エルダーリッチのデルガルドと望郷の味、トーストそば③
アコイアのフレンベルグの力を借り、実に1500年ぶりにダンジョンから脱出したデルガルド。
しかしながら、外界は1500年で予想以上に様変わりしており、デルガルドを愕然とさせた。
まず、デルガルドたちが住む西方大陸を統一していた神聖ウェンハイム国が滅び、大陸は再び大小様々な国に割れてしまったこと。これはどうやら、デルガルドがダンジョンに囚われている間に、神による転生ではない、自力で次元の壁を破って現れた異端のストレンジャー、炎の巨人スルトが世界中で暴れたことが原因なのだと、フレンベルグが端的に説明してくれた。
普通はどれだけ力があろうと、ただの人間が次元の壁を破ることなど出来はしない。察するに、恐らくはそのスルトなる巨人、下級の神かそれに近いものだったのだろう。それも世界を創造、管理するような秩序側の神ではなく、邪神や魔神、破壊神といった悪神に属する一柱。
秩序側の神が管理する世界や天界は、神々が施した強固な結界で護られている筈なのに、一体どうやって侵入してきたのか。案外、スルトとやらはデルガルドが考えているより力ある神だったのかもしれない。
このスルトが好き放題暴れたことで、デルガルドの故郷周辺は完膚なきまでに焼き尽くされ、墓どころか、かつてそこに村があったという痕跡すらも残っていなかった。
フレンベルグから聞いたところによると、デルガルドの故郷があった場所は焼き尽くされて更地になり、そこへ新たな街が造られ、今はウェンハイム皇国という国家の首都になっているのだという。
本当は故郷に戻って父母や友、世話になったストレンジャーの墓参りをしたかったのだが、まさかそれすら跡形もなく灰燼に帰しているとは思ってもみなかった。これでは墓参りどころではないだろう。
しかもこのウェンハイム皇国なる国家、かつての統一国家であるウェンハイムの名を冠しながらかなり悪辣な国家運営をしており、理不尽な戦を繰り返し、他国の人間やヒューマン以外の人種を奴隷にしているのだという。
『テイム』によってフレンベルグから魔力を供給されている関係上、デルガルドはフレンベルグから離れることは出来ない。が、エルフであるフレンベルグがウェンハイム皇国に足を踏み入れれば、途端に捕まり奴隷にされてしまうだろう。フレンベルグの実力があれば抵抗して逃げ果せることも可能だろうが、デルガルドの我儘で、恩人である彼にそんな危険を冒させる訳にはいかない。
非常に残念ではあるが、故郷に帰ることは無理だ。少なくともウェンハイム皇国のある限りは。
墓参りの件は残念だったが、しかし朗報もあった。
何と、イシュタカ山脈は奇跡的にスルトに滅ぼされることもなく、今もエルフたちが里を築いて護っているのだという。
イシュタカ山脈は最初のハイエルフが生を受けたとされる始まりの地。デルガルドが生きた時代においても霊峰として有名だった。
彼の地では個人の墓を建てる風習はなく、共同の慰霊碑の下に火葬した遺灰を収めることになっているらしい。
フレンベルグによると、スルトの攻撃から避難してきたエルフたちが父祖の遺骨や遺灰を故郷から持ち出し、イシュタカ山脈の慰霊碑に収めることもあったのだそうだ。その中には、父母や祖父ではなく、もっと昔の先祖、それこそハイエルフの遺骨を持ち込む者もいたのだという。
もしかすると、デルガルドの住んでいた村の住人がイシュタカ山脈に避難し、同じように持ち出した遺骨を慰霊碑に収めているかもしれない。避難者が持ち込んだ遺骨、遺灰の記録は慰霊碑の隣に建てられた石碑に記されているそうだから、一見の価値はあるだろう。
仮にデルガルドの村の者が訪れた記録がないにしても、先に天に還った仲間たちに祈りを捧げることは無駄ではない。
デルガルドはフレンベルグに頼み込み、ウェンハイム皇国の代わりにイシュタカ山脈を目指すことになった。
今の時代、西方大陸は大きく4つに分かれているのだそうだ。
南はデンガード連合が纏め、北にはカテドラル王国、アードヘット帝国、ウェンハイム皇国という大国があり、常に戦争の火種が燻っているのだという。
イシュタカ山脈は、不死王の魔城があるアコイアの地からは遠く離れた異国、今はカテドラル王国という名の地にあるらしい。
カテドラル王国という国は、デルガルドがダンジョンに囚われている間に勃興した国なので詳細は全く知らないのだが、イシュタカ山脈自体は自身の生前、まだちゃんとしたハイエルフだった頃、ダンジョンを攻略しに赴いたことがある。霊峰と言われるだけあって、良質な魔力が豊富に漂っていたことが印象的な地だった。
デルガルドとフレンベルグは、ひとまずカテドラル王国の首都に向かうことにした。
