侯爵令嬢ミラベル・シナティと合わないようで合うカレーパン丼①
6月。もうそろそろ初夏と呼んでもいい、陽光が眩しい時期である。
木々や草花がその緑に深さを増し、生命力に満ちた濃厚な匂いを漂わせる季節。
この季節になると、アルベイル騎士団は7月に行われる大遠征に向けて忙しくなる。
毎年7月、アルベイル騎士団は2組に分けてダンジョンでの実戦演習に臨むのだが、その準備が佳境を迎えるのだ。
当然、下っ端騎士のセント・リーコンも毎日忙しく動いているのだが、そんな日々の中、セントは突如として大公ハイゼン・マーキス・アルベイルから呼び出しを受けた。
セントは確かに貴族ではあるが、下位も下位、貴族として最下位の騎士爵だ。対して、ハイゼンは貴族としては国内最高位に当たる大公。しかもセントが仕える主でもある。
セントから見れば、王族とさして変わらぬ天上人。というか、降臣したというだけで元は王族。しかも今代国王とは双子の兄弟だというのだから実質的には王族と同じであろう。
そして、そんな天上人から名指しで呼び出されたのだから、セントとしては心臓が飛び出そうなほど緊張してしまう。
これまで、ハイゼン大公とは何度か言葉を交わしたことがあるものの、そのどれも平常心でいれたことなどない。かろうじて表情を変えずに済んだ、というだけで内心は緊張の極みにあり、これだけはこれから何度経験したところで慣れるものではないだろう。
しかし、今回の呼び出し、その理由は何だろうか。騎士団長であるアダマント伯爵から呼び出されることはたまにあるが、ハイゼン大公から直々に呼び出されるというのは、これが初めてのこと。別に仕事の上でミスなどはしていないし、怠慢というのもないだろう。職務については忠実にこなしているし、影の任務、ストレンジャーであるフミヤ・ナツカワを守護する為、なにくれとなくナダイツジソバへも通い続けている。
悪いこと、たとえば左遷などでなければよいのだが、はたして何を言われるものか。
ごちゃごちゃと思考を巡らせたまま城内を歩いていると、いつの間にかハイゼンの待つ執務室の前に到着してしまった。
この城の主たる大公閣下の執務室なので、扉の前では武装した騎士が門番よろしく警護をしている。騎士団の中でもエリートとされる近衛騎士だ。
その騎士に頭を下げ、自身の武器を預けると、セントは扉の前に立った。
扉の前に突っ立ったまま、跳ねるように脈打つ心臓に手を置き、心を落ち着けるよう、ふう、と息を吐くセント。
いつもの鉄面皮を貫くべく表情を正すと、覚悟を決めて扉をノックする。
「閣下、セント・リーコンでございます」
ノックと共にセントがそう告げると、中から、
「うむ。よく来てくれた。入ってくれ」
と、返事が返ってきた。当然といえば当然だが、ハイゼンの声だ。
「は……」
あまり音を立てぬよう、静かに扉を開け、室内に入り閉めると、セントはすぐさまハイゼンの方に向き直り、深々と頭を下げた。
「失礼いたします。セント・リーコン、出頭いたしました」
すると、執務用の立派な机の前に座るハイゼンが鷹揚に右手を上げて応える。
「ご苦労。座ってくれ」
この部屋には執務用の机の他にも、長机が置いてある。その長机の席に座るよう促され、セントはまた「は……」と返事を返し、指された席に着いた。
ハイゼンは何か書類のようなものを手に持ったまま立ち上がると、セントの対面の席に座る。
そして、書類を机の上に置いてから、ハイゼンが改めて口を開いた。
「勤務中に突然呼び出してしまってすまんな」
「いえ。閣下がお呼びとあらば、いつ何時でも……」
「喉は乾いておるか? 今、茶を……」
そう言って立ち上がろうとするハイゼンを、セントは慌てて引き留める。
「いえ! どうぞ、お気遣いなく!!」
今現在、この部屋にはセントとハイゼンの2人しかいない。ということはつまり、ハイゼンが手ずからセントに茶を煎れようとした、ということだ。まさか貴族として下位のセントが大公閣下に茶を煎れさせる訳にもいかず、必死に止めたということである。室内にはセントとハイゼンしかいないからよかったようなものの、これを別の貴族にでも見られていたら問題になったことだろう。下位の者にも寛容なハイゼンの気遣いを否定するつもりはないが、セントとしては寿命が縮む思いだ。
「そうか? ならばよいのだが……」
