外伝 20年後のチャップ⑤前編
実家でしばし骨休めをしたチャップ。家族や甥っ子たちと触れ合い、心身が癒されたチャップは笑顔で故郷を出ると、その足で王都へと向かった。
王都に行くのは5年ぶりくらいだろうか。あの街には知り合いが何人もいるが、やはり真っ先に思い浮かぶのはアンナとアレクサンドルの夫婦である。
かつて共にナダイツジソバで働き、切磋琢磨を経てチャップより先に独立したアンナとアレクサンドル。
彼らはナダイツジソバから独立するタイミングで結婚し、大盾亭の2号店を開店すべく王都へと旅立った。
あの当時、チャップは色恋に鈍かったこともあって、結婚報告があるまで2人が交際していることなど知りもしなかったのだが、送別会の時に詳しく聞いてみると、どうにもナダイツジソバで働くようになってから3年も経たずに付き合い始めたのだそうだ。
気が強いアンナと、紳士的なアレクサンドル。聞いた当初は意外な組み合わせだと思ったものだが、案外、こういう夫婦の方が上手くいくのかもしれない。それが証拠に、結婚から10年以上経った今も夫婦仲は極めて良好、子供も3人も儲けて後継者も盤石、商売も軌道に乗って、本店である旧王都の大盾亭に勝るとも劣らない繁盛ぶりなのだという。
王都で会うべき人間は何人もいるが、まずはアンナとアレクサンドルに会いに行く。
同じ釜の飯を食った仲間だということもあるが、今回は彼らに見せたいもの、いや、披露したい料理があるのだ。無論、5年前にはまだ習得していなかった初披露の料理である。その料理で彼女らを驚かせてやりたい。
「アンナさんもアレクサンドルさんもきっとびっくりするぞ……」
王都へ続く街道を1人でテクテク歩きながら、そうほくそ笑むチャップ。正直、何も知らない他人が見たら気味悪がるだろうが、幸いにして今は近くに誰もいない。かなり後方に乗合い馬車が走っているが、流石に御者も乗客も遠過ぎて気付いてはいないだろう。
そのまま半日も歩いて夕方頃に王都へと到着したチャップは、宿を取ると早々に、南側大通りの外れに屋台を出した。
チャップが長く住んだ旧王都は風光明媚な古都といった風情だったが、近年造られた王都は何処もかしこも新しい建物ばかりで、何ともモダンな印象を受ける。
王都という場所は、土地の中央に王城があり、そこから放射状に街が広がっている。東西南北4つの大通りがあり、それぞれが王城へと続いているのだが、この大通りは街を大まかに四分割するものでもあった。
北西は高位貴族が多く住む高級貴族街。北東は中位から下位の貴族が住む貴族街。南西は平民が多く住む城下町であり、南東は平民の中でも貧乏な者たちの住む、所謂スラム街となっている。
アンナとアレクサンドルの夫婦が店を出しているのは南西の城下町だ。
これは各地の領主ごとに違うものなのだが、王都では屋台を出す為に金を出して許可証を買う必要がある。その許可証は10年に1度更新すればよいものであり、チャップの許可証はまだ期限が3年近くも残っているので今回は勿論更新しない。
さて、今回王都で振る舞うメニューはショウユヤキソバである。
ラーメン用に作った麺を茹でずに蒸したものを使って作るヤキソバ。アードヘット帝国の帝都では塩ヤキソバが最も人気だったが、前回王都でヤキソバを振る舞った際は、ショウユダレで味付けしたショウユヤキソバが1番人気だった。前回の営業では、最終日に、次に王都で屋台を出す時もショウユヤキソバがいいと言う声を多くもらい、今回そのリクエストに応えた形となっている。
5年振りの王都での営業だが、前回のことを覚えていてくれた人たちが結構いたらしく、お客の入りは上々、ショウユヤキソバも飛ぶように売れた。夜になってからの営業だったので、飲んだ帰りに締めでヤキソバを食べていく人たちが多かったが、噂を聞いて慌てて駆け付けてくれたという人たちも結構いたようだ。
一般市民だけではない、仕事終わりの兵士や夜の仕事の人たちが出勤前に寄ってくれたり、目立つところでは王都に居を構える法衣貴族などもいたのだが、そんな中、ラストオーダーの時間も過ぎ、営業もそろそろ終わりかという頃になって驚きの来客があった。それは誰か。
「チャップさん、お久しぶりですね。王都に来たのならうちに寄ってくれれば良かったのに」
そう言ってひょっこりとチャップの屋台に現れたのは、何と5年ぶりに会うアレクサンドルであった。
師である店長よりも年上で、もう50を過ぎているアレクサンドル。だというのに、まるで自分と同年代であるかのように若々しく見える彼が、どうやって知ったものか、チャップが屋台を開いているこの場所までやって来た。
どうも仕事の最中に抜け出して来たようで、無帽ではあるがシェフコートを着たままである。
「え……? アレクサンドルさん!?」
あまりにも意外な形で再会したもので、チャップは思わず驚いてしまった。
今現在、チャップが屋台を出しているのは王都南側の大通りの端である。対して、アレクサンドルたちの店、大盾亭は王都西側の大通りに面した場所に立っている。今日はまだ西側の大通りには行っていないというのに、どうやってチャップの王都来訪を知ったのだろうか。
