第83話 これから共に②
マチルダはノエインの最も近くに、最も長い時間いるからこそ、ノエインの信念を誰よりも理解している。
ノエインが何より望むのは自分自身が幸せであること。そして、その裏返しとしてアールクヴィスト領で暮らす全ての者が幸せであることだ。
アールクヴィスト領に生きる人々の幸せはノエインの幸せ。だからこそ、ノエインはクラーラがこんな気持ちを抱えたままアールクヴィスト士爵家に嫁ぐことを望まないだろう。
ではどうすればいいのか。クラーラに、自分は邪魔者でも置き物でもないと思ってもらうことが最善なのではないか。
そう考えた結果、マチルダはクラーラにある提案をすることにした。
「マチルダさんから、私にお願い……ですか?」
「はい。無礼を承知で、クラーラ様さえよろしければお話させていただきたいのです」
「……無礼だなんてとんでもありません。ぜひ聞かせてほしいです」
そう応えるクラーラだが、その顔は一体何を言われるのかと不安げだ。
「では……クラーラ様。これから先、私と手を取り合って、ノエイン様を全力でお支えする同志となってはいただけないでしょうか」
マチルダの願いがよほど予想外だったのか、クラーラは目を大きく見開いた。
「私が、マチルダさんの同志に? で、ですが……私はマチルダさんにとってはお邪魔なのでは?」
「私の幸せは、ただ女としてノエイン様を独占することではないのです……ノエイン様に幸せに生きていただき、そのお傍に寄り添うことこそが私にとって重要なのです。ノエイン様の幸せが、そのまま私の幸せです」
戸惑った様子のクラーラを真っすぐに見据えて、マチルダは話す。
「なので、これからノエイン様の妻となるクラーラ様には、獣人奴隷の私とは違うかたちでノエイン様を支え、幸せにして差し上げてほしいのです。そうなれば、私にとってクラーラ様が邪魔になるはずがありません。むしろ、ノエイン様の幸せを共に支えてくれる同志となります」
これはクラーラの抱える暗い気持ちを払拭し、ノエインもクラーラも自分も全員が幸せになるためにマチルダが考えた提案だった。
「で、でも……私なんかがどうすればノエイン様の支えになれるのでしょうか」
マチルダの提案はクラーラにとって救いになり得るものだったが、クラーラにはそれに応える自信がなかった。ただ大貴族の令嬢であるというだけの自分がどうやってノエインの助けになればいいのか分からないのだ。
「難しいことではありません。例えば他貴族との付き合いの場などで、クラーラ様が妻としてノエイン様の負担や心労を軽減されるよう努められるだけでも大きな支えになれます。私ではそうした場面で発言も行動もできませんから」
マチルダはクラーラの立場だからこそできるであろうノエインの支え方を話し始める。
「他にも……私はノエイン様のお傍に控えてクラーラ様とのお話を聞いていましたので、クラーラ様は学問が、特に歴史がお好きだと存じています。それに関連して、何かやってみたいことはございませんか?」
「……私は家で過ごすことが多かったので、学問に、歴史に触れることで世界の広さを知ることができました。できることなら、こうした知見を多くの人にも伝え広めたいと思っています。そして個人的に、歴史への理解をもっと深めてみたいです」
「では、学校を作って学問を教えることと、歴史を研究することを目標とされてはいかがでしょうか?」
クラーラの興味や知識を活かせる道を、マチルダは自分なりに考えて提案する。
「私もノエイン様に読み書きや計算を教えていただいたので、学問の重要性は理解しているつもりです。この地で学問を教え広めることは、多くの人の可能性を広げ、延いてはアールクヴィスト領の可能性を広げることにつながるのではないでしょうか。それはノエイン様の幸せに繋がります」
マチルダの話を聞きながら、クラーラの目に光が宿っていく。
