エルダーリッチのデルガルドと望郷の味、トーストそば④
旧王都にあるという食堂、ナダイツジソバ。
何とも不思議な響きの店名だが、その店舗、そして提供されているメニューはもっと不思議なのだという。
小麦ではない、仔細の判明していない穀物で作られた謎の麺料理、ソバ。
発祥が何処の国のものかも分からない、謎に包まれた料理ではあるが、その味わいはすこぶる美味。凡百の食堂で出される料理などまず相手にもならず、大衆どころか貴族までその美味で魅了しているのだそうだ。
それでいて価格が驚くほど懐に優しく、他の食堂で食べるよりも随分と安く済むというのだから驚く他ない。
そんなナダイツジソバで最近提供され始めたという料理、トーストソバ。
これはナダイツジソバの基本メニュー、カケソバの上に山型のパンが1枚、炙って表面がカリカリになった状態で載せられているのだそうだ。
この山型のパンというのが、巷に溢れる黒く硬いパンではなく、真っ白で中身はフワフワと柔らかく、それでいて噛めばもっちりとしていて大層美味いとのこと。
偶然ではあるが、この話を聞いた時、デルガルドは思った。
そのパンというのは、かつてローマ帝国なるところから来たストレンジャーが製法を伝えてくれたパン、ホワイトローフなのではなかろうか、と。
それまでは膨らむことなく硬く平たいまま焼成され、日持ちすることが最優先で供されていたパン。パン単品で食べることは最初から想定されておらず、スープや水、ワインなどの水分を含ませながら一緒に食べる為のもの。
そんなパンを膨らませ、柔らかく仕上げる製法をストレンジャーが伝えてくれたことで、デルガルドが住んでいた村、そしてその周辺地域は一気に食料事情が改善されたのだ。
真っ白な小麦よりも味が劣るとされる黒い小麦のパンであっても、柔らかく膨らめばそれだけで味も向上したように感じられ美味しく食べられるようになったし、同じ製法で作られた白い小麦のパン、ホワイトローフなどは最上級の御馳走に化けた。
世界を焼いた炎の巨人、スルトによって製法が滅んでしまったパン、ホワイトローフ。
もう二度と食べられないと思っていた、デルガルドが最も好きだった食べ物。
噂に聞いた件の店、ナダイツジソバならば、そこで供されているトーストソバなる料理ならば、あのホワイトローフにありつけるかもしれない。
そう思うと、デルガルドは居ても立ってもいられなくなってしまった。
もう一度だけ、あの柔らかなパンが食べたい。あの故郷の味を、過ぎ去りし時代の味を。
主従の関係でありながら重ね重ねの我儘になるのだが、デルガルドはフレンベルグに頼み込み、件の食堂、ナダイツジソバで昼食を摂ることになった。
普段はもの静かなデルガルドがあまりにも興奮した様子で懇願するもので、さしものフレンベルグも苦笑していたのだが、快く頷いてくれたのには感謝せねばなるまい。何故なら、当初はフレンベルグが以前にも行ったことがあると言う店、大盾亭なる食堂で食事をすることになっていたのだから。
ナダイツジソバという食堂は、街の象徴たるかつての王城、今は国王の弟だという大公の城を囲む城壁の一角に店舗を出しているのだそうだ。
フレンベルグも初めて行く店なので道順が不安だと言っていたのだが、この街で最も目立つ城の壁に沿って歩いて行けば到着するのだから、来たばかりの余所者としてはありがたい。
まずは大公の城を目指し、大通りを進むデルガルドとフレンベルグ。
デルガルドの異様な風体が衆目を集めるのだが、今となってはもう慣れっこだ。こちらを見ながらひそひそと何か話し合う者たちの声もさして気になるものではない。そんなことよりも風光明媚な街の様子に目がいく。
スルトが討伐されて以降に造られた街ということで、まだ完成から数百年、元ハイエルフのデルガルドから見れば歴史を感じるような過去ではない、ごく短い時間しか経ってはいないらしいのだが、それでもこのように見応えのある重厚なものを造り出せるのだからヒューマンは流石だ。
0から1を創造したのは人の魁たるハイエルフかもしれないが、その1を10にするのが最も得意な人種は、間違いなくヒューマンだろう。まあ、その10を100にするのが得意なのはドワーフなのだが、今はあえてそこにまで言及すまい。
あのダンジョンから脱出してしばらく経つが、ここまで大きな街に来たのは初めてである。
まるで観光客のような気分で街を歩いていたデルガルドではあったが、もうそろそろ城に着くかという頃になって、ふと、ある気配を感じ取り、思わず足を止めてしまった。
「む……ッ!?」
「何だ、どうされた、デルガルド殿?」
いきなり立ち止まり、難しい顔をして何事か考え始めた様子のデルガルドに、フレンベルグも足を止めて不思議そうな顔を向けてくる。
デルガルドは難しい顔のまま彼の方を向くと、まるで内緒話でもするかのように、ごく静かに口を開いた。
「いや、僅かではあるが、神気を感じてな……」
「神気?」
「神の気配だ、フレンベルグ殿」
そうデルガルドが告げると、普段は冷静で表情を崩すことのないフレンベルグが驚愕も露に目を見開いた。
「何!? まさか、この街に神様が降臨されていると?」
「いや、そうではない。創造神が地上のことに直接干渉することはない。これは恐らくストレンジャーのものだろう」
そう、デルガルドは街の空気の中に薄っすらと漂う神の気配、神気を敏感に感じ取ったのだ。
