朝のまかない アレクサンドル編
土曜日、早朝6時30分。
今週から始まった、各自週1回のまかない修行。今日はアレクサンドルの番だ。
先にまかないを作ったチャップもアンナも、己の独創性が詰まった美味なるまかないを作ってのけたのだが、それはアレクサンドルにとって大きな刺激となった。
店長であるフミヤ・ナツカワから学んだことに自らのオリジナリティを合わせ、また別の料理へと昇華させる。2人はこれをやってのけた。ならば、アレクサンドルも負けてはいられない。これは別に競争ではないのだが、闘争心に火が着いた。3人の中で最も長く料理の世界に身を置く者として、彼らに勝るとも劣らないものを作らなければ。
恐らく、フミヤはこのような切磋琢磨、その相乗効果を狙って、今回の修行を言いだしたのだろう。思い返すとラ・ルグレイユでも修行時代に似たようなことをしたものだが、こういう競い合いはやはり良い。改めて身が引き締まる想いがする。
ナダイツジソバの厨房の中で、アレクサンドルは食材たちとにらめっこをしていた。
「ふぅーむ……」
すぐ近くで朝の仕込みをしているフミヤの横で唸るアレクサンドル。
ソバ用のカエシ、カツオブシ、ノリ。これらはナダイツジソバに元からある食材。無論、これだけで何か料理を作るというのは難しい。だから今回は食材を持参している。
保存用に乾燥させた細打ちのパスタ、ペコロス、そして大物がマグロの赤身をオイル煮にしたもの。
このマグロについては、調達に結構苦戦したのだ。
何せ、マグロは海の魚。海から遠く離れた旧王都で手に入れようと思えば、並々ならぬ苦労がある。マグロという魚は足が速いので、まず生の状態で手に入れることは不可能。ならば保存用に乾燥させたものを、と思ってみても、マグロは巨大な魚なので干し魚にするのには絶望的に向いていない。無理に干そうとしても、中まで十分に水気が抜け切る前に腐るかカビにやられてしまうことだろう。
後はきつく塩漬けにしたものか、さもなくばオイル煮にして、オイルに漬けたまま運ぶかなのだが、今回はオイル煮の方を選択した次第。
このオイル煮、チャップと同じ『アイテムボックス』のギフトを持つ行商人がごく少量のみをこの旧王都へ持ち込んだものなのだが、これを手に入れる為に大枚を叩くこととなった。具体的には、限りある蓄えの中から金貨まで取り出してこれを購入したのだ。
結果として金貨2枚を失ったのだが、それでも今回は幸運だったと言えよう。
今回マグロを持ち込んだこの行商人、存在自体はラ・ルグレイユ時代から知ってはいたのだが、いつも旧王都に来るという訳でもなく、下手をすると旧王都には来ない年もある。それにいつもマグロの身を持ち込むという訳でもない。他の魚、例えばサバやタラといったものが持ち込まれることもある。そんな中でたまたまマグロの身が欲しい時に旧王都におり、そしてたまたまマグロの身を持ち込んでいた。
この幸運に対し、たった金貨2枚の出費で済んだのだから、むしろ安上がりというもの。仮に、これが生の状態であったのなら、金貨2枚どころか4枚、下手をすれば5枚は払うことになったのではなかろうか。
フミヤは食材を購入して持ち込む際、代金は店側で払うと言ってくれたのだが、このマグロに関して、アレクサンドルは彼に払ってもらうつもりはない。こんな高級食材をまかないで使うというのはアレクサンドルの我儘でしかないからだ。従業員6人のまかない1食に対し、金貨2枚の出費。普通に考えれば常軌を逸している。だが、今回作ろうと思っている料理にはマグロの身が合うだろうと一度思い始めると、もうマグロを使うことしか考えられなかった。他の魚では駄目なのだ。それでは似たような味の代用品にしかならない。アレクサンドルの求める理想の味になってはくれない。
まかない1食の為に金貨2枚もの私費を投入する。傍から見れば狂気の沙汰でしかないのだが、アレクサンドルはそれだけ、今回の料理に入れ込んでいた。
今回の料理、アレクサンドルが目指しているのは、将来的にナダイツジソバの中でなくとも作れるだろう、再現性のある料理だ。
