侯爵令嬢ミラベル・シナティと合わないようで合うカレーパン丼④
急に決まった侯爵令嬢とのお見合い。
相手はこの春に学園を卒業したばかり、セントとは7つも離れた少女なのだという。
名は、ミラベル・シナティ。侯爵家の三女だ。
セントは確かに彼女の窮地を救ったかもしれないが、それは別に運命的なものではない。あくまで己に課された、当時の職務として救ったに過ぎない。仮にあの時巡回していたのがセントではなくとも、巡回当番になった誰かが同じ結果を出しただろう。
件の令嬢は恋に恋をしているだけ。ドラマティックな状況で現れた人物、限定状況で助けてくれた者に惚れたというだけのことでしかないのだ。別にセント個人の人柄に好意を抱いている訳ではない。
上位貴族の令嬢に好意を向けてもらうというのは、別に悪い気分ではないが、しかし彼女の目が覚めればその状態も終わることだろう。現実を見れば、幻滅して正気に戻る筈だ。自分は何とつまらない男に好意を抱いていたのだろうか、と。
セントは自分がつまらない男だということを自覚している。職務に忠実ではあるが、さして面白味もなく、口が回ったり弁が立つ訳ではもなく、博識でもなく、社交的でもなく。
彼女の熱が冷める前に婚約を結んだとしても、いずれ化けの皮が剥がれることは明白。そうなれば彼女を不幸にする結果しかもたらさないだろう。
ミラベルの為を思うのなら、セントは彼女のことを振るべきなのだ。騎士爵が侯爵家の令嬢を袖にするなど贅沢な話だと分かってはいるが、セントと彼女ではきっと合わないだろう。
千載一遇のチャンス、などと浮かれて婚約を結んだとしても、お互い不幸になるのは目に見えている。
さて、そうと決まればどうやって彼女を傷つけぬように今回のお見合いを流すべきか。
大公閣下たっての頼みと、侯爵家からの打診もある。お見合いそのものを断るという選択はない。
何か妙案はないものか。先輩騎士などに相談してみるも、こんなチャンスはないのだぞ、我儘を言うなと逆に怒られる始末。
明確な答えを見つけられぬままに時は過ぎ、お見合いの日を迎えてしまったセント。
今現在、セントは旧王城の客間にて、テーブルを挟んでミラベル・シナティ侯爵令嬢と対峙している。
ミラベルの隣には彼女の父親、ローガン・シナティ侯爵が。セントの隣には、両親の代わりの後見人として、恐れ多くもハイゼン大公が。
ミラベルは赤面して顔を俯け、時折チラチラとこちらに視線を送っているようだが、シナティ侯爵は何だか不機嫌そうにむっつりとしたまま。隣のハイゼン大公はニコニコとしているのだが、セントは正直、いたたまれない心持ちだった。
この婚約、お見合いの打診というのは、シナティ侯爵家からのもの、セントから懇願したものではないというのに、何故、シナティ侯爵は機嫌悪そうにしているのだろう。
セントが何か粗相をしたというのならまだ分かるが、彼は顔を合わせた当初から不機嫌そうだった。いかにも娘の婚約に納得していない、というふうである。
全く、何というカオスな雰囲気だろうか。
こんな混沌とした空気が漂う中でお見合いをするなど、些か酷である。これならば、盗賊を退治している方がまだ気分的に楽だ。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
最初に挨拶をしてからというもの、誰も、何も声を発さない。
別にこの沈黙に焦れたという訳でもなかろうが、ややあってからハイゼンが口を開いた。
「ふふふ、初いものよな……」
ニコニコ顔のまま、そう呟くハイゼン。どうやら彼は、この沈黙が気まずさから来るものではなく、若者二人の初々しい緊張から来るものだと思っているらしい。
「まあ、ほぼほぼ初対面のような二人だ、会話のきっかけがなければ話しづらかろう。のう、リーコン卿?」
いきなり話を振られたもので、セントは不意を突かれたとばかりにビクリと肩を跳ね上げてしまった。
「えッ!? あ、そ、そうですね……」
どう返していいのか分からず、しどろもどろになって答えるセント。
セントが焦っていることになど気付きもせず、ハイゼンは満足そうにうんうんと頷く。
「どうだろう? まずは趣味の話など如何かな? 相手が何を好み、何に熱中しているのか? それを知るのは相互理解の第一歩だと思うのだが」
ハイゼンがそう言うと、ここで初めてシナティ侯爵が口を開いた。
「……ふむ、それは私も興味がありますな。私はリーコン卿がどのような御仁なのかまるで知らない。貴公が好むものを知れば、その人柄を知る一助になろう」
相変わらずむっつりとした顔のままではあるが、侯爵はまるで値踏みするような目をセントに向けてきた。
