外伝 20年後のチャップ⑤中編
翌朝、10時。
チャップは宿を訪ねて来たアレクサンドルに連れられ、王都の大盾亭2号店を訪れた。
昨日、あれだけ言っておいたのに、アレクサンドルは念の為と宿に訪ねて来たのだ。何とも信用のないことである。
旧王都の本店もそうなのだが、大盾亭は昼から営業を始める店で、ナダイツジソバのように朝の営業はしない。今はまだ、昼営業に向けた仕込みの時間である。
従業員たちが忙しなく作業を進める中、アレクサンドルと一緒に現れたチャップを発見したアンナが作業の手を止め、コック帽を脱いで厨房から出て来た。
「チャップ! お前なあ、王都に来たんなら真っ先にうちに顔出せっての!!」
チャップの前で仁王立ちして腕を組みながら、アンナが眉間にしわを寄せてそう声を上げる。
もう40近いというのに、まるで20代で通用しそうなほど若々しく見えるアンナ。ビーストの血が混ざっている彼女は、普通のヒューマンよりも若干ではあるが寿命が短く、老化も早い筈なのに見た目が若い。不思議なことである。それでいて2号店の店長としての風格はきっちりと備えているのだから、ますます不思議なものだ。
アンナはナダイツジソバ時代の後輩ではあるが、料理人としては先輩である。だからナダイツジソバ時代もチャップが失敗などすると彼女から注意を受けたり説教されることもあったのだが、まさか40も過ぎてあの当時と同じように説教されるとは思わなかった。
「あ、すいません……」
何だかナダイツジソバ時代に逆戻りしたようで、チャップは思わず苦笑しながら頭を下げる。
「前ん時も言ったろ!? うちならいくらでも泊っていい、ガキ共も喜ぶから遠慮すんなって!」
彼女の言うガキ共とは、アンナとアレクサンドルの子供たちのことだ。夫妻には3人も子供がいるのだが、1番上の長男はどうやら大盾亭を継ぐことに決めたようで、シェフコートを身に纏い、他の従業員たちに混ざって厨房で仕込み作業をしている姿が見える。
3年前に会った時よりも随分と背が伸び、まだあどけなさが残るものの中々精悍な顔付きになった少年。確か、今年で14歳か15歳くらいだったか。まだ手元がおぼついていないものの、チャップの見たところ筋は良い。このまま成長すれば一端の料理人になるだろう。
どうやら、アンナたち夫婦は立派な跡取りに恵まれたようだ。
「大体が宿なんか泊ったら金が勿体ないだろ? 商売人は節約するのが基本だろうが! 無駄金使うな!!」
「あ、はい、仰る通りで……」
アンナのありがたい説教は続くが、チャップの耳には右から左。厨房の様子が気になるので、自然と返事も適当なものになってしまう。
しかし、それがアンナの気に障ったのだろう、彼女は口を『へ』の字に曲げてチャップの顔を睨んだ。
「つーか、ちゃんと聞いてんのか? さっきから生返事ばっかで……」
と、ここでチャップの横に立っていたアレクサンドルが「まあまあ」と間に入った。
「アンナさん、チャップさんはお客さんなんだから、この辺で……」
すると、今度はアレクサンドルの言葉の途中でアンナが更に言葉を被せてくる。
「あんたもだよ!」
「へ?」
「あたしらが夫婦になってもう何年だと思ってるんだい!? いつまでも自分の女房にさん付けなんかして他人行儀な!」
そう憤るアンナ。
アレクサンドルは元貴族。平民となった今も、たとえ自分の妻であったとしてもレディには礼を尽くしているのだろうが、アンナにとってはそれが不満なようだ。
人気の荒い男たちの中で育った彼女のこと、紳士的に接してもらうよりは、もっと気安く接してもらいたいのだろう。
2人が夫婦となってからもうしばらく経つというのに、未だにこのような不満が出るというのは、チャップから見ると不思議なことであった。
「いや、でも……」
アレクサンドルはアレクサンドルで、彼なりの拘りがあるのだろう、何だか渋い顔をしている。
「あんたはもう平民なんだから貴族ぶって紳士気取らなくてもいいんだよ!」
そう言われても、アレクサンドルは「あ、いや、しかし……」などと頷くことはなかったのだが、アンナがずっと怖い顔で睨み続けるので、遂に観念したように頷いた。
「………………はい」
「よろしい! これからは自分の女房くらい普通に呼びな!!」
満足そうに頷いてから、アンナは何事か思い出したというように「あッ」と声を上げる。
「……っと、うちの父ちゃんのことは今はいいんだった」
そうして、再びチャップに向き直るアンナ。
「ともかくチャップ! 今日からはうちに泊りな! あんた用に客間を片しといたからね」
「あ、ありがとうございます……」
項垂れるアレクサンドルの横で、チャップもぎちこなく頷いた。変に言葉を返しても無駄だと悟ったのだ。