正直、ソバやコメといった食材は、長年料理の道を歩むアレクサンドルもこのナダイツジソバ以外では聞いたことがない。きっと、かなり特殊なルートを使い、限定的に仕入れているものなのだろう。だから今回、ソバやコメは使わない。
無論、カエシの元となっているショウユなどもここ以外で見たことはないのだが、フミヤによると、その原材料はソバやコメとは違い、世間一般にありふれたソイ豆なのだという。そして製造する際にコウジなる特殊なカビを用いるらしいのだが、カビというならやはり自然界に存在するもの。このカビを手に入れるのにも苦労するだろうが、正体が分かっており、製造方法も分かっているのだからいずれはそこに辿り着ける筈だ。これは、カツオブシやコンブといった食材にも同じことが言える。
現状で手に入るもの、そして将来的に手に入りそうなもの。それらの食材を駆使してアレクサンドルが作るのは、ナダイツジソバ風パスタ。ソバ用のカエシをメインの味付けに使ったパスタである。
手に入るものと手に入りそうなもの、今回それらのことに拘ったのは、将来、アレクサンドルが独立した時に、自分の店でナダイツジソバ風パスタを出したいと、そう思っているからだ。
パスタという料理の性質上、作るのにそこまで手間はかからないだろう。正直、仕込みさえしっかりやっておけば、食事が始まる10分前から作り始めても間に合う筈だ。
が、この料理の構想を練るのに頭の中で行った計算の量、そして時間は膨大である。料理人はある程度味の足し算引き算が出来なければ務まらないものだが、まだ世にないオリジナル料理を作ろうというのだ、どれだけ計算を重ねようとやり過ぎということはない。まかないを作る順番はアレクサンドルが1番最後だったので熟考する時間があったのだが、もし、チャップのように最初に作ることになっていたら、今回の料理を作ろうとは思わなかっただろう。恐らくはもっと無難なもので落ち着いたのではなかろうか。
ともかく、まずは仕込みだ。
といっても、正直、仕込みの工程はそう多くない。最初にペコロスをみじん切りにし、次はノリを食べやすいように細く切るだけ。
持参したマグロのオイル煮をボウルに空け、カエシを垂らして和えていく。マグロの身が崩れ過ぎないよう、あくまで軽くだ。
あっさりしたものだが、これで仕込みは終了。後は調理作業を残すのみだ。
まずは大鍋に水を張り、火にかけて湯を沸かす。それと同時に、これまた大きなフライパンを用意し、まだ火にはかけず、コンロの上に置いておく。ちなみにだが、この大きなフライパンは自宅から持参してきたアレクサンドルの私物である。ナダイツジソバの厨房は様々な調理器具が揃っているものの、一度に大量の麺が炒められるような大きなフライパンがなかったので、今回持ち込んだのだ。朝から重たい想いをしたが、まあ、美味なる料理の為だ、文句は言うまい。
と、ここで2階からルテリアとシャオリンが降りて来て、それと前後する形でチャップとアンナも出勤してきた。
「「「「おはようございまーす!!」」」」
彼らはアレクサンドルとフミヤに挨拶すると、早々に制服に着替え、まかない前の作業に取り掛かる。
皆、着替えが終わってホールに行く途中、アレクサンドルの背後から作業の風景を覗いていくのだが、チャップとアンナはそれぞれ、
「おっ、パスタですか? いいですね」
「あえてソバじゃない麺料理作るんだね、あんた」
と、アレクサンドルに声をかけていった。
ルテリアとシャオリンもアレクサンドルが何を作っているのか気になっている様子だったが、やはりチャップとアンナは同じくまかないを担当しただけに、より作業や料理の内容が気になったのだろう。
このまかない修行、別に3人の間の勝ち負けを決めるものではないのだが、やはり彼らと勝負をしているという気持ちはアレクサンドルにもある。彼らを唸らせるような料理を作ることが出来れば自分の勝ちだという、そういう意識が。
「さて……」
彼らが作業を終えるだろう時間を見計らい、アレクサンドルも作業を進める。
まずは大鍋で沸騰する湯に塩を少々加え、ナダイツジソバで麺を茹でる時の定番魔導具、タイマーを7分にセット。普通、店で売っている乾燥パスタは太さもまちまちで、茹で時間もキッチリ決まってはいないのだが、アレクサンドルは長年の経験から、この太さのパスタならばこれくらいの茹で時間と、凡そのことが分かる。今回選んだものは平均的な太さのものなので、茹で時間は7分きっかりで少し芯が残るくらいの茹で具合になるだろう。