ちなみにではあるが、フレンベルグと相談の上、デルガルドのことは死霊族の魔族と誤魔化すこととなった。これはごく単純な理由なのだが、たとえ『テイム』によって隷属しているとしても、魔物は街に入れないからだ。
昔、フレンベルグではない別の人間が『テイム』のギフトを所有しており、立派なドラゴンを連れて街を訪れたことがあった。当時はまだ『テイム』された魔物について明確な決まりがなく、魔物連れでも入れる街もあったのだ。
が、この人物、街に入ったその晩、突然急死してしまった。原因は心臓発作と言われているが、それはあくまで推測で、今となっては仔細も残ってはいない。
先にも触れたが『テイム』された魔物は主人から魔力を供給されて生きている為、その供給が断たれるとすぐさま衰弱死する。
主人を失ったドラゴンも途端に苦しみ出し、みるみる衰弱していったのだが、あまりの苦しみから我を忘れて大暴れし、街を半壊させるという事件があったのだ。建物の倒壊だけならばともかく、少なからず死傷者も出た事件であった。
その事件以来、生きた魔物が街に入ることは全世界的に禁止となり、主人と離れて街の外で待機しなければならないという規則が制定されたのだ。
まあ、少しくらい距離が空いても、魔力の供給が途絶えることはない。が、あまりにも離れてしまうと主人との間にあるパスが切断され、魔物は衰弱死してしまう。
それ故、魔物の主人は街に入ったとしてもあまり遠くへは行けず、せっかく街にいるのに入口周辺でしか行動出来ないといった弊害が起きることになってしまったのだ。
デルガルド自身は別に外で待っていてもいいのだが、主人であるフレンベルグがこれを嫌がった。行動範囲が狭められるのは不便だから、デルガルドのことは魔族ということにして一緒に街に入ってしまおう、と。
仮にフレンベルグが街の中で急死したとしても、主人の命令に忠実なだけの普通の魔物とは違う、自我ある魔物たるデルガルドならば暴れることもなかろう、と。
実際、デルガルドも自身の生はすでに尽きており、今は幸運により授かった余生のようなものだと思っている。フレンベルグにはまだ言っていないが、彼が亡くなるその時こそが自分の真なる終焉であると覚悟しているのだ。あのダンジョンではなく、地上で死ねる。それがたとえ誰の目も届かない路傍であろうと、肉体が陽の当たる大地に還り、魂が天に還れるのなら何の不満もない。
デルガルドが一緒に街に入ろうとすると、最初はどの街でも驚かれるのだが、魔族だと説明すると納得して入れてくれる。当初は嘘を吐いていることに気が咎めていたデルガルドであったが、魔族だということにしておいた方が何事もスムーズに事が運ぶ。むしろ魔族ということにしておいた方が面倒が少なくて良い。
そんなことが何度か続き、街での応対にもすっかり慣れた頃、デルガルドたちはデンガード連合を出て、ようやくカテドラル王国に到着した。
別に急ぐ旅でもないので、デンガード連合の領土を出るまで、たっぷり5年はかかっただろうか。フレンベルグが各地のダンジョンに足を運び、腕を磨きつつの旅路だったので、思いがけず時間がかかったのだ。
まあ、急ぎの旅ではないし、フレンベルグは長命人種のエルフ。5年かかろうが10年かかろうがデルガルドとしては別に構わない。それに、1500年の間に変化した世界を見聞するのは新鮮な気分だった。まるで時の旅人にでもなったような感じ、とでも言おうか。
ともかく、ゆっくりとした歩みの旅ではあるが、デルガルドに不満はない。
唯一不満があるとすれば、それは飯が不味いことだろうか。
意外なことではあるのだが、今のアーレスは、何故だか過去よりも料理のレベルがグンと下がっていた。
どうやら、今から約500年前に暴れまわった炎の巨人スルトによって食文化までもが破壊され、大いに退行してしまったらしい。
デルガルドが愛した白いパンどころか、そもそも柔らかく膨らんだパンの製法も失われ、あれだけ何にでも使われていた調味料、ガルムまでもが失われていた。
当時の食文化を知るデルガルドが製法を伝えられればよかったのだが、生憎、デルガルドは料理を作ることに関しては門外漢で、昔はこういうものがあった、ということ以外、何も伝えられない。
まだこの身がハイエルフだった頃、台所に立つ母を見て、もっと料理のことを学んでおけばよかった。同じ村で暮らしていたストレンジャーに話を聞いておけばよかった。そう思ったところで後悔先に立たず。失われた時は戻らないし、技術も知識も焼き尽くされてしまった。
残念ではあるが、また、ストレンジャーが現れる以前の、あまり美味しくもない食事で我慢するしかないのだ。