ふむ、と鼻を鳴らし、少し残念そうな表情を浮かべてから、ハイゼンが浮かしかけていた腰を再び沈める。
そして仕切り直しとばかりに咳払いをひとつしてから、ハイゼンが口を開いた。
「さて、リーコン卿」
「は」
「貴公、婚約者はおるか?」
突然そう問われ、セントの頭上に疑問符が浮かぶ。一体何故、そんなことを訊いてくるのか。真意を計りかねる質問だが、セントはともかく、嘘だけはつくまいと首を横に振った。
「婚約者……ですか? おりませんが……」
「ふむ、そうか……。では、恋人は?」
また似たような質問だ。ハイゼンは、セントに対して風紀の乱れでも懸念しているのだろうか。
「それもおりません」
「では、好いた女子などは?」
「……おりません」
ともかく、セントには浮いた話などひとつもない。別に女性が嫌いという訳ではないが、そもそもからして、女性との出会いなどないに等しい騎士団での生活をしているのだから。むしろ、恋人がいたり結婚している同僚たちの方が不思議なのだ。家同士の繋がりなどで婚約しているのならともかく、そうではない者たちは、騎士団の暮らしの中でどうやって女性と出会っているのだろうか、と。
ここでようやく、ハイゼンも納得したというふうに「うむ」と頷いた。
「あい分かった。つまり、貴公には今現在、一切の女っ気がないと、そういうことだな?」
「は、左様でございます」
自分で言っていて悲しくなるが、まあ、そういうことである。
セントの肯定に対して、ハイゼンは満足そうに頷いて見せた。
「そうかそうか。ならば良かった」
「は?」
思わずそう口から洩れてしまったセント。何故、セントに女っ気がないことでハイゼンが満足そうにしているのか。
セントが不思議そうな顔を向けると、ハイゼンは、ふうむ、と鼻を鳴らしてから口を開いた。
「単刀直入に言うのだがな、貴公、見合いをしてもらえんか?」
「えッ!? み、見合い!?」
聞いた途端、驚きのあまりそう大きな声を出してしまったセント。
見合いとは、つまりあのお見合いのことか。男女が結婚を前提に顔合わせをして、お仕事は、ご趣味は、などと初心な質問をしあう、あの見合い。
まさか、20も半ばを過ぎ、まだ独身でいるセントを心配して、わざわざ大公閣下が見合いを用意したということだろうか。
驚いたまま凝視するセントに対し、ハイゼンは「うむ」と頷いてから説明を始めた。
「実はな、昨日、王都のシナティ侯爵から文が届いた。公の三女、ミラベル殿が貴公と是非にも見合いをしたいと、そう熱望しているそうだ」
言われて、セントはまたしても驚愕する。
王都の法衣貴族、シナティ侯爵。
セントの記憶が確かならば、シナティ侯爵はハイゼンと同じく王太子殿下を支持すると表明していた筈。つまり、名目上はハイゼンとは同じ派閥に所属していることになる。
まあ、ハイゼン自身は国王陛下の頼みを受け、あくまで個人として王太子殿下を支持しているに過ぎないと思っているらしいのだが、傍から見れば王太子派閥に属しているというふうに判断されてしまうのだろう。
となればこの見合い、まさか派閥の繋がりによってもたらされたものだというのか。
「侯爵様のご息女が、私と……?」
見合い相手が同じ派閥の所属というのはまだ分かるが、しかし分からないのは身分差だ。
相手は三女とはいえ侯爵令嬢。対するセントは似非貴族でしかない騎士爵。普通、高位の貴族家の子女というのは政略結婚の駒に使われるものなのだが、侯爵家と騎士爵家ではそもそも政略が成り立たない。騎士爵は貴族として最下位であり、かつ誰にも爵位を継がせることの出来ない一代貴族。セントが婿に行くというのならまだしも、侯爵令嬢が嫁いでくるというのなら、前述の通り政略の意味がないのだから。
そういう疑問も含めてセントが困惑の目を向けると、ハイゼンは何故だか苦笑しながら口を開いた。
「左様。覚えはないか?」
そう問われて、セントは考え込む。
王都のシナティ侯爵。正直、全く繋がりはない。御本人は勿論のこと、その子息などとも一切交流はない筈だ。侯爵家の傍流や寄り子でさえ、恐らくは全く面識はないだろう。
「閣下の護衛で王都を訪れた時、もしかしたら御前には……。しかし、言葉を交わしたようなことは一度も…………」
セントが首を横に振りながら言うと、ハイゼンは意味深に「ふむ……」と鼻を鳴らした。
「ならば、タンタラス商会の隊商を助けた時のことを憶えておるか?」