鍋にパスタを投入し、残り茹で時間が1分になったところでフライパンを火にかけ、油を投入。
タイマーがピピピピ、とけたたましく鳴り響き、パスタが茹で上がったところでザルに空けて湯切り後、すぐさまフライパンで炒めていく。パスタに十分油が絡まったところで胡椒を少々、そして一気にカエシを投入して混ぜ合わせる。
最後はみじん切りのペコロスだ。これは生の食感と辛味を活かしたいので、あえて最後に入れ、完全には火を通さない。
十分にカエシが麺に馴染み、ペコロスにも半分ほど火が通ったところでパスタを皿に盛り付けていく。
皿の上でもうもうと湯気を立てるパスタに刻んだノリとカツオブシをふりかける。特にノリはたっぷりと。アレクサンドルの計算が正しければ、このノリの味と香りが良い仕事をしてくれる筈なのだ。これがあることで、このパスタがナダイツジソバの味にぐっと近付く筈。
最後に盛るのは、カエシで和えたマグロのオイル煮だ。これはパスタの中央に一塊にして置く。食べる時に各自、適宜崩すなり混ぜるなりしてもらおうという意図だ。ナダイツジソバの味の基本は魚介の旨味。カツオブシと同じく、海の魚であるマグロの身は、きっとこの味付けにも親和性を見せてくれることだろう。
アレクサンドルが盛り付けを終えるのとほぼ同時に、朝の作業が一通り終了し、まかないの時間となる。
「皆さん、お席にどうぞ! 今日のまかないはナダイツジソバ風パスタです!!」
作業を終え、手を洗ったり水を飲んだりしてひと息ついている皆へ、アレクサンドルが厨房からそう声を飛ばすと、瞬間「ワッ!!」と歓声が上がった。
「おぉー、ようやく……」
「めっちゃ気になってたんだよな!」
「そういえば、パスタ食べるの久々です、私」
「大盛りで食べたい……」
皆、笑顔を浮かべながらガヤガヤと会話を交わし、席に着く。どうやら皆の期待感も高まっているらしい。後はこの期待に応えられるかどうか。料理人としては腕の見せどころだ。
期待して待ってくれている皆に、急いでパスタを配膳していくアレクサンドル。最後に自分の分も卓の上に置き、席に着いたところで口を開いた。
「このパスタはオハシで食べてください! では……」
「「「「「「いただきまーす!!」」」」」」
皆で声を揃えていただきますの大号令をしてから、アレクサンドルは早速ワリバシを手に取り、手製のパスタを持ち上げる。
香りは上々。いつものダシとカエシからなる風味に、炒めたことで香ばしさがプラスされており、何とも食欲をそそる。ほかほかと湯気を立てるパスタを一気に啜り上げ、咀嚼していく。
「うん、良かった、美味い」
自画自賛という訳ではないが、アレクサンドルは微笑を浮かべながらそう呟いた。
ソバよりも歯応えの強いパスタ。小麦の風味も強く、ソバとは味わいも違うのだが、やはりカエシやカツオブシの味ともよく馴染み、ソバを食べた時のような香気が鼻に抜けていく。それにノリだ。磯を思わせるノリの風味が、このパスタをよりナダイツジソバのそれに近付けてくれている。
また、一緒に混ぜたペコロスと、マグロの身も相性が良い。癖が少なく、上品かつ淡泊な味わいのマグロの身。そこにペコロスの辛味とシャキシャキとした食感が加わり、マグロの淡泊さに対するアクセントになっているのだ。
このマグロの身がパスタに絡むことで、より海産物の滋味を感じるパスタに仕上がっている。
ラ・ルグレイユでもパスタは作っていたのだが、魚肉を使ったパスタというものはメニューになかった。パスタに合わせる肉はやはり牛や豚であり、魚肉では生臭くなるからと開発すらされてこなかったのだそうだ。アレクサンドルも、ラ・ルグレイユに勤めていた当時は当然そう思っていた。師の教えに嘘はないと。
それがこのように、自分から進んで魚肉のパスタを作るようになったのだから、やはりナダイツジソバ、そしてフミヤには感謝しなければならないだろう。この店の厨房で働き、海産物に多く触れることでインスピレーションを刺激され、このように海産物を使った新たなパスタ料理を作るまでに至ったのだから。
