052 ノースライフ山脈の谷底で
(……お兄ちゃん!)
無意識の暗闇の中、ライアスが妹の声を頼りに意識を覚醒させていく。
気付けば冷たく湿った空気が全身を纏っていた。
「ん~~~……」
ひどい頭痛がして、ライアスは頭を押さえながら上体を起こす。
おぼろげな意識の中、霞んだ視界で辺りを見回すと妹の姿があった。それをぼんやりと眺めているうち、霞が晴れるようにその顔がはっきりと見えてくる。
同時にライアスは谷底に転落したことを思い出した。憑依していた妹は落下の衝撃を受けずに済んだらしい、と納得する。
「頭いてえ……。途中で頭打ったかあ……?」
呻くようにライアスが言うと、フライアはぎくり、と気まずそうな顔をした。
「た、たぶん……」
妹が慌てて発動した氷魔法が相手の騎士だけではなく自分の頭まで巻き込んだことを、ライアスは気付いていないようだ。
「うーん……思い出せねえな、ってこれはいつものことか」
「うん。でも気が付いて、良かった。……? ……ッ⁉」
ホッと胸をなでおろすフライアだったが、身体の妙な違和感に気付いて跳びあがった。
脚やローブに何かがくっついている。
「あ! あ! や、いや!」
「ああ、待て! よく見えねえって、ちょっと、落ち着け!」
パニック状態で手足をばたつかせる妹をライアスが落ち着かせる。
見ると数匹のヒルがフライアの脚とローブに取り付いていた。ライアスが払い落として確認するが、幸い噛まれてはいないようだ。まだ足元に漂っているヒルを二人で蹴り払い、ひとまず足場を確保した。
「あぁあぁ、気持ちわりぃ……。大丈夫か?」
「うん、たぶん……」
フライアはかたかたと震えながら言うと、気を取り直して杖を構えた。
「とりあえず、治癒」
自分に、そして傷付いたライアスの身体に回復魔法を施していく。
「頼むよ、その白魔法が生命線だ。あと、肌を露出してたらヒルの餌食だ。中に入っとけ」
フライアは渋い顔をしながら頷き、治癒を終えると再び兄に憑依した。
「さて、どうしたものか」
ライアスは改めてグルリと辺りの様子を見回す。兄妹は冷たく湿った無機物質に囲まれていた。ごつごつとした天然の岩石が見渡す限りに広がっている。
「ここは……鉱山なのか?」
頭上を仰ぎ見ると、陽の光が微かに差し込んでいた。その光を反射するように壁が青白い光沢を放っている。
「……これは、鉄、いや銀か? シェラタンじゃ見つけられなさそうな金属だな」
ライアスが壁に手をやり鉱物を確認していると、憑依しているフライアが怪訝そうに声を上げた。
(お兄ちゃん……。忘れてない?)
「あ?」
(一緒に落ちてきた人……)
その言葉にライアスはキョトンとする。
「落ちてきたって……ん?」
(ひあっ!)
その時、突如として唸り声が響いた。
人や獣ではない、明らかに魔物のもので、思わずフライアが悲鳴を上げる。
唸り声は足下のさらに底の方から聞こえてくる。声の主は兄妹がいる層よりも下の層にいるようだ。
息を潜めて足場の岩盤を縁の方まで進み、下の層を覗き込んでみる。すると、実体は見えなかったが、明らかに巨大な影が蠢いているのが見えた。
「鉱山であると同時に魔物の巣窟ってかよ。参ったな……」
ライアスがため息を吐く。
すると下の層を覗き込んでいたフライアが何かに気付いた。
(左! ひだり!)
その方角に目を向けると、騎士の甲冑を身に纏った女性が横たわっているのが見えた。
「なっ! あいつか、一緒に落ちたやつって!」
それは崖上で戦った女騎士だった。
「……あの辺なら何とか降りられそうか。どっちみち一回は下に降りないと何もなさそうだな」
今いる層を見渡す限りはここを出られそうにない。
兄妹は魔物の気配に気を付けながら、あまり段差のない足場をつたって下の層に降った。改めて女騎士の姿を確認し、その場に歩み寄る。
近くから様子を窺うと女騎士には意識があるようだった。
「おい、大丈夫か?」
どうやら怪我で立ち上がれずにいるらしい。ライアスが声をかけると、女騎士はギラリとした目つきで睨みつけてきた。
敵意むき出しの視線に兄妹がキョトンとしていると、女騎士はおもむろに口を開いた。
「……私の負けだ。ひと思いに殺せばいい」
ライアスが首を傾げる。
「は?」
「……殺せと言っている!」
女騎士は吐き捨てるように言った。
ライアスは腕を組み、少し距離を取ったまま女騎士を見つめた。
「……なんでそんな命令されなきゃいけないんだよ。さっきまで取っ組み合いしたことすら忘れてたのに」
「なにっ?」
女騎士が眉をひそめる。
「不本意なのかどうかわからないんだが、今の俺たちに勝ち負けなんてどうでもいい。どんな手を使ってでも、なんとかここから生きて帰ることが全てだろ」
「情けをかけるつもりか?」
怒気を孕んだ声音でそう言う女騎士を、ライアスは訝しく思った。
「これが情けなのか? お前も生きて帰りたいんじゃないのか?」
兄妹からすればこの状況で何のために殺すのかが分からない。
すると女騎士は狼狽えるように声を張り上げた。
「! 敵対する者と一緒に生きて帰るなど……!」
ライアスが小さくため息を吐く。踵を返し、ひらひらと手を振った。
「そうかい、じゃあな。」
「あ……? なっ?」
そっけなく立ち去るライアスに女騎士が唖然とする。
フライアも同じように唖然として言った。
(さすがに、無くない!?)