姉御肌とでも言うべきか、アンナのこういう竹を割ったような気風は昔から変わらない。きっと、誰が相手でも、それこそ王侯貴族が相手でもこうなのだろう。前にアレクサンドルから聞いたのだが、この店にはごくたまに、お忍びで前国王、今は国父と呼ばれている陛下が訪れることもあるのだという。アンナの場合、そんな国父相手でも変に畏まることなく、平民と同じように接しているだろうことは想像に難くない。
アレクサンドルの時と同じよう、チャップに対しても満足そうにアンナは頷いて見せる。
「よろしい。そんじゃあ、まずは厨房の方、手伝ってもらうかね」
「はい?」
「うちに泊めてやるし、メシも食わせてやる。金もいらない。だからその分働いてもらうよ、伝説の放浪料理人さんよ? 前の時もこんな感じだったろ?」
「あー、なるほど……」
そういえばそうだったなと、チャップは3年前のことを思い出す。あの時も昼間は厨房で手伝いをして、夕方は仕込み。仕込みが早く終われば子供たちの世話も手伝い、夜からは屋台の営業をして深夜に帰宅と、そういう流れだった。どうやら今回も流れとしては同じらしい。
「その代わり、あんたの手伝いは夕方まででいいよ。夜の時間は好きに使いな。王都の観光でも、屋台出すんでも、あんたの好きなようにさ」
「分かりました。じゃあ、今日は夕方から厨房の隅を貸してもらえますか?」
いつもであれば屋台を出す、と答えるところだが、今日だけは違う。今日は屋台の営業はしない。それは明日からだ。今日は何を置いてもまずやりたいことがあるのだから。
「うん?」
「ちょっと、まかないを作らせてもらいたいんですよ。アンナさんたち含めて、従業員さんたちの分もご用意しますし、食材も自前のものを使わせてもらいますんで、場所だけ貸していただきたいんです」
そう、チャップは彼女らにどうしても食べてもらいたいものがあるのだ。彼女らを驚かせる自信のある、とある料理を。20年にも及ぶ長い旅の中で運命的に出会ったとある食材を使い、腕を磨き上げた今だからこそ作れるようになった、あれを。
「いや、そりゃあ、うちとしちゃあ有難いけどさ。何せ、伝説の放浪料理人がわざわざまかないを作ってくれるってんだから。でも、食材くらいならうちのを使っていいんだよ?」
チャップの申し出に、不思議そうな顔をしながらも頷くアンナ。何と、食材まで使っていいと言う。
だが、そんな彼女の親切な申し出に対し、チャップは何故だか「いいえ」と首を横に振った。
「かなり特殊な食材を使うんで、自前じゃないといけないんですよ。今回はそれをアンナさんたちに食べてもらいたくて王都に寄ったようなものでして……」
あの料理を作る為に必要な食材は、恐らく、というか確実に大盾亭の食材だけでは間に合わないだろう。これは別に大盾亭で仕入れている食材は数や種類が貧困だという訳ではなく、そもそも王都には流通していないだろう食材が多数を占めるが故だ。もしかすると金に物言わせれば、上位貴族を相手にする大商店あたりでなら手に入るのかもしれないが、そんなものを大衆向けの食堂で取り扱う筈もない。ナダイツジソバのような例外中の例外でもない限り。
チャップが何事か、ともかく普段とは違うことを企んでいると察したのだろう、アンナは「ふうん」と唸ってから、ニッと口の端を吊り上げた。
「何だか知らないけど、まあ、いいさ。何か隠し玉があるんだろ?」
「そんなところです。楽しみにしていてください。きっと驚かせますから」
「やってみな。言っとくけど、あたしも父ちゃんも、ちょっとやそっとの料理じゃ驚かないからね?」
アンナはチャップの眼前で腕を組み、自信ありげにそう言ってのける。
まあ、彼女がそう言うのも無理はない。アンナは老舗食堂である大盾亭の娘としてこの世に生を受け、幼い頃から厨房で仕事をしながら育った生え抜きだし、アレクサンドルは王都にまで名が轟く一流レストラン、ラ・ルグレイユの出身だ。しかも2人とも、旧王都で1番の食堂だと言われるナダイツジソバで数年間修行しているのだから。
だが、そのくらいチャップにも分かっている。分かった上で、それでもなお、2人を驚かせる自信があるのだ。何せ、料理においては天才的なこの2人にさえ作ることの出来なかったあの料理を出そうというのだから。
チャップとアンナ、お互いに「ふっふっふ……」とわざとらしく声を出しながら不敵に笑う2人。
そんな2人の様子を呆れた様子で見つめていたアレクサンドルが、
「………………何やってるんですか、貴方たち?」
と、ボソリで呟いた。
片や40過ぎの男と、片や40近くて子供も大きい人妻である。
アレクサンドルの冷静なツッコミを受けて、2人は羞恥から同時に赤面し始めた。
伝説の料理人だなどと言っても、案外ガキっぽいところもあるのだなと、厨房で作業している料理人たちは横目で様子を見ながらそう思っていた。
「「………………」」
何だか気まずい沈黙を経た後、チャップとアンナは仕込み作業を手伝う為、いそいそと厨房に戻った。
明日、12月4日はコミカライズ最新話の更新日です。コミックヒュー様で連載中となっておりますので、皆様、お読みいただければ幸いです。




