034 港町の安らぎの夜
潮の香りのする涼風に吹かれながら港に赴くと、屋台料理に舌鼓を打つ人々の賑わいが聞こえてきた。相席は当然らしく、皆が他人同士の垣根を取り払い、初対面の人とも一緒に食事を楽しんでいる。
もともと会話が苦手な兄妹は踵を返し、静かに食事を楽しめるような店を求める。宿を探す時に見かけた食事処を覗くと、ちょうどよさそうな雰囲気だった。
ここでいいか、と頷き合って店に入る。店内は外観の印象より広々としていて、客もそこまで詰めかけてはいない。店内の隅にあるテーブル席についた兄妹は、ホッとして木製グラスを持ち上げると乾杯をした。
程なくして頼んだ肉と魚料理が一品ずつ運ばれてくる。歩き詰めで疲れ果てていた兄妹はそれらを分け合い、黙々と料理を口に運んだ。
「ふう……」
普段はこんなに食事の余韻を楽しむことはないが、兄妹揃って満足そうに息がこぼれた。
最後のデザートまで堪能し、お腹が落ち着いてきたところで、フライアが財布を取り出した。
食べた後であまり気にしたくはないが、兄妹にとっては死活問題になる話だ。ライアスもそれを気にするように視線を向けた。
「……フライア。どのくらい貯まった?」
「うーん……五千、ちょっとかな」
金額を聞いたライアスがふむ、と腕を組む。
「五千マーシャルか。アトリアで稼いだ分だな。けっこう増えたよな?」
マーシャルというのは東の大陸マーシアの通貨単位だ。五千というのは兄妹からすればそれなりの金額だ。
しかし安心したように頷くライアスに対し、フライアは心許なさそうに首を横に振った。
「増えたけど、すぐ減っちゃう。シェラタンよりずっと高いの」
ライアスは驚いたように「え?」と呟き、店のメニューを確認した。
「……高いか。いや、高いな。ここのデザート一品でベベルさんのとこのホットサンドが食えるぞ」
「そういうこと」
はっきり値段を覚えているわけではないが、感覚としてはベベルの店の二倍程はする。
一食で二食分のお金が必要ということだ。港町なので観光地として高めの値段設定がされているのだろうか。
思わず目の前にある空の小皿に目をやる。
……あっさり平らげてしまったデザートに後悔の念が集った。
「アトリアでけっこう頑張った気がしたんだがなぁ……」
嘆くように言うライアスを、フライアはキッと睨んだ。
「……ッ! やめて、食べてるときに……」
アトリアで報酬を得るためにこなした数々の汚れミッションが思い出され、フライアはケホケホと咳き込んだ。蛇に鼠にスライムに……。
今ではライアスの鎧に汚れが染み込んでしまい、二人がかりで洗い流しても完全には匂いが消えない。
何とも言えない気持ちになり、兄妹は揃ってため息を吐いた。
「はぁー……。なんだろうなぁ、良かれと思ってやって。考えてみたらドリューから手当だってもらってないじゃないか」
「ね。会えなくなっちゃったから」
「エラセドが攻めてくるってのも、よくわからないしなぁ。こうして今平和な雰囲気だとなんか無関係って感じもするし、いったい何の騒ぎなんだろうな?」
「うーん……」
思わず愚痴をこぼす兄妹だが、フライアが何かに気付いたようにふいと顔を上げた。
「どうした?」
「ちょっと、声大きかったかも」
「……え?」
その視線を追うと、女性店員が兄妹のテーブルをジッと見つめていた。
目が合うや否やその女性はハッとして、ポットを手にテーブルに近付いてきた。
「……お茶のおかわり、いかがでしょう」
そんな女性の態度に顔を見合わせる兄妹。
しかしちょうど飲み物がなくなっていたので注いでもらうことにした。
「どうも」
おかわりを貰いお礼を言うも、女性店員はすぐに帰ろうとしない。兄妹がキョトンとしていると、女性は不意に口を開いた。
「あの……お客さん方、シェラタンから来たんですか?」
出し抜けの質問にライアスが応じる。
「お? 聞いてたのか? そうだよ。ここよりずっと田舎だ」
すると女性はニコリと笑ってみせた。