神の気配というものは、地上に住まう者たちのそれとは明確に違う。何と言えばいいのか、教会や礼拝堂に漂う清浄な雰囲気とでも言おうか、ともかく日常とはかけ離れた神々しさに満ちている。
そんな気配が街中に漂っているのだから、これは驚くなと言う方が無理だ。
「ストレンジャーとは、神の気配を纏うものなのか?」
デルガルドは周到に神気を感じ取ったが、フレンベルグはまるで気が付いていない様子。
彼は確かに超一流の戦士ではあるが、敵の気配を感じ取ることと、神の気配を感じ取るのとでは勝手が違う。これは戦いの腕をどれだけ磨いたところで上達するものではない。戦いに生きる者よりも、むしろそれとは逆、厳しく修行した僧侶や修道士の方がそういう方面については長けているのではなかろうか。
不思議そうなフレンベルグに対し、デルガルドはそうだと頷いて見せる。
「異世界で死したストレンジャーの魂は、神により天界に召喚される。そして天界より神から地上に遣わされ、神が自らの手で与えたギフトを持つ存在だ。その身は人の範疇にあるが、魂には濃厚な神気を内包し、常にそれが漏れ出ている。かつては我らハイエルフも若干の神気を身に帯びていたものだが、今となってはそのことを知る者もいない……」
そう、神が人の魁として最初に創造した特別な人種、ハイエルフは普通の人間よりもほんの僅かではあるが、神に近い存在であった。故に本当に微細な神気を内包していたのだが、後継たるエルフにはその特性が受け継がれなかったのだ。
「我らエルフは神気など感じたこともないが、祖たるハイエルフにはそのような能力が備わっているのだな……」
何か思うところがあるのか、フレンベルグは「ふうむ……」と感慨深げに低く唸った。
「まさか魔物になった今も神気を感じ取る力が残っているとは私自身にとっても驚きだが、この能力は恐らく肉体ではなく魂に備わったものなのだろうよ」
そう言って苦笑いするデルガルド。
この身は魔物に変わり果てても、魂までもが魔物になってしまった訳ではないと、そう確信を得られたようで、それについては何だか少し嬉しかった。
魔物の肉体にハイエルフの魂。思えばちぐはぐな存在になったものだが、それを今ここで言っても詮無いことである。
「まあ、ともかくこの街にストレンジャーがいるのは間違いない。きっと、王弟だという大公の元にいるのだろう」
デルガルドのその言葉に、フレンベルグもそうだなと頷く。
「そう考えるのが自然だろうな。ストレンジャーは貴人だ、市井に紛れて暮らしているとは思えん」
「ストレンジャーがいるのならば、この街の活気も頷ける。どんなギフトを授けられたかは分からないが、恐らくはその稀有な力を使って街に貢献しているのだろうな」
「案外、そのストレンジャーがやっている店なのかもな、件のナダイツジソバとやらは」
冗談めかしてフレンベルグがそう言うので、デルガルドはまたも苦笑してしまった。
「ははは、そんなまさか」
そんなふうに笑いながら道を行く2人ではあったが、ナダイツジソバとの距離が近付くにつれ、デルガルドの顔が神妙な表情になっていく。
薄っすらと感じていた神気が、だんだんと濃くなっていくのだ。普通のストレンジャーの倍はあろうかという濃厚な神気。しかも、明らかに城内ではない、それより少し外れた場所から神気が漂っている。
先ほどはフレンベルグの言葉に、まさか、と返したデルガルドではあるが、そのまさかだとでもいうのだろうか。
世に革新をもたらすとされるストレンジャーが大衆食堂を営む。そんなことがあり得るのか。デルガルドの知る限り、これまでそんなストレンジャーはいなかった筈だ。
分厚く長大な城壁に沿ってナダイツジソバへの道を歩きながら、デルガルドは考える。
この濃厚な神気。きっと神はこのストレンジャーに寵愛とも取れる破格のギフトを授けたのだろう。
そのように特別なストレンジャーが本当に食堂を営んでいるのだとすれば、その示すところは何なのだろうか。
ああでもない、こうでもないと考えながら歩いていたデルガルドの前に、何やら壁に並ぶ人の列が見えた。大雑把に数えただけでも50人くらいはいるのではなかろうか。
ナダイツジソバは城壁の一角に店を出しているとのことだったが、まさか壁の内部に店があるとは、さしものデルガルドも思わなかった。
彼らが並ぶ壁の先から、匂い立つように濃厚な神気が溢れ出ているのが分かる。
そして列の最後尾まで到達した時、デルガルドの疑念は確信へと変わった。
「ああ、やはりストレンジャーの食堂だったか……」
アーレスの文明レベルを凌駕した、明らかな異世界の建造物。そして、そこから溢れ出す、天界が如き神気。
これは間違いない。ナダイツジソバという食堂は、ストレンジャーが営む店なのだ。
思いがけず途方もないものに巡り合ってしまったと、デルガルドは圧倒された様子でナダイツジソバの店舗を見上げていた。
新年あけましておめでとうございます。
名代辻そば異世界店、昨年の書籍化、コミカライズ開始に続き、今年も色々と展開していく予定です。
皆様、応援の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
来週は本編の方をお休みさせていただいて、久しぶりに名代辻そば鶴川店の新エピソードを更新させていただきます。
また、1月4日に林ふみの先生によるコミカライズ最新話が更新されておりますので、そちらの方も是非ともご一読を。
2024年も拙作にお付き合いいただければ幸いです。




