103 闘技場とベラムの行方
三十分近くが経ち、フライアもふて寝を決め込んで顔を腕に埋めた頃。
ガチャリと扉が開く音を鳴らし、ようやくヴィクターが姿を現した。
揃って顔を上げる兄妹に対し、ヴィクターは小さくため息を吐く。右手には三本のクエスタミンを握っていた。
「大丈夫か。疲れただろう。ったくな。闘士の資格試験を受けに来たってだけなのにこんな目に遭っちゃ、先が思いやられちまうよなあ」
やれやれと言いながら、クエスタミンを右脇に挟み器用に蓋を開ける。自由のきかない左腕を他の動作で上手くフォローしていた。
ヴィクターは残りの二本を兄妹それぞれの前に置いた。
「……あ、いや、いいよ。今日はもう飲み過ぎた」
ライアスが遠慮がちに断る。
今日だけで軽く五本を飲み干しているのだ。クエスタミンは疲労回復効果を持つが、そうしたポーション系の水薬はがぶ飲みして良いものではない。
ヴィクターは了解して「そうか、なら持って帰ってくれ」と言うと、本題に入った。
「それで、さっきの件について話をさせてもらう。できるだけ手短にするつもりだ」
兄妹で揃って頷いた。
「ああ、短くで頼む」
ヴィクターはふふっと労いの笑顔を見せると、配慮するように丁寧に説明をはじめた。
「ああ。まあ、お前たちが何か罰を受けるような話はない。安心して聞いてくれ。まずベラムについてだ。あいつとあいつが所属するシリウスを、運営側が睨みを利かせて活動を継続させることが決まった。お前たちがさっき戦った騒動はこのザウラク全体に報じられ、シリウスの不祥事として全面的に取り上げられる。これによってシリウスの所属選手や関係者は当面危険人物として扱われ、彼らが出場する闘技は全て警告試合となる。無論、お前たちの名前は公表されない」
言いながら一つため息を吐く。
「お前たちにはわからなくても仕方ないが、あいつらが出場する闘技は曲りなりにもそれ相応の人気がある。運営側としてもすぐにシリウスの全権を剥奪するのは影響の大きさから取り下げられた」
ヴィクターはそこまでを話し兄妹の反応を窺った。散々な目に合わされたのだから、対応に納得いかずとも無理はないと考えてのことだろう。
兄妹は顔を見合わせ、神妙な面持ちで頷き合う。シリウスの不祥事が全面的に取り上げられるということで、それなりには納得できた。
ヴィクターが話を続ける。
「シリウスの監視が及ぶのは闘技に限ったことじゃない。さっきウェイの嫁さんの宿にあいつが荒らしに行ったと話してくれたが、そんなウワサはシリウスの周りでしばしば運営側に入ってくることがあってな。今回闘技を通り越した暴力もしくはリンチと呼ばれる出来事が明るみに出たことで理事官たちの重い腰が上がった」
ヴィクターはやや満足げに口角を上げる。
「これまでの報告を打ち明けた上で今後しばらくシリウスはもちろん、他の闘技施設への攻撃は厳重にチェックされ、闘技運営への通報網も拡充される。物事問わず、選手の迷惑行為があったら運営に通報してくれ、とな。当面は嫌がらせがなくなるはずだ」
透明性のある運営を志しているであろうヴィクターからすれば、それは望ましい変化に違いなかった。
「ふーん……」
ライアスが気のない相槌を打つ。兄妹はいまひとつピンと来ていなかった。
ヴィクターはさらに説明を続けた。
「それで、あの《処刑場》で行ったことについてだ」
ここからが真の本題とばかりに話を切り出す。
「ここからは内密に願いたい。お前たちは完全な《被害者》ってことで話がついた。ベラムがけしかけ、しまいには闘技の掟を破ってお前たちを殺すという暴挙に走ろうとしたことも運営全員で共有した。ベラムは秘密裏で詰問に掛けられることになる」
ヴィクターは改めて兄妹の顔を見渡した。
「だが、お前たちにはこのことは外に漏らさないでほしい。運営側としてしかるべき措置を取ることを約束する代わりに事を勝手にデカくしないでくれ、というのがお前たち《当事者》に与えたい約束だ。……承知してくれねえか?」
ライアスは視線を落とし、しばし考えに耽る。
──確かに殺されかけた。いや、フライアがいなければ確実に殺されていた。理不尽に命を奪われていたかもしれないと思えば、ベラムのことは決して許せない。
だが、そうした憤りを覚えながら、同時にライアスは過去の出来事を思い起こしていた。
野盗に住み家を襲撃されたとき。同じように、あと一歩で命を失うところだった。──その危機を乗り越えられたのは、やはりフライアの助けがあったからだ。
ライアスはため息を吐き、横にいる妹に視線を送る。
(お前は、どう思う?)
