従業員たちのまかない修行
ナダイツジソバ、月曜日、早朝の厨房。
まだ6時の鐘が鳴る前だというのに、チャップは1人、厨房で腕を組んで考え事をしていた。
「うーん……」
チャップは何を悩んでいるのか。それは、これから作る料理、従業員全員に振る舞う朝のまかないについてだ。
どんな料理を作ればいいのか。
単純な悩みではあるが、しかし悩ましい。
いつもであれば、まかないを作るのは店長であるフミヤの仕事だ。朝、昼、晩、3食全てだ。
が、今日はチャップが朝食用のまかないを作る。というか、これから月曜日の朝食はいつもチャップが作ることになった。
そして水曜日はアンナが、土曜日はアレクサンドルが朝食用のまかないを作る。
何故、そんなことになったのか。簡単に言えば、それは修行の為だ。
先週末のことである。
その日の営業が終わった後、いつもなら皆が私服に着替えて帰るという頃になって、チャップ、アンナ、アレクサンドルの3人がフミヤに呼ばれ、厨房に残った。
この3人は、ホールだけでなく厨房で調理も手伝う従業員だ。
一体、どうしたというのか。何か、自分たちの作業に不手際でもあったか。そんなふうに思い、不安そうにお互いの顔を見る3人。
そんな3人に、店長であるフミヤはこう告げたのだ。
「来週から、チャップくん、アンナさん、アレクサンドルさんの3人には、1週間に1度だけ、朝食のまかないを作ってもらおうと思います。昼食や夕食の時じゃ慌ただしいからね。いつもより早起きすることになると思うけど、朝の方が時間取れていいでしょ?」
いきなりのことに驚き、3人は唖然として目を見開いた。
不手際の叱責といったことでなくてホッとしたが、しかし、まさか週に1度のこととはいえ、自分たち従業員にまかない作りを任せようとは。
これまでは3食ずっとフミヤが作ってきたというのに、どういう心境の変化だろうか。
チャップたちは見習いだ。たとえまかないであっても、フミヤと同じレベルのものはとても作ることなど出来ないだろう。元々プロの料理人であるアレクサンドルとアンナでも難しいところだろうが、チャップでは間違いなくフミヤの劣化版のようなものしか作れない。そうに決まっている。
まさか毎日作るのが面倒臭くなったなどということはフミヤに限ってはないだろうが、理由については知っておきたいところだ。
「え……? あの、自分たちがまかないを作るんですか?」
チャップが戸惑いながらそう聞き返すと、フミヤは勿論だと頷いた。
「うん、そう」
「そりゃまた、どうして?」
そう訊いたのはアンナだ。
「単純に、練習かな?」
「練習……」
フミヤの言葉を反芻するように、アレクサンドルが呟く。
皆、まだ事態を飲み込めていない。
すると、フミヤが詳細を説明するよう、つらつらと語り始めた。
「まかない作りは調理作業の練習にもなるし、うちの調理道具に慣れる練習にもなる。食材の特性を把握する練習も……って、そうだそうだ。言い忘れてたけど、うちの食材は自由に使っていいからね? うちにはない食材を持ち込みたい時は、前日に言ってくれればお金を渡すから、次からはそうしてほしい」
その言葉を聞いて、3人も得心したとばかりに頷く。
なるほど、勤務時間だけではなく、まかない作りを通して3人に調理の練習をさせようということだったのだ。
「つまり、修行ということですか?」
チャップのその言葉に、思わずといった感じでフミヤが苦笑する。
「そんなに大袈裟なもんじゃないけど、意味合いとしてはそうかな。いつもは勤務中に忙しなく教えてるけど、たまには1人で静かに考えながら、余裕を持って練習したいこともあると思うんだ。みんなは、そういうこと、ない?」
「そうですね、それは確かに……」
「うん、あたしもそう思うわ。うちの厨房とは設備が大分違うし」
「食材も違いますね。ここではラ・ルグレイユにもなかったような、とても珍しい食材もよく使いますから……」
そう、このナダイツジソバという店は、普通の食堂とは使っている調理道具も食材も違う。特に魔導具などは、貴族街の一流レストランにすら置いていないようなものを多々使っている。食材にしても、ソバやコメを筆頭に他では見ないようなものも多いし、サヴォイやペコロス、豚肉のように従来品より極めて品質の良いものを使う。
見習いとはいえ、チャップも料理人。これら珍しいものの数々には純粋に興味があるし、もっと触れたいと思っている。しかしながらそれらに触れられるのは仕事中だけ。しかも怒涛の来客を捌くべく、ひっきりなしに作業をこなしながら、ちょっとした隙間時間を見計らってのこととなる。ゆっくりじっくり触れる暇がなく、非常に忙しない。
故に、朝のまかないなのだろう。
朝であれば、まだ開店前でお客もおらず、大量の仕事を捌く必要もない。忙しさに流されることもなく、じっくりと吟味しながら作業することが出来るだろう。
いつもより早起きすることだけが唯一のネックだが、それも週に1度であればそこまで苦になるということもあるまい。
朝のまかない作りを修行の時間とするのは、理にかなっていると言えよう。
3人の納得した様子を見て、フミヤも「でしょ?」と頷いた。
「だから、各々の練習も兼ねてまかないなんだよ。ここだと、本社の施設で研修とか出来ないからね」
「え? 本社……?」
本社とは何のことか。気になってチャップが訊き返すと、フミヤは急に、焦ったように苦笑いを浮かべた。
「あ! あ、いやいや、こっちの話、こっちの話。気にしないで……」
「…………そう、ですか?」
フミヤは一体何を焦っているのか。
チャップが不思議そうに見つめていると、彼は「ともかく!」と仕切り直し、表情を正してから口を開いた。
「来週からいずれか1日、3人には朝のまかないを作ってもらいたいんだけど、どうだろうか? チャップくんが月曜日、アンナさんが水曜日、アレクサンドルさんが土曜日の担当に、と思っているんだけど、いいかな?」
そう訊かれれば、チャップの答えは決まっている。アンナとアレクサンドルもそうだろう。
「勿論、やります!」
「むしろ、ありがたいくらいだね」
「店長はいつも美味なまかないを出してくれますからね。私も下手なものは出せません……!」
3人とも、やる気十分にそう答える。
3人それぞれがバラバラにまかないを担当するということは、自ずと競い合いのような形になる。
チャップは確かにアンナやアレクサンドルより料理人としての経験も技術も劣っているが、しかしこのナダイツジソバでは先輩なのだ。むざむざ負けてやるつもりはない。
見れば、アンナもアレクサンドルも意気込んでいる様子だ。
「そんなに気負わないでもいいんだよ? 練習なんだから」
鼻息の荒くなった3人を見ながら、フミヤが苦笑いしてそう言った。
明日も更新します。