大事な娘の相手として、まだ認めてはいないが、とりあえず人となりくらいは知っておこう、といったところだろうか。
「は、はあ…………」
だが、対するセントの答えは曖昧だ。答える気はあるのだが、しかしどう言葉にすればいいのかが分からない。
正直、趣味らしい趣味などない。普段は仕事と訓練、休日も訓練をして寝るだけの面白味のない生活。たまに読む本も娯楽の為ではなく、騎士として知識を得る為のもの。資料でしかない。それでいて友達付き合いなどもほぼないに等しいのだから、こんなにつまらない男はいないだろう。
セントがあらためて自分の面白味のなさに閉口していると、ここでおずおずと、それまで一言も喋らなかったミラベルが声を発した。
「あのう……」
ゆっくりと顔を上げ、気恥ずかしそうにおずおずと口を開くミラベル。
すると、それに気付いたハイゼンがニコリと笑みを向けた。
「ん? おお、御令嬢から言いなさるか。結構、結構。して、御令嬢の趣味とは何かな?」
「私は…………お金を稼ぐことが好きです」
貴族の令嬢らしからぬ、いきなりの告白。
「「えッ!?」」
これにはセントとハイゼンが揃って唖然とした声を発し、侯爵も自分の娘がいきなりとんでもないことを言い出した、というようにギョッとしている。
まだ10代の貴族令嬢の趣味がまさか金策とは誰が思うだろう。
あまりに意外。
金というものにさしたる執着がないタイプのセントとは正反対だ。
贅沢はせず、日々を慎ましく暮らし、余った金は貯めておくか実家に送る。質素倹約、清貧を地で行くセントではあるが、これは己を律する為に意識してそうしている訳ではなく、生来がそういう性分なのだ。
貧しい農家の出身で貧乏を苦にしないセントと、裕福な上位貴族の出身で金を稼ぐことが趣味だと言うミラベル。
これは、どう考えても2人の性格が合わない。無理に結婚したところで夫婦生活は途端に破綻することだろう。お互いの価値観が違い過ぎる。
やはりこのお見合いは破談に持っていって然るべきなのだと、セントは己の中で決意を改めた。
皆の注目を一身に浴びつつも、ミラベルはしっかりとした口調で言葉を続ける。
「リーコン様も大公閣下も御存知だとは思いますが、我がシナティ侯爵家はこのカテドラル王国で一、二を争う大店、タンタラス商会を運営しております」
ミラベルの言葉に、驚き冷めやらぬといった様子ではあるが、ハイゼンが頷きを返す。
「……う、うむ、そうだな。本店の方は、今は王都に移転してしまったが、商会の一号店は今でもこのアルベイルで営業している」
そう、タンタラス商会が発足したのはこのアルベイルがまだ王都だった時代、100年以上も前に遡る。かなり歴史ある商会なのだ。
「我がシナティ侯爵家は武人の家系。男子は武の道に邁進し、家業は女子の仕事。故に私も家業の手伝いをしております」
その言葉を聞いて、セントは思わず「ほお……」と声を洩らしてしまった。
まさか国一番とも言われる大商会を、上位貴族とはいえ女性のみで運営していたとは。
いや、無論、従業員が全員女性だとかいう訳ではない。現に、セントがかつて助けた番頭などは中年男性だった。彼は確か、あの時点で商会の二番手だった筈。
だが、その筆頭はやはり女性。恐らくは侯爵夫人がその役目を担っているのだろう。
セントは平民から爵位を得た似非貴族なので、生来の貴族家というものが如何なるものかという知識がないのだが、このように女性たちが家業を担うというは、もしかすると珍しいことではないのかもしれないと、そう思った。
領地運営にしろ、城勤めにしろ、男性の貴族には欠かすことの出来ない仕事がある。これに加えて商売をするとしても、手すきの時間にやれることなどたかが知れているだろう。かと言って商売にばかり時間を割くのでは貴族としての役目が疎かになる。
女性が家業を回すこと。考えてみると、これはやはり理にかなったことなのではなかろうか。
「私は13から商会の手伝いを始めたのですが、そこで学んだのは如何にお金というものが大切であるか、ということです」
そう言って、過去を懐かしんでいるかのようにはにかむミラベル。
そんな少女らしい仕草をしながら、言っているのは金のことなのだからおかしいものだ。
「金子の大切さ、か……」
最初は面食らった様子だったハイゼンが、表情を正して「ふうむ」と頷く。
きっと、同じ貴族として彼女の言葉に思うところがあるのだろう。
貴族家における金の大切さ。
貧乏暮らしが苦にならず、かつ貴族としての社交をしないセントには真の意味では分からないものだが、それについて考察することは出来る。
