第86話 領地を強くしよう
夏真っ盛りの7月末。アールクヴィスト士爵領の領都ノエイナでは、定例の会議が開かれていた。
領主であるノエイン、その副官のマチルダ、そしてノエインの妻となったクラーラ、さらに全ての従士が一室に集まり、各部門からの報告を聞いていく。今回はクラーラが出席する初めての会議だった。
「――次に私から、アールクヴィスト領婦人会の活動報告です」
報告の順番が回ってきたマイが立ち上がる。
「先月お伝えした通り、医師のセルファース先生や出産経験のある女性陣に協力をお願いして、妊娠した女性たちに助言する講座を定期的に開くようにしました。それと、子育て中の女性たちの相談会も同じく。これで女性たちの不安も大きく軽減されたと思います」
アールクヴィスト領には家族を失って流れ着く難民出身者が多いため、親に代わって誰かに妊娠や子育てのアドバイスを求められる環境が求められていた。自身も母となったマイの尽力のおかげで、その環境が整備されつつある。
「あと、赤ん坊のいる女性が仕事に出るときに、他の家で子供を預かってもらえるよう互助会を設立しました。私が息子を預けてこうして会議に出席できるのもそのおかげです」
「そっか、婦人会が上手く機能してるみたいでよかった……女性たちの子育てへの安心は領地発展のためにも不可欠だからね。助かるよ」
マイの報告を受けて、ノエインも満足げに応える。
「それじゃあ、次の人」
「では、私から農業面の報告です」
そう言ってマイと入れ替わるように立ち上がったのは、農民たちのまとめ役であるエドガーだ。
「この夏の小麦の収穫・脱穀作業は、昨年と比べても大幅に早く終わりました。特に脱穀作業が相当に効率化されたのが大きいでしょう。これもダミアン殿が考案した千歯扱きのおかげです」
「へへへ、いやあ、そう言ってもらえると作った甲斐がありますね」
エドガーの報告を聞いてニヤニヤと照れるダミアン。
彼が考案した千歯扱きとは、鉄製の細い棒が台に埋め込まれ、櫛のように並んだ道具。これに麦の束を通すことで簡単に穂が落ちるため、従来のやり方と比べて圧倒的に効率よく脱穀作業を進められるようになったという。
仕組みはシンプルだが、だからこそ量産が容易で、誰でも使えて効果的。試作品を見たときはノエインもダミアンの発想力に感心したものだ。
開発の経緯としては、ある日食堂で細切りジャガイモと玉ねぎの炒め物をフォークで掬うのに苦戦していたダミアンが、いきなり「これだ!」と立ち上がって食事そっちのけで工房に走っていた……のをメイドのキンバリーが見たと証言している。
「脱穀が早く終わったことでその後の農作業も余裕を持って進められるようになり、また余った時間でさらに開墾を進展させられました。この秋以降の農業生産量は予想していたよりさらに増える見通しです」
「ありがとう、エドガーも農民の皆もお疲れ様。ダミアンもお手柄だ」
エドガーを労い、テレテレと笑うダミアンにもそう声をかけるノエイン。
その後は財政担当のアンナが報告のために立つ。彼女から伝えられるのは、今のアールクヴィスト領の最重要事業である鉱山開発の収支状況だ。
「既に鉱山村から報告があったように、鉄鉱石と銅鉱石、そして二つ目のラピスラズリ原石の鉱脈が見つかっています。鉱山村の規模拡大とともに採掘量は徐々に増えていくはずなので、遅くとも1年もあれば投資を回収できるかと」
ヴィクターの主導で行われている鉱山開発は、今のところ大成功と言っていい。
資金源であるラピスラズリ原石の新たな鉱脈が既存の鉱脈の近くにもう一つ見つかったのはもちろん、鉄と銅を領内で自給できるようになったのも大きな成果だ。
「王国社会の世情に関係なく、鉄と銅を好きなだけ使えるようになったのは大きいね」
ノエインが安心したように言う。紛争に伴う鉄や銅の高騰は、それらを輸入する側としては痛手だが、輸出する側になればむしろメリットに変わるのだ。
「これだけ豊富に資源が見つかったのも、アールクヴィスト領の広さあってこそだな」
ノエインの言葉に頷きながら、従士長ユーリもそう感想を零した。元々がただの森でしかないアールクヴィスト領は面積だけは大貴族の領地なみの広さを王家から与えられており、そこに接するレスティオ山地の面積も大きい。
その後も会議は進み、全員の報告が終わるとノエインはいつものように聞く。
「――それじゃあ、最後に何か提言がある人がいればお願い」
それに応えたのはユーリだった。
「……俺からひとついいか」
「はい、ユーリ」
「これは領外と接することの多いバートやフィリップ、それに少し前まで領外にいたヴィクターあたりから聞いた情報をもとにした個人的な私見なんだが……」
ノエインに指されたユーリは、深刻な表情で話し始める。
「端的に言うと、戦争が近い」
「それは……ランセル王国との?」
ロードベルク王国は東のパラス皇国と長く紛争を続けており、近年はさらに西のランセル王国とも紛争に突入している。治安や経済にも明らかな影響が出ている。