その疑問に答えるよう、アレクサンドルは苦笑気味の笑みを浮かべたまま口を開いた。
「うちに来たお客さんから、伝説の放浪料理人が5年振りに王都に戻って来たと聞きましてね。慌てて飛んで来たんですよ」
恐らくは南側の大通りで仕事をしていた者、それも大盾亭を贔屓にしている誰かが、帰り道でチャップの屋台を発見したのだろう。その誰かは以前にもチャップの屋台に来たことがあって、仕事帰りに寄った大盾亭でそのことをアレクサンドル夫婦に話したものと見える。
「あ、そうだったんですか……。すみません、明日訪ねるつもりだったんですが…………」
別に謝ることでもないのだが、何だか不義理を責められているようで、チャップは思わず頭を下げた。アレクサンドルは気性の激しい人物ではないが、昔からこう、無言の迫力のようなものを纏っているような感じがするのだ。
彼のことは最初に会った頃から雰囲気のある大人だと思っていたのだが、年経た今においても、その雰囲気は健在らしい。
「もう宿も取ってしまったんでしょ?」
「はい……」
苦笑したまま訊いてきたアレクサンドルに対し、チャップはバツ悪そうに頷く。
「うちに来てくだされば、部屋くらい貸したのに……」
「いや、お子さんのいる家庭でそこまでお世話になるわけにはいきませんよ」
「何を水臭い。それにうちの子たちはもう大きいですから手もかかりません。明日は泊っていってくださいよ?」
「いや、でも、悪いですから……」
「妻だってそのつもりなんですから。言ってましたよ、彼女? チャップのやつ、絶対に遠慮するだろうから、ぶん殴ってでもうちに連れて来な、って」
こういうやり取りは、5年前の時にもあった。
小さな子のいるご家庭に突然の来客があるだけでも気を遣わせてしまうというのに、宿泊までするなど迷惑以外の何者でもなかろうと、チャップはアンナたち夫婦のことを考え、別に宿を取った。が、彼女らにとってはそれが水臭いことだと感じたらしく、とっとと宿など引き払ってうちに泊まれとしこたま怒られたのだ。うちは客商売なのだから、今更客が1人増えたところで迷惑だなどと思う筈もない、と。
だが、チャップとしても大人の礼儀として、いきなり押しかけて泊めてくれ、などとは言いたくない。なので、チャップは今回も宿を取り、それを知らせることなく、翌日しれっと伺うつもりだったというのに、アンナとアレクサンドルはそれすらもお見通しだったようだ。
こうやってアレクサンドルが来たのも、恐らくはアンナがチャップを迎えに行ってこいと、そう言ったのだろう。
「何というか、アンナさんらしいですね……」
彼女はチャップよりも年下なのだが、昔からチャキチャキとした姉御肌の人物だった。あの威勢の良さというのは、結婚して妻となり、年経て子の親となった今でも、欠片すら変わっていないのだろう。
きっと、今回も再会するなりまた怒られるんだろうな、と思うと、自然とチャップの顔にも苦笑が浮かんでしまった。
「いやあ、参りました。今からじゃ宿のキャンセルも出来ないしな……」
チャップの心中を察したとでも言うように、アレクサンドルも再び苦笑を浮かべる。
「流石に今日はもう無理でしょうけど、明日の朝になったら宿に迎えに行きますから。まあ、妻の方から軽く雷が落ちるくらいは覚悟してください」
「いやいや、俺の方から伺いますよ?」
5年前にも訪れたのだ、大盾亭の場所はまだ忘れていない。しっかりと覚えている。
だというのに、アレクサンドルは何故だか「いいえ」と首を横に振って見せた。
「駄目ですよ? そう言って来ないかもしれないんですから。何たって、貴方は放浪の料理人なんだから」
確かに普段からプラプラしている根無し草のような人間ではあるが、チャップとて流石に昔の仲間との友情を疎かにしたりはしない。
それにだ、チャップは料理人だからお客に料理を振る舞うことが何よりの喜びなのだが、その土地土地の美味しい料理を食べ、そこから学びを得ることもまた好きなのだ。5年もあれば大盾亭2号店も進化していることだろう。アンナとアレクサンドルは、きっとチャップにまだ見ぬ新メニューを御馳走してくれる筈だ。せっかく王都まで来たのだから、それを食べずに帰る訳にはいかない。
「ちゃんと行くのに。信用ないなあ、俺」
別に前科などないというのに、随分と疑われたものだ。
若干憮然とした様子で、チャップは答えた。
「エドモント亭、というところに部屋を取りました。でも、本当に自分から伺うのでご心配なく。そもそも、明日は大盾亭を訪ねる予定でしたから」
「そうですか? なら、必ず来てくださいよ? 来なかったら、私もチャップさんも妻にぶん殴られるんですからね?」
心なしか、微妙に頬をヒクヒクさせながらそう言うアレクサンドル。彼の口調は冗談めかした感じがするのだが、恐らくは本当にぶん殴られることを危惧しているのだろう。チャップもアンナであれば本当にやりかねないなと、そう考えているだけに明日が怖い。
宿を取るよりも先に、まずは大盾亭に顔を出しておけばよかったなと、チャップは今更ながらに後悔し始めていた。
※西村西からのお願い※
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