朝のまかない チャップ編
「うーん……」
月曜日の早朝、6時前。ナダイツジソバの厨房で腕を組みながら難しい顔で思案するチャップ。
先週の土曜日、店長であり師でもあるフミヤに、修行として月曜朝のまかない担当に任命されてから2日。まさに今日がまかないを作る初日なのだが、チャップは大いに悩んでいた。
昨日も1日ずっと悩んでいたことなのだが、明確に答えが出ない。チャップは今回、あることを試そうと思っているのだが、それが果たして上手くいくのかどうか。
フミヤは念押しするように、あくまで練習だ、気負う必要はないと言ってくれたが、我が道の師に、同僚たちに、そしてライバルに失敗作を食べさせるような真似は出来ない。失敗作を廃棄などすれば、食材にも失礼だろう。
「こいつが吉と出るか、凶とでるか…………」
言いながら、チャップは作業台の上に置いた、一抱えもある結構大きな包みを開く。
パンだ。大きな、丸いパン。このアルベイルで買えるごく一般的なパンだが、焼いてから何日か経っているものだ。
フミヤはナダイツジソバにある食材は好きに使っていいと言っていたが、それに加えて、外から食材を買って来てもいいと言っていた。その分の代金も払うからと。今回はその言葉に甘えた形になる。
焼き立てのパンならまだしも、窯から出して時間が経ったパンというのは基本的に美味いものではない。水分が抜けて硬くなるし、明確に賞味が低下する。
が、今回はあえて、この時間が経って水分も抜けたものを使う。ちょっとした考えがあるのだ。
今回のまかない、チャップは奇をてらったものを作るつもりはない。あくまでも基本に忠実に、フミヤから教わったことを駆使して料理を作る。が、そこにひとつだけ自分のオリジナリティを足す。それが今回持参したこのパンだ。
「悩んでても仕方ない、やるか……」
誰にともなく言ってから、チャップは腕組みを解いて作業に取り掛かった。
今回チャップが作ろうとしているのは、コロッケソバである。
調理法や味付けは変えない。前述通り何処までも基本に忠実。だが、今日は衣の方に変化を付ける。
通常、ナダイツジソバで供されるコロッケは、衣にパン粉を使うのだが、そのパン粉はかなりきめの細やかなものを使う。店長であるフミヤ曰く、パン粉にする為に作られた上質なパンを乾燥させてから、細かく挽いて粉にしているのだそうだ。その結果、衣の口当たりはサクサクカリカリとしたものになるのだが、チャップはそこに変化を付けたい。
持参したパンをあえて粗く挽き、もっと歯応えの強い、粉粒の大きさを感じる、ガリッとした衣になるパン粉を作れるのではないかと、そう考えたのだ。
油で揚げる料理は自宅で練習も出来ず、ぶっつけ本番で作るしかない。コロッケの作り方自体はもう幾度も店長に教えてもらったのだが、それでも不安は尽きない。
「男は度胸、男は度胸……」
自分に言い聞かせ、心を奮い立たせながら作業を開始する。まずはパン粉作り。
棚から金属製のバットとおろし器を取り出し、持参したパンを擦っていく。
あえて粗目を意識しながら、あまり力を入れずゴリゴリとパンを粉にしていく。いつもはすでに粉になった、袋詰めのパン粉を使っているのだが、自分で擦ったそれはやはり目が粗い。粒の大きさもまちまちだ。が、多分これでいい。チャップの料理人としての勘が正しければ、この粒の大きさの違いが食感にアクセントを生む筈なのだ。
流石にこのパン丸々1個を粉にしても多過ぎるので、半分ほどで手を止める。バットに溜まった粉はこんもりと山になっているし、これだけあれば十分に人数分間に合うだろう。
次はコロッケの種を作る。
まずはジャガイモの皮を剥き、中くらいの大きさの鍋に少量の塩を入れて茹でていく。ジャガイモに火が通るまで時間があるので、平行して他の作業にも手を着ける。
ペコロスの皮を剥いてみじん切りにし、今度は挽き肉を取り出して塩、胡椒をしながらフライパンで炒めていく。肉に火が通り、ペコロスが茶色くなってきたら火を止める。もうそろそろジャガイモに火が通る頃だ。
鍋の中でグラグラ煮られているジャガイモのひとつに串を刺し、火が通っているか確認。
と、ここで午前6時の鐘がゴーン、ゴーン、とアルベイル全体に鳴り響いた。
いつもはこの時間に起床するのだが、それを完全に覚醒した状態で聞くのは何だか新鮮な感じがする。祝福の鐘、などと言うつもりはないが、今日のような新しい始まりの日にはピッタリではなかろうか。