この場面でいきなり話題が飛んだことに違和感を覚えたものの、セントは勿論だと頷いた。
「はい、それは憶えておりますが……」
タンタラス商会はこのカテドラル王国で最も力を持つ大商会のひとつ。子供はともかく、都市で普通に生きている大人であれば知らぬ者はいないだろう。
そしてそのタンタラス商会こそが、平民であったセントが貴族になるきっかけを与えてくれたのだ。
今から3年近く前のこと。当時、まだ一介の兵士だったセントは、街道巡回の任務中、盗賊に襲われている一団を発見し、独力でこれを撃退した。
他の土地がどうかは分からないが、アルベイル一帯の盗賊や山賊といったやくざ者集団は、食い詰め者や街にいられなくなった手配犯、ダンジョン探索者崩れといった人間が大半だ。基本的には素人に毛が生えた程度の集団で、鍛え込まれた騎士や兵士にとってはさして怖い相手ではない。
ただ、そんな中でも手練れだったダンジョン探索者が盗賊に身を堕としていることがごく稀にあり、油断ならない強敵に巡り合うこともある。
3年前、タンタラス商会の商隊は、運の悪いことに、この手練れだったダンジョン探索者が率いる盗賊たちに襲われていた。
そこに巡回中のセントがたまたま遭遇し、見事盗賊たちを殲滅したのだが、普通はこれだけで平民が貴族になれたりはしない。せいぜい金一封がいいところである。
だが、セントは金一封どころか叙爵に至った。タイミング良く幸運が重なったのだ。
まず、セントが倒した盗賊の頭目は、ダンジョン内で殺人を犯して指名手配されていた賞金首で、元上級ダンジョン探索者だった。
次に、タンタラス商会の商隊を率いていたのが、商会の番頭を務める大物商人で、彼がセントを叙爵するようハイゼンに掛け合ってくれたのだ。
結果、セントは平民の身でありながら異例の大抜擢を受けて貴族になったのだが、あれ以来、タンタラス商会との接触はない。セントは基本的にあまり買い物をせず、身の周りで必要なものは騎士団からの支給品で賄っているからだ。
一応、番頭には礼状を送り、彼からも礼状に対する返事が来たのだが、やり取りはそれっきり。
今現在、交流は全くない。
それにしても、ハイゼンは何故、唐突にタンタラス商会の名を出したのだろうか。
セントがそう口に出さずとも疑問が顔に出ていたらしく、ハイゼンは苦笑しながら答えてくれた。
「タンタラス商会は、シナティ侯爵家が経営する商会だ」
言われて、セントは思わず、
「そうなのですか!?」
と、大きな声を上げる。
貴族が商売をするというのは珍しいことではない。領地持ちの貴族は領民からの税だけで生きている訳ではないし、領地を持たぬ法衣貴族も国からの俸禄だけで生きている訳ではない。というか、それだけだと貴族として生きていくのに全く金が足りないのだ。税金、或いは俸禄だけだと、夜会等、貴族に必要な社交に臨むことすら出来ないだろう。金がないからと借り物の馬車で会場へ行き、父や祖父のお下がりだろう古臭いボロの正装などしていってはそれだけで異端者として見られることになる。そうなれば物笑いの種、他の貴族たちからは爪はじきにされ、貴族としてまともに生きていけなくなることだろう。実際に、貧乏が過ぎて没落、爵位を手放す羽目になった貴族の例は枚挙に暇がない。
だから貴族はいずれも商いをするものなのだが、騎士としての仕事が全てだと思っている真面目一徹のセントはそこらへんの事情には特に疎かった。
そういうセントに再度苦笑してから、ハイゼンは「そうだ」と頷いて見せる。
「貴公が救ったあの商隊にはな、先ほど言った公の三女、ミラベル嬢が帯同していたのだよ」
言われて、セントは当時のことを思い出す。
たとえ護衛たちがいたとしても、貴族の子女が商会の仕入れに同行することなど、普通に考えればありえない。それが自分の家が営む商会のことだとしても、だ。
貴族、それも侯爵家の人間が長距離を移動するとなれば、必ず多数、どう少なく見積もっても小隊規模の護衛たち、それも手練れの兵士や騎士を動員するもの。
確かにあの時、商隊を護衛する傭兵たちの中に、何故だか騎士らしき者たちが数名交じっていたことを覚えている。一体、どうして騎士が民間人でしかない商隊の人間を護衛しているのかと不思議には思ったが、あえてそこを追求したりはしなかった。
そして、ハイゼンに言われてもうひとつ思い出したことがある。