このナダイツジソバ風パスタ、アレクサンドルは計算に次ぐ計算の末に勝算を見出したのだが、正直、今回はチャレンジという側面が強かった。かつての師の教え、ラ・ルグレイユという殻を破り、このナダイツジソバで新たな一歩を踏み出すというチャレンジ。それが成功して、ほっとしたのが本音である。
「これ、あれだね……」
「和風パスタですね」
皆が美味い美味いと食べ進める中、フミヤとルテリアがそんな言葉を交わしているのがアレクサンドルの耳に入った。
これはナダイツジソバ風パスタなのだが、ワ風とはどういうことか。彼らの口ぶりから察するに、この料理のことは以前から知っていた様子。というか、これと同じ料理はすでに存在していたということなのだろうか。
「あの、すみません、店長……」
彼らの言葉がどうにも気になり、アレクサンドルは堪らず質問した。
「その……ワ風パスタ、というのは何なのでしょうか?」
「え? ああ、和風パスタですか? 俺の生まれた国には、元々パスタはなかったんですけど、外国と交易するようになって、パスタも国内に入るようになったんですよ。そのパスタを俺の国の食材を使って味付けして調理したものが和風パスタと呼ばれているんです」
つまり、ワ風パスタというのは、フミヤの国風のパスタ、ということだ。ナダイツジソバの料理は全て、彼が生まれた国の料理。ならばナダイツジソバの食材ばかりを使って作り上げたこのパスタも、自ずとワ風パスタということになる、という寸法だろう。そして恐らく、アレクサンドルと同じようなパスタを作った者が、少なからず彼の故郷にはいたのだろう。
最初、チャップとアンナはこのパスタを食べて驚いていたが、フミヤとルテリアは美味いという言葉こそ発したが、そこまで驚いている様子はなかった。それはつまり、このパスタのことを知っている、過去に食べた経験があるということに他ならない。
「なるほど」
ふうむ、と、アレクサンドルは唸りながらも頷いて見せる。
アレクサンドルとしては、自分だけのオリジナル料理を作ったつもりだったのだが、やはり世界は広い。アレクサンドルが必死に考え出したこの料理を作った先達が、すでに存在していたのだから。そして、そのことを今日まで全く知らなかったのだから。
有名なストレンジャー、コジロー・ササキの残した言葉に、このようなものがある。
井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る。
今のアレクサンドルは、まさに井の中の蛙だ。ラ・ルグレイユという超一流レストランで修行した身であっても、世界全体として見ればちっぽけなもの。あくまでも小さく小奇麗に纏まったものでしかない。
世界はアレクサンドルが想像しているよりもずっと広大で、まだ見ぬ未知の料理、食材、調理法も数多く存在している。フミヤの言葉で、そのことを改めて思い知らされた。いや、教えてもらった、というほうが正しいか。
このナダイツジソバという店は、やはり料理人としての学びの宝庫だ。ラ・ルグレイユしか知らなかったアレクサンドルに世界の広さを教えてくれる。
「これさあ、ちょっとだけわさびとか付けても美味しいかもね」
「それいいですね! 私、ちょっと試してみようかな?」
アレクサンドルが色々と考え込んでいる間にも、フミヤとルテリアがそんなことを言ってこのパスタの新たな可能性を提示してきた。
ワサビは本来、モリソバにしか付属しないものだが、カエシやダシの味とは抜群に調和する。然らば、カエシとカツオブシを使ったこのパスタにも合うのではないかという考えに至るのは自然というもの。
やはり、この店は学びに溢れている。こんな何気ない雑談の中にすら学びがあるのだから。
「あ、ちょっと待っててください。私が持って来ますから」
ワサビを付けたパスタは、はたしてどんな味になるのだろうか。
私もまだまだだなと苦笑しながら、アレクサンドルは立ち上がり、厨房に向かった。
書籍版名代辻そば異世界店1巻、いよいよ今週25日に発売となります。
発売日に合わせて重大発表もありますので、次回の更新をお楽しみに。
ちなみに25日にも発売日を祝して更新いたします。