未だ鳴り響く鐘の音を聞きながら、火が通ったジャガイモの湯を捨てる。そしてジャガイモが入ったままの鍋を焦げないよう火にかけて水気を飛ばしてから中身をボールに空けた。
ボールのジャガイモをマッシャーで潰し、先ほど炒めたペコロスと挽き肉を混ぜ、タネの完成。
バットをもう2つほど出し、それぞれ小麦粉と卵液を入れていく。
そして人数分、楕円形に丸めて成型したタネに小麦粉、卵液、パン粉の順に付けていき、コロッケの下準備は終了。後はコロッケを揚げるだけ。
さて、ここからが今回の調理で緊張するところだ。
正直なところ、チャップはまだ、揚げる作業に自信がない。アンナやアレクサンドルよりも先に揚げ作業の練習をしていたというのに、テンプラを揚げれば纏まらずバラバラになってしまうし、コロッケも2回に1回は失敗してしまうといった有様。コロッケが失敗するのも、衣に穴が空いて中身が出てスカスカになってしまったり、必要以上に揚げ過ぎて焦がしてしまったりと色々だ。これでも作業を習い始めた当初よりは上手くなったのだが、成功するか否かはまだまだ不安定。
失敗した場合は目も当てられないし、今朝のまかないはかけそばになってしまうだろう。それだけはどうにか避けたいところだ。
油を鍋に入れて火にかけ、温度計という魔導具で油の温度を測り、良きところでコロッケを投入していく。
緊張からか、思わず、ゴクリ、と喉が鳴る。
ここから先は一瞬も目が離せない。コロッケが揚がる様子を見ながら、裏面がキツネ色になったタイミングを見計らい、裏返す。そしてもう裏面も同じようにキツネ色になったら油から取り出し、油切りを布いたバッターにコロッケを置いていく。
どうにかこうにか、合計8個のコロッケが揚がった。失敗した場合のことも考えて、2個多目に作っておいたのだ。
今日は失敗しなかったから予備のコロッケが余ってしまったが、これは別皿でシャオリンあたりに出してあげれば喜ぶだろう。彼女は身体が小さい割に結構沢山食べるのだ。年齢はチャップよりもずっと上だが、人種的なことを考えれば彼女は育ちざかりの子供である。今日は朝から腹一杯食べてもらおう。
「ふいいぃー……」
最も難しいと思われたコロッケ作りが無事に終わり、ホッと息を吐くチャップ。
すると、背後からいきなり、
「やってるね、チャップくん」
と声がかかった。
「店長!」
チャップが振り返ると、はたして、そこにはすでに店の制服に着替えた店長、フミヤ・ナツカワが立っていた。恐らくは6時の鐘で起床し、まだ寝ているだろうルテリアとシャオリンを残して2階から下りて来たのだろう。最初から制服姿で現れたところを見るに、彼はいつも上で着替えてから下の店舗に来るのだろう。
フミヤより先に厨房に立っているというのは、何だか新鮮な感じがする。
「おはようございます!」
チャップが元気よく頭を下げると、フミヤも柔和な笑みを浮かべながら挨拶を返した。
「うん、おはよう。お、今日の朝はコロッケか」
バットに上がったコロッケを見ながら、フミヤが言う。
「何だかいつものコロッケと衣の感じが違うね? もしかして自分でパン粉を作った?」
「はい! 今日は衣がもっとザクザクしたコロッケそばにしようと思ってます」
「そっかそっか。チャップくんはそのまま作業を続けて。あと30分くらいしたらルテリアさんとシャオリンちゃんも下りて来ると思うから」
「はい!」
チャップの隣で、早速仕込み作業を始めるフミヤ。
いつもであれば、チャップの場合は出勤前に水の1杯でも飲んで、まだ半眼でボーッとしている頃だ。そして、その水を飲み切ってから、大あくびを掻いてようやく家を出る。
毎日こんなに早くから仕事を始める店長には頭の下がる想いだ。
「さてと……」
コロッケが揚がれば、次はカケソバである。
最近入った新人でありながら、純粋な料理人としての技術と知識、経験ではアンナとアレクサンドルに大きく後れを取っているチャップ。だが、ナダイツジソバにおいて基本中の基本であるカケソバ作りに関してだけは、チャップに一日の長がある。いずれ追い抜かれることはあるのかもしれないが、現状、3人の中で1番ソバを茹でるのが上手いのはチャップなのだから、今回くらいは先輩として意地を見せねばなるまい。
ソバ茹で用の大きな寸胴鍋に人数分のテボをセットし、そこに生のソバを入れていく。ちなみに、ソバは毎朝フミヤがその日の分を魔導具で打つので、これは昨夜、フミヤに頼んで打ってもらったものを食材保管の魔導具、冷蔵庫で保管しておいたものになる。
