097 待ち構えていた刺客
正面口をくぐると、休館日とあってロビーはひっそりと静まり返っていた。
ザウラクでの初日、闘技を初めて観戦したあの日の喧噪を思うとその落差がすごい。選手資格試験のある今日は終日閉館のようで、関係者以外立ち入りを禁止されているらしかった。
人影がなくだだっ広い空間を見渡すと窓口にヴィクターの姿を見つけた。ヴィクターも兄妹に気付き、手をぶんぶんと振りはじめた。
「おーい! どうだったか! ハハッ、聞くまでもねえ。ここに来たってことは、見事勝ち抜いて、合格証を握ってきたわけだ」
窓口に歩み寄りながら、ライアスは「ああ」と頷く。
手にした合格証を差し出すと、ヴィクターはニヤリと笑んでそれを受け取り、さらりと記載内容に目を走らせた。
「へへっ、芸術点が随分と低いなぁ! ウェイからもっと学んだらいい。ま、これから修行漬けってとこだろ。しっかり精進しろよ!」
快活に言うと、ヴィクターは準備していたらしい用紙を取り出した。それには「闘技証」と題されており、題の下にはライアスの名がしっかりと記されている。正式な闘技者を証する認可証のようだった。
ヴィクターは期待を込めた眼差しをライアスへと向ける。そして闘技証を差し出した。
「よし。じゃあ、おめで……」
その時だった。
「ダーメだよ! 渡しちゃ!」
「……あ?」
兄妹の背後で何やら突飛な声が上がった。
何事かと兄妹が振り向くと、ふんふん、とハミングしながら歩み寄る男の姿があった。
「誰だ?」
訝しげに呟くライアスの隣で、フライアが大きく目を見開いた。
「……ああっ!」
男を指差し、声を上げる。自信に満ちた厭らしい笑顔、そして粗野な声。一見すると整った顔立ちだが、その顔には性悪さが張りついている。マーシュの宿を荒らしたときと同じ顔だ。
「……ベラム、か」
男の名を呟いたのはヴィクターだった。
「ふふ~ん……ふっふ」
ベラムは鼻歌交じりにふらふら近寄ると、軽快に片手を上げた。
「よう! ヴィクターのおっさん!」
そう名を呼ばれ、ヴィクターは渋い顔をした。いかにも豪胆な彼らしからぬ表情だった。
何やら不穏な空気を察し、おぼろげながらライアスも宿での出来事を思い出す。
(……ああ、あいつか)
その傍ら、ヴィクターがやれやれと口を開く。
「どうしたんですかい? 今日はお前さんの大好きな観客は来てねえぜ?」
ベラムはニヤリと口の端を上げた。
「そーんなヤな顔しないでよ。ここは俺の庭だぜ? たまには俺だって誰もいない大空間を自由に歩いてみたくなるんだぜ?」
言いながら大仰に歩いてみせた。ヴィクターがますます表情を渋くする。
「そりゃあ結構。清掃員たちの邪魔にならないようにな」
やんわり追い払おうとするが、しかしベラムはそんなことで退く人間ではなかった。
「ああ、そう思ったんだけどよ……。せっかく散歩してるばっかりにこんな汚ねえダニが目に入っちまうからよ。な?」
ベラムはぐるりと身体の向きを変え、ライアスを睨みつける。
「ダニ、か」
ライアスはやはり無表情に応じる。しかし内心ではカチンときていた。
ベラムが顔を寄せてくる。
「ああ、ダニだよ。見ての通り。整ってもいないボサボサの頭にボロボロの鎧。誰を斬ってこれたのかもわからない無骨な剣。そんなお前がまさか、まさかだけど、闘技の選手として登録しに来たってんじゃないよね?」
兄妹に顔を突き出したまま、まさかなぁ、と両手を広げてみせる。
フライアは顔を背け、ライアスの後ろに隠れた。言い返さずに堪えているが、その顔は怒りで真っ赤にしている。むろん、ライアスも同じ気持ちだ。
そんな兄妹に代わり、ヴィクターが口を開いた。
「そのまさかよ。しっかり二勝一敗で勝ち越して今日からお前さんと同じ闘士、選手の一人だ」
