020 旅立ち
翌日。
ライアスとフライアは持てるだけの荷物を背負い、ベベルの店を訪ねた。
彼女は顔を合わせるやいなや目を見開き、すぐさま厨房をもう一人のお手伝いに預けて兄妹を店の奥部屋へと案内した。
「……どうしたの、その傷?」
ひどく動揺したベベルに、ライアスが事情を話した。
一通りの出来事を伝え、シェラタンを離れたいことを告げると彼女は沈痛な眼差しで二人を見つめた。
「……悪いこと言わないから、この店にいない? 怖い思いをしたのはよくわかったけど、だからって急に住み慣れた都を離れることはないんじゃない?」
やはりベベルは心配してくれた。自分たちの不安を受け入れ、一方で尊重もしてくれるような口調だ。
だが、兄妹も止むに止まれぬ事情がある。
「……ごめん、今回ばかりは本当に怖かったんだ。随分と野盗に知られてたみたいだし。それに、自警団にいてちょっとシェラタンの外に興味が沸いたんだ。少し、二人だけで巡ってみたい」
ライアスがそう伝え、フライアも続くようにこくりと頷いた。
それからしばらく沈黙の時間が続く。
ベベルは真剣な表情で二人の様子を窺っていた。そして、しばらくしてうんうんと首を縦に振り、微笑んで見せた。
「そう……。それもいいんじゃない? うん。あなたたちがずっと一緒ならきっと大丈夫よ」
「ベベルさん……!」
フライアが思わず呟いた。兄妹はもしかしたら意地でも止められるんじゃないかと思っていた。
そこにベベルは言葉を続けた。
「その代わり、約束して。『もう限界!』って思ったらここに戻ってきて。絶対に無理して旅先で行き倒れたりしないで。あなたたちにとってここは家なんだから」
その言葉に兄妹揃って驚いた。
「えっ? 家?」
「当たり前でしょ? ずうっとシェラタンのために仕事してきてくれた子を見捨てるわけないでしょう? これは保険。冒険に疲れたら戻ってきていいってことよ」
どうしてこんなにも自分たちのことがわかるんだろう?
兄妹はここにはもう居場所がないと思い込んでいた。だが、今の言葉で少しだけ気持ちが和らいだ。
「それと、ライアス君。ちょっと屈んで」
「えっ……?」
ベベルの言葉に呆気にとられていた兄妹だったが、そこへライアスが呼ばれてさらに不意を突かれた。
言う通りライアスが中腰になるとベベルは両手をそっと頬に添えた。
そこはまだ切り傷が残っている。
「いてっ……」
「……まだちゃんと治療できてないじゃない。身体もそうでしょ? ボロボロのままで旅立つなんて言わないで。今日だけでも、ここで安静にしなきゃだめ。安心して送り出せないわ」
ベベルの言葉に兄妹はぐうの音も出ない。
「鎧だってボロボロじゃない。前壊れちゃった時、ポールさんに予備でもう一着作っておいてって頼んでおいたからきっと新しいのがあるわ。あとで取ってくるから、明日それを着て行って」
「えっ?」
ポールはベベルの知り合いで革細工を営み、兄妹にも鎧の手直しや革の加工を教えてくれた職人だ。
確かに、今着ているのも昨日の襲撃で壊れかけていたので本当に助かる。
ここまで自分たちのために準備してくれるとは。
ベベルの支度の良さに兄妹は頭が上がらない。そのままその日は部屋に残り、閉店の時間を縫ったベベルの治療を受けることとなった。
さらにその翌日。
フライアの応急処置ではない、しっかりとした手当てを受けられたライアスの状態も相当に回復した。
フライアも休養が取れて気持ちも多少は落ち着いた。
昨日こそ早くこの都を出たいと気持ちが早まっていたが、ベベルの忠告に従って身体も心も救われた。
鎧と荷物を整え、兄妹は店の前でベベルと向き合った。
「ありがとう。おかげで気持ちが楽になった」
「ありがとうございます」
気持ちを新たにそう伝えると、ベベルはにっこりとほほ笑んだ。
「ええ。本当によかったわ。いい? これからも、気持ちを焦らせたらだめよ」
「あ、ああ……」
少し照れ臭くなり、兄妹はしばし言葉を失った。
それでも、挨拶はしなくてはと声を絞り出す。
「それじゃ、その……行ってくるよ」
「……いって、きます」
「ふふ……。知らないことがわかると楽しいでしょ? いってらっしゃい!」
ベベルの声を最後に、兄妹は店を後にした。
シェラタンと隣の都アウストラリスを結ぶ街道と出るため、兄妹は北へと向かう。
その途中、今度は自警団本部を訪れた。
兄妹の姿を見たウォルフはきょとんと不思議そうに言った。
「おう、なんだ? 巣窟を叩いた後だってのに、いつもよりしっかりと荷物抱えてきたじゃねえか」
「ああ、しばらくこの都を離れようと思ってな。挨拶しにきた」
そう告げるとウォルフは驚いて身体を仰け反らせた。
「……ッ! なんだよ急に。こんな堅苦しい任務に順応していた数少ねえ人材だったのによ」
「実は、きの……いや、一昨日に、家で野盗の生き残りに襲われた。四人か五人? くらいはやったけど、まだ何人か仲間がいるみたいだ」
ライアスは襲撃のことを懸命に思い出しながら話した。人数があやふやで、隣のフライアがそわそわとしている。
「……やっぱりいたのかよ。通りで噂も立つわけだ」
ウォルフはがっくりと項垂れ、あからさまにため息を吐いた。
その様子に兄妹が首を傾げる。
「うわさ?」
「何のことだ?」
するとウォルフは身体を背もたれに沈ませ、嘆くように説明をはじめた。