タイマーという時間を計る魔導具をセットしてから、今度は手早くソバツユの準備だ。人数分のどんぶりを用意し、まずはカエシを注いでいく。そして、そこへ鍋で静かに湯気を立てているダシを注ぐ。ちなみに、このダシは隣で作業しているフミヤが今さっき取ったばかりのものだ。
カエシとダシが混ざり、ソバツユが出来上がったところで、タイマーがピピピ、と音を立てた。
「おっとと……!」
急いでテボを鍋から取り出し湯切り、そしてどんぶりにあけていく。その作業を人数分、延々6回もやってから、トッピングのネギとワカメをひと摘み。これでようやくカケソバの完成だ。
そして、カケソバが完成したのと同じタイミングでルテリアとシャオリンが2階から下りて来て、アンナとアレクサンドルも出勤してきた。
「あー、いい匂いする……」
「揚げ物の匂い……」
「香ばしい匂いだねえ……」
「チャップさんのまかないはコロッケですか……」
と、四者四様に感想を述べながら厨房に集まって来る。
まだ食べる前だというのに、皆からの反応は上々だ。
「さあ、皆さん着替えてきてください! 今朝のまかないはコロッケソバですよ!!」
いつもは店長であるフミヤが言う台詞を、今日に限ってはチャップが言う。
「気合い入ってんなあ、チャップ」
「チャップさんは魁ですからね」
厨房で調理を担当する他の2人、アンナとアレクサンドルがそんな会話を交わしている。別に勝負をしている訳ではないが、彼らとしても、まかない1番手としてチャップが作ったものが気になるのだろう。
「ほら、早くしないとせっかくのソバが伸びちゃうんだから、着替えて着替えて!」
「おわッ! ちょっと!?」
「分かりましたから、押さないでください!」
自分のことを色々言われるのは何だかむず痒くて、チャップは苦笑しながら彼らの背中を押して従業員用の控室に押し込める。
その間にチャップは出来上がったカケソバにザクザク衣のコロッケを載せ、どんぶりを次々ホールへ持って行く。
そうして皆が着替え終わる頃には、すっかり朝のまかない準備が終わっていた。
「わー、美味しそう!」
「コロッケおっきい……」
「朝から豪勢だなあ」
「さてさて……」
と、皆がめいめいに何か言いながら席に着く。そこへチャップが空のコップを配っていき、水のピッチャーを持って各自に注ぐ。そして自分のコップにも水を注いだところで、チャップも席に着いていよいよ朝のまかないが始まった。
「皆もう分かってると思うけど、今日から月曜朝のまかない担当はチャップくんになりました。チャップくんに感謝。いただきまーす」
まるで家族の食卓で皆が揃ってから、父親が言うようなことをフミヤが言う。
その言葉が何だか照れくさいような、むず痒いような感じで、チャップは思わず苦笑してしまった。
「「「「「いただきまーす」」」」」
フミヤに続く形で、従業員の5人が声を揃えて食前の言葉を発する。これはフミヤから習った、彼の故郷に伝わる食前の祝詞のようなものらしく、最初は馴染みがないので多少戸惑っていたのだが、今となっては言うのが当たり前というほどに慣れ親しんだものとなった。
自らの糧となってくれる食材に対して、作ってくれた人に対して、そしてこれらを与えたもうた神に対して、いただきます、と感謝を捧げる。チャップは別に熱心な神の信徒という訳ではないのだが、いただきます、という言葉は存外悪くないものだと、素直にそう思う。何の感謝もなく、ただ作業的にものを食う。そんなのは虚しいだけだ。そこに感謝がひとつあるだけで、無味乾燥な虚しさが薄れるような気がするのだ。
まあ、ともかくだ、感謝を捧げたのなら、後は目の前の料理を一心不乱に食うだけである。
自分で作ったものではあるが、このザクザク衣のコロッケソバを食べるのはチャップにとっても初めてのこと。自分の試みは成功しているのか。仮にその試みが失敗していたとしても無難なコロッケになっているという自信はある。さあ、成果の程ははたしてどうか。
若干緊張した面持ちで卓上のワリバシを手に取ると、それをパキリと割って早速コロッケを持ち上げる。
コロッケというものはソバツユを吸えば食感が損なわれる。まあ、それはそれで別の美味さが顔を出すのだが、今回の試みの肝はコロッケの食感にあるのだ。であれば、当然最初に口にするものはコロッケに決まっている。
見てみると、チャップと同じように考えたのだろう、皆も最初はコロッケを取ったようだ。
全員がほぼ同じタイミングで、ガブリとコロッケに齧り付く。
その瞬間である。
ザクリッ!!
