075 道場を支える女将
「確か、こっちだったよな」
兄妹は看板を頼りにアトリア方面へと続く通りを歩いた。
やがて街の外れに差し掛かると、古風な道場が目に入り、すぐ傍にはいかにも老舗な食堂がある。来たときには闘技場ばかりに気を取られ、店の存在に気付かなかった。
「ここって食堂なのか。アトリアに着いたら時間も遅くなるけどどうするか」
食事を済ませておこうかと兄が提案したが、フライアは気が進まないようだ。
「でも距離あるし、あまりお腹いっぱいには……」
ライアスも顎に手をやり「だよなぁ」と呟く。
満腹の状態で街道を進むのは億劫だ。それに加えて観光地の食事は高いだろう。このままでは調査の軍資金が足りずに貯金を切り崩すことになってしまう。
このままアトリアへ行こう……とした兄妹だったが、突然食堂のドアが開いて女将らしき人物が飛び出してきた。
「あ~ら~、いらっしゃい、二人ね? 今ならすぐ用意できるけどどうだい?」
突然の客引きと気の強そうなその風貌に、兄妹は揃って後退った。
「え? え? まだ店の中に入ってないぞ?」
狼狽えるライアスに、女将がずいと詰め寄る。
「そんな寂しいこと言わないでおくれって。ほら、アレだろ? ここじゃお金かかるからアトリアまで戻って金策するつもりなんだろう?」
図星を突かれ、フライアも狼狽える。
(い、今の、聞かれてた……?)
「……おばさん、店の中にいたよな? 今のが聞こえるってどれだけ地獄耳なんだ?」
思わずライアスが言うと、女将は「ふん」と腕を組んだ。
「ちょっと、今のは禁句! せめて『おかみ』って言って! あたしだってまだ若いんだからねぇ!」
どうやら「おばさん」という呼称がまずかったようだ。
勢いに圧されたライアスはこくこくと頷く。
(下手なモンスターより始末悪いぞ、これ……)
声を押し殺してぼやくが、女将は勢いそのままに言葉を続けた。
「それに。今の話は聞こえてなかったよ。でも、ここを通る連中は大体そうさ。闘技が終わった夕暮れに宿が取れなかったか、あるいは賭博で外した金詰りの貧乏人がここを通ってアトリアへ行くのさ。何もあんたたちだけじゃないんだよ」
そういうことか、とライアスが納得する。
「むぅ……全てお見通しか」
「そうじゃなきゃ、この娯楽都市はやっていけないさ。師範代に嫁いだ妻としてもね。実はそんな人たちのために最近宿泊のサービスも始めたんだけどどうだい? ご飯付きでアトリアに近い値段で用意してあげるよ」
ライアスは「ううん?」と唸り、助けを求めるように妹に視線を送る。
「随分と用意周到じゃねえか……。どうする?」
フライアはふるふると首を横に振った。
「……こ、断る理由……」
兄妹は女将と距離を取り、ひそひそ声で相談話をする。
女将が言うような安値ならいいが、うまく丸め込まれているような気もする。こうした観光地では客を呼び込み、法外な金額を取る店もあると知っている。それでなくても懐が寂しいのに、無暗に散財するわけにはいかない。
それならば、とライアスは再び女将と向き合った。
「……なら先に提示してくれよ、いくらだって? あと、二人で泊まるのに部屋がどうなるって?」
すると女将はやれやれと肩を竦めた。
「疑り深いねえ。ほら、二人で一緒の部屋でいいって言ったらこの価格だよ」
そう言って店のチラシを差し出した。
兄妹は顔を揃えてチラシを覗き込む。明示されている値段は決して法外ということもなく、チラシ自体が偽物というわけでもなさそうだった。
「……むしろアトリアより割安」
その値段にフライアが目を丸くして呟く。まあこれなら、とライアスも頷いた。
部屋の質は気になるところだが……。