ベラムがギラリと目を剥く。
「一緒にすんじゃねえ‼ 渡すなって言ってんだろ‼」
胴間声がロビーに響き渡った。しかしライアスは動じず、おもむろに首をひねる。
「は? どういうことだ?」
いくら気に食わなかろうと、試験の合否にまで口を出されるいわれはない。
しかしベラムはわかってねぇな、と大げさにため息を吐いた。ライアスは理解できない、という視線をヴィクターに向ける。ヴィクターは首を横に振った。
「おい、ベラム。俺にもわからん。どういうことだ?」
ベラムはやれやれ、と仰々しく肩をすくめる。
「はぁ~、馬鹿が多いと面倒だねえ。いいよ。教えてやる。おい、後ろのガキ」
そう言ってフライアを指差した。
「えっ⁉」
フライアは驚きのあまり飛び跳ねる。まさか自分に注意が向くとは思わなかった。
「お前、エレメントは何使えるんだ?」
「え? え……?」
なめずるような不快な口調。
フライアは狼狽えた。散々挑発されたうえにガキ、という悪口。さらには気味の悪い問いかけに頭がぐるぐる回り、単純な質問に答えられない。
妹の様子に気付き、ライアスが口を開いた。
「……氷と光だ」
ベラムは大きく舌打ちをする。
「おせえよ、待たせるんじゃねえよ。で、おっさんさぁ。光のエレメントがメンターっていいんだっけ? 誓約書は? こいつら知らないみたいだけど出してるの?」
兄妹は顔を見合わせる。そんな話は初耳だった。
(あれ? ウェイさんから何かあったっけ?)
(……ない)
回復魔法が禁じられていたことは知っている。しかしそれに伴う誓約書というのは聞いた覚えがない。
そしてヴィクターが登録用紙の束をめくり、小さくため息を吐く。
「嬢ちゃん、光魔法が使えたのか。その時は前もって『メンターをやりますが光属性や風属性にある回復魔法は使いません』って誓約書を書かなきゃいけねえんだ。たぶん、ウェイが全部手続きしたんだろうけど……、ねえな。メンターの登録変更は出てるが、変わった先のお前さんの使うエレメントの情報が載っていない」
その説明にフライアは愕然とした。ベラムがニヤリと笑い、大声で喚き立てる。
「はーい! じゃあ失格だね! たかだか二勝一敗だとかって、結局はインチキしてなり上がったまでのことだ!」
兄妹を不正者と決めつけ、勝利宣言のごとく言い放った。
「やってない‼」
堪えきれずにフライアが叫ぶ。
回復魔法なんてただの一度も使っていない。使うわけがない。
しかしその声はがらんとしたロビーに虚しく響くだけだ。
「わたし……インチキしてない……」
小さく身体を震わせながら呟く。今にも泣きだしてしまいそうな声だった。
しかしベラムは憚ることなく、ニタニタした顔をずいとフライアに寄せる。
「へえ~、やってないねえ。インチキは皆そう言うさ」
そして顔つきを変えると、吊り上げた目でフライアを睨んだ。
「なら聞く。やってないって言うなら証拠は‼ ……ねえだろ! 出しもできねえことを叫んでんじゃねえ! 耳障りだ!」
「やめろ! ベラム‼」
その横暴な態度を見兼ね、ヴィクターが口を挟む。
しかしベラムの狂気は収まらない。目が血走っていた。
「俺はなあ! この神聖な闘技場を汚されたくねえんだよ! 背中から関節をへし折るような勝ち方して! 戦いを汚してくる奴が許せねえんだよ‼ んな奴いたら全力で潰す! それだけだ‼」
するとライアスがぼそりと呟いた。
「……なんだお前。資格試験をしっかりと見てたんじゃねえか」
「はあっ?」
あっさりと突っ込まれ、激昂していたベラムが鼻白む。
「お前、何ランクだったっけ? 曲りなりにもすんごい高いところで戦ってるんだろ? なんで見に来たんだ?」