と、いつもより強い、もっと分厚い衣を噛み切ったような食感が前歯から伝わった。
そして口内に入ったものを存分に噛み締めると、その度に奥歯からザクザクという豪快な音と、目の大きなパン粉の粒立った強い歯応えが返ってくる。
何度も食べて慣れ親しんだジャガイモの甘さとねっとりとした感覚が咀嚼の度に顔を出し、舌の上に広がっていく。
「うん!」
自分で作ったものではあるのだが、チャップは思わず唸ってしまった。
見事に目論見が成功している。食感に変化を付けて、尚且つ美味さもしっかり保たれている。チャップはこれを求めていたのだ。この強い歯応えを。小さくとも確かな自分のオリジナルを、ツジソバにまだなかった要素を。
「おおおおぉ、こりゃ凄い」
「わあ、ザックザク!」
「食べ応えある……」
「美味い! チャップやるなあ!」
「見事な工夫ですねえ。まさか衣の方に変化を付けるとは」
コロッケを食べた皆が一様に感嘆の声を上げている。どうやら皆もチャップのザクザクコロッケを認めてくれたようだ。
よし、と、ソバを食べる手を動かしながらも、心の中で小さくガッツポーズするチャップ。この場の皆がこれを、チャップの作ったものを美味いと言ってくれた。料理人として、これ以上に嬉しいことはない。
チャップはニコニコしながら大きなコロッケをがっつき、それをソバツユで流し込んで美味と美味のマリアージュを楽しむ。そして勢いのままにコロッケだけを先に食べてしまうと、ふと、あることを思い出した。
そういえばまだ、余分に作っておいたコロッケが残っていたな、と。
チャップはどんぶりを持ったまま席を立つと、1人、厨房へ戻り、残っていたコロッケのうちの1個を再びどんぶりに入れて席へ戻った。
すると、それを見ていたアンナが信じられないというようにチャップのことを指差した。
「あーッ! あんた、自分1人だけコロッケおかわりして!!」
「えッ!? ずるい! 私も食べたい!」
「私も欲しい……」
「チャップさん、まだおかわりはあるんですよね?」
皆がそう言って追加のコロッケを求めてくるのだが、余った分は腹に余裕のある誰かが食べればいいか、くらいにしか思っていなかったので、あと1個しか残っていない。
「………………すいません、あと1個だけです」
ごく気まずそうな顔をしながらチャップが言うと、皆が一斉に、
「「「「えーーーーッ!?」」」」
と非難の大合唱を揚げる。
「お前、今から追加のコロッケ作れよ、チャップ!」
「いや、そんな今からって、アンナさん……」
「あと1個、私がもらう……」
「抜け駆けはダメよ、シャオリンちゃん!」
「追加を作るのなら、私も作っているところを見てみたいですね」
追加のコロッケを巡って、ああでもない、こうでもないと騒ぎ始める、フミヤを抜いた5人。
そんな皆の様子を見つつ、苦笑しながらコロッケを齧るフミヤ。
流石に今から追加のコロッケを作っていると後の業務に響くので、チャップは必死に頭を下げて勘弁してもらったのだが、ラスト1個のコロッケを巡る争奪戦が熾烈なものとなったことは言うまでもない。
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