転生者ジャルダーノ・ヴィンチェンホフとキツいウイスキー⑦
ひと仕事終えた後は必ずウイスキーで締める。前世において、それがジャルダーノにとっての数少ない楽しみのひとつだった。しかしながら前世における最後の最期、ジャルダーノはそのウイスキーを飲み損ねてしまい、それが大きな未練となっていたのだ。
そこからこの世界に転生して10余年。
この世界にはウイスキーどころか蒸留酒そのものが存在しておらず、ジャルダーノはずっとウイスキーに飢えていた。
底辺の暮らしだったので粗食には耐えられる。食えるだけありがたい。仕事内容についても前世より遥かにマシだ。少なくとも人を殺すことばかりの仕事ではない。
だが、好きな酒だけが飲めない。前世で最も愛した酒、ウイスキーが。
しかしながらこの店には、ナダイツジソバにはウイスキーがある。
それなのに今世でも最期にすらウイスキーが飲めないとあっては堪らない。前世以上の未練となるだろう。
だから負傷状態にも拘らずウイスキーをくれと頼んだのだ、言った途端にその場の皆が呆れた目をジャルダーノに向けてきた。
「あ……あんた、こんな状況で何言ってんの?」
ジャルダーノに回復魔法を施しながらそう言う給仕の女性、アンナ。
「いや、最期かもしれな……」
言葉を返そうとしたジャルダーノに対し、しかし、
「死なないよ! バカ言うなっての!」
と言葉を被せてアンナが遮る。
「いや、だが……」
「だから死なないって!!」
そう強く断言してから、言葉を続けるアンナ。
「あたしの腕じゃ完治は無理だけど、あんたの負傷は確実に治ってきてるよ。だから死なない。まだ息があったとしても、もう手遅れになるまで弱った人間に回復魔法は効かないんだ。回復魔法ってのは、その人が本来持つ生命力を高める魔法なんだからね」
「医者でもない料理人が何故、そんなことを知っている……?」
ジャルダーノがそう訊くと、アンナは己の中の苦いものを飲み込むような顔をしながら静かに答えた。
「うちの母ちゃんは暴走馬車に轢かれて亡くなったけど、あたしの回復魔法は効かなかったからね。母ちゃんは一緒にいたあたしの腕の中で息を引き取ったんだ……」
事前に読んでいた資料によって、彼女の母親が亡くなっていることはジャルダーノも知っていたのだが、その死の経緯については事細かに記されてはいなかったのだ。
悪気はなかったとはいえ、ジャルダーノは彼女の触れられたくないだろう部分を突いてしまった。これが流石に無神経だという自覚くらいはジャルダーノにもある。
「…………すまん」
ジャルダーノがそう謝罪するのとほぼ同時に、厨房の裏口が勢い良く、バン、と開かれた。
「店長! 戻りました!!」
先ほど、旧王城に事態を知らせに行った男性の給仕が戻って来たのだ。彼の背後には、何かの瓶を持った、騎士らしき男も一緒にいた。あの男の顔には見覚えがある。先日、アルベイル大公が連れていた護衛騎士の1人だ。
「アレクサンドルさん! セントさんも!!」
店長、フミヤ・ナツカワがそう声を上げる。どうやら騎士の名はセントというらしい。
2人は連れ立って店内に入り、セントがそのままジャルダーノの傍らでしゃがみ込んだ。
「大公閣下から同道して様子を見てくるように言われてな」
言いながら、彼はジャルダーノの負傷具合を検め、眉間にシワを寄せた。
「かなりやられたようだな。ヴェンガーロッドの騎士をこれほど手酷く痛めつけるとは……」
「俺の……油断、自業自得だ…………」
「そうか……。ともかく、大公閣下から霊薬を預かってきた」
そう言って、セントは右手に持つ瓶を掲げて見せる。
「流石にダンジョン産のパナケイアには敵わんが、錬金術師が作製可能な最上級のポーションだ。病気はまた別だが、これがあれば火傷や骨折くらいの負傷はわけなく治る」
彼に続いて、今度はアンナが間髪を入れず口を開いた。
「だってよ? だからやっぱりあんたは死なないんだ。ウイスキーが飲みたいんならその大怪我が治ってからにしな。店長だって少しくらいなら飲ましてくれる筈さ。そうだよね、店長?」
アンナがそう問いかけると、話を振られるとは思っていなかったのだろう、フミヤ・ナツカワが驚いた様子で「え!?」と声を上げる。
「あ、ああ……そ、そうですね。あの……じゃあ、今度、特別に1杯だけ…………」
ジャルダーノの記憶が正しければ、このナダイツジソバではハイボールの提供はしていても、ウイスキーそのものは提供していなかった筈。つまり、その原液たるウイスキーを、ジャルダーノのような部外者が1杯でも飲めるというのは、本当に特別なことなのだ。
「そうか、すまない……」
たった1杯ではあっても、ウイスキーはウイスキー。ナダイツジソバという店のことを考えれば、上質なジャパニーズウイスキーだろう。それでジャルダーノが前世から持ち越した未練も成仏するのではないだろうか。
「ウイスキーの前に、まずは霊薬を飲むんだね」
いつの間にか新しいコップを持って来たフミヤ・ナツカワがセントから霊薬の瓶を受け取り、コップに瓶の中身を注ぐ。まるで水が淀んだ沼から汲んで来たかのような毒々しい緑色だ。しかも薄っすらと発光している。何も知らない状態で、これは毒薬だと言われれば疑うことなく信じてしまうだろう。実に酷い見た目だ。
「さ、どうぞ。ご自分で飲めますか?」
「あ、ああ……」
ジャルダーノは震える手でコップを受け取る。
効き目は確かなのだろうが、明らかな劇薬だ。味の方は期待するだけ無駄だろう。
これは先ほどの爆炎魔法など目じゃないほどキツいだろうと覚悟を決めてから、ジャルダーノは一息に薬を飲み干した。
「不味い!!」
まるでドブのような味が口一杯に広がるのと同時に、ジャルダーノの負傷した胸部が俄かに発光し始めた。
明日も更新します。