「田舎ですか。確かに名前の通り、緑が多いところと聞きますね。あ、本日のお料理にもシェラタン産の小麦やミルクを使ってますよ。いつもお世話になってます!」
「やーめろ、やめろ。俺たちが作ってたわけじゃねえって。……でも、そっか。都各地に食料を送り届けてるんだっけか。はじめて実感したな」
屈託のない物言いに、兄妹も気分が和らいだ。
ライアスは照れくさそうに手を振って、それからフムと頷いた。フライアも「それもそうだね」と笑みをこぼす。
故郷シェラタンが穀倉地帯であることは知っているが、他の都でその役割を果たしているのを実感すると何だか少し誇らしい。
「ははっ、でもそうですよね! ずっと同じところにいると感覚が鈍くなっちゃうっていうか、自分のところの良さってわからなくなりますよね!」
「あ、ああ」
女性店員がフランクに接してくるおかげか、会話が得意じゃない兄妹も話がしやすい。
その後も故郷の話で盛り上がり、すっかり気が楽になったライアスは店内をぐるりと見回し、食事をする人々を眺めながら口を開いた。
「それにしても賑やかだよな。あっちのテーブルとか、最初からグループだったっけ? って思うくらいに乾杯をして回ってるよな」
「ええ、あそこの方々はもともと別のグループですよ。もうほとんど同僚みたいな感じで飲んでいますけどね」
港の屋台を見ても思ったが、ここクルサの人々は心がオープンだ。兄妹とそう離れていないであろう年齢の冒険者も酒を酌み交わしている。幸い、今の席は通路を挟んで距離がある、さすがにあれに混じろうとは思わないが、こうした雰囲気の中に入って眺めているのは悪くない。
「ふーん……、元気だな。冒険者がいるってことは……ここにもミッションの案内所があるのかな」
盛り上がる冒険者たちを眺めつつ呟くようにライアスが言うと、女性店員はこくりと頷いた。
「はい、ありますよ。街の真ん中の、役所と隣接しているところですよ」
「あ? 役所の? あったっけ?」
役所にはさっき行ってきたばかりだ。隣に案内所があったとは、まるで気が付かなかった。
フライアが思い出すように天井を見上げる。
「人がいっぱいいたとこかも」
確か役所を訪れた時、すぐ傍に人だかりができていた。
「ああ、そうでしたか。やはり冒険者の方々だったんですね」
「まあな。駆け出しって言葉がぴったりだ」
「ふふ……でも、あなたがた、さっき……」
「え?」
含みのある口ぶりに兄妹が首を傾げる。しかしその言葉が続けられる前に、別の客から注文の声がかかった。
「……あ! はーい、只今! ごめんなさいね。またお話しましょう!」
「お、おう。お疲れさん」
女性店員はペコリと会釈するとあたふたと去っていった。
それから兄妹はしばし淹れてもらったお茶で口の中を落ち着かせる。そうして間もなくすると店内の明かりが薄っすらと暗くなっていき、やがてテーブルの中央にあるスペースに照明が当てられた。
その様子に兄妹が小首をかしげる。
「どうしたの?」
「なんだろ? なんか催しでもやるんかな。……あー、楽団かな」
ライアスが予想した通り、照明が作り出す光の輪に楽団員らしき数人の男たちが現れた。程なくして演奏がはじめられる。
それは心を穏やかにさせるゆったりした楽曲で、港町のムードとも見事に調和していた。ある者は頬杖をついて目を瞑りながら、ある者は奏でられる楽器をうっとり見つめながら、店の客たちは思い思いに演奏を楽しんでいる。
この町では有名な楽団なのかもしれない。演奏が終わると歓声が沸き、兄妹も拍手を送った。
「……なんか、やっと旅してるって感が出てきたな」
灯りに照らし出された楽団員たちを眺めながらライアスが呟く。
フライアも頷いた。
「そうね。ずっと、余裕なかったから」
兄妹はこれまで、しゃにむに戦っては泥のように眠る生活を送ってきた。ただひたすら、生きるために。
だが、ゆったりと続く演奏に兄妹もこの時ばかりは現実を忘れた。今日この日、この時、この店に偶然寄り集まった人々と一緒に、兄妹は至福のひと時を楽しんだ。