平然と、妹への中傷をバッサリと切るライアスの言葉にヴィクターも続く。
「ま、まあ、俺も気になったな。おめえがこの辺をうろつくことはあっても地下にまで降りるってのは何の風の吹き回しだ?」
ベラムはうっ、と言葉を詰まらせた。ギリギリと歯ぎしりをしてから口を開く。
「どうでもいいだろが! ただの気まぐれだ。俺の庭だって言っただろ!」
ライアスは首をかたむけ、さらに追及する。
「じゃあここが庭ならマーシュさんの宿はどうなんだ?」
ベラムの額に汗が浮かんだ。
「あ、あんなゴミ屋敷がなんだって?」
「俺がお前の顎にフォークぶっ刺したところだよ。顎にまだ傷あるんだろ?」
ベラムが両手で顎を覆う。慌てるようにサッ、と後退りをした。
ヴィクターが「お?」と方眉を上げる。興味深々に目を見開き、ベラムの顎を指差した。
「おい! なんだそれ? 何があったって?」
ライアスが肩をすくめる。
「ああ。こいつがウェイさんの奥さんの宿で暴れてさぁ。俺がそこで……」
「あー‼ あーー‼ あーー‼ あーーー‼‼」
途端にベラムが奇声を上げた。どうやらよほど知られたくないらしい。
「あーー‼ あれか! あれね! お前が酒に酔って俺に注意してきたところを俺が返り討ちに遭わせちゃった件な!」
汗をダラダラ垂らしながらライアスを指差した。ライアスは「……あ?」と首を傾げる。
「あ? あ? ちげえだろ?」
事実と真逆なのに、ライアスは上手く言葉が返せない。荒唐無稽なベラムの抗弁に頭がこんがらがってしまう。あまりに饒舌すぎるのだ。
ベラムはさらに早口で捲し立てる。
「そうだよ! お前が一矢報いてフォークを破れかぶれに当てただけだ! お前は酒に酔ってただろ! なんも覚えてるわけがねえ‼」
その口八丁ぶりに呆れ、ライアスは肩をすくめる。
「……いや、フォークがお前の顎の肉にぶっ刺さった感覚はしっかり覚えてるぞ」
「どうでもいいんだ! そんなことはよ! なぁおっさん、俺は……!」
焦ったベラムはあくせくと身体を動かし、勢いそのままヴィクターに同意を求める。
だが、ヴィクターは底意地の悪い笑みを浮かべていた。
「……ふぅ~ん、この神聖な闘技場を汚されたくねえって言った奴がよその施設で乱闘した、ねえ?」
もっともな指摘にベラムはあんぐり口を開ける。それからぶんぶん首を振った。
「こ、これは! 正当防衛だ!」
ヴィクターが口の端を吊り上げる。
「さっき返り討ちに遭わせたって言ったろ? ウソかホントか知らねえが、しかもつまりはまだ選手にもなってねえ素人を殴ったわけだ」
さすがに反論できないのか、ベラムは口をぱくぱくと動かす。そんなベラムを、ヴィクターがぎろりと睨みつけた。
「闘技場を神聖な場と呼んでくれるのは結構。だが、選手が外でその力を見せて喧嘩するってのは大昔からのご法度だ! 闘技はこの会場の中でのみ披露し、破ったものは永久追放を含めた措置も検討する重罪だ。俺からも聞く。ルールは理解していたのか!」
兄妹は内心ガッツポーズをする。「ナイスフォロー!」と叫びたい気持ちだ。
ベラムがたじろぎ、よたよたと後退していく。
「だっ、だから! 軽く気絶させてただけって! なんだよ‼ 証拠でもあんのか!」
それでも開き直れる図々しさに、兄妹はもはや感服してしまう。証拠、という言葉にライアスはため息を吐いた。
「なくなるようにお前は布にくるまれて引き上げてったな」
「うるせえ‼」
冷や水を浴びせられたベラムはもう逆切れするしかない。
兄妹はマーシュの宿での乱闘騒ぎを思い起こし、やれやれと肩をすくめる。ベラムの取り巻きが「隠せ、隠せ」と布を広げる有り様は、記憶力が乏しいライアスも覚えている。
(なんでこういうのはしっかりと覚えてるんだろうな?)
(ね?)
