064 故郷シェラタンへ
出航の十分前、兄妹が港にたどり着くと既にイリューアの姿があった。
ゆっくり近づいても気づきそうにない。兄妹ははるか水平線を眺める彼女に声をかけた。
「決心はついたのか?」
ライアスがそう尋ねるとイリューアは複雑な表情を浮かべた。
「……いえ。なんと言うべきか、エラセドに戻る決心がつけられなかったのです」
予想外の言葉に兄妹はその意味を探った。
「どういうことだ? エラセドに行くほうが怖いってか?」
「……はい。教えに逆らって生き延びた私を本当に受け入れてもらえるかどうか、わからないのです」
神妙な顔をしたままイリューアは答えた。その時、間もなく出航することを告げる船乗りの声が上がった。
兄妹がシェラタン行きの船の前まで進むとイリューアもついてきた。無言のまま乗船の手続きを進める彼女を見て兄妹はその決心を見届けた。
程なくして船が港を離れた。船に乗ることが初めてだった一行には気づかなかったが、この船は一度東に広がる外洋へと出て大陸マーシアとは別の大陸の交易拠点を経由する。
シェラタンに着くのは明日の朝になるようだ。
おかげで船内は交易関係の船乗りが多く、普通の乗客は少ない。
クルサを経由しないのは助かった。
船がゆっくりと進んで落ち着いたところで、兄妹はイリューアと甲板上で話を続けた。
「親のために身を隠したいって?」
ライアスの言葉にイリューアが頷く。
彼女は兄妹に、騎士の都エラセドから身を隠せる場所に向かいたい、と言ったのだ。それは自分ではなく、両親のためだという。
「はい、エラセドで騎士となった者は捕虜になるくらいなら自ら命を絶てと教えられてきました。その教えに背いた者はその者だけでなく、身内の人間までもが騎士失格の烙印を押され、旧市街への移動を余儀なくされます。私の父は都の中枢機関の重役に就こうと、騎士の鏡として役目を果たしてきました。娘である私は今、生きていること自体が父にとって邪魔になっているはずなのです」
その内容に兄妹は何とも言えない気分になった。
せっかく戦地から生きて帰ったというのに、生きているだけで父親の邪魔になってしまうという。改めて騎士の都の厳格さには閉口してしまう。
「俺たちが生け捕りにしたからか」
罪悪感が口をついて出る。
ライアスのその言葉に、しかしイリューアは静かに頷いてみせた。
「ええ、覚悟はつけていたつもりでした。……でも、あの時、まさか初出兵であのようなことになると思っていませんでした」
「初⁉」
初出兵という言葉にフライアがギョッとする。
「……お前のデビューを俺らがぶち壊したわけか」
初陣でこの結末というのは酷すぎる。必死に戦い生き延びた結果、故郷に帰ることはおろか、親のために死人を振る舞わねばならないというのだ。
フライアが表情を曇らせる。彼女をそんな運命にしてしまったのは自分たちにも責任がある。そう考えると彼女に申し訳がなく、一層やるせない気分になった。
そんな兄妹の心情を感じ取ったように、イリューアはひと呼吸おいてから口を開いた。
「……正直に言えば、今でも少し憎んでいます。けど、結局のところ、自分の覚悟ができていなかっただけなのです。戦になれば犠牲が付きまとう。自分がその犠牲になると想像できていなかったのです」
ライアスはそう語るイリューアの目を見つめた。
「お前、強いな」
残酷な境遇にありながら、誰かを責めることをせずに自分の甘さであったと口にする。それが強さでなければ何であろう。
ライアスの言葉に、イリューアは驚いたように目を丸くした。
「……別にそんなことは」
戸惑う彼女に対し、ライアスが言葉を続ける。
「これは馬鹿にするつもりじゃないぞ。けど、俺たちにとって騎士の掟のことはどうでもいいんだ。イリューアが自分で納得してくれればそれでいい。俺たちもその件には触れない。その上で、俺たちは協力関係になれればって思ってるんだけど、それは甘い考えか?」
それは兄妹にとって罪滅ぼしというよりは、ただ素直な希望だった。
イリューアはしばらく言葉に詰まり、やがてたどたどしく返答をした。
「その……私自身は嫌じゃない、です。……でも、教えてください。どうしてそんな私のためになろうとしてくれるのですか?」
その問いにライアスが首を傾げる。
「ん? どうしてって、俺たち何にも持っていない身だからなぁ。それこそ勇者の力だとか騎士の力だとか、あるいは金とかあれば変わるかもしれないけど」
そう言って頭をポリポリと掻いた。
「変えちゃうの?」
「ん? ……あ、あぁ、ん~?」
妹の突っ込みに対し、ライアスは言葉にならない唸りを返した。
そして、途端に自分が発した言葉に違和感を覚えた。武力や権威、はたまた金銭でもあったなら自分の要求は変わったのだろうか。
力や欲望で、自分は人を振り回してしまうのだろうか。
「いや、へ、変な意味はない!」
考えたあげく、慌ててそう言った。相手に誤解を与えたかもしれない。
しかしイリューアはライアスの言葉を素直に受け取っていた。
「……ええ、そうなんでしょうね。あなた方の行いを見ている限りはそのようにお見受けしています。最初は心配していましたが」
その言葉にライアスもフライアもホッと胸をなでおろした。
「それはありがとな。そうなったら、さっき言ってた……身分を隠す、だっけ。それができるようにしないとな」
イリューアの事情を考えればまずは正体を隠すための手立てを講じる必要がある。
「当てはあるのでしょうか?」
「まだわからない。シェラタンに戻ったら、ちょっと行きたいところがある」
そこまでを話し、兄妹とイリューアは会話に一区切りをつけた。これ以上相談しあったところで今すぐ解決する問題ではない。まずはシェラタンに戻り、それから先のことを考えよう。
「ふう……」
「そういえば……」
イリューアが甲板から船内に移り、兄妹二人になったところでフライアがふと呟いた。
ライアスが妹に顔を向ける。
「どうした?」
「同じこと、アヴァランさんにも」
そう言われて、ライアスはおぼろげな記憶を辿り、王の都アウストラリスでの出来事を思い出す。
野盗に追われ故郷を出た当時の自分たちは、今のイリューアの境遇と少し似ていたかもしれない。そんな時、お節介を焼いてくれたのが勇者アヴァランだった。
「……そんなこともあったっけか、俺たちにも」
ライアスはしみじみと呟いた。
甲板から上空を見上げる。抜けるような青空に霧のような薄雲がゆるく流れている。
これまでさまざまな人たちが自分らを助けてくれたように、今度は自分たちが誰かを助ける番なのかもしれない。
問題は、自分たちには譲り渡せるようなお金も地位もないことだ。
兄妹は揃って同じ海の先を見つめながら、今抱えている問題を収めるためにどうするべきか確認しあった。