ライアスが視線でそう訴えるとフライアも見つめ返した。そしてしばらくして、相槌を打つように頷いてみせた。
(うん、だいじょうぶ)
表情で妹がそう伝えた。それならいい、とライアスは視線を戻し、ヴィクターを見やる。
「……ああ。いいよ。あいつが更生するなんて期待はしないけどな」
するとヴィクターはフッと笑ってみせた。
「まあそうだろうな。さて、いろいろあるだろうが、まずは運営側の方針を先に説明させてもらった。質問があれば答えよう」
一通りの説明は終わったようで、残るは質疑応答となった。
兄妹からすれば質問はいくつもある。しかし緊張の糸が切れた今となっては、その質問もすぐに思い浮かばない。
フライアがひとつひとつ確認する仕草をしている間にライアスがなんとか言葉を紡いだ。
「……まぁ、いくつかあるけど。じゃあその方針の話で、なんでベラムに対して、じゃなくてシリウスになったんだ? なんでそこまでしてベラムの名前を出さないんだ?」
ライアスが問うと、ヴィクターは「そうだな」と頷き口を開いた。
「理由は大きくふたつある。ひとつは運営側としてもシリウスの横暴ぶりに手を焼いていたことだ。主犯格は確かにベラムだが、他にも問題を起こす選手は多い。関係が深いポルックスにもそうした輩は多い。シリウスという組織を名指しすることでこの問題の再発の抑止力を強めることができると考えたのだ」
そう説明してから「そして」と付け加えた。
「もうひとつの理由はあいつの親父だ」
兄妹はハッとして声を上げる。
「あっ」
「……ああ!」
理事官の中にベラムの父親ベルリクトスがいたことを思い出す。
ヴィクターはやれやれと右手を上げた。
「あんな息子に育っても、やっぱり親としての情はあるンだろうな。どうしてもベラムの名前を今回取り上げないでほしいと、さっき頭を下げていたのだ」
ベラムの傍若無人さは兄妹も思い知っている。その親子関係を思い、兄妹は何とも不思議な気持ちになった。
ヴィクターが言葉を続ける。
「さっき、ベラムの親父が赤札を四、五枚掲げていたのを見ただろ? あれは本来闘士に対して不正や不祥事を招いた時に警告として出されるペナルティの印なんだ。一枚につき次回の大会は出場停止ってやつだ。……だが、どうやらなンだが、本来ベラムへ掛けられていたペナルティをあの親父が《警告書》に置き換えて本来のペナルティを回避させていたらしいンだ」
ライアスが驚くように視線を持ち上げる。フライアも眉をひそめた。
「え? それって?」
「四、五枚……って?」
兄妹は一斉に疑問を呈した。その心情を汲み取り、ヴィクターは神妙に頷いた。
「ああ、理事官としての不正だ。俺もあの場で出してくるとは思わなかったよ。ベラムの親父は経歴がはっきりとはわからねえンだが、俺が闘士から運営側に回ることになったときには運営の長を務めていた。そこから間もなくして理事官、まあ平たく言えば、この都を統括する組織とこの闘技の運営の橋渡しをするポジションに就いた。そんなモンだから、息子には英才教育が施せるだけの金はあっただろうな」
言いながらまたひとつため息を吐く。
「そいつが不祥事を起こしたってンだから。ちと気の毒ではあるが、まあ自分も息子の不祥事を四回見逃す贔屓をしたと罪を明かしたってかたちだ。……親父は親父で厳重な処罰を食らうだろうよ」
兄妹は思わず顔を見合わせる。ライアスは「なるほどな」と呟くように言った。
「他には?」
ヴィクターに尋ねられ、落ち着きが戻ってきた兄妹はこれまでの経緯を巡らせる。
ずっと質問をしたかった相手、ヴィクターとだけで話し合える空間にいる。
冷静に考えて、これほど絶好のチャンスはないのだ。