妹の言葉にライアスも考え込むように首をひねる。
(んー……、捕虜になるなら命を絶て、だっけ?)
兄妹はドリューに聞いた騎士道精神を思い起こす。敵に捕らわれるくらいなら命を絶つ、それが美徳であり誇りであると、騎士たちはそう教えられているという。
すると、唸るような声が後ろから聞こえた。ライアスが振り返ると女騎士は剣の柄に両手を置き、それを杖代わりに立ち上がろうとしていた。しかし片膝をつくのが限界らしく、それ以上は立ち上がれずにいる。
しばしの間その様子を見ていたがいよいよ見るに堪えず、ライアスが口を開いた。
「……ここで死んだって、ヒルか、正体もわからない怪物の餌食にしかならねえぞ? 誰もいない、誰もお前を見届けない」
「…………」
女騎士は震える身体を突き立てた剣で支えながら、ライアスを睨み続けている。
「確か、なんか忠告があったんだっけ? 騎士は捕虜になるなら命を……」
「黙れっ! あなたに何がわかるっ!」
すると女騎士は唐突に声を張り上げた。
しかしその声は震え、ややくぐもっていた。
(……泣いてる?)
フライアが女騎士の顔を見つめながら呟いた。
ライアスは無表情のまま言葉を続ける。
「……わからねえよ。そんな都の掟なんてのは。もっと単純に、命令に従ったまま命を落とすことが本意かって聞いてる。実際のところ、俺も似たようなもんだ。上手くいくと思った作戦に便乗して、エラセドと対峙して、結果自分だけがこの鉱山に落っこちた。このまま死ぬのはどう終わっても悔いが残る」
素直に考えを伝えると、女騎士は動揺して息を切らすように、浅い呼吸を繰り返しはじめた。
先程までの威勢のいい声も強気な表情も既になく、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
その刹那、また魔物の咆哮が辺りに響き渡った。
「おおっと?」
ライアスが辺りを見回す。あまりここでもたもたしてはいられない。
その頭上、憑依したフライアはいかにもそわそわとしている。二人のやり取りにやきもきしているようだった。
そんな妹の様子に気付いたライアスがやれやれ、と声をかける。
(お前の好きにしなって)
(うん)
次の瞬間、女騎士の目の前でフライアの憑依が解かれた。
「えっ、え?」
動揺する女騎士にフライアが駆け寄り、すぐさま回復魔法を示す光が胸元に灯った。
「……なぜ? どこから?」
「動かないで……」
程なくして治癒が済み、女騎士はかろうじて立ち上がれるまでに回復をした。
狼狽える女騎士をよそに、フライアはまた兄のもとに駆け寄り、再び憑依して消えた。
「今のは? あなた方はいったい?」
動揺を隠せないまま問いかけてくる女騎士に、ライアスは肩をすくめてみせた。
「まぁ、世の中にはいろんな奴がいるってことだ」
そう言って踵を返す。
「さぁ、もうおしゃべりもいいだろ? とっとと出口を見つけに行くぞ」
女騎士がさらに動揺をあらわにする。
「な、なにを。私はまだ仲間になるなど……!」
「俺らだってなんにも言ってねえぞー。前を歩くことくらいはできるって言ってるだけだ!」
ライアスは振り返らずにそう言った。
ひとまず悲惨な別れをせずにやり過ごしたが、フライアは呆れたように首を横に振る。
(なんなの、この距離感……)
(見張るだけしてくれ。俺も手探りだ。遠すぎても近付きすぎても死にそうだもんな、あいつ……)
微妙な間隔を空けながら、兄妹とエラセドの女騎士は山脈の谷底を歩き始めた。




