを思った。
久しぶりの更新となりました。
前回の後書きでも触れましたが、先月(5月)15日、コミックヒュー編集部様とダイタングループ様のご厚意により、名代辻そば異世界店の店舗モデルとなった、名代富士そば水道橋店様に、コミカライズ担当の林ふみの先生共々お邪魔させていただきました。
ダイタングループの広報様、エリアマネージャー様、店長様などにご挨拶させてもらい、店舗内でプレゼント用のポスターとどんぶり(実際に名代富士そば様で使われているもの)にサインをさせていただきました。
ポスター、及びサイン色紙のプレゼントキャンペーン期間はすでに終了しているのですが、サイン入りどんぶりのプレゼントキャンペーンは本日一杯までご応募が可能です。詳しくは名代富士そば様のXを御覧ください。林先生の可愛らしいイラストとサインが入った魅力的などんぶりとなっておりますので、まだの方はこの機会に是非ともご応募を。
我々の訪問の様子は、コミックヒュー様の公式X上にて画像付きで公開されておりますので、ご興味がおありの方は是非とも御覧ください。
そして宣伝もさせてください。
名代辻そば異世界店2巻、今月25日発売となります。
今回もなろう版に加筆してパワーアップした内容に加え、書籍版でしか読めないオリジナルエピソードを追加しております。
読者の皆様におかれましては、今巻もお手に取ってお楽しみいただけましたらば幸いでございます。
また、コミカライズ版名代辻そば異世界店の最新話が明日(6月4日)更新されます。
今回もセント編の続きとなっておりますので、皆様何卒ご一読を。