貴族の暮らしというのは、何かと金が要り様なのだ。それも、上位の貴族になればなるほど出費が増える。その出費に耐えられず金をケチッてしまうと、どうしてもそこの部分がアラとして目立ってしまう。貴族にとって、アラとは付け入る隙に他ならない。それが原因で侮られたり下に見られたりすることは火を見るよりも明らか、下手をすれば没落にまで繋がるだろうし、最悪は爵位を手放して家が潰れることすらも考えられる。
故に、上位貴族ほど家業を興して金を稼ぐことが肝要。
なるほど、確かに貴族にとって金とは切っても切れない重要なもの。最初に趣味が金稼ぎと聞いた時は思わずギョッとしてしまったが、考えてみればそこまで不思議なことではないのかもしれない。
むしろ、年齢に比べて随分としっかりした御令嬢だと褒めて然るべきなのではなかろうか。まあ、大分言葉を選んでいない感じはするのだが。
ミラベルは貴族の令嬢らしくニコリと上品な微笑を浮かべてから、続く言葉を口にした。
「商売をやる者ならば誰でも知っていることですが、お金というものは生き物です。使い方次第で活かすことも死なせてしまうこともあります」
「金子は生き物か。確かに言い得て妙ではある」
「直接的にお金の話をするのは下品、特に高貴な身であれば眉をひそめられることすらありますが、しかし世の中を回すものとしてお金は必要なものです。生物で言えば血液、魔導具で言えば歯車のようなもの。これなくして世の中は回りません」
「まあ、少しでも文明に触れて生活している者であれば、金子と無縁ではいられぬわな」
「我々は貴族ですからある程度は貯蓄を作りますが、きっと、他の侯爵家に比べればその蓄えは少ないと思います。お金を貯めたまま使わない、というのは経済の停滞に繋がります。つまりは死に金です。お金というのは回さねば活きませんから」
金は天下の回りもの。
世俗や貴族のことに疎いセントでも聞いたことのある言葉である。
浮き沈み著しいこの世の中、資産家が保有する財産とて永遠のものではない。ならば使うべき時には使わねばならないのだ。
それが、彼女の言う、金を活かす、ということ。
これは、セントの中にはない考え方だが、しかしそれに対して反感はない。むしろ、自分にはない、本来持つべき感覚のひとつだという気さえする。
そして、ミラベルはこの歳でこの考えを持つに至ったということに、セントは素直に感心した。上位貴族という立場に胡坐を掻いていない、勤勉な少女だ、と。
見れば、ハイゼンも感心したように、うむ、うむ、と頷いていた。
「なるほどな。つまり、御令嬢はその金子を回して活かすことにやりがいを感じているというわけか」
「そうです。税で生きる貴族たる身であれば、率先してお金を回し世の中に還元する。それは姉たちが私に教えたことでもあり、母から教えられたことでもあり、お祖母様から、そして歴代のシナティ侯爵家の女子たちから連綿と受け継がれたきたもの。故に、私はお金を稼ぎ、そして商会を通して世の中に還元することを自らの誇りとし、それが何より心楽しむことと感じているのです」
故に、金を稼ぐことが趣味だと、最初に言ったのだろう。
実にしっかりとした考え方だ。
「立派なことだ。若い身空でしっかりとしている。のう、侯爵?」
ハイゼンが満足そうに頷きながら、それまでずっと黙っていたシナティ侯爵に顔を向ける。
最初こそ苦虫を嚙み潰したような渋面だった侯爵ではあるが、娘の真意を最後まで聞いた今、彼も不服そうな顔はしていなかった。口元をぐっと引き結んで眉根も寄せているものの、もう娘の言ったことも認めているようだ。
「………………恐れ入ります」
ほんの一瞬だけミラベルに視線を向けてからハイゼンに向き直り、深々と頭を下げる侯爵。
すると、彼に倣うよう、ミラベルも一緒に頭を下げた。
ハイゼンはこれにも満足そうに頷くと、次いでセントに顔を向ける。
「さて、リーコン卿」
「は」
「貴公はどうだ? 何ぞ、趣味などはないのか?」
「私は……」
訊かれて、しかし言い淀むセント。
セントには、趣味と呼べるようなものは何もない。陽が出ているうちは仕事をして、夜はさっさと寝るだけの生活。休日は仕事の代わりに訓練をするだけ。ミラベルのように積極的に金を使うこともない。
自分で言っていて何だが、驚くほど面白味のない男だ。
身分だ何だの前に、人として、ミラベルのような活発な人間には合わないだろう。というか、彼女の為にも合わせてしまうべきではない。
「私はつまらぬ人間なのです」
顔を上げ、意を決してセントは口を開いた。
「ふむ?」
「………………」
セントの唐突な言葉を受け、ハイゼンとシナティ侯爵は訝しむような表情になり、ミラベルは真意を探るよう、真剣な目を向けてくる。