「確かにあの商隊には妙齢の女性が1人おりましたが、それがまさか……」
そう、あの商隊には、何故だか明らかに商人とは思えない、年の頃にしてまだ10代半ばくらいの少女が1人、馬車の中に身を隠していたのだ。
襲撃を受けたショックに怯え、震えながら口を開くこともままならなかった少女。
とても身なりの良い少女で、今にして思うと、普通の平民らしくなかったようにも感じる。当時のセントは、彼女が裕福な平民の子女、それこそ番頭あたりの娘だろうと考えていたのだが、まさかその正体が侯爵の娘だったとは。
セントが皆まで言わずとも、ハイゼンは「そうだ」と頷いた。
「あの時、商隊に同行していたのがミラベル嬢だ。それ以来、ミラベル嬢は寝ても覚めても貴公のことが頭から離れんそうだ。令嬢に惚れられたのだよ、貴公」
「………………」
セントとしては閉口する他ない。何と言っていいのか分からないのだ。
多少ではあるが、自覚があったのだ。自分は面白みのない男だ、と。
さして友もおらず、口数も少なく、感情も豊かな方ではない。これといった趣味もないし、別に博識でもない。騎士としては職務に忠実に働いているつもりだが、それだけの男。
こんな男を女性が魅力的だと捉える筈がない。
だからこそ、思いもしなかった。まさか、自分を好いてくれている女性がいるなどと、そんなことは。
しかも、だ。セントがあの時彼女に見せたのは、機械的に次々と盗賊たちを屠る、返り血に塗れた恐ろしい姿のみ。決して女性に好かれるような姿ではない。むしろ、恐怖心を与えて然るべきもの。男性だとて好意的に見たりはすまい。
そんな自分を、任務とはいえ、そして人を救う為とはいえ、目の前で人を殺めた自分の何を見て好きになったというのか。
分からない。全く分からない。
混乱のあまり思考がグルグルと迷走し始めたセント。
だが、そんなセントの様子も気にせず、ハイゼンは続けて喋り始めた。
「そういうわけで、貴公には是非ともミラベル嬢と見合いをしてもらいたい。無論、当人同士の合う、合わない、というのはあるから、必ず婚儀を結べ、とは言わぬ。公の顔を潰さぬよう見合いだけは受けてもらいたいが、婚約自体は断ってくれても結構だ」
「は、はあ…………」
ハイゼンからの言葉だというのに、思わず生返事をしてしまうセント。
今の混乱したセントには、それが無礼だという自覚すらもない。むしろ、よく声を返すことが出来たと、そう思ったくらいだ。
呆けた様子のセントに苦笑しながらも、ハイゼンは言葉を続ける。
「それに爵位の上下や派閥の繋がりといったことも考えずともよい。仮に貴公がミラベル嬢を袖にしたとして、そこらへんの面倒なことは私の方で何とかする」
「は…………」
まだちゃんと返事もしていないというのに、あれよあれよと話が進み、いつの間にかお見合いを受ける流れになってしまった。
これは拙い。セントは似非貴族でしかない無作法者。貴族令嬢との見合いなどまともに行えるような状態ではないというのに。
何だか切羽詰まった表情のまま押し黙っているセントの顔を見て、ハイゼンも思わずといった感じで、ヒゲをしごきながら「ううむ……」と唸る。
「気が進まんというのは顔を見れば分かる。だがな、リーコン卿、一応はシナティ侯爵の顔も立ててやらねばならぬ。彼とて、心中穏やかではなかろうよ。どうだろう、此度の見合い、どうにか受けてはもらえんか?」
普通であれば、どれだけ娘に頼まれたとて、まさか侯爵家の娘を最下位の騎士爵に嫁がせようとは思うまい。騎士爵になど嫁げば、侯爵家とは比べものにならぬくらいの貧乏生活を強制されるのだから。普通の令嬢であれば、その落差に耐えられるものではない。苦労するのが目に見えている。
だが、シナティ侯爵はそれでも娘がセントと見合いをすることを、騎士爵家に嫁ぐかもしれないということを了承した。
娘の懇願に負けたということなのだろうが、ハイゼンの言うように、その心中は穏やかではないことは明白。内心は何故、よりにもよって騎士爵などに、と荒れているに違いない。
「は、かしこまりました……」
ハイゼンの頼みに否とも言える筈がなく、そう頷くセント。
だが、その胸中では、とんでもないことになってきたぞと、そう冷や汗を掻いていた。
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