「お前は確か巣窟内には突入していなかったよな。だから知らなくても仕方ないんだが……あの討伐で野盗の息の根が止められなかったって話す奴がけっこういるんだ。こっちからは王都の援軍もあったし、お前ら遊撃部隊も役目を果たしてくれたから難なく巣窟を陥落させられたんだが……それにしてもあまりにあっけなさすぎると」
「……それは、まだ他に野盗の巣窟があるってことか」
「お前らが襲われたっていうならそうなんだろうな。どっちに逃げたとか……なにか分かることはないか?」
ライアスは首を横に振った。
「いや、もう夜だったし追い払うのが精いっぱいだった」
「……だろうな。ま、これは私的なことだけどさ、今回の掃討作戦で綺麗さっぱり片付けて、とっとと王都で次の任務受けようと思ってたんだ。でもこれでまた調査云々で残れって言われるんだろうな……」
ウォルフはもう一度深いため息をついた。
「で、お前はもう居所まで突き止められちまったから落ち着いていられない、と」
「ああ。正直、死を覚悟した。たまたま気付けただけのことでさ、家もそこまで丈夫じゃないし、これまでも荒らされたことがある。命をかける覚悟までするってなると……」
ライアスの言葉にフライアが絶望の情景が浮かびあがり、思わず顔を俯けた。
ウォルフがやれやれと首を振る。
「なるほどな。ま、ここにしがみつく理由もないっていうのは俺も同意だからな。好きなようにすりゃあいい。もっとも、王都に行って傭兵になったところで俺みたいにまた派遣されるだろうけどな」
「ウォルフ?」
ライアスは聞きたかったことを聞いてみることにした。
「ん?」
「お前は、その……どういう立場なんだ? 何が目標なんだ?」
何を今更、と言いたげにウォルフが頭をかく。
「俺? 俺は王都から派遣された傭兵。今いる東の大陸が西の大陸からの侵攻に脅かされているってことくらいはお前も知ってるだろ?」
シェラタンのある大陸は「マーシア」といい、東の大陸とも呼ばれている。一方、その西側には「メイシア」という西の大陸が存在している。
その東西の大陸は大昔から争ってきた。確かに最近、ベベルの店に置いてあった新聞にもそのいがみ合いが激化してきているといった話があった。兄妹が知っているのはそのくらいだ。
「俺は王都出身でさ、ほんとはもっと西に近い都で剣技や魔術の実力を試そうと思ってたんだが、蓋を開けてみりゃあここ、西からさらに遠ざかる始末だ。シェラタンから見れば王都の政策がきれいに見えるかもしれねえけど、結局のところ、王都は王都で使える奴をこき使ってるようにしか俺には見えねえ」
ライアスは顎に手を当てた。
「なるほどな。そういうことに疑問を感じてもいなかったな」
王都というからには、誠実で統制のとれた政策ばかりが行われていると思っていた。
「へっ、この都に入り浸ってたらそうなるかもな。お前もさ、この都を出るならもっと頭使ったほうがいいぜ?」
「そうだな。……いろいろありがとうな、ウォルフ」
「礼を言われるようなことじゃねえよ。……あ! 王都に行くってんならひとつ頼みがある」
そう言うとウォルフは自警団の机をガサゴソと漁り、手紙のようなものを手に取った。
「今回の野盗掃討作戦の報告を神官に届ける仕事があってな。さっきのお前の話を聞くとまだここに残ることになりそうだからよ、この書状を持ってってくれねえか?」
ライアスが書状を受け取り、こくりと頷く。
「ああ、わかった。《王都の神官》に、だな。ちゃんと届ける」
その後ライアスから自警団バッジを受け取ったウォルフは「野盗のこと報告しなきゃなあ」とぶつぶつ言いながら、挨拶もそこそこに部屋を出て行った。
親しくなった数少ない仲間であり、恩人でもあるウォルフに挨拶を済ませ、兄妹はスッキリとした気持ちで本部を出た。
「フライア、俺は絶対失くすから持ってて」
「うん……」
ライアスは預かった書状を妹に渡した。
それから小さく息を吐くと、両手を頭の後ろに回し、呟くように言った。
「……もっと頭を使え、か」
フライアがううん、とうめくように言う。
「使ってたつもりなのに?」
「ウォルフみたいな都の外の人間から見れば、とんでもない世間知らずなんだろうな、俺たち」
そう言われても仕方がない。兄妹はシェラタンの郊外にあるあの小屋で、何年も同じような生活をしてきたのだ。頭を使い、一生懸命に暮らしてきたつもりでも、世界のことは何も分からない。
そうしてシェラタンから王都アウストラリスへ続く街道の入口までやってきた。
やり残しがないかと立ち止まると、ふと傍に佇む土産物店に飾られた地図が目に入った。シェラタンにいれば飾られていても見ることがなかったマーシアの大陸地図だった。
「いらっしゃい!」と店主に声をかけられた。
「……この地図、一枚欲しい」
自警団で得ていた手持ちのお金はわずかだったが、不思議と抵抗がなかった。
「毎度あり」という言葉をかけられながら兄妹でその地図を見つめた。
大陸の各地に点在する都が描かれた地図。その右下、南東にあるシェラタンは都の規模が他より一段と小さく描かれている。
「シェラタンを合わせて九つの都、か」
「それで、この西が、メイシア……」
知ろうと思わなければなんともなかった広大な世界。たが、新しい土地へと足を踏み出したこの日から、世界は徐々に兄妹の前に姿を現していくのだろう。
新しい日常への不安に心が騒ぎ、また期待に胸を膨らませながら、兄妹は街道を一歩一歩踏みしめるように歩を進めた。
やがて揃って立ち止まると、別れを告げるように暮らした小屋のある平原の方角に顔を向け、そしてまた歩きはじめた。