「仕事には真面目に取り組んでいるつもりです。しかし私生活ではこれといって熱中していることもなく、人付き合いも上手くなく、口下手で、皆を楽しませるようなことが出来るでもなく、さして物欲もなく。そんなわけですから、昵懇の友もおらずといった有り様でして……」
ただ、真面目に仕事をする。たったそれだけの男。それがセントが自覚する、己の正体だ。
日々の生活に余裕のない平民、特に休みらしい休みもなく毎日あくせく働く農民には私生活などほぼないに等しいのだが、それでもセントの家族たちは決してつまらない人間ではなかった。父は寡黙だが手先が器用で木彫りの器など作るのが趣味だったし、母は喋り上手で子供たちに面白い話を沢山してくれた。また、家を継いだ兄は意外にも料理上手だったし、その他の兄弟たちも何かしら趣味のようなものはあった筈だ。
セントだけ。セントだけが、真面目一徹の面白味のない人間に育ってしまった。
面白味もなく、楽しみらしい楽しみもない。これまでは確かにそうだった。
が、実のところ、今はそんなセントにもたったひとつだけ、小さな楽しみがある。
だが、それもまた、ミラベルのような貴族令嬢との相性は良くないだろう。それを口にすれば、彼女は恐らくセントのことを敬遠するに違いない。
いや、むしろ敬遠してもらうべきだろうと決心を固め、セントはそれを告白することにした。
「ですが、近頃はそんな生活にも少しだけ変化がありまして。まあ、自分の任務にも関わることなのですが、ひとつだけずっと、飽くことなく続けていることがあります」
セントが言うと、ここで初めて、ミラベルがセントに対して直接言葉を返す。
「それは、どんなことですか?」
「ツジソバです」
そう、ナダイツジソバである。
ハイゼンが庇護下に置くストレンジャーの店主、フミヤ・ナツカワを陰ながら警護する為、セントは彼が営むナダイツジソバに通い詰めているのだ。
最初は確かに任務として訪問していた筈だったのだが、彼の店で供される郷土の味、サヴォイがたっぷりと載ったホウレンソウソバ。これに一発でノックアウトされてしまったセントは、以来ほぼ毎日ナダイツジソバに通い、ホウレンソウソバを食している。すっかりと嵌ってしまったのだ。
セントの人生において、何かひとつのことにのめり込むという経験は、恐らくこれが初めてだろう。
「「は?」」
セントの言葉を聞いた途端、ミラベルと侯爵が揃って首を傾げた。まるで聞いたこともない未知の言葉を聞いたとでも言うような、不思議そうな顔だ。
この表情を見るに、彼らはナダイツジソバのことを知らないのだろう。
まあ、彼らはアルベイルではなく王都の住人。ナダイツジソバのことを知らずとも無理はない。
それに、仮に知っていたとしても、ナダイツジソバは平民が主な客層を成す大衆食堂。料理の味については極上ではあるものの、上位貴族の御令嬢が足を運ぶような場所ではないように思える。現に、セントはナダイツジソバで貴族の御令嬢が食事をしている姿を見たことがない。
「ナダイツジソバで食事をすることです。私にとって、故郷の名産であるサヴォイを食べられるホウレンソウソバが不動の1位なのですが、最近はこれに、新メニューのカレーパンドンを付けることを楽しみとしております」
困惑したままの2人に対し、セントは分からないだろうなと思いながらもそう言って見せる。
ナダイツジソバが最近供するようになった新メニュー、カレーパンドン。見た目からして何とも奇怪な料理なのだが、これがまた意外にも美味くて、騎士団の若い者たちから特に評判がいいのだ。美味しい上にガッツリ食べられて腹持ちがすこぶる良い、と。
理解が得られないのは分かった上で、あえて振ったナダイツジソバの話題。
しかしながら意外や意外、これにハイゼンが食いついてしまった。
「ほうほう。ならば、今日の昼餉は侯爵たちも招いて、ナダイツジソバで食べさせてもらおうか? のう、リーコン卿?」
まるで妙案だとばかりに、ひとりでそう頷くハイゼン。
「「「は?」」」
これには流石に、セントも揃って三人で首を傾げてしまった。
実は本日、東京に来ております。
この東京訪問の目的と様子につきましては後日の更新、そのあとがきにて詳細を書かせていただきたいと思っております。
今回の東京訪問の目的につきまして、勘の良い読者様ならば何とはなしに想像がつくのではないでしょうか?
次回更新が待ち切れないという方は、コミックヒュー様のSNSの方をチェックしていただくといいかもしれません。
東京に来たのなら、行くべきところはあそこしかない。