その兄妹の傍ら、ヴィクターが人差し指を突きつけ、ベラムをさらに追及する。
「ベラム! これが最後の警告だ。今すぐに帰りな。そうすれば今の話は聞かなかったことにしてやる。……それともこの一件はしっかりラム・ガルムらに事情聴取して理事会に取り上げることもできるんだが、どうする?」
ベラムは「くっ!」と奥歯を噛む。
ヴィクターも兄妹も、これで退いてくれることを願った。
「でもよ! こいつらが本来の規約を守らなかったのは事実だろ! しかも今さっきそのまま闘技証を渡そうとしただろ! 俺が止めたから防げたものを、運営管理がそんな杜撰でいいのかよ!」
だが、それでもこの男は引き下がりはしなかった。兄妹を乱暴に指差し、ヴィクターへと詰め寄る。
今度はヴィクターが奥歯を噛む番だった。苦し紛れの主張のようで、しかし兄妹が誓約書を書いていないのは事実だ。まだ形勢は五分、とばかりにベラムが薄笑いを浮かべる。
「いいのかなあ? おっさん、わかってるよね? もっと上の運営管理者には俺の……」
「ぐっ……!」
だがそこに、ライアスがあっけらかんと口を挟んだ。
「……それなら、別に俺は闘技証をもらえなくてもいいぞ。登録不備ってことだろ? それならそれで失格扱いにして、最終通告したんなら通報しちまえば?」
自分たちは失格でいいからベラムの素行も通報する。そんなことをしれっと口にされ、ベラムは泡を食ったように身を翻した。
「待てっ! 待て待てっ‼」
案の定、目を血走らせてライアスに詰め寄る。
このまま引き下がるのは面白くなく、ライアスがつい口を滑らせた。いつもは兄を諫めるフライアも、このときばかりは口出しをしない。
とはいえ、これでは不毛で無益な言い争いにしかならない。
「天秤にかける話じゃねえ‼ おめえが失格になることなんて雀の涙にもならねえんだよ!」
「そんなこと言って……お前さっきから論点ばかりずらしてさぁ……」
「そもそもおめえの聞き間違いが……‼ ……いや、もういい……」
言いかけたベラムが急に声のトーンを落とした。
大人しくなったというより、妙に冷ややかで白けた口調だ。そして酷薄な表情で兄妹を睨みつけた。兄妹を人として認識していないかのような、そういう冷血な目だった。
「……お前のような無知の馬鹿に口で説明したのが間違いだったんだ。要するに俺がどれほどこの都に必要とされている存在か、わかってねえと。そうだな?」
落ち着き払った態度が妙に不気味だった。身構える兄妹をよそに、ベラムは窓口の方に目をやる。
「おっさん。例の部屋、エキシビションで使わせてもらうよ」
するとヴィクターが目を見開いた。
「エキシビションって、お前……!」
ベラムが口の端を吊り上げる。
「こいつら闘技場とその階級の在り方がどれほどデカい存在かわかってないんだぜ? 舐められたもんじゃねえの? 俺はこれから、こいつらまとめて闘技場ってモンを……教え込んでやる」
「ま、待て!」
薄気味の悪い冷淡な口調。その表情に影がかかっている。
ヴィクターが慌てるように声を上げたが、その制止を無視し、ベラムは状況を飲み込めずにいる兄妹へと歩み寄る。
「ひっ!」
そのまま二人の間に入り込み、その肩を両腕で抱え込んだ。
フライアが身を震わせる。ベラムはニヤリとほくそ笑んだ。
「なあ、今更そんな驚かないでくれよ。Fランクの新米さん。ここは闘技場だ。戦って日々を過ごす闘士たちの聖域さ」
それから両腕で圧をかけ、兄妹に顔を寄せると囁くように口を開く。
「その場所の価値を知らないってそこまでアピールしてくれるんなら、このSランクのベラム様が教えてやろうじゃないか? なあ?」
その横顔をライアスが睨みつける。
「……まずはこの腕、離してくれねえか? ……がっ!」
ベラムは腕の力をさらに強め、兄妹の首を押さえつけるように自分の胸元へと引き寄せた。そのまま兄妹を引きずるように闘技場の奥へと進んでいく。
(なんだ、これ? 身体が……?)
(ちから……入らない……!)
自分たちの首回り、ベラムの腕から帯びるエレメントの魔力に兄妹は思うように身体が動かない。
のしのしと歩くベラムの両脇、抱えられた兄妹は逆向きのまま、後退するように暗がりへと消えていく。
その様子を見ながら、ヴィクターは額に手をやり深刻そうに呟いた。
「まずいことになったな。あの部屋は今……」




