019 刻み込んだ恐怖と二つの願い
その悲鳴が鳴りやんでしばらく経った後、ライアスは剣を杖代わりに家へと入った。
部屋に入るや、ガタッと床に崩れ落ちた兄から憑依を解き、フライアが傷薬と包帯、布をかき集める。そして、外せるだけ兄の装備を解き、楽な姿勢にさせながら止血に入る。
「あ、あ……いてぇ……。お、起こしてくれぇ……」
十数分しても、ライアスの治療は終わらない。
せめてベベルに助けを求めたかったが、もう動くことも憑依させることもままならない。ベッドに乗せることもできず、仰向けでは苦しいという兄をベッドにもたれさせての治療が続いた。
「生きて……死なないで……」
祈るような思いでフライアが手当てを続けると、虫の息のままライアスが呟いた。
「……ここも野盗に嗅ぎつけられちまったらなぁ」
静まり返る部屋に重い空気が流れる。
ややあって、表情を硬くしていたフライアが口を開く。
「見つかっちゃった、の?」
まだ信じられない。そんな様相のまま包帯代わりの布を兄の腕にグルグルと巻いている。もう既に魔力は枯渇し、その手には汗と兄の血が滲んだ。
「うまいこと、この身体を隠してきたと思ったんだけどなぁ……」
「……これから、どうなっちゃうの?」
「逃げた連中、人気のない方に行ったよな? まだ、あいつらには巣窟があるんだよな? ……これまでだってそうだったんだ」
ライアスの言葉にフライアが手を止めた。そして、呼吸が荒くなる。頭にはさっきの戦いの《音》が鳴り響いていた。
すがるように兄を見つめた。
ここに居れば野盗が報復にくる。そうなればまた戦うしかない、殺さなければならない。
それが繰り返されることを思うと絶望で身体が冷たくなっていく。
頭に鮮明に描かれた殺戮の情景。それを思い起こしてフライアはめまいを起こしかける。
だが、それを振り払うように首を振るい、また手を動かす。とにかく、今兄を失うわけにいかない。
ライアスはそんなしぐさで訴える妹から逃れるように顔を背けた。
「こんな辺鄙な田舎で目立つくらいなら……、戦場にでもいたほうが紛れるのかな……?」
苦し紛れにそう言った。
フライアはしばらくその言葉の意味を考えるように固まった。
最後の一枚を巻き終え、止血の様子を見てからフライアは兄をベッドに乗せ、自分も隣に腰を下ろす。
膝を抱えるとベッドがぎしりと軋んだ。
もうここに居場所はない。
そんな現実をライアスは遠回しに《自分》へ突き付けたのだ。
「……みんなと同じでいたい。同じでありたい。それだけなのに?」
「なんで家を出て危ない思いをしなきゃいけないんだって? そりゃそうだ。そりゃ、そうなんだけど」
ライアスは深くため息を吐きながら、傷とマメだらけになった自分の手のひらを見つめた。
「……結局、俺たちは二人揃って一人前でしかないんだ。もともと普通に暮らすなんて無理だったのかもしれねえよ。……それに、さっきの襲撃、この力が無かったら倒せなかったぜ? 考えてもみろよ。七人か、八人か、野郎どもが、殺す勢いで襲ってきてさ、普通の兄妹だったら何の抵抗もなくやられてたぞ。こうやって二人でいるしかないなら、せめて……二人だからできることをやっていくしかないんじゃないのか?」
まだ傷が痛む。ゆっくりとだがそこまでを言い切り、隣に座る妹の横顔を見やる。
「……何も戦いたいわけじゃ」
フライアが消えそうな声で呟く。
戦うためにこの能力があるわけじゃない。そう思いたい。
「わかってんだよ。でも、離れられないからよ、俺は……!」
喘ぎながらもライアスがそう呼び掛けた。
それが残酷なことはわかっていた。
言葉の建前も、加減もわからない。自分には備わっていないのだ。それは隣にいる、自分にとっての心である妹にある。
それでも、正直に言うしかない。行く道を見失った自分の心に、答えを出してあげないといけない、その一心だった。
フライアは真剣に話す兄に顔を向け、こくりと頷いた。
「……うん、私も」
……乱暴な誘導だったかもしれないが、気持ちは届いたようだ。
離れられない、離れられるわけがない。二人は《独りの兄妹》だ。
フライアは兄に身体を寄せた。
戦いたくないし、殺したくない。これ以上は怖い思いをしたくない。
けれど、もうそう言っていられないのだろう。理不尽な状況に我慢できないあまり、前を向こうとしている兄にさえ反発してしまっているだけだ。
「私、今我慢できてなかった」
フライアが兄の肩に軽く頭を乗せた。
「俺相手だったらいいって。でも、普通の人はこういう時、どうするんだろうな? どうなるんだろうな?」
「さあ……」
「……まぁ、そういうことだ。《普通》のことだってわからないんだ。俺たちで、見つけるしかない。でも、どんな状況になっても二人で一緒だ。絶対に、二人でいるんだ」
「うん、行こう、一緒に」
フライアは頷いた。
――普通ではあり得ない力を持つ、二人で《独り》の自分たち。
《普通》の人とは違う、そもそも《普通》がわからないことへの憂い。もしもこんな力なしに《普通》の存在でいられれば、どれだけ楽になれるかと悲嘆した日々。
それでもこの窮地、ズタズタになりながらもこの力で乗り切ってみせた。その心に、それぞれの願いが宿る。
『ありのままの自分でありたい』
『皆と一緒でありたい』
外の世界に出たところでどうしたら実現するかはわからない。だが、そのふたつの願いがそれぞれの心に宿った。
ライアスは妹に頷き返し、俯いていた顔を上げた。
「王の都……だよな。野盗討伐の応援に来てたのは。……覚悟決めて、やれるだけのことはやってみるか」
「うん」
フライアも前を見るように上を向いた。どんよりと沈んでいたその心に届くよう、大きく息を吸い込んだ。
――この日のことは、兄妹が新しい世界に旅立つそのきっかけとなった。