「わかった、わかった。泊まるよ」
結局、兄妹は女将の提案を受け入れることにした。
断る気満々だったのに、なんだかんだ丸め込まれた。さすがは娯楽都市の女将というべきか、商魂たくましいとはこのことだろう。
女将はニカッと笑い、「はいよ、中へお入り」と手招きする。それに従い店に向かいながら、フライアは気になっていたことを尋ねてみた。
「あ、あの、今師範代って?」
先程女将が「師範代に嫁いだ妻」と言っていたのだ。
「あぁ、あたし? そうだよ、そこにぼろい道場があるだろ? そこの師範代ウェイ・ウァンの妻さ」
女将はそう言って食堂の向かい側にある道場を指差した。
「え? 師範代っていうと? ここも闘技場の育成施設の一つか?」
今度はライアスが尋ねる。ザウラクには闘技場で戦う闘士の育成施設が複数あると聞いているのだ。その質問に女将は「そりゃそうさ」と応じる。
「そうじゃなきゃ、こんなとこにどっしりと構えていられないさ! もうじき帰ってくる頃よ。今日は大一番だって張り切っていったけど、どうだったかねえ?」
思わず兄妹が来た道を振り返ると、タイミングを見計らったかのように格闘家風の男たちがぞろぞろとこちらに向かってきていた。
女将は腰に手を当て「あぁ、噂をすれば、だよ」と言った。どうやら本当に道場の人間が帰ってきたようだ。
「一番前を歩いているのがウェイさ」
女将の言う人物を見て、フライアが「あっ!」と声を上げる。
「あの人! 格闘家さん!」
その人物は闘技場でフライアが最初に観た闘技、活躍しながらも美男の剣士に敗れた格闘家だったのだ。
「お? 知ってるのかい?」
女将がきょとんとして尋ねる。その問いに答えるより早く、ウェイと呼ばれた格闘家が到着した。見れば他の男たち──おそらくは弟子なのだろう──は道場に入り、女将と兄妹のもとに来たのはウェイだけだった。
「マーシュ……すまん。今日も、あと一本を取り逃がした」
ウェイはぶっきらぼうな表情ながら、口惜しさを滲ませる声でそう言った。どうやら女将の名前がマーシュというらしい。
「そうかい……。ほら! いつまでもしけたツラしてるんじゃないよ! あんたを見ててくれた客人がここにいるんだよ!」
落ち込んだ様子の夫に対し、マーシュは満面の笑顔を返した。「ほらほら」と指し示すようにライアスの肩を叩く。兄妹がウェイの試合の観客だと勘付いたようだ。
妻の言葉にウェイは一瞬驚き、それから兄妹に身体を向けると丁寧に一礼した。こちらも敬意を払うべき、とライアスが応じる。
「あ、ああ。初めての闘技観戦だったんだけど、たまたま見られてな」
相変わらず不器用だが、それでも目の前にいる親しげな夫婦の心遣いに応えようと言葉を繋いだ。
「その……、肩車してて、俺はほとんど見れなかったんだけど、こっちの妹が見ていてかっこいい戦いしてたって、ちょっと応援してたんだ」
憑依していたことを避けながらその時の状況を説明する。すると、意外に思ったのかウェイは驚き、深々とフライアに頭を下げた。
「……! それは大変嬉しい言葉にございます。応援をありがとう!」
「は、はい」
あまりの丁寧さにフライアも少し驚く。思えば、あの時の観客たちはほとんどが相手の剣士を応援しているようだった。
「ほら、あんた、その汗臭い身体を洗ってきな」
場をまとめるようにマーシュがパン、と手を叩いてウェイを道場へと促す。浴室が道場内にあるのだろう。
ウェイは再び兄妹に一礼すると、弟子たちが入った道場の扉へと向かった。
「なんだい、ますます気に入ったよ! ほら、入って! 遅くなるとあのむさい男たちが食堂を占領しちゃうから」
マーシュは嬉しそうに兄妹を食堂へと招いた。