ちなみにではあるが、デルガルドが食事をする理由は、体内で魔力を生産する為である。
通常、人間は普段の生命活動の中で、体内で魔力を生産するのだが、魔物はダンジョンから魔力を与えられる。故に食事が必要ないのだが、今のデルガルドはフレンベルグから魔力を分け与えられている状態。
だが、正直に言うと、それだけでは魔力が足りないのだ。これを人間で例えるのなら、食事は3食ちゃんと与えられるのだが、その量が少ない、といったところだろうか。毎食パン1個スープ1杯だけでも一応は生きていけるが、食事量が少なくて常に腹が鳴っているようなものである。
だから、普通の人間と同じように食事をし、足りない魔力を自身の体内で生み出す必要があるのだ。
フレンベルグの話によると、彼が過去にテイムしていた別の魔物も、やはり足りない魔力を補う為に食事をするようになったのだという。
食事が美味くない。特に大陸の北部。
飢えずに食べられるだけでもありがたいのに、贅沢な悩みだ。
フレンベルグは街へ行く度にその土地の名物などを食べさせてくれるのだが、どれもこれもそんなに美味いとは思えない。どれも塩味ばかりで平々凡々。素材の美味さについても、正直、過去の方が上だったような気さえする。
南部、デンガード連合の料理は香辛料がふんだんに使われているのでまだマシだが、それでも柔らかいパンやガルムのない食卓は何処か侘しく感じてしまう。
恐らくではあるが、これから先、デルガルドが真に満足するような料理に出会うことはないのだろう。
今生でもう、食事には期待すまい。
ダンジョンから解放されてこの方、デルガルドはそんなことを密かに思っていた。
デルガルドが料理の味を楽しまず、義務的に食事をするようになってからしばらく経ったところで、2人はカテドラル王国のかつての王都、今は旧王都と呼ばれる街、アルベイルへと到着したのだが、現地に足を踏み入れるなり、人々のこんな噂話が耳に入ってきた。
「今度のナダイツジソバの新メニュー、何でもカケソバにパンが載っているらしいぞ?」
「パ、パン? 冗談だろ?」
「ああ、あれ、トーストソバな! 俺、昨日食ったよ!!」
「えぇ、本当にそんなのが新メニューなの? あの店でもそんな変なメニュー出すんだな。ちょっと意外……」
「いや、確かに見てくれは変だけどさあ、あのパンの美味いこと、美味いこと!」
「パンなんてどれも大して変わらないだろ?」
「それがさあ、ナダイツジソバのパンは、えらい白くてフワフワもっちりしたパンなんだよ! これがまあ美味い!」
「へえ、そんなに美味いんだ。なら、試しに俺も食べてみようかな?」
「そうしろ、そうしろ。あんな美味いパン、本当はお貴族様とかじゃねえと食えねえんだぜ、きっと」
「そりゃあ流石に大袈裟だろ? あそこ、大衆食堂なのに……」
「いやいやいや、大袈裟なもんかよ! だってお前……」
と、ダンジョン探索者らしき3人の若者が道端で談義に花を咲かせている。
デルガルドは思わず足を止め、その若者たちのことを凝視していた。
彼らは今、聞き捨てならないことを口にした。
そう、白くてフワフワもっちりした美味なるパン、と。
「失礼だが、そこな若者たち……」
自分でも意外なことなのだが、デルガルドは気が付くと、まるで引き寄せられるようにして彼らに声をかけていた。
明らかに魔物、それもアンデッドといった風貌のデルガルドの姿を目にするや、彼らは途端に驚愕し、それぞれ自身の武器に手をかけて警戒態勢に移行する。
「私は魔族だ。死霊族というやつだよ、恐れることはない」
と前置きしてから、デルガルドは堪らずにこう彼らに質問をした。
「君たちが今しがた話していた、柔らかいパンのことをこの老いぼれに教えてはいただけまいか?」
デルガルドが敵ではないと分かり、武器から手を放すダンジョン探索者たち。
だが、見知らぬ者がいきなりパンの話など質問してきたものだから、彼らも戸惑いを隠せない様子。
そんな彼らに苦笑してから、デルガルドはかつて、この大陸にストレンジャーが製法を伝えた、それは美味いパンがあったことを説明し始めた。
これが年内最後の更新、年越しそばとなります。
今年は拙作の書籍版が発売され、コミカライズもスタートし、名代辻そば異世界店にとって飛躍の1年となりました。
これも拙作を読み、応援してくださった読者の皆様のおかげです。
この場をお借りして御礼申し上げます。まことにありがとうございました。
来年も名代辻そば異世界店の展開は続きますので、読者の皆様におかれましては引き続きのご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。