「そして、歴史の研究もまたアールクヴィスト領の糧になるはずです。領主の妻であるクラーラ様がひとつの学問を追求されることは、この領の文化的な成熟に結びつくはずです。クラーラ様の修める歴史の知識が直接ノエイン様のお役に立つ場面も出てくるでしょう」
「……それは、それらの提案は、とても魅力的です。ですが、私なんかがそのようなことをしてよろしいのでしょうか? 余計な立ち振る舞いをせず、おとなしくしておくべきでは?」
「むしろ、クラーラ様がそうしてご自身の道を追求されることをノエイン様は望まれるはずです。ノエイン様はアールクヴィスト領に生きる全ての人が、それぞれの幸せを実現することをご自身の幸せと捉えていらっしゃるのですから」
マチルダの言葉を受け止めて、クラーラは泣きそうな顔を見せた。
「……本当に、私はここで幸せになっていいのでしょうか? 私はノエイン様とマチルダさんの邪魔になるのではなく、お二人と一緒に幸せになれますか? 妻という立場だけではない、自分自身の存在意義を持つことが許されますか?」
自分は「貴族の妻」という置き物にしかなれない。置き物として邪魔にならないよう大人しくしているだけの人生しか送れない。
そう信じ切っていたクラーラにとって、マチルダの言葉の数々はあまりにも希望にあふれていて、あまりにも優しくて、だからこそ受け止めるのが怖かった。
「もちろんです。ここでは誰もが幸せを追求できます。ノエイン様が幸せにしてくださいます。そして、私たちもまたノエイン様のお役に立ち、ノエイン様を幸せにするのです。これから共に、ノエイン様と一緒に幸せになりましょう」
「……はい。ありがとう、マチルダさん」
クラーラとしっかり顔を見合わせ――そこでマチルダは、それまでの自分の大胆すぎる物言いに今さらながら自分で驚く。
「も、申し訳ございません。奴隷の身でありながら、クラーラ様に色々と生意気な口を……」
クラーラの、延いてはノエインのためになればと無我夢中で喋ってしまったマチルダだったが、急に自分の言動が出過ぎた真似に思えてきた。自分は余計で勝手なことをしたのではないかと焦る。
「生意気だなんて、そんなことありません。ノエイン様のお傍にいる身としてはあなたの方が大先輩なんだから、どうかこれから私にご教示をお願いします。ノエイン様をお支えするための心構えをたくさん学ばせてください」
クラーラが優しく微笑みかけると、マチルダは少し照れたように頬を赤らめてぎこちなく微笑み返した。
・・・・・
クラーラがマチルダと話せるようにと席を外したノエインは、頃合いを見計らって2人のもとに戻ることにする。
少しは会話が生まれただろうか。マチルダと接することでクラーラに少しは変化があっただろうか。
そう思いながら庭先へと続く廊下を歩いていくと――
「まあっ、ノエイン様にもそんな甘えん坊な一面がおありなのですね」
「はい。普段は領主として部下や領民たちに弱い部分を見せられないと思っておられる反動なのでしょう。夜はとても無邪気な顔で接していただいてます。そのお顔がまた……何というか、庇護欲をくすぐられるのです」
「そうなんですか……夜というと、その、べ、ベッドも共にするということですよね……?」
「はい。それに入浴のお供も」
「入浴! おっ、おふっ、お風呂も一緒なんですね……私も結婚したらそうなるんですよね……」
「どのように振る舞えばノエイン様がお喜びになるか、私でよければいつでもご相談に乗りますので」
「ふあぁっ!? わ、分かりました……」
そんな会話が聞こえてきたので、思わず足を止める。ノエインの少し前ではクラーラの上着を手にしたお付きの使用人も固まっていて、赤裸々ガールズトークの中に踏み込んでいいものか迷っている様子だった。
マチルダもそうだが、クラーラの声色がとてもとても明るい。この短時間で一体何があったのか。
「それにしても意外というか……でも、ノエイン様は中性的なお顔立ちですし、どちらかというと小柄ですし、そうして甘えられる表情も可愛いのでしょうね」