特にランセル王国との紛争は次第に激化しており、そう遠くないうちに本格的な戦争に突入するのではないかと北西部閥の貴族たちの間でも言われていた。
「そうだ。といってもこれは各方面から聞いた領外の情勢をもとにした、俺の元傭兵としての勘でしかないがな」
「……それでもいいよ、詳しく聞きたい」
ノエインはそのまま話すように促す。
「……まず、バートとフィリップから聞いた話だが、領外の麦の高騰が止まらないらしい。さらに、少し前までレトヴィクにいたヴィクターの話だと、鉄の高騰や流れ方が戦争の少し前のそれに似てると。物価がこういう動き方をしたら、大抵はその後に戦争が起こるものだ」
傭兵の幹部として王国各地を渡り歩いたユーリの肌感覚と、長命なドワーフとして過去の戦時下も知っているであろうヴィクターの見解。若いが故にそうした勘を持たないノエインとしては、どちらも無視できないものだ。
「開戦は来年か、再来年か……そうなれば王国の経済や治安はさらに荒れる。戦争の期間と規模によっては戦後の混乱も長引く。その混乱はおそらくアールクヴィスト領まで波及してくる。それを見越して、今から備えていくべきに思える」
あくまでただの予感でしかない。しかし、社会が混乱し、秩序が崩壊する過程を傭兵としていくつも見てきたユーリの言葉は重い。
「……分かった、領主として従士長ユーリの提言を受け入れる。今から戦争やそれに伴う混乱に備えて、色々と手を打っていくよ。皆にもそれに関して協力を求めることがあるかもしれないから、そのときはよろしく」
そう言って、ノエインはその日の定例会議を締めた。
・・・・・
会議を終え、従士たちが立ち上がって礼をする中でノエインとクラーラが退室する。その後ろにマチルダが従者として続く。
残された従士たちはダミアンのようにさっさと退室して仕事に戻る者もいれば、何とはなしにその場に残って雑談を交わす者もいる。
「……結局、何やかんやでノエイン様とクラーラ様は仲が良さそうでさあ」
雑談組の中でそう呟いたのはペンスだ。
「最初にノエイン様が妻を迎えると聞いたときはどうなるのかと思いましたけど、マチルダも併せて3人できれいに収まったみたいですね」
隣にいたバートがペンスの呟きに応える。
「クラーラ様とマチルダは立場や性格が違うから、ぶつかることもなく上手いこと調和がとれてるんで、きっと」
顔に似合わずそんな繊細な考察を見せたのはラドレーだ。
長年の恋人としてノエインにべったり寄り添い、常にサポートするマチルダ。妻としてノエインの負担を共有し、献身的に支えようとするクラーラ。
二人の性格も立場も、女性としてのタイプも被らないからこそ、同じ男を共有していても良好な関係を築いているのだろう……と、周囲の誰もが考えていた。
「……お前ら、あんまり主の女性関係であれこれ噂するもんじゃないぞ」
「そうは言っても、領主様の家庭生活の安定は領地の安定に繋がりますから。これもまた大切な話し合いってことで」
ユーリがやんわりと窘めるが、それをバートがさらっと流す。その言い分は一理あると言えなくもないものだったので、ユーリも反論に困る。
「それに、従士長も少し気になるでしょう?」
「まあ、そりゃ多少はな」
ユーリとてノエインが結婚すると聞いたときは心配したのだ。この話題に興味がないと言ったら嘘になる。
「……夜の方はどうしてんだろうなあ」
「当番制ですかねえ」
「ばっ、お前らそれは……さすがに不敬だ」
下世話な方向に流れ出したラドレーとバートを慌てて引き留めるユーリ。しかし、
「ああ、基本はマチルダとクラーラ様が一晩おきに交代で。たまに二人一緒に……らしいぜ。仲良すぎだよな」
とペンスが言ったことで、話題を止めようとしていたユーリも含めて衝撃に包まれる。
「二人一緒に!? それはまたなんとも……贅沢な話ですね」
「そんな抱き方でノエイン様は疲れねえんだろうか……」
「馬鹿言え、ノエイン様は十七歳だぞ。あの年頃なら無尽蔵だろ……ってそうじゃなくてだな」
つい話に乗ってしまいつつも、ユーリは突っ込む。
「ペンス、お前なんでそんな話知ってるんだ」
「報告のためにノエイン様の屋敷を出入りしてると、よくメイドのロゼッタと立ち話になるんでさあ。そのときに教えてくれました……最近なんでか知らねえけど、やたらとロゼッタに会うんですよね」
「「……」」
それはおそらくメアリーやキンバリーが手を回してペンスとロゼッタを鉢合わせるようにしてるんだろう。と思うものの、ユーリもラドレーもバートも何も言わない。
女性陣が「ペンスとロゼッタくっつけ作戦」を実行していることをユーリたちはそれぞれの妻から聞いていた。未だに何も知らないのはペンスただ一人だ。
「ペンス、お前も早く結婚できるといいな」
「はあ? なんですか急に。相手がいねえんですからどうしようもないですよ」
ユーリの言っている意味が分からないと困惑しながら応えるペンス。ロゼッタの好意には気づいていないらしい。
雑談を切り上げて部屋を出ていく彼を、ユーリたち三人は残念なものを見る目で見送るのだった。