「ええ、とても……ですがそのお顔立ちや体格のために、自分に威厳が足りないのではないかと悩んでおられるようです」
「まあ……ノエイン様でも悩まれることがあるんですね」
「はい。ノエイン様は領主として素晴らしい才覚を持っておられますが、一人の人間としてごく普通に悩みや不安を感じられることもあります。だからこそ、私たちでお支えしましょう」
「はい。だって私たちはそれぞれが、ノエイン様の唯一無二の存在ですものね!」
さすがにそろそろ聞き続けるのが恥ずかしい。そう考えたノエインは思い切って歩き出し、まだ固まっている使用人を追い抜いてマチルダとクラーラの前に姿を見せた。
「今戻りました。お待たせして申し訳ない」
「のっ、ノエイン様!?」
「し、失礼しました」
ひょっこり現れたノエインにクラーラが驚愕し、マチルダも珍しく慌てながら立ち上がる。
「えっと……2人とも随分と打ち解けたみたいでよかったです」
「き、聞いておられましたか?」
「……ええ、『そんな甘えん坊な一面が』あたりから」
ノエインが気まずそうに言うと、クラーラはあわあわしながら顔を覆った。マチルダの方をちらりと見やると、無表情を保とうとして全然保てず目が泳いでいる。
「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですが……でも、クラーラ様が楽しそうに過ごされているのでよかったです」
そう言いながらノエインはクラーラに微笑む。クラーラは顔を真っ赤にしながらもノエインに視線を返す。
「……マチルダさんが、私の救いになる言葉をくださいました。ノエイン様、今までの私の暗い言動をどうかお許しください。私はマチルダさんとは違う立場で、私なりのかたちで、ノエイン様の支えになれるようここで懸命に生きていきます。私もここで幸せになりたいのです」
そう話すクラーラの表情はこれまでとはまったく違っていて、見違えるほど明るくて、清々しくて――ノエインから見ても惚れ惚れするほど魅力的だった。
その顔に思わず見とれていると、マチルダがクラーラの横にスッと近づく。
2人はまるで心の通じ合った長年の親友のように、確かな信頼を込めた目でお互いを見ると、その顔をノエインに向けた。
「ノエイン様、どうかこれから、妻としてあなたをお支えさせてください」
「私からもあらためてお願いいたします、ノエイン様。私たちの献身をどうかお受け取りください」
立場は違えど、これから生涯をノエインと共にする2人の女性。その力強い視線と言葉を受けて、ノエインはフッと笑う。
今までノエインは、クラーラとは結婚した後も適度な距離感で上手く付き合えれば、それで上出来だろうと考えていた。
貴族の責務として子を成し、人前では仲睦まじい夫婦を演じ、一方で普段はクラーラにも趣味なり学問なり生きがいを見つけて楽しく暮らしてもらう。真に夫婦としての信頼や愛情を築くことは難しくても、そうしてお互い楽しく生きていけるだろうと考えていたのだ。
しかしクラーラは、そしてマチルダは、ノエインよりもよほど強かった。ノエインがちょっと席を外している間に、これから共にノエインの傍に立つ女同士で支え合って、真に幸せに生きていく覚悟を決めていたのだ。
どうやってマチルダが僅かな時間でクラーラの心を動かしたのかは分からないが、それはひとまず置いておくことにする。
「……ありがとう2人とも。これから僕と一緒に生きていこう。幸せになろう……いや、幸せにするよ」
「私たちも、ノエイン様を幸せにしてみせます。ねえマチルダさん?」
「はい……ノエイン様に幸せに生きていただけるよう、お傍でお支えし続けます」
「そっか。それはとても心強いし、嬉しいな」
すっかり仲良しになってしまったクラーラとマチルダを前に、ノエインは苦笑する。
この日、ノエインはクラーラのことを妻として心から受け入れ、マチルダも一緒に3人で幸せに生きると決意した。




